「見事だ…」
手に取ったパンを大事に、一口一口噛みしめながら味わったザーフトラク様は、そう呟くといきなり私の前に膝をつく。
跪かれたのだ。私に?
他の料理人さん達も驚いている様子が見える。
え? なに? なんで?
「マリカ。いや、マリカ殿」
私を見つめる目に敬意と感謝がはっきりと見えた。
「其方が皇国に在ることに私は感謝しよう。
昨日のパスタ。今日のパン。どちらも紛れもない最高の食の欠片だ」
ああ、ザーフトラク様は本当に、食と自分の料理人という仕事に真摯なんだなあ、と感動する。
初日こそ見知らぬ子どもに攻撃的だったけれど、その後は本当に一番誠実に私の言葉を聞いて下さる。ありがたい。
でも、同時に胸の中がチクリ、痛くなる。
申し訳なさが溢れて来るようだ。
「どうか、お顔を上げて下さい。ザーフトラク様」
だって、天然酵母パンも、サンドイッチもその他の料理も、マッサージもアロマテラピーだって私が0から考え付いた訳ではない。
異世界で学び持ち帰ったもの…。
本来なら私がお金を得て良いようなものではないのだから。
「これらは古くから人によって考えられ、磨かれ伝えられたもの。
私は、教えられ預かっているにすぎません」
「マリカ殿」
「どうぞ。マリカと。私は多くの賢人の知識を預かり、伝える役を精霊の導きに寄って託されただけのものです」
膝をつくザーフトラク様の手を握って頭を下げる。
マリカにとっては祖父にさえ近い歳の方。
生きて来た年数、プライド、そして料理に対する思い。
どれをとっても、足元にも及ばない。
「知識とは箱に入れておくものに非ず、伝え広めるものだと、私は師より伝えられております。
私は覚え得た全ての知識をお伝えいたします。
先に、お声かけ下さいましたように。
ですので、もし感謝の言葉を賜れるなら、どうかそれを活用し、広め、お役立て下さいませ」
「マリカ…」
実習の最初、ザーフトラク様がかけて下さった言葉と思いを返しながら私は思う。
随分と前にリオンは言ってくれた。
私は本来この世界の住人で、この世界に必要な知識を運ぶ為に異世界に学び、そして戻ってきたのだ、と。
希望や未来が失われたこの世界に、人々に必要な知識を伝える。
子ども達を守り、生きる世界を作り、未来へ繋ぐ。
それが私の存在理由であるのなら、正しい知識と経験、そして広げていく技術と意欲のある方にこそ知らせ、託し繋いでいくべきなのだから
「解った。必ずやこの知識を私は、世界に広めて見せると誓おう。
神と星と、精霊と、マリカ…君の名に懸けて…」
ザーフトラク様は、膝をついたまま、自分の右手を心臓の前で握ると私の前に広げるように差し出す仕草をする。
見ていた他の料理人さん達が声にならない驚嘆の声を上げたのが聞こえた。
この仕草には覚えがある、けれどあの時と同じだ。意味が解らない。
ただ、とても大事なものを捧げられた。
それだけは解るから、私は胸に抱きしめ、受け止めたのだった。
「マリカ。精霊の誓いって知ってるかい?」
「? 知りません。なんでしょう?」
料理実習終盤、自分の焼けたパンを切り分けながらカルネさんが私に囁いた。
楽しそうに、面白そうに。
「やっぱりね。さっきザーフトラク様が君に向けて手を広げただろう?
あれは、君に自らの心臓、命を預ける。そんな意味があるんだよ。
原則、一人に捧げる永遠の忠誠と、心からの敬意と愛」
「へ?」
「昔、500年よりもっと前、本当に昔の精霊時代の風習でさ。
今の男女の間だと、ほぼプロポーズに近いかな?」
「プロっ!!」
「どうする? ザーフトラク様の第二夫人に…って、わっ、と危ない!!」
動転した私は手に持っていた天板を落としそうになる。
ちょっと待て、プロポーズ?
ザーフトラク様が、私に?
ない、ありえない。
絶対!!
「違うわ! たわけ!!」
ボカッ!と渾身の力を込めた拳骨が、落ちた天板を拾い手がふさがったカルネさんの頭に落下する。
声を潜めていたとはいえ、厨房という個室。
ワザとザーフトラク様や皆に聞こえるように、聞こえる場所で言ったであろうカルネさんは
「痛った~~」
やっぱりワザとらしく頭を撫でる真似をする。
「貴様らの若造の俗な考え方と一緒にするな。
精霊の誓いはもっと崇高なものだ。
生涯、たった一人に対して、全身全霊を持って守り力になると己に誓う儀式。
私は妻にも皇王様にも捧げてはおらぬわ!」
本気の怒りに肩を震わせるザーフトラク様。
私も驚く。
あの儀式にそんな意味があったんだ…。
「解ってますよ。だから驚いたんじゃないですか?
