実は、奉納舞の後、私は定時連絡で皇王陛下に怒られたのだ。
『マリカ。
其方はヴェートリッヒ皇子を信用し過ぎではないか?』
と。
アンヌティーレ皇女の秘密と、奉納舞のこと。
ヴェートリッヒ皇子が私達に齎してくれた情報はどれも貴重なもので、私達アルケディウス使節団の行動方針の根幹となっている。
「信用は、しております。
実際問題、ヴェートリッヒ皇子が教えて下さらなかったら舞踏会でアンヌティーレ様に力を奪われそうになった真相とか、奉納舞の後の騒動についてとか、知ることもできなかったんですから」
『だが、失礼な言いぐさとは承知しているがヴェートリッヒ皇子の教えて下さった事が真実である、とは限らぬぞ』
「そうですが、だとしたらヴェートリッヒ皇子が嘘を言わなければならない理由は何でしょう?
あるとすれば私の好意と信用を勝ち得て結婚、というくらいでしょうけれど、私はきっぱり結婚はしない。と告げておりますし」
『其方の信用を得ておいてから其方を捕え、皇帝陛下やアンヌティーレ皇女に差し出すという可能性は?』
「無いとは限りませんが……、お父様が信頼する旅の仲間。
私は信じたいと思うのです」
『まあ、其方が解っていて信じるというのなら余計な事を言うまでも無いが……、くれぐれも注意するのだぞ』
「はい」
通話を切った後、ミーティラ様が心配そうに私を見る。
「皇王陛下の御心配も最もだと思いますよ」
「解っています。
でも、今から皇子を疑い、排除するなんて事になったら私達は、本当にアーヴェントルクに味方無く、孤立無援となってしまいますよ」
「それは、そうですが……」
今、アルケディウス使節団の行動指針は殆どヴェートリッヒ皇子の情報が元になっている。
それが皇子の態度ごと丸っと嘘だったら、本当にアーヴェントルクとヴェートリッヒ皇子は怖ろしい国だと思うけれど、きっとそうではないと思う。
私は、彼の言葉を、約束を信じると決めたのだ。
「とりあえず今は、残り一週間を何事も無く過ごせるように、全力を尽くしましょう」
で、下町からオルトザム商会の使者がやってきたのは、奉納舞から二日目、木の日のことだった。
奉納舞の件が一応の決着を見て一段落した後、アルが言ってきたのだ。
「アーヴェントルクでの代理店契約が大よそ纏まったから。
最終的な契約の時、館を貸して貰えるかな?」
「いいよー。午前中だったら立ち会って睨み聞かせるけど」
「助かる」
そんな会話をして次の水の日に正式な契約をする。
と詰めた日の翌日。
「姫様。オルトザム商会から使者が参っております」
「え? 何? こんな朝早く? しかも面会の予約なしで?」
貴族、皇族相手に朝駆け。
しかも予約なしなんて、無礼打ちものだと思うけれど、相手は他国の御用商人だ。
頭ごなしに怒るわけにもいかないか…。
「お断りして下さい。面会を希望するなら正式に、と伝えて日を改めるように……」
「それが……、お見えになったのは夫人なのです。個人的なお話がしたい。お時間が頂けるまで外で待つ、と」
「え?」
「結果を出すまで、館には戻れない、そうですわ。どうなさいますか?」
断るのは簡単だけれど、夫人、ということは多分、噂の第二夫人。
ガルフの元奥さんだ。
こんな場で、無関係の第一夫人なんか使わないと思う。
ちょっとビックリ。まさか噂の人物本人が出て来るとは。
となると、無下にするのも気の毒だし、純粋に興味もある。
「では、王宮に向かうまでの時間で良ければ、と伝えて待ってもらって下さい」
「かしこまりました」
素早く身支度を整えて応接間に向かうと、そこには本当に一人の女性が待っていた。
私の姿を見とめるとスッと席を立ち、跪く。
「皇女様にはお初にお目にかかります。
オルトザム商会商会長が妻、アデラと申します」
二十代後半から三十代、くらいかな?
スタイルの良い美女だ。
黒い髪、青い瞳。
アルケディウスには珍しい色合いをしている。
人の事は言えないけれど。
「アルケディウス使節団を預かっております。マリカと申します」
「この度は『聖なる乙女』に礼を失する強引な面会手段を取りましたことを、心からお詫び申し上げます」
「……解っておいでなのですね。
本来、皇女どころか普通の取引相手にもこんな態度は在りえないでしょう?
