気が付いたら、暖かい布団の中にいた。
いつも寝ている大広間の天井では無く見えるのは天蓋ベッドの内側。
あ、これ見るの三回目だ。
ズキン!
頭を動かすと痺れるような頭痛が奔った。
呼吸が苦しい。大きく深呼吸する。
手足も重い。
健康だけが自慢だったのに、私、どうしちゃったのだろう。
「マリカ様、お気付きになられましたか? エルフィリーネ様!」
側に座っていたらしい、ティーナが私の様子に気付いて声を上げた。
それに応じて、ふわりと姿を現したエルフィリーネが、駆け寄り顔を寄せる。
「よかった。お気付きになられたのですね。
ご気分はいかがですか?」
「…あんまり、良くない。
頭がなんだか痛くて…。私、どうしたの…」
「入浴中に、倒れられたようだとリオン様が。
私は人間の身体の好不調はよく解りませんが、顔色が真っ青で…。お疲れと睡眠不足が重なってのことかと思い、こちらへと…」
「え…っと、あっ!」
また、ピキッと音を立てるように頭が痛んだが、そのおかげで逆に意識ははっきりとした。
思い出した。
お風呂に入っていて、出ようとして、突然意識がブラックアウトした。
多分、脳貧血。
寒い所からお風呂に入り、血管が拡張したところで立ち上がったから頭に血が行かなくなったというあれ。
で、そのまま最悪な事に湯船の方に倒れたのだ。
床の方に倒れていたら顔か頭はぶつけていたかもしれないけれど、まだマシだった。
お湯の貼られた湯船の方に倒れ込んだので、そのまま溺れかけたのだろう。
…最悪。
お風呂で脳貧血なんて老人じゃあるまいし。
ん? お風呂で…倒れ…た?
いっ!
私はとっさに自分の身体を確認するようにパタパタと叩いて確かめた。
裸ではない。寝巻を着ている。自分の…。
「お着替えをさせて頂いたのは私でございます。
フェイ様に呼ばれ、マリカ様のお世話をと頼まれて。
その時には皆さま、就寝しておりましたし、毛布に包まれておりましたので、私とエルフィリーネ様…以外にはお身体を晒してはおりません」
私の動きの意味を察したのだろう。
ティーナが説明してくれた。
でも、でも…
「お風呂で、倒れたんだよね…。で、助けてくれたのが…リオン?」
「…はい」
「あああっ!!」
顔に血が集まる、頭が熱い。
リオンに…見られた! もしかしたらフェイも?
うわ。うわ、うわあ…。
落ち着け、私、成人した大人の身体じゃない。
薄っぺた、まっ平な子どもの身体だ。焦る事じゃない。焦る事じゃない。
でも、でも、でも…!
「マリカ様?」
「今、どのくらい? もう朝? 朝だよね。心配かけてゴメン。もう、大丈夫だから…」
私は絶対真っ赤になっている顔と頭を思いっきり振って、身体を起こす。
と、同時、またくらり、と目の前と頭が揺れた。
「あっ…」
「急に体を起こされては危険です。まだ、ゆっくり休んで下さいませ。マリカ様」
頭を抱えた私をティーナが支えてくれるけれど、ダメだ。
じっとなんかしていられない。
「もう、だいじょうぶから、心配かけてゴメン。
私、朝ごはんの支度しなくっちゃ。子ども達の着替えも…」
寝台から降りようとした、私の目の前で、バン!
勢いよく、部屋の扉が開いた。
大きな足音と共に入って来たのは…リオン!
