明日の仕込みを終え、料理人さん達との打ち合わせを終え、私が厨房を出たのはもう夜の刻も過ぎようという頃だった。
そんな真夜中。見知らぬ王宮の廊下で
「おい、娘!」
「は、はい?」
いきなり見知らぬ男に声をかけられれば誰だって驚くと思う。しかも
「お前に問おう。
三人の女がここにいる」
「え? いませんけど」
「いると思え。
金髪の女は銀髪の女を見つめ、銀髪の女は黒髪の女を見ている。
金髪の女は人間で黒髪の女は精霊である。
では質問だ。この場合『人間は精霊を見ている』と言う言葉は正しいか?」
いきなり問答をしかけられれば。
「何を言っているんですか? 貴方は? そもそも貴方は一体何者です?」
私と一緒に厨房を出たフェイが私の代わりに相手に抗議してくれた。
でも、私の前に立つ、淡いアッシュブロンドの男性は、答えずにやにやと笑っているだけだ。
背が高い人だな。と思う。
お父様(身長180cm)よりは低いけどお母様(170cm)くらいはある?
中肉中背、眼鏡があったら似合いそうな知的な男性だ。
周囲をぐるりと見回せば側近の人とかは、いないけれど、後ろの方でフェリーチェ様が困ったような顔をしている。
なるへそ、この方がフリュッスカイトの公子 メルクーリオ様かな?
「どうだ? 答えよ」
「正しいです。公子様が私を見ているように。
人間は精霊を見ている事でしょう。私は精霊ではありませんが」
「マリカ?」
私の答えに、どうやら公子は満足して下さったようだ。
にやりと、楽しそうに笑って彼は頷いた。
「よし、とりあえず合格だ。
姫君。アルケディウスのマリカ皇女。
其方を私は客人と、そして会話のできる相手として認めよう。
我が名はメルクーリオ。フリュッスカイトの公子だ」
「公子……。隣国の皇女にいきなりのそれは失礼と存じます」
「仮にも、この水と知恵と芸術の都 フリュッスカイトにモノを教える存在としてやってきたのだ。
私は、最低でも自分の頭で考える事が出来ない者を認めるつもりは無いから確かめたかったのだ。
国の大事を託す以上はなおさらだ。
まあ、料理と言う理を使いこなす以上、心配はいらないと解ってはいたがな」
つーことは、アレですか。
自分よりレベルの低い人と話はしたくないとかいうインテリタイプかな?
でも、知性と自信に溢れた強い目は公主様の面影がある。
自信に見合う実力はきっとお持ちなのだろう。
「私など若輩の身でございますが公子様のお眼に適ったのならば幸いにございます」
「ああ、適った。
オリーヴァの油が美味なことにも驚いたが、素材を正しき理で組み合わせる事で生まれる美味には正直、目を剥いた」
「ありがとうございます」
「故に、こうして参ったのだ。
姫君。取引といこう」
「取引、でございますか?」
いきなりの問答からの取引。
流れが今一つ読めないけれど、ここは下手に聞き返さない方が良さそうだ。
私を対等な『取引相手』と見てくれているのなら下手な弱みは見せられない。
「内容をお聞かせ頂けますか?」
「明日の晩餐会以後、おそらく其方には同じような誘いが山積することとなろう。
其方を取り込み、事を有利に運ばんとする貴族や公達からな」
「公達?」
「私の三人の弟達だ。故あって臣下に落されているが、公子の位を未だに諦めてはいない。
彼らは『公爵』の地位にあり『公』と呼ばれている」
「そのような方が……。でも、私は公主様との契約によってフリュッスカイトに来ている身です。公主様の許可なく、不利益な事は致しませんが」
昨日の挨拶の式典でも思ったけれど、この国はどうやら一枚岩ではなさそうだ。
女性が国を治めるのって意外に大変そう。
私の言葉に公子は小さく肩を竦めながら微笑している。なんだか機嫌が随分と良い。
「そういう素直な点については、国の連中よりも信頼できる感さえあるが、裏を返せば子どもらしい浅慮さを突かれる可能性もある。
まだ、公主家とも完全な信頼関係を築けていない。
敵に奪われる前にしっかり紐を付けておくべきだと母上のお言葉でな」
「……あ、申しわけありません」