そこまでの非礼を承知で、一体何をお求めなのですか?」
私は言葉に毒を隠さず言い放つ。
強引で失礼と解っていて、それでもその方法を選択しなくてはならなかったというのなら、余計な前置きは不要だ。
時間が勿体ない。
「……オルトザム商会は、食品取扱に深い興味と意欲を持っております。
今後世界に大きく影響を与えていく商圏に、ぜひ参入をお許しいただければと」
「別に、食品扱いに私の許可は必要ありません。ご自由に参加されればよろしいでしょう?」
「ですが『新しい食』の最先端はアルケディウス。
長い時の彼方に埋もれたレシピではなく、新しい調理法や調味料、食材や周辺機材を得たいと願うなら、アルケディウスとその職を司られます皇女。
そしてゲシュマック商会の協力は不可欠です。
どうか好を賜りたく…」
商圏を嗅ぎ分ける力は、ある。
その為にあらゆる手段を取ろうとする貪欲さも嫌いではない。
だが……。
「ゲシュマック商会の者が、私の遣いとして品物を探しに行ったとき、門前払いを喰らったそうですが?」
「! そ、それは……、単なる手違いで…」
「手違いで皇女の使者で、商会の代表者の願いを足蹴にした、と?」
「別に足蹴にしたわけでは無く……連絡の行き違いで……」
「では、後悔していると言うのですか?」
「は、はい。それは勿論。今後、皇女やゲシュマック商会には最大限の便宜を図らせて頂きますので……」
「むしろ便宜を望んでいるのはそちらでしょう? 幾度も繋いでくれと礼を弁えぬ手紙と荷物が届いていました。
それらを返された時点で相手を怒らせていると、理解はしていないのですか?」
「解っております。ですが、ゲシュマック商会に黙殺されている私達には姫君以外におすがりできる相手がおらず…」
しどろもどろではあるけれど、なんとか強い立場を取れと命令されて来た。
命令に逆らっては戻れない。
そんな、立場の弱い者の必死さが伝わってくる。
「そもそも、何故店主が来ないのですか?
謝罪をしたい、そして好を繋ぎたいというのであれば、店主が来るのが当然では、ありませんか?
ゲシュマック商会の外商担当者を、そして私の事も侮っておいでなのではありませんか…」
「いえ……決してそのような事は…」
眼の前の女性は、単に命令されただけだということは解っている。
弱い者いじめは趣味ではないけれど、誠実さが足りないと思う。
オルトザム商会を信用して、アーヴェントルクの商圏を任せる事はできそうにない。
「アデラさん……とおっしゃいましたね」
「は、はい……」
「今回、ガルフは同行しておりません。
ですから貴方が出てきても、ゲシュマック商会の判断に影響する事は良くも悪くも無いのですよ」
「!! 皇女様が、私達の事をご存知で……」
「アルケディウスでは今も、知る者が多い話だそうですよ。
ガルフも……忘れる事はできないと言っておりました」
さっ、と女性の顔から血の気が引いた。
「……そう、ですか……。
あの人が来ているのなら、五百年ぶりに、話ができるかと……思ったのですが……」
「ガルフに会って何を言うつもりだったのですか?
「それは……。
私が、悪かったと……。そしてどうか、怒りを解いて欲しい……と」
言い淀むアデラは目を潤ませて私を見る。
「お願いです。皇女様。
どうか、ガルフ、もしくは代理者にお取次ぎを!
