本当に、強制的と言って良い形で、私は馬車に乗せられていた。
隣にフェイ、途中で本店に回り、ガルフが付き添ってくれているのがせめてもの救いだけれども、私の眼前でじろじろと、品定めするような目で私を見る騎士の目が気持ち悪くて怖い。
無意識に私はフェイに身体を寄せていた。
細かい震えが止まらない。
初夏だというのに身体全体が凍ったように冷たい。
頭の中が漂白されたように真っ白で、今の状況の理由や今後どうしたらいいのか、考えなきゃいけないのに考えられない。
こんなに怖いのは、魔王城の島でリオンが怪我をして死にかけた時、以来だろうか。
そうか、と私は腑に落ちる。
リオンが側にいないから、私は怖いのか。
戦の三週間は夢中で、でもティラトリーツェ様が側にいてくれたから感じる事の無かった恐怖。
大切な存在を失ってしまう恐ろしさ。
当たり前だと思っていた日常から、強制的な逆らえない力で引きはがされる絶望。
それが私は怖いのだとようやく理解した。
ぽん。
私の背中を、杖を持たないフェイの右手が軽く叩いた。
励ます様な、いや事実励ましてくれたのだろう彼の仕草が、触れられた手のぬくもりが、雪解けを告げる春の雫の様に私の身体のこわばりを溶かしていく。
そのまま大きく深呼吸。
頭が酸素を取り込んで、少し動き始めたようだ。
今のうちに、考えなければならない。これからのことを。
リオンが馬車に乗らなかった理由は、ライオット皇子の所に知らせに行ってくれたからだ。
今日、皇子がどこにいるかは解らない。
騎士団の詰所か、それとも自分の館か、街の巡回に出ているのか?
それを調べ、最速で皇子を探せるのはリオンしかいないだろう。
私を誘拐、もとい招聘したのは第一皇子の夫婦、だと聞いている。
彼らは料理人を求めている。
フェイが半ば脅迫する形で同行し、本店に回らせ、ガルフを同行させてくれなかったら、最悪そのまま連れ去られ、幽閉されていたかもしれない。
おそらく、その意図があったのだ。
子どもであるなら、簡単に奪えると。
証拠に、ガルフが料理人が必要なら本店の主任を呼ぶと言っても守護騎士は、私を、と首を横に振るばかり、だったから。
皇国第一皇子
王の次に権力と地位のある人。
それが権力任せで私を寄越せ、と言ったら正当な権利所有者であるガルフであっても対抗するのは難しいかもしれない。
ライオット皇子も『弟』だ。
一歩下がらずを得ないだろう。
でも、二人が揃って反対して、私を守ってくれるなら、助かる目、帰れる目はある。
ならば私は彼らを信じ、なんとか譲歩を引き出して帰れる様にしなければいけないのだ。
本当なら、ここでガルフやフェイと対策方法を話し合いたい。
でも、守護騎士の目がある中ではそれも難しい。
私は、目を閉じ深く呼吸をする。
身体に血液を回し、脳に思考を呼び戻す。
仕事中、一瞬たりともぼんやりなどしていられない。
それが保育士。
子どもはほんの一瞬、目を閉じた隙に高い所に登り、友達の手に噛みつき、パンツを濡らす生き物なのだ。
だから、必要とされるのは事前にトラブルを防ぐ能力と、発生した事態に速やかに対応する処理能力。
今回は事前に防ぐことはできなかったのだから、あとはチームの力を信じ、できることを速やかに行いながら事態の収拾に努めるのみ。
大丈夫。
自分は一人ではないのだから。
真っ直ぐに顔を上げながら、自分自身に言い聞かせるように繰り返していた。
必ず、みんなの所に帰るのだ、と。
私達が連れていかれたのは、かつての第三皇子の館、では勿論なかった。
かつてベルサイユ宮殿と称した、アルケディウス皇国の王宮、まさにそのもの、である。
とはいえ、流石に表門には付けられなかったのだろう。
優美で強大な表門よりは幾分も落ちる、裏の裏。使用人たちの通用門前に馬車は付けられ、止まった。
「降りろ!」
一番先に馬車から降りた騎士は、中に残る私達を顎でしゃくるように促した。
フェイ、私、ガルフの順番に静かに降りる。
先に降りたフェイは杖を扉の方に向けながら、私の手を取りエスコートしてくれる。
「?」
微かな舌打ち音が聞こえた気がした。
そこで気付いた。
もしかしたら、私だけ先に降りたり、馬車に残っていたりしたら、馬車が勝手に発車したりして分断させられた可能性もあったのかも。
冷や水を浴びせられたように背筋が冷たくなるのを感じながら、私はガルフの使用人としての立場で先頭に立ってくれるガルフの後ろについた。
「ついて来い」
騎士は扉を開け、私達を屋敷の中に案内する。
裏口の通用門であるとしても、そこは巨大な宮殿の中だ。
一片の曇りも無く磨き上げられた床はまるで鏡の様で怖い程に美しい。
廊下も広くってかけっこ出来そうなくらいに広くて長い。
…頼まれたってしないけど。
装飾その他については魔王城も引けを取らないと思うからキョロキョロなんてしないけれど、やっぱり魔王城とはいろいろなところで、城に与えられた方向性が違うのだな、とは感じる。
魔王城は豪奢ではあるけれども、あれはあれで住空間だった、と思う。
パーティ用の大広間、エントランス、執務エリアや謁見のバルコニー、その他色々とあって豪奢に作られてはいたが、基本は王族の居城。
人が生活する為に不便が無い様に、住みやすくあるように色々と整えられていたと思う。
でも、この城はそれとは違う気がする。
とにかく豪華に、美しく、が優先されているのではなかろうか?
