火の一月の最終週
木の曜日には私は礼大祭に出発する事になっている。
で、その前日の夜の日。
「安息日ではありますが、夜に貴方の安全を祈念し大貴族達が集まる送別の宴が行われることになりました」
「げっ……」
私はお母様に急なスケジュールの変更を告げられた。
皇女らしからぬ声が零れたけれど、お母様は眉を少し上げただけで怒らないでくれた。
「私の安全なんて祈らなくてもいいですよ。
出発前に余計な気を遣わせないで下さい」
「そうもいかないのが貴族社会というものなのです。諦めなさい」
一刀両断、けんもほろろ。
取り付く島もないとはこのことで、多分、もう決定事項なのだろう。
社交シーズン、山のように来ていたらしいお茶会などの誘いを全てお母様は断っていて下さったらしい。
そのおかげで私は孤児院の視察や、ゲシュマック商会関連の仕事を片付けることができたのだけれども、その代わり、大貴族達はせめて私と挨拶する場を作って欲しいと言って来ているとのこと。
こっちは流石に断れなかったのだろう。
私もどちらかと言えば、お茶会にいくつも招かれるより宴一回で済ませてしまった方が気が楽ではある。
ただ、宴だけでも気が進まないのに、お母様はさらに追い打ちをかける。
「そして、昼間には留守中の打ち合わせと、礼大祭の最後の打ち合わせがあるので来て欲しい、と神殿から要請が来ています。
礼大祭前に『聖なる乙女』に商業ギルドの長やガルフなど、参列を予定している者達が挨拶をしたいと言って来ているそうなので行った方が良いのではないかしら?」
ギルド長はともかく、この間の話の流れからしてシュライフェ商会の商会長や、ガルフも来るのだろう。
確かに責任者として神殿に指示を出して行かなきゃいけないことは解ってるから、サボタージュはできそうにないけれど……。
「でもそれに出ると旅行前に魔王城に行けなくなりますよね?」
「一泊二日でゆっくりしてくる、のは無理ね。
前日の空の曜日はなんとか開けてあげるから日帰りか、翌朝帰りになってしまうけど行って来たら?」
そう言う訳で、なんとかギリギリお休みを貰って魔王城に帰って来た。
「ただいま~」
「お帰り、マリカ姉♪」
みんながいつも通り、迎えてくれるのが嬉しい。
できるだけ魔王城に帰って来て、子ども達と会いたい。
自己満足かもしれないけれど、そう思う。
「あのね。リグがね。おしゃべり始めたんだよ」
「にいに、ねえね。って」
「ホント?」
子ども達が口々に私の留守中にあったことを教えてくれる。
その中でもリグの成長は、私的にかなりの幸せポイントが高いものだった。
「お帰りなさいませ。マリカさま。
リグ。マリカ様のお帰りですよ」
「リグ」
子ども達と一緒に私を出迎えてくれたティーナの腕から降ろされると、リグはトタタタター。
迷う様子も見せずに、直進ダッシュで私の足元に体当たりした。
とっさに膝を折って抱きしめようとしたけれど、間に合わず、足にバウンド。
リグは尻もちをついてしまった。
でもめげずに立ち上がり、再度私の足にしがみつく。
「ーり、り」
舌足らずの口で一生懸命言っているのは、多分『お帰り』だ。
「リグ! 迎えに来てくれたんだね。ありがとう!」
「まーねえ?」
「そうだよ。マリカねえねだよ」
可愛い。すっごく可愛い!!
思わずだっこして頬ずりする。
随分、大きく、重くなった。
10kgくらいかな。
私が留守の間に、どんどん成長している。
先週の休暇の時は、ここまではっきりと言葉は出なかった。
月例24カ月。実質二歳と思えば少し、ゆっくりめではあるけれど、言葉にしよう、伝えようという意志があるのなら、多分問題は無い。
大家族だし、言葉が周囲に溢れている。
だんだんと覚えてはっきりしてくると思う。
滅多に来れない私を、ちゃんと覚えてねえね、と言ってくれる時点で相当に頭がいい。
と思うのは姉バカだろうか?