今どきは風習も薄れて覚えている人もいないようなことなのに」
「ザーフトラク様、そんな大切な事を、私に?」
「其方は気にするな。別に其方に何を求める訳でもない。
精霊の誓いというのはそういうものではないのだ」
驚きに身動きさえもできない私に、本当にザーフトラク様は柔らかい笑みを浮かべる。
「かつて、神の力よりも精霊が身近で在った頃の風習でな。
ただ、その人間の力になりたいと心から思った人間に捧げるもの。
自らにかける誓いのようなもので、力及ばぬ時精霊が助けてくれるという。
まあ、おとぎ話だが、其方には相応しいと思った」
遠い過去を懐かしむようなそれは眼差しで彼は語る。
「最近、昔のことをよく思い出す。
500年前、皇子が一度だけアルフィリーガを城に連れて来た事があった。
生きた精霊そのものの少年に、いい年をして憧れたものだ。
いつか自分も彼に、精霊に誓いを捧げたい。そんな憧れを胸に抱くくらいには」
本当に思ってしまう。
瞳に宿る深い優しさと揺ぎ無い思い。
この方の誠実を受ける資格が、私にあるのだろうか?
「でも、私の知識は先ほども言った通り借り物というか、預かりもので…」
「それでよい。 むしろ、それを言える其方だからこそ。だ。」
静かな微笑を浮かべて、ザーフトラク様はポンポンと私の頭を撫でる。
「先人の努力に敬意を表し、大事にする其方に人間として感動した。
そしてその意志と願いを守りたいと、心から思った。
それを現した。ただそれだけのことだ」
「ザーフトラク様…」
「今まで濁していたが、其方に興味を持つ者は皇王妃様だけのことではない。
既に大貴族の一部は料理のレシピ欲しさに血眼になっている」
「そうですね。ガルフの店に直接打診を始めた者もいる様子」
「まあ、私にできる事などたかが知れているが、其方が自分の思いとは反する事を強いられそうになった時、それから守る盾くらいにはなってやれるかもしれぬからな」
ザーフトラク様の言葉と誓いに秘められたものを私は噛みしめた。
つまりザーフトラク様は、今後、食の事業が進むにつけ私にかかる圧力は強くなる。
望まぬ事を強いられたり迫られることもあるだろう、と。言っているのだ。
それから守って下さる、とも。
本当にありがたい。
「まあ、保護者が一人増えたとでも思っておけ。
とりあえずは皇王妃様を乗り切り、その後、大貴族諸氏からの要望を躱すとしよう。
お前達も少しは覚悟しておけよ」
ザーフトラク様の声に作業を続ける料理人さん達もそれぞれに頷く。
彼らの眼差しも、私には見えていなかった同じものを見ているようだ。
「解ってますよ。まあ、僕の誓いなんかは邪魔だけだろうからしないけれど、君が店で働く事をこそ望んでいるのは知ってるからそこは、できるだけ守るよ」
「君のおかげで料理人の地位も上がっている。今は皇王家の保護も在る。多少は力になれるだろうさ」
「勿体ないお言葉、ありがとうございます。
全力を尽くして頑張ります」
私はただ、料理を教えていればいいと思っていたけれど、どうやらそうもいかないようだ。
食生活が広がれば広がるほど利権もからむ。
準市民に登録されたと言っても、国の事業を行う者で守られていると言っても。
危険はやっぱりあるのだろう。
でも、少しずつ味方も増えている。
最初はライオット皇子だけだったのが、ティラトリーツェ様が加わり二人になった。
皇子妃様達に、料理人さん達も力を貸して下さるというのなら。
きっとやっていける。
頑張れる。私はそう思った。
最終的に
この日のメニューは籠に盛り付けたサンドイッチとオープンサンドとなった。
小さめに切ったサンドイッチの具はジャムとBTL、卵に、チキン。
同じ具を絵画みたいに綺麗に盛り付けたオープンサンドは個別の皿にナイフとフォークで食べられるように仕立てられてある。
後は今年最初のサフィーレの生ジュースとパータトのビシソワーズスープ。
デザートはサフィーレのアイスクリーム。
皇王妃様に食べて頂くにはラフすぎるかもしれないけれど、今回のメインはパンなのでこのままいく。
出来としては予定通りだけれど、さて、皇子妃様と皇王妃様の判定は?
私は、久しぶりにドキドキする心臓を押さえながら、厨房から押し出されて行くカートを見送ったのだった。
ちょっと、予定とは違う形になりましたが、マリカと料理に心酔した皇家の料理管財人、ザーフトラクが保護者を買って出たと思って頂ければ。
『精霊の誓い』は人間にとっては別に強制力のある呪いではありません。
指切りげんまん、のような感じ。深く考えない人は何人にもやっている人もいるでしょう。
ただ自分ではなく、相手に精霊の加護をと願うものなので自分が強く思えば思うほど、相手に加護が働くとは今も信じられています。不老不死社会なので加護を相手に願う意味は薄れており、今、積極的にやろうという人は殆どいませんが。
今後のちょっとした伏線です。
いつもより少し更新が遅れましたがよろしくお願いします。
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