神殿の最奥。秘密の部屋。
そこは『精霊石』の間で各国の『精霊神』に通じる聖地、だと以前マリカに聞いた。
でも、そこは正直、オレには聖地だとは思えなかった。
確かに最奥に、精霊石は浮かんでいるけれど、黒く、鈍く濁り、最芯部に小さな虹の光が宿るのみ。
無理も無い。多分、神殿を包む怨念のここが中心。
数多の命が、ここで失われたのだから。
秘密の隠し部屋には十人前後の人間がいた。
マリカ誘拐。
その犯人と思しき者達。
皇女アンヌティーレと、皇妃キリアトゥーレ。
彼女を護衛する騎士や随員。
その中には
「カマラ? ミーティラ、ミュールズ」
ぼんやりと立ち尽くすマリカの随員達もいた。
加えてアーヴェントルクの神殿長と随従する司祭達。
これがアーヴェントルクの神殿総出の悪事であることは一目瞭然だった。
「お、お兄様こそ一体何をしておいでですの?
ここは『神』と『精霊神』の聖域。
許しを得ない人間が、勝手に入っていい場所ではありませんわ」
「その聖域に、他国の皇女を連れ込み、あからさまな危害を加えておいて、何を言っているんだ!
しかも戦闘能力を持たない幼い子ども。その知識で世界中を巡り、豊かにする役割をもった親善の姫を!!
お前は……! いえ、お前達は世界中をアーヴェントルクの敵にするつもりなのか!」
アーヴェントルクの第一皇子の叱責に彼らは唇を噛み、反論の言葉を見いだせないでいる。
当然だ。
この現場を押さえられた以上、反論の余地は無い。
けれど、明らかに狼狽の色を浮かべながらも、なんとか場を取り繕うとアーヴェントルクの『聖なる乙女』は言の葉を紡ぐ。
「だって……マリカ様がお望みでしたから。
そうです。
マリカ様からのご要望であったのですわ。
アーヴェントルクにおいて、神に忠誠を誓って帰依し、私と姉妹の契りを交す儀式を行うと!
私は、その手助けをしただけですわ!」
「何をこの期に及んで戯言を!」
必死で、無様な言い逃れを皇子は一笑に付し逆に攻め立てる!
「祭壇に皇女を手枷足枷で括りつけ、その生き血を啜っておいてか!
口元に、貴様の浅ましさの証明が残っているぞ!!!」
ハッと、した顔で口元を押さえるアーヴェントルクの『乙女』
オレ達にもはっきり見える程、証拠が残っていたわけではないけれど、その行動こそが逆に皇子の言葉が正しいと告げている。
一方で、リオン兄は皇妃の後ろ、どこか虚ろな眼差しで立ち尽くす女達を『呼ぶ』
「カマラ! ミーティラ! ミュールズ!!」
ぴくん、と彼女達の肩が揺れ、瞳が動いた。
「黙りなさい!」
皇妃が止めるような声を発するけれど、リオン兄がそんなものに従う筈はない。
「彼女達はマリカ皇女の望みを受けて、アーヴェントルクに仕えると自身の意思で決めたのです」
「ふざけるな! その虚ろな眼差しのどこに自分の意思が見えると言う!」
言い訳を封殺し、呼びかける。
「正気に戻れ! マリカの側近にして、腹心であるお前達が、主にマリカに危害を及ぼすつもりなのか!」
皇女の随員。
信頼を受けて選ばれ、託された『貴族』のプライドに語り掛けるリオン兄の声が、届いたのだろうか?
彼女達の虚ろな眼差しに、明らかな力が戻ったのが見えた。
「え?」「私達は、一体……」「! マリカ様は?」
「正気に戻ったか?」
薬でも使われていたか、それとも暗示でもかけられていたのか?
彼女達はそれぞれに自分の手や周囲、状況を見回すと
「皇妃様……」「貴女は、一体我々に何を?」「まさか…菓子に毒を?」
一様に元凶とも言える女を責め立てる眼差しで見つめた。
彼女達の言葉が真実であるのなら、茶会で皇妃に毒を盛られ、マリカは囚われ、随員達も暗示をかけられていた。
というところだろうか?
