アイスブレイク、という言葉がある。
心理学用語だけれど、初対面の人間の緊張や心に張った氷を溶かし、和ませ、目的達成をスムーズにする手法の事だ。
基本的には研修などの前に、会話したりレクリエーションしたりすることを意味するのだけれど。
『偽物の癖に偉そうに』
私にモニターの中から言い放った『神』レルギディオス。
その言葉に怯えた私を庇うように、リオン。マリクかな? 私の背を後ろから支えてくれた。暖かい手を感じてホッとしたのとほぼ同時。
「! 自分こそ何様のつもりよ! 神矢!」
ステラ様の子猫がタブレットの画面に真っすぐ着地した。
『星子……』
「まだ、解ってないの? マリカは先生の偽物なんかじゃない! 大事な先生の忘れ形見で私の娘で、立派なアースガイアの保育士よ! 正しい事を言って、私達を励まそうとしてくれた。文句や言いがかりをつけるつもりなら、私が承知しないんだから!」
『解ってる。別にそういうつもりで言ったんじゃない。
出来の良すぎる嫁に対する舅のいじけだと思えばいい』
「え?」
『偽物って言葉が悪かったな。先生には娘であろうと、やっぱり敵わない。
そう言いたかっただけだ。
何百年と生きようと『神』だと偉ぶろうと、俺はやっぱり先生の前では子どもになっちまうんだろうな……マリカ』
「は、はい……」
苦笑としか言えない笑みを浮かべた『神』は目を伏せ首を微かに下げた。
『すまなかったな。お前には色々迷惑をかけた。私の無知の尻拭いも含めて』
「え? あ、はい。いえ……そんな」
謝って、くれたの?
真理香先生に自分の行動を悔い、謝罪した決戦の時とは違う。
私に。アースガイアに生まれた真理香先生の娘で保育士の私に。『神』として自分の過ちを認め謝罪してくれた。
まさか、そんなことがあるとは思わなかったから、ちょっとビックリ。
目を瞬かせる私を後ろで、リオンの大きくて優しい手と身体が支えてくれている。
『マリク。フェデリクス。
今まで、聞いてやることができなかった。
お前達は、どうしたい? これから、どう生きたいと願う?』
タブレットの内から呼びかけられる父親の問いに、マリクは、私の後ろに立ったまま胸に手を当て静かに会釈する。
「私は、リオンとして『アルフィリーガ』の役目を果たします。
有りとあらゆる脅威からこの星と子ども達を守る『星の守護獣』として。マリカと共に……」
それからぎゅっと、私を抱きしめる。この熱と力の籠った抱擁はマリクのものだろうか?
リオンのもののようにも思えるのだけれど。
『そうか。だがこの娘は嫁として大人しく腕の中に納まっている器じゃない。
苦労するぞ』
「覚悟の上です」
くすっ、と。
私達の様子を小さく微笑して頷いた『神』は今度はレオ君に優しい眼差しを向ける。
『フェデリクス。お前はどうだ?』
「僕は……もう暫く母上の御許と孤児院で、人としての感情や在り方を学びたいと思います。その後、できれば神殿に戻り、人と『神』を繋ぐ者として働きたいでしょうか?