私が料理の説明を優先しなかったことを、軽く当て擦られているのは解ったので謝ると公子の目がさらに楽し気に光る。
「やはり、面白いな。姫君は。
この打てば響くような反応はフェリーツェ並だ。良い」
「ありがとうございます」
「であるからこそ取引する価値があろうというもの。姫君。
改めてお願いする。
明日の晩餐会以降、必ず山を為す公を始めとする貴族達の誘いは全て断って頂きたい。
レシピを買い取りたいという依頼から、婚約の申し込みまで全て」
「はい」
元々、今回の訪問指導の雇い主は公主様と公主家だ。異論はない。
「その代償としてフリュッスカイトは、国の秘とも言える技術と産物を開示する」
「え?」
「具体的には、これとか、だな」
服の隠しから小さなものを取り出した公子は私にそれを軽く放る。
「ガラス瓶? でも、これは……」
「直接は触れられぬよう。水も入れるな。肌が焼けるぞ」
白い、不思議な結晶体が瓶の中で微かな音を立てる。
「これって……まさか苛性ソーダ?」
「ほほう」
公子のオリーブ色の瞳が更に深みを帯びた。
「やはりご存知であったか?
他国にも『精霊神』が伝える秘密の知識がある。という母上の推察は事実であったと見える」
「秘密の知識?」
「フリュッスカイトには『秘密の書』と呼ばれる書物が在る。それは『ソーダ』と呼ばれる物質の作り方が記載されていた。汚れを画期的なまでに落す力を持ち、石鹸の原料になるものだ」
「ソーダの作り方が伝承されている書物があると?」
ちょっとビックリ。
ソーダって固有名詞もだけれども、その作り方を記した書物があったなんて。
私の知る苛性ソーダは向こうの知識で、別名水酸化ナトリウム。
炭酸水のソーダとは当然別物で。
この世界で酸性アルカリ性とか理解されているかどうかわからないけれど、強いアルカリ性をもつ向こうの世界では重要な基礎化学品だ。
科学と門外漢の私でも掃除関連や手作り石けんや、オリーブの実のあく抜きとかで聞いた事が在る。
「普通の共通語ではなく、精霊の特別な言葉で記載されている為、特別な法則を理解できないと読むことができない。
城の書庫にある本をすべて読み、精霊古語を理解する。それがこの国の長となる条件なのだ。
母上は我が国の『秘密の書物』に相当するものが各国にもあるのではないかとおっしゃっている。
姫君の調理の知識などはそれではないのか? とも」
フリュッスカイトは本当に知識の国なのだなと思う。
図書室の本全読みが国王の条件とかか大変だ。
ではなく。その『秘密の書物』に基礎化学品の精製方法が載っていた?
「願わくば、滞在の間、わが国には伝わっておらぬ『精霊神』の知識の中に、それをより良く活用する方法が在れば教えて頂きたい。知識の交換も望む。
こちらは謝礼として、ソーダを使った石鹸などを輸出し、また新規の加工品ができればそれも輸出しよう。ソーダそのものは危険物なので輸出はできないがな」
「……随分と、最初から大盤振る舞いして下さるのですね」
正直に、そう思う。
秘密の書物、ということはかなり、国家秘密に近いのだろうに。
けれど公子は静かに笑って私を見ている。
「姫君と、その知識にはそれだけの価値がある。
試作品と言う『新しい食』を食べて、私達はそう判断したのだ。
姫君はおそらく、我々と同じものを見ることができる存在だと。
その知識を本当の意味で欲するなら、こちらも同格のものを差し出すべきだ、とな」
「さっきの理論問題はその判断の為、ですか?」
フッと空気が揺れただけ。
言葉の返事は無いけれど、その楽しそうな瞳は肯定している。
「部屋に戻り、部下や随員達と相談してからでも良いでしょうか?」
「構わない。良い返事を期待している」
言いたいだけ言って公子は去ってしまわれた。
フェリーチェ妃も私に軽く会釈すると慌てて後を追いかける。
四番目の国、フリュッスカイト。
今までの国とまた一味違う手強い国だな、と私は改めて思ったのだった。
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