「こんなに、活気のある海辺を見たのは何百年ぶりだろうな?」
そう言って御領主 トランスヴァール伯爵は目を細めていた。
伯爵の言う通り、浜辺には百人以上が集まってきてまるで、海水浴か夏祭りのような感じだ。
彼らの注目は自分達が釣ってきた魚と、取ってきた貝。
それらを使った『新しい食』
いくつか仕立てられた鍋には溢れんばかりの海の幸。
くつくつと煮詰まっていくと共に、混じりあった魚や貝の匂いが鼻孔を擽る。
こちらの鉄板の上に並んでいるのは、貝殻を皿にジュワジュワと音を立て呼吸するようにぷっくりと厚い身を上下させる牡蠣やホタテ。
網焼きにした細い魚はぽたぽたと、炭火の上に濃厚な油を滴らせている。
そろそろこっちも良さそうだ。
私は焼きたての魚と貝、ホタテと牡蠣を皿にのせて少し、塩をかけた。
うーん、醤油が欲しい。
「どうか、伯爵、お召し上がりを」
私が差し出した皿を受け取った伯爵は頷くと魚の身をフォークで背側の身をツンと突いた。
青みがかった銀の皮目と一緒についてきた白い身の間には、とろりとした脂身が見える。
1ミリはありそう。よく脂がのっている。
周囲の人々が固唾を呑んで見守る中。
伯爵はぱくりと白い身を口に運ぶと同時、
「ほうっ…」
吐息に似た声を上げて下さった。
「これは…美味いな」
それが、この街の復活の合図となった。
アルケディウス唯一にして最大の海産物産地、トランスヴァール伯爵領 ビエイリーク 復活の…。
アルケディウスの王都から馬車で三日。
私は到着した町に降り立ったと同時、大きく息を吸い込んだ。
目の前には海。深呼吸すれば潮の香りが身体全体に染み込んでくるようだ。
「これが海、ですか?」
どこまでも続く水平線を感嘆に声を震わせて見つめるフェイ。
そういえば、魔王城は島だけれど、海を見る事はできなかった。
私に秋晴れの深い青を映す海は、この世界で初めてのものだけれど、フェイにとっては生まれて初めての海。
それは感慨深いだろう。
一方のリオンは、水面の遙か彼方、どこか一点をじっと、見つめている。
「長旅、ご苦労だったな。
ここがビエイリーク、トランスヴァール伯爵領の主都、という程でも無いが領主館のある、一番大きな街だ」
先に別の馬車で着いていた、この地の領主 トランスヴァール伯爵 ストゥディウム様が私をエスコートして下さった。
「海産物と海が見たいと言っていたから、こちらに先に降りたが、領主館はもう少し奥になる。
主産業は、海から稀に採れる真珠と貝殻を使った細工物。
あと、海岸沿いの草地で羊を飼っていて、その羊毛での毛織物なども作っている」
海沿いに沿って走る街道から一段下がった所に浜辺と、港のようなものが見えた。
艀には船がいくつも繋がれてゆらゆら揺れている。
船はみんな、ヨット風の小船。
エンジンのない釣り船か漁船といった感じだろうか?
「ああ、丁度、船が帰って来て海岸で取ってきた貝を剥くようだな?」
「近くで見てもいいですか?」
船から降りてきた人達が、いくつもの大きな籠を下ろしている。
領主様の許可を得て、私は船に近寄った。
「うわー、すごい!!」
籠いっぱいに入っているのは大振りな二枚貝が殆ど。
ざっと見た感じ、牡蠣やホタテによく似た感じだった。
真珠を探すならそうなるよね。
と思っている私の前で、籠を膝に抱えた女性が貝の根元にナイフを入れて開いていく。
かちゃっと、ナイフと貝殻の当たる音がして、貝と貝殻が切り分けられて…
「あああっ!」
「?」
私の悲鳴じみた声に、びくり、としたように女性達の手が止まった。
「な、なんだい? 一体?」
「あれ? 領主様?」
怪訝そうな声で彼らは領主様、つまりはトランスヴァール伯爵を見るけれど、私はごめんなさい。
正直彼女達の声など聴いていなかった。
駆け寄って、砂まみれのホタテを拾い上げる。
「どうして、中身、捨てちゃうんですか?」
女性達は貝殻を開いた後、貝殻は別に籠に入れているけれど、肝心の中身をそのまま下に落としていたのだ。
「どうして、って…使わないし」
こいつ誰だ?
