嫌な夢を見た。
真っ暗な夜の中、私は歩いている。
周囲を照らすのは、微かな星明りだけだ。
足元を歩けば、ピチャン、ピチャンと雨上がりの庭のような水を含んだ音がする。
一人、その中を歩いていくと、人影が見えた。
「リオン!」
私は駆け寄った。リオンが一人、立っている。
黒髪に、黒い瞳。黒衣を纏い夜の化身のように。
黒い闇の中に一人佇んでいた。
「どうしたの? 一緒に帰ろう?」
「ああ……帰ろう、一緒に」
ばさり、と蝙蝠のような翼が開かれると同時、リオンが私に向かって覆いかぶさってくる。
腕を、ぐいっと掴まれて引き寄せられた。
「な、なに? イヤ! 放して!!」
抵抗しても私を掴む力は強い。しかも、足元の水たまりから、黒紅い、コールタールのような液体が私の足元に、身体に絡みついて自由を奪う。
「あ……っ!」
ピリッ、とリオンの掴んだ手首から電流が身体に流れるような衝撃が走り、動けなくなった。
液体が私の身体に染み込むように侵入してくる。
ずっと、ずっと前。アーヴェントルクで神石だったか何かを、身体の中に入れられたように。私の何かを書き換え作り替えようとしている……。
「リ・リオ……ン」
私は必死で助けを求めた。私を見えない力で押さえつけ、封じているのはリオンなのに。
リオンの顔をして、身体を持った。リオンではないナニカ。
魔王マリクかもしれない。と思った時、彼が微かに口角を上げ、笑った。
その笑みが、強引な仕草からは想像できない程に寂しげで、悲しそうで。
泥に汚れた私を、包み込むように抱きしめる。
一緒に汚泥に飲み込まれそうになっているのに、気にも留めない。
冷え切った手、体温を感じさせない冷たい指先が、私に触れている所から少しずつ熱を帯びていくようだ。
逆に、私の身体は冷えていくけれど。一緒に闇の中に呑まれて行きそうになるけれど。
何故か……それでもいいかな? って思ってしまう。
リオンと一緒なら、この冷えた身体を私が暖めてあげられるなら。
それでもいいかな?って。
私は汚泥の中から、リオンに向けて手を伸ばす。
リオンの身体が、微かに揺れた気がした。
そして、私は押し飛ばされる。ドン、と汚泥から出て行けというように。
と同時に、身体が、キラキラと内側から光出した。星のような煌めきがシャワーのように私を包んで私の身体にこびりついた泥や汚れを洗い流す。
「マリカ!」
そして、煌めきの向こうから声がする。
私を呼ぶ、リオンの声。
目の前にリオンはいるのに。
「いっしょに行こう! リオン!」
私は泥の中のリオンに手を伸ばす。でも、リオンは小さく首を横に振り、泥の中に自分から沈んでいった。
たった、一人で。
「リオン!!」
私の身体は浮かび上がり、煌めく光の中に溶けていく。
それはとっても気持ち良くて、嬉しくて幸せな事ではあったのだけれど。
遠ざかって闇に消えるリオンを、伸ばしても伸ばしても空を掴む私の手を忘れる事はできそうになかった。
「マリカ様!」「お目覚めになられたのですか!」
目を醒ます。頭は軽くて、意識はしっかりとしているのだけれど瞼が重い、
指の先が鉛のように重くて持ち上がらない。
お尻が痛いのに、寝返りさえままならない。
あー、この感覚は覚えがある。限界まで力を使いきった後の疲労だ。
その割に、意識はクリア。しっかりはっきりしているのだけれども。
私の側に付いていてくれたのはミュールズさんだ。
意識が戻ったことに気が付いて駆け寄ってきてくれる。
「お気付きになられましたか?
