「おやすみなさ~い」
明るい笑顔を残し、マリカが去って行ったバルコニー。
残されたオレは兄貴達の方に振り返った。
「と、ここで綺麗に終れたら良かったんだけどな」
「終らせたら、またオレのことを置いてくつもりだろ。リオン兄は」
俺を見て息を吐き出すリオン兄にダメだ、とオレは首を横に振って服の裾を掴んだ。
「約束通り、マリカへの説明の間は黙った。
だから、もう逃がさない」
そうだ。この機会を逃がすわけには絶対にいかない。
「やっぱり、言わないとダメか? お前もライオに説明した時のことは聞いてただろう?
アイツは察してくれたぞ」
「兄貴が魔王の転生って話は聞いた。『精霊の貴人』が魔王を倒した時、その魂を保護して精霊国の皇子として転生させたって」
「うん。それに嘘偽りは何もない」
リオン兄が魔王の転生。
それの事実を疑いはしない。そこで終わりではないことも解っている。
もう一段、秘密が残っている筈だ。
「俺は皇子程、物分かりも察しも良くないからな。
はっきりと兄貴の口から聞かせて貰う。
マリカは部屋に帰った。
エルフィリーネが扉を『閉めた』からここでの話は万が一にも聞こえてないだろう?」
「よく解ったな」
「茶化すな!
なんで兄貴と『大神殿』で起動した『神』の力。
それが同じ色をしてるんだ?
兄貴は『魔王』は『神』のなんなんだ?」
「やっぱり、お前の目は誤魔化せないな。
まあ、ライオも言わなかっただけでもう察してはいるんだろうけれど……」
多分、諦めたんだろう。
大きく呼吸するリオン兄の周囲、その空気の色が変わった。
ライオット皇子に説明した時と一緒だ。
精霊は隠し事をするけれど、嘘をつかない、という。
自分を『人型精霊』と言い切るリオン兄は、その割にバリバリ嘘をつくし隠し事をするけれど。
でも、ここから先の言葉にきっと、嘘や誤魔化しは無い。
「……ライオにも言った。
俺達が今使っている言葉とは似て非なる『精霊古語』
かつて、神々が使っていた言葉はそれぞれの土地にその土地の古い言葉として残されている」
「神々が……使っていた言葉?
それが一体……」
「黙って、聞いていて下さい。アル」
静かに語り始めたリオン兄。
その言葉を遮らない様にフェイ兄に頷いた俺は口を閉ざす。
答えになっているようで答えになっていない、微かな声は止まることなく紡がれていた。
「アルフィリーガの名にも、秘められた意味がある。
アルフ、アルフィーとは賢き者、賢者、人とは異なる生き物。転じて神、精霊を意味する。
リーガは機構、道具、そして罪と後悔という意味も重ねられている。
アルフィリーガ。その名前の真実の意味は、『神の罪なる道具』」
「道具?」
「『精霊の獣』の呼び名は、その意味を打ち消す為に、後から重ねて授けられた俺の役割だ。
魂に括られた変えられない名前なら、せめて希望をと……」
「ってことは、兄貴は……」
「魔王は元は『神』によって作られた端末にして、道具だった。
その罪を肩代わりして『星』と『精霊』とその子ども達『人間』を脅かし、『神』の為に精霊の力と人の『気力』を集める為の。
『前精霊の貴人』によって斃され、魂となった魔王を『星』と精霊が人の肉体に封じて育て直した複合精霊。
それが俺の正体だ」
言葉が出ない。
何かを言おうとしたけれど、口の中がからからで声にならない。
「魔王だった時の記憶は、俺には欠片も無い。
精霊国の皇子として育てられた時も、今も。
でも魂に名前と共に刻み込まれた『神』の設計思想、設計理念は今も俺の中にある。