と言わんばかりで女性達は私と伯爵を交互に見遣る。
「これ、美味しいんですよ。
捨てるというのなら、私に下さい、というか売って下さい!」
「美味しいって、あんた、これ、食べるのかい?」
そもそも食文化と、食生活が死滅している世界。
貝を食べる等、と怪訝そうな顔の女性達を見ながら、私は
「フェイ!」
フェイに向き合った。
「便利に使っちゃうようで申し訳ないけど、戻って、アレ持ってきて!」
「解りました。いいですよ」
解っていた、という様に建物影に姿を消したフェイが戻ってくる間、私は貝剥きの女性と、その背後にいて漁をしてきたであろう男性たちに頭を下げる。
「私達は、王都で食を扱うゲシュマック商会です。
海産物の買い付けに参りました。
もし、可能でしたらこの街で採れる海産物を譲って頂きたいのです。
この街では貝と、他に何か獲れませんか?」
「海産物を買い付け?」
「食…って食う為に?」
「都会では普通の奴も食事をするって聞いたことがあるけど、本当に?」
理解できないものを見るような目つきで彼らは私達を見るけれど、傍に誰であろう領主様がいるのだ。
表向き丁寧に応えてくれる。
「男衆が、時々遊びで魚を釣ってるよ。
大きさを競ってね。
売り物にならないから、釣った後は逃がしているけど、今の時期は特にいろんな魚が釣れてるかな?」
今の時期はけっこう色々な魚が釣れてるよ。という返事に私はリードさんを見た。
ごくりと、思わず喉が鳴ったのが自分でもはっきり解った感じ。
小さな、でも確かな了承の確認に私は集まった人達に向き合って告げた。
「では、皆さんで出来る限り、魚を釣って頂けないでしょうか?
釣って下さった魚は、本日、種類、大小を問わず高額銅貨1枚で買い取り致します」
「ちょ、ちょっと待て! 魚一匹に高額銅貨1枚?」
「本当か?」
「はい。この街で採れる魚を確認したいので今日は高めに買い取り致します。
同じ種類が何匹いてもいいです。ぜひ、沢山釣って下さい」
途端、聞いていた男性たちの目の色に怖いまでのやる気が宿った?
私の宣言に返るのは怒号のような雄たけび。
「見てろ! 一番デカいのを釣ってやる!」
「俺が先だ!!」「負けるか!」
先を争う様に走り出す男性たちを呆気にとられた顔で見送る女性達にも、私は頭を下げた。
「そちらの貝の中身も、捨てずに、どうかお譲り下さい。
些少ですがお礼もご用意いたしますし、もし興味がおありでしたらそれを使って『新しい食』をご用意いたします」
「お礼…って」
「その籠一つ分の中身に高額銅貨5枚でどうでしょうか?」
「本気かい?」
言っている間にフェイが大きな箱を持って戻って来る。
中にはこんなこともあろうかと用意した野外炊飯用の鍋釜、鉄板と調味料が入っている。
「リオン。準備手伝って? 鉄板や鍋を向こうで使った時みたいにセットするの
フェイは炎の維持を助けてくれると助かる」
「解った」
「ほら、これ、どうするんだい?」
差し出されたむき身のホタテ。
プリプリとした身もだけど、その貝柱は真っ白で肉厚でホントにほれぼれ。
「少しお待ち下さい」
私は箱の中から特注包丁と菜箸を取り出す。
調味料はとっておきの塩コショウ、ニンニク、そしてバター。
本当に醤油と味噌が無いのが惜しい所だけれど、贅沢は言えない。
全力で行く。
ここでの私のプレゼンテーションに今後の海産物の未来がかかっているのだ。
私はバターを大きく一塊。
遠慮なく炎に熱せられて薄い煙を上げる鉄板に落とすと、新鮮、獲れたてのホタテをその真ん中に乗せたのだった。
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