息を切らせ、その黒い瞳に心配をいっぱいに浮かべていたリオンはベッドの横に何の躊躇いも無く近付くと
「こ、この大バカ野郎!!」
「ひあっ!」
今まで聞いたことのない、剣幕で、形相で、大声でリオンは私に雷を落としたのだった。
「リオン様、落ち着いて下さいませ。
マリカ様は、病み上がりでいらっしゃいます」
庇う様に言ってくれたティーナの背中に、私は身を隠し縮こませた。
この剣幕もだけど、今はとてもリオンの顔が見られない。
「病み上がりだってのに速攻動き始めるバカに、バカと言って何が悪い。
俺達がどれだけ心配したと思ってるんだ! 本気で死にかけたんだぞ。お前は!」
「ご、ごめんなさい…」
「まったく、目が醒めたらすぐに俺達を呼べ、とエルフィリーネに言っておいて良かった」
振り返るリオンの視線の先、ドアの側を見ればエルフィリーネが、静かに頭を下げている。
エルフィリーネがリオンを呼んだのか。
その横ではフェイも腕を組んでこちらを睨んでいて…二人とも笑顔ではあるけれど…
うっわ。
あー、二人の身体から、怒ってます。動くの許しません。のオーラがビンビン立ち上がって…怖い。
「心配かけて…ごめんなさい」
「心配かけた自覚があるのなら、今日は一日大人しく寝ていろ」
「い、いや。悪いよ。もう体調戻ったし、みんなのご飯と…小さい子達の面倒…」
「マ・リ・カ…」
やけにゆっくりと力を入れて、私の名を呼んだフェイが、氷の冷気を放つ。
もちろん比喩だけれど、ニッコリと笑っているだけに、近寄って来るのが怖い、怖い、怖い!!!!
「今迄何度か言いましたよね。たまには休め。
子どもから離れる時間も必要だ。と。それを無視して突っ走って来たツケが回って来たのだと、まだ解りませんか?」
「わ、わかってます。わかってますけど…でも…本当に、もう平気…だから…その…」
フェイの氷のオーラから逃れようと唯一の味方、ティーナの背に隠れようとするが
「ティーナ。そろそろリグのところにいってやれ。
その後は悪いが子ども達の面倒と、エリセ、ミルカの料理の手伝いを頼む。食事は簡単なものでいいから。
後で一人分、ここにはこんで貰えるか?」
「解りました」
「ああっ!」
リオンは私から、ティーナを引き離してしまう。
「ティーナ!」
「私、いついかなる時もマリカ様の味方ではございますが、お三方を敵に回すわけには参りません。
申し訳ありませんが、諦めて今日はお身体をお休めになって下さいませ」
パタンと扉が閉まって、ティーナが出て行ってしまうと、三人になった。
これはもう逃げられない。
お説教タイムだ。
私は、布団の上で足を正座に直して座りなおした。
「本当に、死んだんじゃないか、目を醒まさないんじゃないか…って思ったんだぞ…」
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきながら、リオンは大きく息を吐き出し私を睨む。
唸り声を上げる獣のように鋭い眼光に射すくめられて、私は声も出ない。
確かに、全面的に私が悪い。
主原因はお風呂での血圧変化による脳貧血だ。多分。
でも、主に老人に起きるそれが若い『私』に起きた理由は考えれば、有り余るほどに思い当たる。
睡眠不足だった。
多分、疲労も重なっていた。
体調も良くなかったのだ。
女の子達が揃って、案じてくれるくらいには。でも、気づかないフリをした。
いろいろ考える事もあって、気持ちも休まらなかった。
忙しさ…プラスめんどくさくて水分もあまり取っていなかったように思う。
この世界ではお茶を入れるのも簡単ではないし、水を用意するのも時間がかかるから。
一つ一つは小さなことであったと思うけれど、この一年半、溜りに溜まった無理が重なって、身体がブレーカーを落としたのだと思う。
まあ、ホント最悪のタイミングで、溺れかかり、死にかけた訳だけれど。
「マリカ」
フェイが私を見る。
言葉はとても優しい。けれど纏う空気は厳しく、重い。
「君は、成人した異世界の記憶と考えで行動していることは承知しています。