生活感が無い。とにかくない。
まるで美術館の中を歩いているようだ。
周囲に人が殆どいないせいもあるのだろうけれど。
どのくらい歩いただろうか?
通用口から多分、かなりの距離を歩いた。いくつも角を曲がったりもしたから、方向や今、どこにいるかはよく解らない。
一度階段を登った為、二階には上がったと思う。
そして騎士は、とある一室の前に立つとドアをノックした。
「お待たせいたしました。ガルフの店の料理人を連れてまいりました」
「待ちかねましたよ。入りなさい」
どこか、不機嫌さを感じさせるアルトの声に促され、騎士は彫刻で飾られた重そうな扉を開ける。
中に入ると豪奢ではあるが比較的小さな部屋で、個人の居室かプライベートな客と見える為の間、そう思えた。
入れと促されたのだから、当然人がいる。
眼前に立つのが、髪を固く結い上げた女性、貴婦人で在ることに気付き、私はとっさに跪いた。
殆ど間をあけずに両脇のガルフとフェイも膝を折る。
「あら、料理人だけではないのですね?」
「申し訳ございません。持ち主であるガルフの許可なくば、と言い張られまして…」
騎士の言葉に呆れたような溜息をつくと
「そこをなんとかするのが、腕でしょうに。まあ、連れて来てしまったものは仕方ありません。
即答を許します。そこの娘。私の問いに応えなさい」
その女性はパチンと手に持った扇を畳むと私に向けて差し出した。
「我が料理人に、何用でございましょうか?
第一皇子妃 アドラクィーレ様」
私を庇う様にガルフが言ってくれるけれど、
バチン!
「ガルフ様!」
苛立つ様に女性、第一皇子妃、アドラクィーレの扇がガルフの額上で音を立てる。
「無礼な! お前には聞いていません。私は、その料理人の娘に問うているのです!
名を呼ぶ許可を与えた覚えもありません」
フェイが、微かに杖を鳴らすのを手で制して、ガルフはそれでも頭を下げとにかく下に出る。
「…ご無礼は承知、ですが
その娘は、私が抱えるもの。為す事の権利と責任は私にございますれば」
ガルフに合わせて、私も深々頭を下げる。彼が一生懸命、事を荒立てない様にしてくれているのだから、私も合せないと。
「…よほど大事にしているとみえますね。仕方ありません。
ガルフの料理人」
「はい」
「今すぐ、今まで誰も食べた事の無い菓子を作りなさい」
「はい?」
第一皇子妃 確か、ガルフがアドラクィーレと呼んだ女性は、私を眇め、簡単にそうおっしゃる。
「少なくとも王宮で、誰も食べた事の無い菓子を作れ、と言っているのです。
できないのですか?」
「…できない、とは申しませんが、私は王宮で日々、どのようなものが作られ、食されているか存じませんので…」
伺う様に私は顔を上げる。
皇子妃様と目が合った。黒に近い茶の髪。瞳は赤みの強い茶色。
全身から感じる強い、意志と自尊心。
アドラクィーレ。
この人は怒らせればきっと相当に怖い人なのだろうと、蛇の様にねっとりと、私を見る目が知らせていた。
幸い私の質問に第一皇子妃様はふむ、と微笑み、今度は怒らずにいて下さった。
「なるほど、自信はあり、頭も悪くはないようですね。
先に、お前が第三皇子家に教えたというパウンドケーキ、庶民が喜んで食べているというクレープ、小麦菓子。
そのような形で構いません。
砂糖をただ、固めただけではなく、素材を甘く煮ただけではなく、組み合わせる形の味であれば、王宮にはそう無いでしょう」
なるほど。
前にもティラトリーツェ様がおっしゃっていたし、コンポート系不可、ドラジェ系不可。
小麦粉を使った菓子はあり…でも、あんまり難しいのを初めてのキッチンでは…。
あ、フェイがいた。
少し考えて、私は第一皇子妃様を見る。
「失礼ですが、こちらの厨房には氷室はございますか? もしくは氷の術を使える精霊術士様は」
「氷室はあります。精霊術士もいなくはありません」
「使用される用途をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「明日の大祭終了の宴、その締めくくりです。第三皇子家のパウンドケーキに勝るとも劣らぬ、客を驚かせる菓子を所望します」
「ガルフ様…」
私は横を見て、ガルフに囁く。
ここで私が一存で即答するのはまずい。
まだ他所には出していない料理法だし、いろいろと影響力が大きすぎる。
「できるのか?」
「はい。きっと皇子妃様にもご満足頂けるでしょう。
