翌日。
エルディランド滞在三日目。
午後に入って間もなくの二の地の刻。
私がお借りしている麗水宮は、馬車と客人を出迎えた。
「ようこそいらっしゃいました。
シュンシー大王妃様」
案内役を請け負ってくれたリオンに誘導されて、宮にやってきた彼女を、私は玄関に出て出迎えた。
エルディランドの宮殿はコンドミニアムのような、小さな宮がいくつもあるタイプ。
完全にプライベートが分かれているので、滅多な事では他の人は入っていない。
この宮に、客人を招き入れるのは初めてだ。
私が出迎えたのを見て、少し驚いたように目を見開いたシュンシーさんは、その後、静かに頭を下げる。
「この度は、急な面会を受け入れて下さり、心より感謝申し上げます」
「いえ。私もゆっくりシュンシー様とお話がしたかったので、丁度良かったです。
さあ、どうぞ」
私の家、ってわけではないけれど先に立って案内する。
さらさらと、しなやかな衣擦れの音が耳に触れる。
ちょっと和風めいた中国風衣装。
エルディランドの民族風正装を纏うシュンシーさん。
華やかな柄が黒髪、黒い瞳に映えてとても美しい。
三年前の新年。
初めて大王妃として大聖都に来た時にはおどおどした感じがあったけれど、今はそんな様子は見られない。
堂々とした態度だ。
目や、指先には緊張が見えるので、表向きだけ、かもしれないけれど。
私は麗水宮で応接の間として用意された部屋にシュンシーさんを招き入れる。
「護衛はセイガイ、侍女はメイショウ。それ以外の皆は外で待っていて頂戴」
「ですが……」
「マリカ様に大事な話があるのです。いいですね」
「かしこまりました」
「セリーナ、彼らにもお茶と何か軽く摘まめるものを」
「解りました」
お付きの殆どを人払いして、お互い、最小限の人員だけで中に入る。
流石に二人きりにはなれないのがお互いの身分では辛い所だ。
こちらには護衛のリオンもいる以上、あちらも男性護衛を離すわけにはいかないだろうし。
中に用意されたソファのような椅子に向かいあって座る。
ミュールズさんがおもてなしの用意をしてくれて、お茶を出して毒見をして。
「やはりアルケディウス。いえ、マリカ様の御用意されるお菓子は美しさでも味でも一線を画しますね。このチョコレート。ふんわりとやわらかく、それでいて香味高く、口の中に果物の味が溢れますわ。
初めて食べる味です」
「果物の砂糖漬けに、チョコレートを絡めたものです。
まだヴェフェルティルング国王陛下はカカオ豆を他国に輸出されませんか?」
「ええ。まだ国で使う分で精一杯だとおっしゃって。本当に最低限以外は。
エルディランド南部であれば育つのではないか、原生の木は無いかと大王陛下も随分と探しておられるのですが、難しい様子です」
「カカオは種を植えても翌年直ぐにたわわに実る、というものでもありませんから、プラーミァでも増産には苦慮しておられるようですね」
お菓子を肴に軽く会話を転がして。その区切り。
「あの……マリカ様」
カップを静かに机に置いたシュンシーさんは、言葉を探すよう揺らしながら私の名を呼んだ。そろそろ本題、かな?
「なんでしょう。シュンシー様」
「お伺いしたい事と、お願いがあるのです」
私は、ちょっとこの時点で首を傾げていた。
いや、表には出さなかったけれどね。
『神の子ども』の名乗りと告白であるのなら、告白したい事。隠していた事となるのではないだろうか?
「なんでしょうか? 私に解る事や、できることでしたら可能な限りは」
「ありがとうございます。その……お恥ずかしい話なのですが」
「はい」
「どうしたらそのように胸が成長するのでしょう?」
「は・い?」
我ながら変な声が出たと思う。
神の子どもの告白か、と思っていたら、違った。
目を見開いた視線の先で、顔を真っ赤にして俯き、指を弄ぶシュンシーさんが見える。
「む・ね?」
「胸、だけではなく、全体的なこともそうなのですが……
そ、その……。マリカ様は昨年までは美しくも、私と同じ、控えめな体型をされておいででしたよね。それが、今年はまるで蛹が羽化したように大人の気品を漂わせ、体型も変わっておられて……。私も、そのようになりたいと……」
「体型……特に、胸の成長……。でも、その辺は人それぞれですから、教えて真似できるものでも無いと思いますよ。シュンシー様はシュンシー様で、とてもお美しい体型をしておられると思いますし」
シュンシーさんは、小柄だけれど、すんなりとしたとても美しい体型をしている。
向こうで言うならスレンダー?