『人間を殺めるな。彼らは力の源である』
『『神』に逆らうな。我はお前の創造主である』
『自殺を行うな。その身は欠片までも我のものである』
……多分、俺は今もそれに逆らえない」
血を吐くような告白は重くオレにのしかかって来る。
自分で聞いたのに、オレはもうこの場から逃げ出したくなっていた。
「だって! 兄貴は『神』に逆襲するって! それに大聖都で大神官を殺して……」
「俺という存在は一度、完全に『星』によって記憶を消されて作り直されている。
だから、直接会わなければ、多分大丈夫なんだ。
でも会ってしまったら、ダメだ。
かつて『神』との会見の時、オレは……先に『神の欠片』を身体に入れられていたこともあるけれど『神』に操られ、この手でマリカ様を、エルーシュウィンで刺し……殺した」
「……殺し……た?」
兄貴の横で短剣の精霊エルーシュウィンが唇を噛み俯いている。
信じられないし、信じたくはないけど事実なのだろう。
『お前達の攻撃が為に『精霊の貴人』は命を落としたのではない。
あの場から、我等を、希望を、未来を逃がし、繋ぐために、身体から自らを切り離し術を行使しただけだ。
気にするな、と言っても無理ではあろうが……』
今まで沈黙を守っていたフェイ兄の杖の精霊が慰めるように囁く。
勿論慰めになってはいないことを、彼は十分に承知してるだろうけれど。
「……兄貴は『神』が自分の創造主だってことは、いつから知ってたの?」
「精霊国の王子時代は知らなかった。
勇者として『神』との会見に赴いた時に知らされ、操られた。
その時はまだ、自分が魔王の転生であったことは気付けなかったけどな。
幾度となく転生を繰り返し『神』や魔性に向かう中、察し感じてきた。
マリカ様ではなく『魔王』と呼ばれるべきは自分であるべきだと。
そして大神官をこの手で殺した時に、血液を浴びて『神』の力を取り込んで、そうして全てを理解した。
俺こそが真の『魔王』なのだと」
笑える話だ、とリオン兄は鼻を鳴らす。
魔王を倒した勇者とされる者が、実は真実の魔王であったなどと。
それを察した上でリオン兄を今も親友だと言うライオット王子の懐の深さには尊敬するしかないけれど。
「それでも『魔王時代』の記憶は欠片も蘇っていなかった。
だから、安堵していたんだ。俺の中の魔王は完全に消去され消えていたのだと。
……でも、そうじゃなかった」
「じゃあ、大聖都でリオン兄が魔性を従えてたって言ってた偽勇者の言葉は……」
「概ね事実です」
リオン兄の言葉を補足するようにフェイ兄が続ける。
そうか、フェイ兄はあの場にいて、全てを見ていた。
「『神』はリオンの体内と体外、両方から『神の欠片』をリオンに与えました。
多分、今までだったら、ただの異物で済んだ『欠片』は大神官を倒した時に浴びて、取り込まれてしまった『神』の力に反応して魂の奥底に眠っていた『魔王の記憶』を蘇らせたのでしょう。
魔性に囲まれ絶体絶命の時、顕現したアルフィリーガ。
魔王 マリク・ヴァン・デ・ドゥルーフによって魔性は全て屠られ力と化して、リオンに取り込まれたのです」
「魔性の力を取り込んだ?」
「大半は『星の護り』による治療。『神の欠片』の除去で消えてる。
残りは概ねマリカがもっていってくれた。
今は俺の中に魔性の力は、もう殆ど残ってはいないけれど。
でも知らなかった頃には戻れない」
寂しげに嗤うリオン兄。
あの儀式の時、マリカに送られた膨大な力は、そう言う事だったのか……。
「お前達に、隠していた。騙していたと、俺を恨むか?
