エルディランドから籍を移し、アルケディウスにやってきてくれたユン君ことクラージュさんの名目上の肩書は製紙の指導員だ。
話は、少し遡り、アルケディウス最初の完全自作書籍作成前の話になる。
今迄、エルディランドの専売特許だった植物から作られる紙の製法は正式な国同士の契約の元アルケディウスに譲渡され、自国での製造と使用ができるようになった。
私達がフリュッスカイトにいる間に先行して準備を始めたユン君曰く。
「アルケディウスの木は、固くて丈夫なものが多いですね。エルディランドと同じやり方では無く色々と工夫が必要なようです」
とのこと。
最初はなるべく柔らかい樹を選んで、水にさらし柔らかくして、煮込んでとかなりの手間をかけていたのだそうだ。
私は昔読んだラノベや、生活図鑑から、習い覚えた手順を思い出す。
確か、木を蒸して、皮を剥いて、水に浸して柔らかくしてから灰と一緒に混ぜて似て、パルプを作ってゴミや汚れを取って、ノリ分と混ぜて紙にするって流れ(大雑把)
製紙作業は、まだ紙の普及していない世界では間違いなく需要の高い、異世界転生者の大きな武器だけど配合や手順などは0から探り当てないといけないのでそんなに簡単では無いと解る。
私と一緒に向こうの世界、日本に転生し先にこちらに戻って来たクラージュさんは、製紙技術を未知の国、エルディランドで試行錯誤の果てに確立させ、さらに改良を加えた。
「簡単に言うと灰の成分を濃く煮詰めた薬品で細かく切った木材を煮出し、木材の固着を剥がしてパルプ、紙素を作る感じですね。開発は大変でしたけれど、過程をかなり省くことができるようになりました。
大抵の木からパルプを採れるようになりましたし、木材加工の廃材などを活用して森林伐採などを最小限にして紙を作ることもできるようになったんですよ。
我ながら頑張ったと思います」
その薬品の調合については、エルディランドの国家秘密なので教える事はできないと言われている。
薬品を購入しないと紙を作れないからアルケディウスに製造方法を売却しても優位性が保てるって言うのがエルディランドの計算なんだよね。でも……
「この国で、独自に薬品を作る分にはいいんですよね」
「はい、私は教えられませんけれど、マリカ様がご自分で研究した結果であるならエルディランドも文句は言えないと思いますよ」
「実は、ここに苛性ソーダがありまして……」
「! そんなものが、この世界にもあったんですか?」
「あったんです。実は。フリュッスカイトは意外に科学の国だったみたいですよ」
「流石はマリカ先生……」
フリュッスカイトで作り方を教えて貰った苛性ソーダ。
石鹸作りやオリーヴァの灰汁抜きだけではく、製紙の紙素作りにも重要な役割を果たすのだ。いわば灰の超強力版。
これがあれば、木の硬い結合細胞を壊し、パルプが作りやすくなる。
エルディランドからの薬品も同じ原理だと本人が言うので、そんなに頼らなくても紙を作ることができそうだ。
「最初から薬品はいらないっていうとエルディランドの顔を潰してしまうので、同じ量で作る枚数を増やしていくとか、徐々に購入量を減らして行くって感じですかね?」
「そうして貰えるとありがたいです。
でも、まさか隣国でこのようなものを作っていたとは……驚きました。中世異世界も侮れませんね」
クラージュさんも驚きに息を吐き出す。
不老不死世界になってから、戦と民間レベルの商売以外は隣国同士でも殆ど交流が無かったという。もったいない。
互いに協力し合えば、もっと文明も発展しただろうになと思ってしまう。
中世風異世界だけれど、この世界にはトマト(エナ)もあれば、じゃがいも(パータト)もある。各国を巡って、向こうの世界にあった植物や香辛料の多くがこの世界にもあることが解ってきた。
カカオもあったし、砂糖もあるし、バニラや胡椒、唐辛子に生姜、オリーブ。
大豆に米、今はエルディランドの報告待ちだけれど、サツマイモや小豆もありそうだし。
「そういえば、ユン殿」
「ユン、でいいですよ。僕は貴女の配下ですから」
「じゃあ、ユン君で。エルディランドにワサビとかありませんでした?」
「忘れましたね。ありました。
生魚を食べるのは本当にゲテモノ扱いされていたので殆どやりませんでしたが、醤油が完成してから初めて刺身を食べた時には泣きましたよ」
山葵もある。
ご都合主義のナーロッパと言われても反論できない位、この世界はかなり向こうの世界と素材的にもリンクしている。
元々、この世界にあったのか。それとも誰かが持ち込んだのかは解らないけれど。
ただ、それを活用する方法はお粗末なんだよね。
万物に『精霊』が宿っていて、魔術で活用する方法があるせいか、機械文明はまだ殆どない。しかもその魔術も使える人が限られているので、生活は相当に不便だ。
もっと便利にしようという気持ちは起こらなかったんだろうか?
起こらなかったんだよね。多分。
不老不死で、適当にしてても生きていけるから。
…………。
「海斗先生」
「? はい、なんでしょうか? 真理香先生」
「私、本気で『精霊古語』の勉強を始めようと思うんです。手伝って貰えませんか?」
「勿論構いませんが、その心は?」
「『精霊神』様達は色々な秘密をご存知です。でも、それを簡単には言えない制限があるっぽくて」
私達の秘密だけではなく、色々な知識も簡単には教えられないようになっているみたいだ。ただ、自分で気付くのは良い。
フリュッスカイトでは、王族が書物で読み解いた知識を、活用して科学文明の先駆けをしていた。
この世界、識字率は相当に低いのに本はなんだかいっぱいある。
特に魔王城の蔵書は、前に検証した通り不自然な位に多い。
フリュッスカイトの例を考えるなら、各国王宮にも多分、それなりの本が残されている。
自分から探し、見つけ出せば重要で役立つ知識が手に入る可能性大。
でも、現状に満足して入れば良くも悪くもこのままなのだ。
「皇王陛下や、タートザッヘ様、お父様やお母様にも相談して書物の解読、特に『精霊古語』の本を解析してみたいです。
多分、向こうの世界の知識とかが記されている気がします」
「なるほど」
「それと並行して一般市民の識字率も高めて、文化の裾野も広げていきたいなと思っています」
子どもの保護法が制定されて、DV男から女性が逃げて来たことで判明したけれど一般の人は文字が読めないから法律の内容とか、変更とかを理解しない。
理解しないから、有利な制度も利用できないし、いい仕事にも付けずに燻ることになる。
そういう生き方を完全否定はしないけれど、子どもや母親が巻き添えになることは避けたい。
向上心をもって上に行きたいと思う人は助けたいのだ。
「『精霊古語』がどの国の言葉でも、英語の基礎がある私達の方が多分、習得に有利だとおもうんです」
「解りました。あまり勉強は得意ではありませんが、できる限りお力にならせて下さい」
「お願いします。既に孤児院と各地の神殿では皇女の職権乱用で、希望者への文字教育も始めています」
私が作った妊娠出産の本は、世界の女性を救うだろう、とお母様は言って下さったけれど、その為には女性達が本を読めるように、最低でもそういう知識と助ける場所があると知る必要がある。
書物は知らない知識と私達を繋ぐ大事な架け橋。
その先にはきっと知らない世界がある。
私は自分が作った本を眺めながら、その橋になりたいと心から思ったのだった。
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