君がそうでなければ、僕達は今の穏やかで、暖かな生活を過ごすことはできなかったと、とても感謝しているのですよ。でも」
蒼い、氷のような眼差しが私を見据える。
まるで私の弱さ、甘さ、短慮を映し、顕わにする鏡のようだ。
「今の君は、まだ十歳にも満たない子どもの、女の子の身体です。特別な訓練も受けてはいない。
食事を取ることで、しっかり成長はしてきていますが、細くて、弱くて、大人はおろか、僕達でさえ簡単に潰すことが可能な程に力ない。
大人の基準と思考で動いても、身体がついていかないということも十分にありうると思いませんか?」
「思います…」
正しくフェイの言う通りだ。
身体が資本の二十五歳、保育士の体力と、今の子どもの体力ではできることが全く違う。
ギフトで、それを補えるようになってから、当たり前のそのことを忘れてかけていた。
「ギフトというのも万能ではないのです。
能力者の第三の手、とも言えますが、それだけに本人の体力、気力に依存する。
大人の精神力を持つ君だからこそ、連続使用が可能で、それに頼って来てしまいましたが…多分、その辺の無理も溜まっていたのではないかと、思いますよ」
「はい…」
ふわりと、フェイの纏う空気が柔らかさを帯びた。
「君の異変を感じた時の、リオンの形相を見せたかったですね。
熟睡していたかと思ったのに、次の瞬間、飛び起きて、『マリカに何かあった!』と叫んでいきなり飛翔ですからね。
どこに行ったかと追いかけるのも大変だったんですよ」
「フェイ!」
余計な事を言うな、とリオンの眼が言っているが、フェイはどこふく風。という顔で笑っている。
「エルフィリーネも、気づくのが遅れたと落ち込んでいました。
君が倒れたことで、本当に心配していたのですよ。リオンも、エルフィリーネも、勿論僕も…」
「ごめんなさい…」
「謝るなら、自覚して下さい。
君自身もまた子どもなのだと。子どもを守るというのなら僕達を守るだけでなく、自分も守らなくてはならないのだと。
君が傷つけば、悲しむ者がたくさんいるということ。
そして、何より君が、倒れたら魔王城も倒れるのだという事を、忘れないで下さい」
「はい…」
一言も言い返せない。
全て事実だからだ。
向こうの世界と同じように死んでいたら、子ども達も、リオン達との約束も、一人王都で頑張っているガルフも、みんな置いていってしまうことになる。
一度転生できたからって、二回目がある保証はどこにもない。
転生できたとしても、それは今の私では多分ない。
絶対に、死ぬことなどできないのだ。
「…まあ、助けを求めたことは、上出来だ。
あの時、俺の名前を呼んだからギリギリ、間に合ったんだからな」
「? そう言えば、本当に、どうして聞こえたの? リオン? 私の声」
お風呂場で、水に溺れた時の必死の声。
水に溶け、誰に届く筈も無かった声を、リオンはどうやって拾ってくれたのか?
でも、私の質問にリオン頭を横に振る。
「さてな。俺にも解らない。カン、というか感じただけだ、
風呂場にいた精霊が届けてくれたのかもな?」
「僕には聞こえませんでしたが…まあ、そういうこともあるのかもしれませんね。
とにかく、マリカ。今日は一日休んで下さい。
皆が心配なら一日で体調を戻すこと。
今日は寝台から出る事は許しません」
「エルフィリーネ。今日はマリカを部屋から出すな。しっかり見張ってろ。
鍵かけて、閉じ込めても構わない」
「お任せください」
私の返事はまだだけれど、ここまで三人にがっちりと固められたらティーナじゃないけど逆らう事なんかできない。
「解った、休ませて貰うね。ありがとう」
まだ、正直身体がだるいし、ここでしっかり体調を戻しておかないと冬になったらやりたかったこと、もろもろができなくなってしまう。
「体調が戻ったら、私、体力作りする。
もっと体力付けないと剣の練習もできないしね。
あ、リオン。今回の事で剣教えないなんて言わないでね」
「ああ、言わない。だから、早く元気になってくれよ」
布団に戻った私の頭を撫でてリオンは笑う。
と、同時にリオンに裸を見られた事が思い出されて、
ボン!