魔王城に来た当初、最年少のジャックとリュウは丁度これくらい、むしろ成長が遅かった分、小さく感じた。
その二人がもう五歳で、元気に走り回り、リグのお世話する姿を見るのは感無量。
涙が出そうになる。
「明日から、またお仕事なの。
だからいっぱい遊ぼうね!」
「やったー。マリカ姉。かくれんぼしよう」
「え、暑いから水遊びがいいなあ」
「両方やればいいじゃん」
「そうだね。両方やっていっぱい遊ぼう♪
カマラ、セリーナ、ノアールも遠慮しないで楽しんでね」
「ありがとうございます」
「じゃあ、私とかくれんぼをしましょうか? 私は隠れている人を見つけるのが得意ですよ」
「きゃー」「にげろー」
さっそく、子ども達の相手をしてくれるカマラと一緒に、私は皇女ではない異世界保育士 マリカに戻って子ども達と全力で、遊ぶのだった。
午前中、思いっきり遊び倒して、ご飯を食べて。
疲れたのだろう。
子ども達はみんな、森に作った秘密の隠れ家、木のお家で寝入ってしまった。
リグやジャック達年少の子達ばかりではなく、ギルやジョイ、ヨハンやシュウなど最近はお昼寝をしていない子までぐっすりだ。
遊んだあとのお昼寝は気持ちいいと解っているようで、しっかり布団と毛布が用意してあるのは流石だと思う。
子ども達が昼寝している間、側近の皆にはゆっくりして貰っている。
いくら遊び半分とはいえ、子どもとずっといるのは疲れるからね。
だから、ここにいるのは私一人。
熟爆睡している子ども達の呼吸を時々確かめながら、ついでに瞑想トレーニングの続きをしていた。
外に出ると、室内で人工物に囲まれている時よりもはっきりと、私達を取り巻く自然。
『精霊』の息吹を感じる。
人工物にも『精霊』の力が存在しないわけではないけれど、固定されて動く事が無い。
変化する為の力『気力』のない状態なのだと思う。
で、私の『物の形を変える能力』は多分に『気力』が無い物の『精霊』に『気力』を送って動かして形を変えるのかな、と最近理解した。
生きた『精霊』の宿る存在に『能力』を使った事は無いけれど。
今までそういう『能力』『異能』だと思って気にしたことも無かったけれど、そう言う風に考えると、この世界もこの世界なりの法則によって動いているのだと思える。
向こうの世界の分子、原子が『精霊』と呼ばれているようなものなのだ。きっと。
ただ、それでは説明のつかない事は色々ある。
人類全てが不老不死を所持する世界。
人格を持つ精霊達。
『精霊神』『神』『星』という上位存在。
それが中世異世界、この世界の法則だと言われればそれまでだけれど、考える事は止めない方が良さそうだ。
ふと、周囲の『気力』の流れの変化に気付き、目を開けた。
「マリカ様? 冷たい飲み物などいかがですか?」
「ティーナ。ありがとう。もってきてくれたの?」
「はい。ジョイ様が作られたアヴェンドラの焼き菓子もありますので、どうぞお味見を」
不安定な縄梯子を、お菓子の入った籠をもったままひょいひょいと上がって来るティーナ。
きっと、こうしていつも子ども達の面倒を見てくれているのだろう。
「どうぞ。マリカ様」
「ありがとう。うん、冷たくて美味しい」
木のカップにティーナが注いてくれたのは、ピアンのジュースを水で割ったものだ。
ピアンの天然水って感じ?
甘すぎず身体にしみこんでいく。
「子ども達を見てくれて、ありがとう。ティーナ。
休みもろくにないのに、働いてくれて、感謝してる」
「いつもそうお気遣い下さいますが、私自身が、そうしたいと思ってしている事です。
お土産といって日用品や衣服なども与えて頂き、十二分に報いて頂いておりますわ」
「そんなことじゃ、お礼にもならないけど……」
ティーナの優しさも、水のようにじんわりと私の身体に、心に沁み込んでいく。
色々と、悩み、抱え、ささくれ立っていた心が潤うようだ。
そんな私を柔らかい眼差しで見つめていたティーナはふと、首を傾げた。
「マリカ様、お変わりになりましたか?」
「え? 何? 何か変わった?」
「はい。以前より、美しくおなりです」
「え? 美しく? ないない。それはないよ」
ティーナは褒めてくれるけれど、私は顔を横に振る。
そんな一朝一夕で綺麗になれたら苦労は無い。
大人になった私ならともかく、今の私はまだ、美しいなんて形容詞を使って貰えるアレじゃないし。
「外見は、そんなに変わっていませんが、内側から発する光が前よりも増したような気がします。
揺らぎが減った、というか覚悟が定まったと言おうか……」
「ああ、そういうのならあるかもね」
ただ、人の感情の動きを読み、その本質を見つめるティーナの目は鋭い。
思いを見透かされた私は素直に頷いた。
「私、本気で今、『精霊の貴人』目指そうと思っているから」
「『精霊の貴人』を?」
リオン達にもまだ告げていない私の決心を。
「うん。かつて、この魔王城の島にあった精霊国『エルトゥリア』
そこを治めていた精霊女王様」
「女王になられるのですか?」
「本当に女王になって国を治めたいっていうのじゃないよ。
『精霊の貴人』のようなステキな大人になりたいの。
子どもの心を忘れず、でも高い視点をもって、皆を守り、導くことができる存在」
私の中の『精霊の貴人』は一度だけ、心の中であった美しい女性。
お茶目な可愛らしさと、ユーモアと、高い知性と視点を併せ持つステキな人だった。
「そんな人になりたいな。
リオン達を助けられるようになりたいな。
少なくとも、何かあった時に気絶ばっかりしている状態を打破したいなって思って、色々始めたから」
体力トレーニングとか、瞑想とか。
今まで、舞の練習とかはしていたけれど、お母様から礼儀作法とかはみっちり叩きこまれたけど。
本当の意味で自分を高めようと何かをしたり、学んだりはしていなかったから。
「それが、付け焼刃でも効果が出てきているのなら嬉しい」
「出ておりますわ。間違いなく」
お世辞でも社交辞令でも無く、ティーナが本当にそう思って言ってくれていることがその視線で解る。
「私は、私のできることで、マリカ様を支え、お帰りになる場所を守りたいと思います。
ですから、マリカ様はお望みのままに羽ばたいて下さいませ」
「ありがとう。頼りにしてる」
だから、その期待に応えようと思うのだ。
私は籠の中からもう一つ、カップを取り出して飲み物を入れ、ティーナに差し出した。
カチンとカップを合わせて中身を一緒に飲み干す。
この笑顔と約束を守ろうという誓いを込めて。
「あ、そうだ。ティーナ。
ティーナは精霊術の勉強とか、してみる気無い?」
「私が、精霊術を?」
「うん。使えるようになれば色々と便利だと思うし、今のティーナならできるんじゃないかな?」
「私のような者に、そのような事が?」
「行けそうな気がする。ちょっと試してみたい事もあるし、やってみよう!」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!