魔性の襲撃パターンは基本シンプルだ。
彼らは基本、自発的に人間を襲わない。
農地を踏み荒らし、作物を荒し、育って力を宿した『精霊』を喰らう。
「おそらく、ですが、彼らは命令が無い限りは森や洞窟で眠りにつき、集めた『精霊の力』を『神』に送っているのだと思います」
大神官になって二年、いろいろと研究を続けていたフェイがそう話していたことがある。
「彼らが生殖を行っているという目撃証言などはありません。人を過度に襲ったという事例も。不老不死前、真正の魔王が大陸に君臨していた時代にはごく僅か、人語を話したり指揮をとったりした魔性がいたという記録が残っていますが、彼らはあくまで陽光を遮り、作物の収穫を奪い、人々の生きる糧を失わせるという形で人類を苦しめていました」
フェイは
『神=魔性の創造主』『魔王は『神』の配下』
が確定になった時点で『神』は何の目的で魔性と魔王を作り、人を襲わせていたのかを探ろうと色々調べていた。
そして『精霊神』復活に伴う新情報。
『精霊神』と『神』は同種の存在。『星』が唯一『精霊の力』を生み出せる。
などを得てから一つの仮説を導き出していた。
「おそらく『神』は目的の為に『精霊の力』が必要だった。でも自分で作ることができなかった。『星』に分けて貰うこともしたくなかった。もしくはできなかった。
故に『魔王』と『魔性』と言う形で強制的に奪い取ることにしたのでしょう」
魔王は吸収の能力を与えられていた。
その力で『星』の精霊の力を奪い取り魔性に変換。
手駒を増やし『神』にその力を送っていた。
人間も体内に『精霊の力』を宿している。
故に魔性退治を試みた人間が、副次的に殺されることもあったようだけれど今まで魔性が自分から人里を襲い、苦しめたことは殆どなかったそうだ。
なので、これは明らかに異常事態に見えた。
飛行型、ワイバーンやドラゴン系を中心とした魔性が上空に溢れている。
そして、何故か地上の一般人や、居並ぶ来賓達に眼もくれず、船に群がっているのだ。
「な、何故、船に? 魔性が?」
「海に出られるのは迷惑なのですよ」
「えっ?」
頭上から降り来たる声に私達は空を仰ぐ。そこには飛行魔性を周囲に従えた魔王、エリクスが悠然と空にそこに浮かんでいた。
「エリクス!」
私を背後に庇いながら、リオンは上空に向けて声を放つ。
「おや、無事に生還されたようですね。それは何よりです。
優秀な戦士の死を『主』はお望みではありませんから」
自分達がリオンを殺しかけたことなど、忘れたか知らぬというようにエリクスは満面の笑みでそう応じる。
「まあ、今回は、貴方達が目的ではありません。
大人しくしていて下されば、見逃して差し上げますよ」
「見逃す、だと?」
「ええ、私達の狙いはこの外洋航海船フォルトゥーナ号。
『人の領域』を弁えない傲慢の破壊、ですから」
「なんだと!」
フォルトゥーナ号の破壊。
魔性達の目的を聞いて、悲鳴じみた声を上げたのはフリュッスカイト大公 メルクーリオ様だった。
「七国が技術力や資源力を結集させて作ったこの、人の努力と夢と、希望の結晶を傲慢だというのか?」
「傲慢です。人は与えられた大地と領域で、大人しく暮らしていればいい。
海も、空も、人が静かに分相応に生きるには必要のないものでしょう?」
私達を見下すようにエリクスは言い放つ。空に立つ自分はまるで人を超えた存在であるというように。
「満たされ、守られた箱庭の中で、貴方達は大人しく生きていればいいのです。『主』も我々もそれを邪魔しようとは思いません」
ぎりりと、音が聞こえた。
「リオン?」
私はリオンの背に守られているから、その表情は見えない。
けれど、リオンがエリクスの言葉に何かを噛みしめているのは解った。
「海の果てには私の城、決して人の触れてはいけない領域もあります。
まだ可能性に過ぎなくても、そこに至ろうとする人の傲慢を『主』はお許しにはならないのです」
魔王がパチンと指先を鳴らすと同時、船を取り囲んでいた魔性達が首をもたげた。
臨戦態勢。目標は、フォルトゥーナ号!