恰幅のいいスーダイ様と並ぶと本当に小さく可愛らしく見える。
でも、背筋をピンと伸ばして姿勢もいいし、何より目に強い知性の輝きが宿っていて大王妃として傍らに立つのに何の見劣りもしない。
魔術師であることも含めて、後数年したらプラーミァのオルファリア様に勝るとも劣らない王の女。賢夫人となるだろうともっぱらの評判である。
でも、シュンシー様は自信なさげに首を横に振る。
「私は、路地で拾われた娘です。マリカ様もご存じでございましょう?
不老不死世で孤児、行き場のない娘が生きる方法など限られていることが……」
「……シュンシー様は、孤児でいらっしゃる、と?」
「はい。私はエルディランドに流れ着くまでの記憶が無いのです。私の最初の記憶は路地裏で育ての親となる女性に声をかけられたことで、その時には既に純潔を失っておりました」
「!」
私の沈黙をどう受け取ったのか、シュンシーさんは静かな微笑みを浮かべ、話し続ける。
「その女性はマオシェン商会に通いで働く下働きの女性で、身寄りもない私を拾い助けてくれました。その関係で、私も商会で働くようになり、当時王子だったスーダイ様と出会い、城で働かせて頂くようになったのです。
そんな幸運が無ければ、私は今も、路地で足を広げているしかなかったかもしれません」
彼女の語る言葉は、実際にその場を見て、体験した者でなくてはならない真実を宿している。嘘とは思えない。
では、マイアさんの彼女は『神の子ども』という言葉はいったい?
「スーダイ様には、私を望んで下さった時、全てを話しております。その上で、あの方は
『私は、お前の姿形を望んだわけでは無い。
お前の知性、優しさ、そして何より一直で揺るぎない誠実に惹かれたのだ。
気にするな。それとも女を知らぬ男は嫌か?』
と、私を妻に選んで下さったのです。
それが、例えマリカ様の代わりであったとしても」
「私の、代わり?」
「はい。スーダイ様にとって、初恋であり、今も心に望んでおられるのはマリカ様だと解っております。マリカ様がおいでになると見せるあの輝くような笑みは、他では決して見らぬものですから」
「シュンシー様」
そう言って、彼女は私を見る。
恨みとか憎しみは欠片も見えない。でも本当に哀しそうで、遠い理想を見つめるような羨望の眼差しで。
「そんなことは、ないと思いますよ。そもそも、私にも婚約者がいますし……」
「解っております。命の恩人である『聖なる乙女』に私が叶う筈もないことも。
ですからそれはそれで構わないのです。
私はスーダイ様を敬愛しております。最初は救われた恩からですが、今は人間として、男性として心から。
ですから、私は思うのです。非才で汚れたこの身でもあってもあの方が求めて下さるのなら、そして私にできることがあるのなら。
スーダイ様に並び立つに相応しい女でありたい。マリカ様のように、美しくなりたい。できることを全てやってでも。
身の程知らずながら、そう思うだけでございます」
うーん。
なんと応えたらいいのだろう。
私のような体型になりたいと言われても、無理。
どうしてこうなったか自分でも解らない、というしかないけれど、ことはそれ以前の問題だ。
彼女シュンシーさんは『神の子ども』と聞いていた。それは昨日、精霊神様達からも薄く裏付けを取った。
でも、彼女はそれを明かすではなく、むしろ元孤児としてスーダイ様を敬愛し彼の為に美しい女、役に立つ存在でありたいと願っている。それをあけすけに私に告白するのは彼女が自分を特別な存在、『神の子ども』だと思っていないという事に他ならないからではなかろうか?
スーダイ様とシュンシーさんには幸せになって欲しいし、その為にできることはしたいと思うけれど。
これは、一体、どういうことなのか?
私はリオン達と顔を見合わせ暫く悩むことになる。
数刻後、答えを持った人物が表れるまで。
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