顔に火が付いた。
「どうしたんだ? 顔が赤いぞ。熱が上がったんじゃないか?」
「だ、大丈夫。大丈夫だから。ちゃんと寝るし」
「そうか? 無理はするなよ」
「リオン、行きましょう。僕らがいるとマリカがゆっくり休めない」
「解った。エルフィリーネ。後を頼む」
「かしこまりました」
リオンと、フェイが部屋を出る。
パタンと扉が閉じられ、足音が遠ざかっていくのを聞きながら、私は息を吐き出した。
「ごめんね、エルフィリーネ。心配かけて」
「フェイ様もおっしゃいましたが、悪いと思って下さるならどうか、早く体調を戻されて下さい。
主の元気なお姿こそが、私にとって唯一無二の報酬でございますれば」
「うん…」
掛け布団を被り、目を閉じる。
私が気にしすぎなのだ。
きっとリオンにはただの人命救助だったのだろう。
うん、気にしない気にしない。
忘れよう。
リオンもきっと、忘れてくれる。
やっぱり、体調は良く無かったようで、私はその日一日だるさと、頭痛が続き、ベッドから出る事ができなかった。
だから、倒れた翌日ともう一日、ベッドに縛り付けられてしまう。
一日目はリオン達が止めてくれたようで、食事を運んでくれたティーナ以外は誰も部屋に来なかったのだけれど、翌日は入れ代わり立ち代わり子ども達が心配してお見舞いに来てくれるので逆に部屋を出られなかった。
きっと、フェイの作戦だ。
「マリカ姉。大丈夫? むりしないで!」
「私達では力不足でしょうが、一生懸命頑張りますから、お身体を休めて下さい」
「マリカねえ。ひとりでおきがえできたよ」
「ねてて、ねてて。しなないで」
「ジャックのめんどう、ぼくみるよ」
「リュウといっしょにねるから」
「何でも自分でできなきゃ伝令なんてできないぞ、って言われたし」
「たまご、たべる? 元気になるよ!」
「早く治して。工作おしえてくれるってやくそくした!」
「みんなの面倒はおれとアル兄で見るからさ」
「ねるなら、子守歌、弾くよ」
みんなにウルウルの眼で言われたら、無理なんてできっこない。
「マリカ。お前も俺達を見くびってんだ。少しは信じて任せろよ」
アルにはげんこつ落とされたし。
エリセとミルカの優しさがいっぱい詰まったスープを飲んで、二日間、ゆっくりと身体を休めた結果。
「完全、復活!」
「もう、ホントに大丈夫?」「ご無理なさっていませんか?」
「うん、気分スッキリ。体力、気力もバッチリ回復だよ。
今日は、心配かけたお詫びにごちそう作るから二人とも手伝って」
「はーい!」「解りました」
病み上がりなのに、とフェイには苦い顔をされたけれど。
でも、エルフィリーネにとって私の元気な姿が報酬なら、私にとってはみんなの笑顔が一番の元気の源なのだ。
これは仕方ない。
諦めて欲しい。うん。
とにもかくにも、こんな大失態は二度と起こさないと心に誓った私であった。
ちなみに私は知らない。
「だーっ。もう、どんな顔してマリカと顔合わせればいいんだ!?」
「そんなに身もだえするほど、悩むくらいなら、エルフィリーネを先に呼べば良かったんでは?」
「あの緊急時にそんなこと思いつくか! うー、まだマリカの真っ白なアレが目の前にちらつく」
「以外に純情なんですね。アルフィリーガ」
「うるさい、黙れ!」
そんな二人の会話なんて、知らないったら知らない!
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