皇妃は反論を返さない。ただ、静かに目を閉じている。
「……母上。
これだけの者に目撃されているのです。もう皇女誘拐、監禁、傷害の罪を、取り繕う事はできません。
お覚悟を」
「お前は、他国の皇女を守る為に、自国と母と妹を売るつもりなのですか?」
第一皇子の言葉に目を開いた皇妃の表情は、驚くほどに静かであった。
「アーヴェントルクを守る為にこそ!
自らの欲望と、欲求を満たす為に幼子とはいえ、民を喰い物にし聖域を穢し、他国の皇女の意思と力を奪わんとする者を。
アーヴェントルクの『王子』として見過ごすわけには参りません!」
「……そう。やはり、お前は、私の思いなど、解ってはくれないのですね?」
「母上こそ……僕の思いを一度たりとも解って、いや解ろうとして下さったことがありますか?」
「無いわね。お前など、私には必要なかったもの」
多分、第一皇子はこの状況下でも、皇妃を母として立て、敬意をもって接しようとしたのだと、思う。
けれども皇妃が我が子で在る筈の皇子を見つめる瞳は、冷ややかだった。
「……この場にいる者達を全員捕えよ! 皇女も皇妃も神殿長も、例外なくだ」
「はっ!」
皇子は一瞬、瞳に宿した哀し気な想いを振り払うかのように顔を振って、部下たちに命じる。
抵抗らしい抵抗も見せず捕縛されていく配下達。
もうどうしようもない、と彼らは理解しているのだろうか?
それとも…。
「アルケディウスの者達はマリカ皇女を頼む。
枷の鍵は…お前か? ソブリオ?」
「わあ!」
皇子は後ずさる神殿長の腕を掴むと容赦なく捩じりあげた。
懐や服の隠しをまさぐり、見つけた鍵をリオン兄に投げ渡す。
「マリカ!」
「アンヌティーレ!」
「!! 動かないで!」
鍵を受け取ったリオン兄がマリカが括りつけられた祭壇に駆け寄ろうとした、正にその時だった。
祭壇の一番近く、決定的な瞬間をアーヴェントルクの皇女が、皇妃の呼び声に、我に返りマリカの喉笛にナイフを当てたのは!
「何をしている! もう終わりだ。諦めろ!」
「まだ、終わりではありませんわ。間違っているのはお兄様達です。
マリカ様がお目覚めになれば、ご自身の口で神への帰依と、私達への随従をお告げになるでしょう!」
「なんだと? 貴様ら、マリカに何をした?」
「もう洗礼の儀は終わっている。完全に変化が終わり『神』の僕としてマリカ様がお目覚めになるまで、あと少しの筈」
「何!」
『どいて!』
「きゃああ!」
祭壇下、いつの間に潜んでいたものか。
回り込んだ精霊獣は勢いよくジャンプ!
リオン兄が繰り出す拳のように鋭い体当たりに、怯んだ皇女はナイフを取り落す。
そのスキを、勿論見逃す様な兄貴じゃないし、オレ達でもない。
「アル! ナイフを」
「解った!」
同時に駈けだしたオレ達は一気に間合いを詰めて、アンヌティーレ皇女を押さえにかかった。
「何をするのです? 無礼な!」
「ナイフ、取ったぜ! 兄貴!」
「よくやった。主を害した人間に対して無礼も何もない。こちらこそ、皇女への無礼。
しっかりと追及するから、そのつもりでいられよ」
「こっちも捕えました!」
自国の皇女、皇妃には少し遠慮が見えたアーヴェントルクの兵士達と違い、オレ達は躊躇う必要がない。
フェイ兄と、状況を理解したらしいカマラが皇妃を、そしてリオン兄が素早くアンヌティーレ皇女の両手を掴み、一気に捩じりあげた。
「痛い! 止めなさい! たかが騎士貴族の分際で!