でも、まったく新しい調理法なので、最初をしっかりと交渉しておかないと」
「必要なのは?」
「…」
「解った」
私が耳打ちすると、覚悟を決めたらしく、ガルフが顔を上げた。
「できる、と料理人は申しております。
ですが、その対価として皇子妃さまは何を我々に、与えて下さるのでしょうか?」
「皇子妃様のご命令に対価を求めるというか?」
護衛騎士は鼻白んだような顔でガルフを見るが、ガルフは真っ直ぐに受けて立つ。
「我々は商人です。しかも大祭中、一番のかきいれ時に、大祭担当の料理人を何の打診も無しに呼び出され、命じられる以上、それなりの対価は頂きとう存じます」
「…商人ですからね。仕方ないでしょう。
成功の暁にはその娘を、王宮の料理人にとり立てる名誉を与えます。ガルフの店には娘の買い取り代を含め、金貨10枚を。
十分な対価でしょう?」
「!」
私は背筋が寒くなった。隣のフェイもガルフも、顔から血の気が引く。
やっぱりこの人は無理やりにでも私を手に入れるつもりだったんだ。
「怖れながら、それはまったく対価ではございません。むしろ我が店から料理人を取り上げる不当な命令でございます」
ガルフは私やそう即答してくれた。
「何故です? 子ども一人に金貨10枚出すと言っているのですよ?」
「ご存知かと思われますが、第三皇子家にお伝えしたパウンドケーキのレシピには金貨3枚の値を付けさせて頂いております。
この娘は他に、店で出す全ての菓子、料理に関わっております。
子どもではありますが、金貨1000枚と言われても、譲るわけには参りません」
ざわ、と皇子妃とその周囲、騎士や側仕えの周りの空気が揺れた。
金貨1000枚は大きく出たと思うけれども、私は王宮に抱えられるわけには絶対にいかないのだから、それくらいでいい。
「では、何が望み、と?」
「レシピ代として金貨5枚。そしてご満足頂けたのでしたら我々が店に戻ることをお許し頂きたく。
そして以後もレシピをお望みでしたら、このような強引な形での呼び出しでは無く正式に派遣という形で料理人を店にご用命下さい」
「そうすれば料理人を寄越す、と?」
「必ず、無事、無傷で返して頂く事が絶対ではありますが。
この娘も、店の料理人も、本人の意思に反するところで売りさばく気はまったくございません」
ガルフが頼もしい。
本当に、その背中が大きく見える。
第一皇子妃、この国のほぼトップに近い存在に、即座に首を落とされても文句を言えない状況下ではっきりと、私達を守ると言ってくれていることが本当に本当にありがたかった。
「娘!」
「はい」
ガルフの話を不承不承という顔で聞いていた第一皇子妃が、首を私の方に振る。
「お前の持ち主は、本人の意志に反するところで、と申した。
お前の意志はどうだ? 下町で燻り使われるより、王宮の料理人となるが幸せであろう?」
ツッと、首元に差し込まれる扇。
蠱惑的で、でも冷めた血色の洞のような目に吸い込まれそうだ。
「いいえ」
目を閉じ、首を横に振った。私の返事は勿論決まっている。
迷いの入る余地は欠片も無い。
「私の居場所は王宮では無く、ガルフ様の店にございます。
どうか、第一皇子妃様には我が主の言葉通り、ご満足の暁には私達を店にお返し頂きたく…」
「ふん!」
「うっ!」
「マリカ!?」
扇が弾くように私の顎を叩きあげる。
フェイが心配の眼差しで私を見るけれど、大丈夫。何も問題は無い。
心底つまらない、という顔で私から離れた彼女は鷹揚に私を見つめ、手の中で扇を叩く。
「では、厨房に向かい料理を作れ。私の満足のいくものを作れたのなら、お前達の望み通りにするとしよう。
だが、時間がない。
つまらぬものを作ったら娘だけではなく主であるガルフ。其方の首も飛ぶと知れ」
「はい」「ありがとうございます」
私は心底ホッとして、頭を下げたのだった。
ガルフの勇気に、心から感謝しながら。
皇国の大祭 二日目。
祭りを楽しむ余裕も無く、無茶ぶり貴族とのバトルです。
国全体から見れば、大祭の最中、国中の注目を集めるガルフの店に茶々を入れるのは悪手でしかないのですが、この皇子妃様はそんなことは考えません。
自分の思い通りにしたい、しないと気が済まないタイプ。
国のナンバー2女性がこれでいいのか、不安になりますが。
とりあえず言質を得て王宮脱出の為に全力を尽くします。
宜しくお願いします。
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