それでも仕方ない、とは思っている。
俺に勝手な運命を押し付け、道具として扱い、あげくの果てにこの『星』に呪いをまき散らした『神』を恨んでいる。消し去りたいと誰よりも憎んでいる。
でも……俺の中に在る『魔王』が言ったという通り、俺が思う以上に創造主の枷は硬く強い。
真実を知る為にうかつに大神官の血を取り込んでしまったこともある。
『神』が本気を出して手を引けば、俺は、俺の意思など関係なく向こうに引っ張られてしまうだろう」
「止める方法は無いのか?」
恨みなんかない。
リオン兄が本当にオレ達を大事にしてくれている事は解ってる。
俺達に危害を加える意思がない事も。
ただ、本人の意思を封殺して『神』がリオン兄を引きこむ可能性があることは怖かった。
「マリカの側にいれば、当面は大丈夫だ。
『星』の意思が、マリカの思いが、俺を守ってくれている」
「勿論、油断はできませんけれどね。今回のように強力な『神』の介入があればリオンの意思が奪われてしまう可能性もある」
『その為に『星』はエルーシュウィンを強化し、マリカに外付けの鍵を預けたのだろう』
「鍵?」
『マリカの指輪にくっついた星のカレドナイトのこと。
あの指輪は元々、僕に万が一の事があった時の為にマリカに預けたアルフィリーガの補助端末なんだ。『星』はそれを強化して下さった。
アルフィリーガの中の『魔王』が完全に『神』の制御下で目覚めたら君達の手で止めるのは困難だろうけれど、マリカとあの指輪があれば多分、なんとかなる筈だ。
その前に僕自身もアルフィリーガを止められるようにするつもりだけれど』
「オレにできることは無いのか?」
もう既に、兄貴達の間では覚悟は決まっているようだ。
ならば問うオレの質問にリオン兄は静かに頷く。
「側にいてくれ。俺とできればマリカの」
「側に?」
「側にいて教えて欲しい。『神』や傀儡の気配を。
そして俺が向こうに行かない様に、手を引っ張っていて欲しいんだ」
「それで、いいのか?」
「ああ。マリカや、アル、フェイ。
魔王城の兄弟達やライオ達。大切な者がこちらに在ると思い出せれば、俺は向こうに引っ張られずにすむ。引っ張られたりしない」
強く握りしめられた手に兄貴の決意を感じる。
リオン兄がそう言うのなら、オレは信じるだけだ。
「解った。ガルフにも相談して、できるだけ側にいる。
兄貴がどこかに行こうとしたら、全力で引っ張って止めてやる」
昔、マリカと誓い合った。
リオン兄に置いていかれない様に絶対に着いていくと。
それをもう一度、自分の中に刻み込む。
『神』なんかにリオン兄を渡すもんか。絶対に!
「ああ、頼む。頼りにしている」
「あ、でも、マリカに秘密にしておいていいのか?
マリカの側にいないと、ヤバいってことだろ?」
俺は気になって聞いてみたけれど、リオン兄から帰って来たのは横に振られた頭。
否定の意思だ。
「『神』からの直接介入が無ければ今まで通り、離れていても全然問題ないし、介入があったとしても四六時中側にいなきゃならない訳じゃない。
繋がっていればいいんだ。あいつとの経路が」
「経路?」
「まあ、それはおいおい。当面は今まで通りで大丈夫です。
むしろ知らせる事で色々と問題も生じますから」
濁し、逃げられたのは解っているけれど、オレは今は深追いしないことにした。
他にも聞かなければならないことが多い。
「問題って?」
「マリカが今まで以上に無茶をするかもしれない、ということです。
今回、マリカはリオンを助ける為に、爪に仕込まれた『星の護り』を物理的に剥がしたという話も聞いています」
「! 爪を剥がした?」
「それに、まだアイツには余計な事を気付かせたくないんだ。
俺の正体を知れば、マリカは自分の存在の意味を察してしまうかもしれない。
今はエルフィリーネが必死で気付かれない様に妨害している筈だけれど、一つ何かが繋がればマリカの事だ、連鎖的に思い出す。いや気付く」
大事な存在が在る時、全く自分に躊躇をしないのがマリカだ。
在りうる、と思い青ざめた俺は、冷めた頭でもう一つの事に気付いた。
『マリカの存在の意味』
リオン兄が発した、その言葉が意味するものに。
リオン兄は『神』に創られた『精霊』。