『聖なる乙女』たる私への無礼、神罰が下りますよ!」
「『聖なる乙女』の何たるかも知らない、解っていない女に言われる筋合いはない。
下せるものなら下してみろ!」
「な……」
皇女相手に一切、力を緩めない仕草に、兄貴の燃えるような怒りが見える。
けれど、皇妃はむしろ余裕の表情だ。
「止めなさい。アンヌティーレ。
もう時間稼ぎは十分でしょう。もうすぐ、神の僕たる『聖なる乙女』が目覚められる。
そうすれば、逆に神への反逆者として責められることになるのは向こうです」
「……、そうですわね。私の妹。同じ力を持つ『神』の娘。
本人の意思を誰も妨げる事は出来ない筈です」
「明らかな強要だと解っていて、アルケディウスや大神殿が黙っている、とでも?」
皇妃を精霊術で拘束したのはフェイ兄だ。
真っ青な瞳が氷のように冷たく輝いて、オレ達だったら見ているだけで震えが来るけれど本当に、皇妃は動じない。
「一度、身体に溶けた『神石』を取り払うのは人の力では不可能です。
人から不老不死を取り払える大神殿の神官長なら可能かもしれませんが、皇女が神殿に入られることを望む神官長がそれを為す筈はありません。
『真実の聖なる乙女』を復活させ、『神』の軛の元に繋ぐ。
私達のしていることは『神』の御意志に沿うものなのですから」
「マリカが貴女が言う所の『真なる聖なる乙女』として目覚めれば、貴女の大事な娘は用済みになると解って?」
「アンヌティーレは彼女の力を取り込んでいます。
いかに『真実の聖なる乙女』だとしても無碍には出来ぬ筈。
本当は……いえ。どちらにしてももう、結果は決まっているのですから…」
『ああ! ホントだ! 『神』のアレを身体に入れられてる!』
祭壇に飛び上がった灰色の精霊獣、アルケディウスの精霊神がマリカを見つめ、悲鳴じみた声を上げた。
白い精霊獣とリオン兄も、そして駆け寄って来た第一皇子や随員達も、身動き一つしないマリカを見やる。
呼吸は感じられない程にか細く、血の気の引いた顔つきは彫像めいている。
時折、ぴくぴくと痙攣しているのは『変化』の途中、ということだろうか?
「取れないのか? 今までは……」
『休眠状態であれば、強い力で引っ張り出せばなんとかなるけれど、ここまでガッチリ根を張られちゃうと、外から取るのは難しいよ!
命と引き換え前提だ!』
「フェイ? お前は?」
「無理です。精霊神が言う通り、休眠状態の神の欠片ならともかく……」
『中からは、どうだ? アイツがいる筈だろう?』
『それが一番で唯一の手段だと思うんだけど、ここまで来ても、反応なし!』
『封印されている上に、精霊石がこの状態じゃ、無理も無いが……。
封印を解除する為にはマリカが必要で、マリカを救う為にはアイツの力がいる。どうしようもないぞこれは……』
意味はまったくわからないけれど、状況が切迫しているのだけは理解できる。
『あー! もう、バカナハト!!!
いい加減に引きこもり止めて出て来い!! 僕の力を貸してあげるから!!』
皆が、固唾を飲んで見守る中、灰色の精霊獣がマリカの胸元に飛び乗り、その頭を埋めた。
キラキラと碧色の光が周囲に散って、マリカの身体に吸い込まれていく。
多分、そんなには長くない時間だ。
光の放出と、吸収が終わったと感じたと同時。
「うっ! あああっ!!」
マリカが突然声を上げた。身体に血の気と生気が戻っていく。
と同時、体内にとてつもない力が凝縮されていくのが『見えた』
「危ない! 下がって!!!」
それだけ言うのが精一杯だった。
後ろに飛びのいた者、床に伏せた者、そのまま立ち尽くした者。
様々だったが、全員に共通したのは隠し部屋全体を、視界全体を純白に染めるかのような光の奔流を感じた事。
そして……オレ達は見た。
『バカとはなんだ。まったく。何百年経ってもお前は先達への礼儀を弁えん。
まあ、今回は怒れんがな……』
祭壇の上に半身を起こし、愛し気に胸の中の獣を撫でるマリカ(?)の姿を。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!