大神殿には今度、新しい王家ができるようなので、難しいかもしれませんが……」
「そんなことは、ないですよ。フェイは神官長になったことでリオンの側にいられなくなったことを嘆いていましたし、私は大神官、って言ってもお飾りの巫女ですから。
神殿業務や人身把握に長けて、信頼できる人が補佐に立ってくれるなら助かると思います」
ちらりと、私を見たレオ君の希望進路を私は肯定する。少しリオンの眉が上がった気がするけれど、子どもの前向きな進路は応援したい。
『不老不死の復活!』『神を崇めよ!』
なんてことは、この状況下ではもう無理だろうし何より『神』がそれを望んでいないし。
『解った。ならば自由に生きるがいい』
「「父上!?」」
『私は、当面、ステラの元で懲役活動に従事する。
城の子ども達を解放する為にも、星の力を強化するのにも『精霊の力』が今にもまして必要になる。私が増幅すれば『精霊神』達に渡る『精霊の力』も増大するだろう。そうすれば色々な事が出来るようになるはずだ』
「帰還を……放棄なさるのですか?」
これは、レオ君、フェデリクスの問い。彼は地球への帰還を望んでいた『神』の一番の理解者だったから。
『放棄、するわけではない。だが、ここまで来たのだ。
人間の力、気力が未来を作る為に使われれば、そう遠くない将来、我々の役目が終わる時が来る。それから目指しても遅くはない。
そして、ラールの言葉ではないが、この星に地球文明を本格的に再生させれば、かつてと同じか、それ以上の新しく、実り多い文化を作り上げることができるかもしれない。
夜を駆逐する電気の光、歌や言葉を保存し、再生する箱、言葉や思いを繋ぐ本や芸術。
お前に約束した地球の輝きを、この地で見せてやれると思う』
「は、はい……」
『私は、帰りたかった。豊かで、平和で、自分が責任を負う必要のなかった子ども時代。
幸せだったころの地球へ。
でも、それはもうどこにもないのだ。
解ってはいたが、認めたくはなかった』
「父上」
『ならば、新しく作ればいいと教えられた。
皆と、家族と共に、この星で……』
「レルギディオス……」
「フェデリクス。お前にはこの星に生きる子ども達と、これから目覚める子ども達を託す。
迷う彼らをその智謀と思いで導いてやってくれ」
「はい」
『マリカ。レオはお前の義弟となる。今後も面倒を見てやってくれ』
「解りました」
『神』の決意。新たなる星の守護神の誕生に、ステラ様やアーレリオス様が薄く微笑んだのが解った。きっと、お二人はこうなることを望んでいたのだろう。
ずっと。できるなら彼がこの地に降りた時から。
「手伝う気になったのはいいけど、懲役刑って何よ! 私の手伝いは罰則、懲役ってこと?」
『事実だろう? ああ、心配するな。この期に及んで往生際の悪い事はしない。
罪を認め素直に刑に服すさ』
「うー、事実でも言い方! もうちょっとなんとかならないの?」
『人というのは、そう簡単に変われはしないものだ。お前への思いも変わってはいない。
あの頃のまま、俺はお前を愛している』
「!」
『マリカが言う通り、やり直しを許して貰えるなら、俺はお前に従おう。それが罪滅ぼしになるとは思えんが』
「ズルい! 自分ばっかりカッコつけて! 私だって……貴方と肩を並べられる日をずっと……待っていたのに」
あっけにとられる私達を前に、始まる夫婦漫才。
でも、二人の間の空気は氷が解け、春の花が咲いたように暖かで優しい。
愛し合う夫婦そのものだ。
『大丈夫だ。お前がいて、俺がいて、精霊神達がいて、息子達がいる。
もうじき娘もできて、孫も生まれるだろう。
この星、アースガイアはもっと素晴らしくしていける筈。
皆の為、家族の為に働くことは刑ではない。俺の償い、本当にやりたかったこと、だからな』
「ええ。ずっと、貴方を待っていたわ」
絵面だけ言えば、タブレットの画面に猫が鼻を寄せているだけの事。
でも、なんだか夫婦が抱き合ってキスしているように見えて、なんとなく光景を直視できない。後ろと横を見れば、どうやら息子二人も同じようで、顔を真っ赤にして背けている。
楽しそうに笑っているのはアーレリオス様とエルフィリーネくらいだ。
「そういう訳だから、私達の事は心配いらない。
マリク、リオン。フェデリクス。貴方達は貴方達の望む未来を生きなさい。
『神の子』としての使命から、完全に解き放ってあげることはできないけれど、それでも貴方達にもマリカが言った通り、幸福になる権利があるのだから」
「はい」「ありがとうございます」
「どんなに離れようと、私達は家族なのですからね」
抱き合うことも、触れ合う事さえ許されない親子。
でも、私は確信する。
彼らの間には、ちゃんと絆があることを。
一度は切れてしまったそれは今、繋ぎ直されて、きっとこれからもっと強固になっていくことを。
そう言えば、私とリオンが結婚するという事は私は『神』やステラ様の娘になるということで、凄い家族が増えるということでもある。
アーレリオス様と、レルギディオス様も家族になるわけだ。
なんだか、愉しい予感。
そんなことを考える、楽しいひと時。その影で。
心臓がトクン、と小さな音を立てた。
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