ライオット皇子がマリカ皇女を連れ去った後。
「ノアール。マリカが戻るまでここに、マリカに変化して座っていなさい」
私はそう、皇王妃様に命じられた。
私にはマリカ皇女にそっくりになる特殊能力『能力』があるからだ。
マリカ皇女が意識を喪失していることは周知の事実だし、今は会議中。
直ぐ連れ戻る、と言ったライオット皇子が帰ってくるまでに誰が来るとも思わないけれどそれでも来客が来た時にマリカ皇女がいないと困る。
そういう上の事情は理解できるから。
「はい」
と私は頷いて変化の能力を発動させる。
手や指先はそんなに変わらないけれど、顔が何か虫が蠢くようにもぞもぞする。
どういう仕組みなのかは解らない。
ほんの少しの時間で私の姿はマリカ皇女と同じものになった筈だ。
「服はマリカの普段着を使いなさい。顔はヴェールをかけて見えないように」
「かしこまりました」
「本当に『能力』というのは不思議なものですね」
着替えを手伝ってくれたセリーナが微笑する。
まったく同感だ。
着替えを終え、私は応接の間でマリカ皇女と同じように椅子に座り、前を向いた。
ヴェールで視線は隠れているけれど。
「姿勢を正して。せめて遠目だけでもマリカ様に見えるように。
指先まで意識しなさい」
ミュールズ女官長の注意が飛ぶ。
確かに、マリカ皇女はいつも姿勢がいいから。
まあ、今は精神が無い状態だからそこまでしなくてもいいとは思うけれど私は黙って指示に従い背筋を伸ばしたのだった。
こうして、マリカ皇女の真似をしていると、自分と皇女は違うのだと改めて思い知らされる。自分を取り巻く周囲の空気、人の態度が全く違う。
当たり前と言えば、当たり前だけれど。
「お姉さん、マリカ姉とホントにそっくりだね」
そう言ってくれる楽師の少年ですら、爪弾くリュートの音色の伸びにはっきりとした差を宿す。
解っている。解っているけれど、自分はやはり彼女には成れないのだと思い知らされるのは正直辛いものがあった。
いつまで、これが続くのだろう。
そう思った瞬間にトトン、とノックの音が部屋に響いた。
「誰です?」
ミュールズ女史の誰何の声に外で見張りをしていた騎士達の声が応える。
「大神殿、神官長からの要請にございます。マリカ皇女を大至急議場にお連れするように。
と」
「会議の議場にマリカ様を?」
「マリカ様は体調不良の為、行くことはできないと返事を」
「いえ、それは承知の上で、今すぐにお連れするようにとのお言葉で。
必要であれば、移動の為の騎士を差し向けるとのことですが」
「その必要はありません。マリカ様の御身はこちらでお連れすると伝えなさい」
「かしこまりました」
使者の言葉を受けて皇王妃と女官長、そして皇子妃の女騎士が額を寄せていた。
「どういうことでしょうか? 何か議場でマリカ様に関する案件が?」
「解りません。ですが要請とあれば行くしかないでしょう。
今は不在と躱すのも手ですが、意思のないマリカどこに連れ出した、と騒ぎになるでしょうし、マリカを連れ出したライオットが、どこにいて、いつ戻すか解りませんから」
この場の最高権力者にして責任者、皇王妃様のお言葉に皆、頷くしかない。
「ミーティラ。カマラ。
……ノアール、いえマリカを頼みます」
「かしこまりました」「お任せ下さい」
護衛騎士にもランクや担当がある。
マリカ様の直接の護衛につけるのは女性騎士であるミーティラ様とカマラだけだ。
少年騎士貴族、リオン様は公式の場で、対外的な相手役を担う。
皇王陛下の護衛は皇王陛下が連れてきた騎士が行う。
いかに実力や力があっても少年騎士の配下扱いの騎士達にできるのは部屋の外での護衛まで。
元地国籍の転生者に至っては情報の流出の警戒から明らかな実力者でありながら今年は居住区画外での任務を余儀なくされている程だ。
「ノアール。けっしてしゃべらず、ヴェールを上げず、動かずを徹底なさい。
指先一本でも動かし、一言でも話したら気付かれると自覚して」
「はい」
言われるまま、私は全身から力を抜き、ミュールズ様に抱き上げられた。
流石女性でも騎士試験の優勝者。体格に恵まれ腕の力も強い。
安定感がある。
「行きますよ」
「はい」
そうして、私は王族と護衛騎士と魔術師。
後は厳重に身元確認された文官以外は入ることのできない国王会議の議場に、足を踏み入れることになった。
影武者、生きた人形としてではあったけれど。
「失礼いたします。皇女をお連れしました」
ミーティラ様と共に会議場に人々の視線が一気に私に集まったのが解った。
でも反応してはいけない。
用意された席に降ろされ、されるまま、多分議場の中央に置かれた私は目を閉じ、脱力した。
右と左に人影が近づいてくるのを感じる。
「では、姫君がおいでになったところで改めて、申し上げます。
『聖なる乙女』マリカ様におかれましては、会議期間終了後、意識が回復した、しないに関わらず大神殿に残留頂きたく存じます」
「その件に関しては何度もお断りした筈。マリカは国に連れ戻り、親元で治療を行う」
「何の治療を行うとおっしゃるのやら。マリカ様は『神』に招かれておられるだけの事。
お帰りを大神殿で待つのが最善であるとお分かりでは?」
「『精霊神』様も回復の為に、ご協力下さるとおっしゃっていましたし、見知らぬ地、見知らぬ者、ものばかりの大聖都に。意識の無い娘を置いていくなどできよう筈もございません」
「必要であれば従者は全て受け入れるとこれも幾度となく申し上げましたが、今度ばかりはアルケディウスの我儘を聞くわけには参りません。
マリカ様には、今後、大神殿のみならず、この大陸全てにおいて重要な役割を背負って頂くべく大聖都ルペア・カディナは『神』の名の元に、一つのことを決定いたしましたので」
重要な役割? 一つの事?
会場中が騒めいた。私も微かに身体を動かしてしまったがバレないで済んでいるだろうか?
皇王陛下が、私と神官長の間に立ちふさがるように割って入った。
多分、神官長を睨みつけているのだろう。怒りの気配が感じられる。
けれども
「意識を失ったマリカに一体何をさせようとおっしゃるのか?
マリカに舞を舞わせ、力を奉納させたいと仰せであるのなら、一刻も早く、マリカの精神を開放して下さるように『神』に願い出るが大聖都の務めでありましょう!」
「『神』の御心に僕たる我らが、差し出口を挟む事はできませぬと、これも幾度も。
そも、今回の件だけではなく、マリカ皇女は『精霊神』の招きを得てその領域に足を踏み入れた『聖なる乙女』『神』と『人』を繋ぐ者。
俗世において、一国が独占してはならぬ。これが『神殿』の統一意志でございますれば」
けれども、そんな皇王陛下の姿も、言葉も見えないかのように、私に、皇女に膝をつき告げたのだ。
「マリカ様。『星』に遣わされし『聖なる乙女』
大神殿における『大神官』としてお迎えいたします。
その輝きをもって星を、大地を、人々を。照らし給わんことを」
と。
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