お身体の具合はいかがですか?」
「……だいじょうぶ、では、ないけど……だいじょうぶ、です。
リオン……は? エルディランドは……どうなりました……か?」
なんだか、舌先もうまく回らない。呂律も働かない感じ。
身体と精神の調子が、見事なまでに酷いバランスだ。
特に、身体が重い。とてつもなく。
歴代の気絶回数の中でもトップ3に入る体調の悪さだな。これ。
それだけ力を使った、ってことなんだろうけれど。
怪我人の治療と、死亡一秒前のリオンの治癒蘇生。
大丈夫だった筈。多分。
失敗してたら泣くしかないけれど。
「ご安心ください。リオン様は既に完全復帰して、事後処理にあたっておいでです。
エルディランドも魔性の脅威は消え、精霊の力が喰われた田畑も、大地の『精霊神』様の御力で、力を取り戻し、収穫に大きな影響も無さそうだと」
「よかっ……た」
「お気遣いが晴れたようなら、もう少しお休みください。
マリカ様は二日間、眠り続けておられましたが、私から見ると顔色も悪く、まだ体力が戻ったようには見えません」
「そう……する」
ミュールズさんの言葉に、私の身体は頷く事さえできない。
今の自分がどんな風になっているかは解らないけれど、ボロボロなのは間違いないなこれ。
正直自分では身体を起こすこともできないので、今はもう少し寝よう。
「お目覚めになった事は各国にお知らせし、軽く食べやすい食事なども用意しておきます」
「おね……がい」
「マリカ様……」
「カマラ。リオンや、みんなに……私は、大丈夫だって……伝えて」
「はい……、あの……マリカ様?」
「なあに?」
「いえ、どうか、お身体をゆっくり休めて下さい。皆さま、心配しておりましたので」
「ありがとう。そうするね」
体力回復に近道無し。ただ、身体を休めるのみ。
私は大きく、呼吸を整えてもう一度目を閉じたのだった。
その後、体調を取り戻し、私が起き上がれるようになるまで二日。
ほぼ回復、と呼べるようになるまでさらに二日かかった。
リオンと会えたのも目が覚めてから三日後。
「ありがとうな。マリカ。お前のおかげで戻って来れた」
「良かった。リオンが戻って来てくれて、本当に良かった」
「マリカ皇女に感謝と、敬愛を。
今後も、我が全てを捧げて側で守ることを誓います」
自室には入って来れなかったので応接間でお姫様と騎士の距離だったけれど、皇女や大神官のマリカにではなく、私自身にそう言ってくれたのが嬉しかった。
と同時にあの夢が脳裏を過ったのだけれども、
「魔王はどうなったの?」
喉元まで出かかったその質問は呑み込んだ。
その時はミュールズさんやマイアさんも側にいたしね。
リオンが戻ってきた。今はそれでいい。
魔王の事は気になるけれど、やっぱり私には今のリオンが大事だ。リオンの身体をマリクに渡すわけにはいかない。
ただ、このままにしておく訳にもいかない。アルの事も含めて、皆でよく相談して方法を考えないと。
そう言えば、と、気付く。
ポケットに入れておいた丸薬が無くなっていた。
「服は返り血で汚れておりましたので処分させて頂きました。服の隠しに入っていたものはカマラとリオン様が回収していたと思います」
というので、後で聞いてみた。通信鏡はカマラが持っていて直ぐに返してくれた。
「連絡を取る為にお借りいたしました。無断借用申し訳ございません」
「それは別にいいんだけど、瓶に入った丸薬、無かった?」
「あー、それは、その……」
「ん? どうかしたの?」
「いえ、リオン様が口に含んでおられました。その効果はご自分で気付かれたようです」
なんだかしどろもどろだったのが気になるけど、リオンが自分で気付いて飲んだのなら良かったかな、って思う。
そして襲撃から丁度一週間後。襲撃前とほぼ同じオンライン国王会議の議場で
「皆様、ご心配をおかけしました」
通信鏡越しではあったけれど、国王方々に深く、頭を下げたのだった。
『いや、マリカ様に頭を下げられては困る。元を正せばエルディランドの魔性襲撃にご助力下さったのが原因なのだから』
心底申し訳なさそうな表情をするスーダイ様に、概ね皆さんの表情は同意だ。
『そうだな。無茶のし過ぎ、というのはあるが、いつものことだ。それがお前だから仕方ないな』
「甘やかさず注意して頂けますかな? プラーミァ国王陛下」
『注意して止まるようなら、止まっているだろう。注意しようが何しようがやるとなったら国王の命令さえも聞かないのがマリカだ』
「その通りです。申し訳ありません」
『まあ、今回はリオン様の命もかかっていたそうですし、注意はほどほどにして差し上げるのがよろしいかと』
「ありがとうございます。アマーリエ様。
既にお父様やお母様、お祖父様にはみっちり怒られましたので」
「マリカ!」
鏡の向こうからいくつも笑い声が聞こえる。
なんだかんだ言って皆様、心配して下さっているのはありがたいなあ。
『マリカ皇女』
「はい。何でしょうか? アーヴェントルク皇帝陛下」
『明日、この間話をした護衛兵を派遣する。受け入れの準備を進めてくれ』
「ありがとうございます」
『どうやら報告を聞くに、魔王はマリカ皇女もだが、リオン殿も狙っているようだな』
「そのようですね」
私が体力回復に専念している間、リオンとフェイが一応状況の報告はしてくれたようだ。
『偽勇者が、真の勇者を従えんとしているのかもしれんな?』
『とりあえず、各国の警備を強めマリカ皇女やリオン殿の手をできるだけ煩わせないようにするとしよう』
「でも、必要な時は遠慮なくお知らせください。その為の大神殿ですから。
エルディランドの土地の回復は大丈夫ですか?」
『心配ない。『精霊神』様の御力で襲撃前に近い所まで回復している。リアの収穫も微減くらいですむだろう』
「それは何よりです」
『なら次のお出ましは来週のフリュッスカイト、新型機帆船の進水式になるか?』
「その日は魔王の襲撃があるかもしれないから、気を付けないと、ですね」
とりあえず、復調後、最初の国王会議では私を気遣う言葉と今後、収穫の時期に向けて精霊の力が奪われないように警備を強めるという話し合いがあったくらいで、襲撃前に話した『精霊神』様の予言。
近いうち、不老不死が奪われるかもしれない。ということについての対策や具体案などは出なかった。皆さんも色々と悩み、判断をしかねているのかもしれない。
と、私はこの時思ったのだ。
それは違う、と知ったのは。
『七精霊の子』の本当の覚悟を知ったかなり後のことだったけれど。
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