「止めて!」
「やれ!」
「ソレイル!」
三つの声が響く、のと一瞬遅れて耳に入ってきたのは静かでありながら、港全体に届くような強い呪文。
「エル・スクード・マーレティオール!!」
と同時。淡い水色の光が船上から広がっていった。
「何?」
「ソレイル様?」
この呪文には覚えがあった。水の護り。エル・ミュートウムの最大呪文。
一つの街さえも守護する加護のバリアだ。
「船の上には、式典の演出用と万が一の為にソレイルがいる。
あいつが守護の術をかけたので、機関部、主要部分はなんとか守ることができるだろう。
だが……」
メルクーリオ様の浮かべる表情は安堵のものではない。
むしろ苦痛めいた厳しさを湛えている。
「あいつ一人の力ではここが限界か……」
現に機関部、主要部分とおっしゃったとおり、光のシャボン玉が包み込んでいるのは半径10mくらいで、強大な船は一部がその守りからはみ出していた。
元々、王族魔術師として魔術を行使することができるのは公子ソレイル様だけど、実際の所は二人三脚なのだ。呪文の行使権は王権と同一で、王としての力はメルクーリオ様が持っている。個人的な容量の問題もあるだろう。
二人が一緒に力を発動できない状況では、船全体を守ることはできないのかもしれない。
「セリーナ!」
「は、はい!! エル・ミュートウム」
「オルクス。お前も手伝え」
「解りました!」
外にも王族達が連れた魔術師達がソレイル公子の足りない所を補うように術を行使する。
それに合わせて
「護衛師団、前へ!」
式典を守っていた護衛部隊が進み出た。
彼らの多くの手には弓矢が握られている。
「狙いは上空の魔性と魔王エリクス! 討て!!」
数十人の弓兵の一斉射撃。
「おっと!」
飛距離があるし、上空へ向けての射撃だし効果絶大だ、とは言えない。でも牽制にはなったようでエリクスは、ひらりと距離を空けた。
何匹かの魔性の翼にささり、墜ちてきたワイバーンもいる。
それらは弓兵を守る護衛騎士達に討ち取られ、塵に還っていった。
「やっかいですね。まあ、最低でも当面の進水を防げれば目的は達せられます。
守りの無い所、薄い所を狙いなさい」
「護衛騎士は、各国の王族や援護して下さる魔術師達を守れ!
ソレイル! 魔王退却まで、何としても持ちこたえろ!」
「は、はい。ですが……」
呪文に比べて、帰ってきたソレイル様の声は苦し気だ。
単独の力で大きな結界呪文を維持するのは難しいのかもしれない。
「メルクーリオ様、中に入ることはできないのですか?」
「あの術は全てを外から遮断し守る術です。発動したら外から中への介入はできません」
「でも……」
「危ない!」
リオンが壇上から私を抱え、飛び降りた。
見れば上空から細長い木片やロープ、帆布などが落ちて来る。
多分、術でカバーしきれなかったマストの一部だ。
見れば船首などにもワイバーンやミニドラゴンが突撃したのか被害が出ている。
「我々の船が……希望が……」
悲し気な声に後ろを振りむけば、ストウディウム伯爵が肩を震わせている。
例え、機関部が守られたとしても、こんなに壊れてしまっては今日進水させることは不可能かもしれない。
これだけ、精巧な船を作るのにどれだけの苦労があったのか。
私には想像もできないけれど。
壊すのは一瞬、でも直すのにはきっと、その数倍の時間がかかるのだ。
ちょっと、許せない気持ちになった。
「リオン」
「なんだ? 少し集中させて。私、やれるだけのことはやってみたい」
私の本当の『能力』物の形を変える、であれば壊れたものを直すことくらいはできる筈だ。
でも、リオンの表情は硬く険しい。
「……ダメだ。アレはバレたらこの世界の人間の技術体系を全て壊しかねない」
「だったら、せめて、力をソレイル様に送って結界の強化を助けさせて。
それに気づいて近づいて来たエリクスをリオンが止めて、撤退させてくれればこれ以上船が壊れるのは避けられると思う」
「解った。力を送るだけにしておけよ」
「……」
私は薄水色のシャボン玉に手を触れ、目を閉じる。
ぽわんとした、柔らかい。でも何かを拒絶するような感覚が掌に伝わってくる。
外から中への介入はできないと言われた。
もしかしたら力を送ることも拒否られるだろうか?
一種の賭けだ。敵意が無くて、物理的なものでなければ不可能では無いかもしれないと信じて。
私が大きく息を吐いた瞬間。
「させません!」
「邪魔するな!」
背後に届くエリクスの叫びとそれを阻む鋼の音。
私が援護に動いたのを見て、エリクスが止めに入ったのだろうけれど、リオンが迎え撃ってくれたのだと思う。
そしてもう一つ、小さな声が私の指先から聞こえてくる。
『マリカ様』
「あ、エリチャン?」
久しぶり。自分から声をかけてくることは滅多にない、私の指輪に宿る水の精霊がチカチカと光を放ち、話しかけて来る。
「どうしたの?」
『お手伝いをお許し下さい。主の許可が無いと、私は単独で力を発揮できないので』
「手伝い?」
『私が、王の杖との経路を繋ぎます。本来は閉じられた結界内には力を送ることも叶いませんが、私と杖はある意味同一存在なので、杖に力を送ることは可能でしょう』
やっば。
ただやみくもにやっただけでは無理だったか。
でも、頼もしい味方がいてくれたことに安堵する。
「そう。良かった。なら、お願い」
『その後の事についても『精霊神』様がご助力下さるそうです。
ですからどうぞ、ご存分に』
「……ありがと」
私の思いを見通しているように、優しい光を放つエリチャンに励まされて私は、一度離してしまった手を、シャボン玉にあてる。
どうやら魔性が地上にも降りてきたみたいで、後ろも騒がしくなっているけれど、今は全力集中。
私は全ての力を注ぎ込むつもりで、目を閉じたのだった。
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