ここで、夫に見捨てられれば行くところが無くなってしまいます!」
「五百年連れ添われたのでしょう?」
「私は、ただの針子上がりです。夫にとっては少なくない妾の中の一人にしか過ぎないのです」
ほぼ土下座。頭を床に擦り付けるアデラを見ると、なんとなく頭の中が冷めていく。
つまるところ、アレだ。
オルトザム商会の店主は、今回の訪問に同行してアーヴェントルクで代理店を選んでいるのは店主ガルフだと思ってたんだね。
で、彼女を差し向けた。
他人の妻を札束の力で無理やり奪い取った事が良い事である筈はない。
でも、今まではガルフなど取るに足らない存在だと思って見下し、優越感に浸ったりしていたのかもしれない。
でも、立場が逆転した。
ガルフは新規事業を立ち上げ、成功させ今や世界でも間違いなく指折りの豪商だ。
今後絶対に世界に広がり主力となる商圏『食』で儲けようと思うなら無視できない存在になっている。
今まで、オルトザム商会がゲシュマック商会に出した問い合わせは完全黙殺されていた。
私に口添えを頼んでも断られた。
けれど、ガルフが来ているならアデラを差し向ける事で何らかの反応を得られると思ったんだろうな。
そんでもって、子どもの皇女なら泣き落としが効くかも。と。
大きく見せる為の溜息を吐いて、私はアデラに視線を落とす。
「アデラさん。
ガルフは今回、ゲシュマック商会の担当者に決してオルトザム商会を省けと命令していた訳ではありません。
移動商人や子どもへの誠実な対応を行わず、情報収集を怠ったオルトザム商会が、取引相手として信頼に足りぬと担当者に判断されただけのことです。
それは、解っていますか?」
「……は、はい」
「であるなら、貴方方がすべきことは私への面会や、泣き落しては無く、ゲシュマック商会への誠実な謝罪と対応であると思いますが……」
「それは、そうなのですが……」
「もう、ゲシュマック商会はアーヴェントルクにおける代理店を決定し、既に契約を結ぶだけになっています。
私が介入できる余地はありません」
「ならば、せめてゲシュマック商会の代表者と、オルトザム商会長が面会する機会をお与え下さい。
商会長はまだ、一度たりともゲシュマック商会と会談を行う機会を得ていないのです」
チャンスの神様にあるのは前髪だけ、というのは何で見た言葉だったかな?
一度はあった機会を逸したのは自分の責任だから、同情する必要はないのだけれど……。
この後も同じように付きまとわれたり、賄賂攻撃とかされたら面倒だし、もう一度だけチャンスを与えてみようか。
「では、一度だけ取り次ぎましょう。
そこでゲシュマック商会の信用を得られるか否かは、オルトザム商会次第ですが……」
「真ですか?」
「でもその前に、オルトザム商会の誠意を見せて下さい。
自らの失敗を悔い、謝罪をしたいと思うなら詫びがあってしかるべきだと思います」
「……誠意……」
「今日の夕刻までに、オルトザム商会が私とゲシュマック商会に見せる誠意を形にして、届けて下さい。
それが満足のいくものであれば、明日、面会の場を作りましょう」
「解りました」
アデラは深く頷いて見せる。
『こういうの』は得意だと、思ったのかもしれない。
でも、これは賄賂を寄越せという話じゃない。
「一応言っておきますが金銭を贈って来ても無意味です。
私にかつて、そしてこの前贈られたように豪奢な衣服や装飾品もいりません。
趣味が合いませんし、もっと豪華なモノを手に入れる事ができます」
「は、はい…」
「オルトザム商会が、私やアルケディウス、そしてゲシュマック商会の為に、『新しい食』の発展の為に何が出来、どう役に立てるかを見たいのです。
その点を良く考えて下さい」
「……解りました」
ヒントが過ぎるかもしれないけれど、言っておく。
現金なんかもってきたらその場で失格だ。
プラーミァの商業ギルド長みたいに、情報や食材を集めたり、あと本領発揮の鉄工品などの実力を見せて貰えたら……まあ合格。
代理店は無理でも簡単なレシピをまわしたり、カトラリーや鍋、厨房用品の発注はしてもいいかもしれない。
ゲシュマック商会の顔を潰す事にはならない筈だ。
「これは、ガルフと貴女の顔を立てた一度きりの機会。
オルトザム商会の『誠意』と実力を期待していますよ」
そう言って、私は応接室を出る。
…ガルフはアデラの事を恨んではいなかった。
アデラも話を聞く限りはガルフを思って、選択を行ったのだと思う。
二人の立場に付け込んだオルトザム商会商会長、というのには今の所、好感はまったく持てないのだけれど、どんな人物か、一度は顔を見てみるのもいいかもしれない。
そう、思った。
その日の夜。
オルトザム商会からアルケディウスに届けられた『誠意』に私達は目を見張る。
「え? これは……」
「どういうこと…なのでしょうか?」
それは、怯え、震える三人の子どもの奴隷だったからだ。
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