その魂が『星』の作った身体に封じられた者。
ではそれと同種の存在だというマリカは……。
「アル。今は、余計な事は考えないで下さい。
どんなに考えても、今はリオンの正体と違って答えを与えられない事ですから」
『精霊』には自分の意思ではどうにもならない制御がかけられているという。
知るべき者でないモノに、秘密を話してはいけないという。
それからすれば、リオン兄がオレにここまでの秘密を話したのは、かなりギリギリの線である筈だ。
「それともマリカの秘密を知らないと、君は助けができませんか?」
「んな訳ない。オレをなめんな」
フェイ兄の言葉は挑発だと解っていたけれど、オレは速攻否定する。
「前にも言った。
オレにとってはリオン兄が魔王だろうと精霊だろうと関係ない。
オレを地獄から救い上げてくれた。それが全てだ」
「アル」
「よろしい。それでこそ僕らが、全てを明かしてもいいと信じた相棒です」
相棒。
与えられた、ずっと欲しかった称号に、胸が熱くなる。
家族でも仲間でも無い、その一段上の信頼。
それに絶対に応えると心に決めた。
話の終わり。
バルコニーから去ろうとした俺は、空を見上げるリオン兄に気付く。
リオン兄、と問いかけようとして先に声をかけられた。
「アル。覚えているか?」
「覚えているか、って何を?」
「マリカが最初に目覚めた日。
誓い合ったこと。いや、そのずっと前からの約束を」
『この不老不死の世界に。『俺達』なんかいらない、って言った世界に逆襲してやること』
『逆襲、は大げさですけど。せめて子どもが自分の意思で、自分の道を選べる、生きる事ができる世界を取り戻したいって思うんですよ』
捨てられた子どもとして、この世界に逆襲しようと決めた俺達の始まりの約束。
勿論、忘れる筈なんてない。
「あれから色んなことを知って、色んなことを思い出した。
俺はこの不老不死の世界に、それを作り出した『神』に逆襲してやりたいって気持ちは変わらない」
「リオン兄」
リオン兄は闇色の宙に手を翳す。
何かを確かめるように見つめて。
「俺の手は罪で穢れている。
直接人を殺めた事は無くても多分、精霊達を遠慮無く食い潰してきたし、それが理由で間接的に多くの人間が死んだのも知ってる。魔王が死んだ後、魔性達は主を失って知性も無くし暴走。
結果多くの人間が魔性の餌食にもなってる」
「『神』は新しい魔王を作ったり取り戻そうとしたりしなかったのか?」
『無論、取り戻そうと幾度も攻撃を仕掛けて来た。故にエルトゥリアは国を閉ざし外部との接触を絶った。
……新しい魔王は用意出来なかったろう。それほどに『アルフィリーガ』は『神』が己の端末として用意した傑作だった。
性能が大幅に劣る後継を用意するのが手一杯だった筈だ』
「『神』はもしかしたら『俺』を捨てた訳じゃない。お前は必要だっていうのかもしれないけれど、それは結局『俺』を一人の人、存在として見ている訳じゃない。
自分に都合のいい道具が、言う事を聞く従順な『子ども』が欲しいだけだ。
少なくとも『星』は一度たりとも俺に『お前の役割はこうだ。だからこれを為せ』と命じた事は無い。だから、これは、俺が選んだ、俺自身の選択」
自分の拳と共に兄貴は握りしめているようだ。
自分の思いと願いを。
「誰もが、自分の意思で自分の行きたい道を選べる。
生きる事が出来る世界を『星』の名のもと取り戻す。それが……」
「オレ達の夢、だからな」
マリカとライオット皇子が昼間話していた事を覚えているけれど、魔王は、『神』は宙から落ちて来た存在だと言われているという。
だとすれば、リオン兄の居場所、魂の生まれは『宙』なのかもしれない。
でも、
「ほら、帰るぞ。リオン兄。
マリカに早く寝ろって言ったんだから、自分が夜更かしして寝坊なんかしたら笑われるぞ」
「そうだな」
「久しぶりに三人で風呂にでも入りますか?」
約束通り思いっきり手を引っ張ってやる。
リオン兄は『神』にも『宙』にも返さない。
リオン兄の居場所は俺達の所だから。
祭は終わり、また日常が始まる。
でも、俺はこの日の事を、告白を、生涯忘れないだろうと思った。
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