貴族であるザーフトラク様に送られて店に戻ってきた私は、当然ながら皆に心配をかけた。
「マリカ…。一体何が?」
「店主。少し話がある。時間を貰えるか?」
私の後ろに立ち、気遣う眼差しでそう告げたザーフトラク様の様子に気付いたのだろう。
「解りました」
先ぶれに驚いて出迎えてくれたガルフはリードさんだけを連れて、応接室の準備をしてくれた。
「マリカ。私から話しても良いか?」
「おねがいします。ザーフトラク様。補足説明は、私が致しますので」
正直、頭の中がいろいろごちゃごちゃなので、ザーフトラク様のお気遣いは助かる。
静かに頷いたザーフトラク様は
「先ほど、第一皇子妃様の立ち合いの元で会談が行われた。
業務連絡などについては後ほどマリカから聞くがいい。
私が語るのは捨て子であったマリカの拾い主にして保護者を名乗るタシュケント伯爵家の言い分だ」
「捨て子? でございますか?」
「ああ、彼らはマリカを、十年前、自分達が拾った孤児であると語った。証拠もあるそうだ」
そう言うとザーフトラク様は私に変わってタシュケント伯爵家の家令、フリントが語った話を丁寧にしてくれたのだ。
「な、なんと…」
証拠として示された上布のおくるみのこと。
拾われた赤ん坊が持っていたとされる宝の事。
偽りの母親と、私が戻った時の条件まで包み隠さず。
言葉を無くすガルフとリードさんに、第三者の冷静な視点で語ったザーフトラク様はその後、
「事情を全く知らぬ私に、真偽の判断は付けられぬ。
だが、彼らには自信があるようだったな。マリカを我が物とする。できる。
そんな確信が見て取れた」
私達の思いを伺い慮るように優しく、でもザーフトラク様もはっきりとした確信を持った目で告げたのだ。
「店主、マリカ。
フリント殿の語った言葉に、どうやら心当たりがあるようだな?」
「…ザーフトラク様」
「私に語ってみる気はないか? 少なくとも第一皇子妃様や、タシュケント伯爵家の攻勢から、多少は盾になってやれるやもしれぬ」
ありがたい言葉ではある。信用もできると思う。
けれど、この方は国に、皇王陛下に仕える貴族だ。
どこまで『真実』を語ることができるだろうか?
「なんだ?」
伺うような、いや真実伺う眼差しでガルフはザーフトラク様を見つめる。
「ザーフトラク様は、マリカの保護者を名乗り出で下さったと、以前聞き及びました。
ありがたくも勿体ない話でございますが、そのお言葉、行動、どこまで信じて良いモノでしょうか?」
「どこまで、と申すのは?」
「我ら、ゲシュマック商会の秘。
マリカの過去とその秘事を、皇王陛下を含む他者に語るか、それとも胸に秘めて頂けるかにございます」
「…なるほど、な」
この時点で、私の過去に秘密がある、と言っているようなものであるけれど、それくらいはザーフトラク様ももう理解している筈だ。
問題はそこからさらに踏み込んでも、私達の力になって下さるのだろうか?ということ。
貴族として、主の益にならない事であったとしても。
「タシュケント伯爵家と話については、第一皇子妃立ち合いの元、という公式の場で行われたことだ。報告は行う。だが、ここで見聞きした事に関しては許可が出るまで語らぬと誓おう」
心臓の上に手を握る姿勢は誠実に話を聞く、という誓いと想いの現れ。
ザーフトラク様の誠実に頷き、ガルフは決めたようだった。
「解りました。では、お話いたします」
ザーフトラク様に
「マリカは、第三皇子よりお預かりした隠し子にございます」
「何!」
一足早く、貴族向けの設定を公開する事を。
本当の意味での真実、魔王の転生や、勇者の転生ということをまだザーフトラク様には語れない。
信頼するに値する方だ、とは思うけれども貴族としての立場も重いこの国の重鎮の一人。
全てを捨てても私達に味方すると言って下さった第三皇子夫妻や、お二人に絶対の忠誠を誓うヴィクス様達とはまだ同じ信頼を贈ることはできない。
申し訳ないとは思うけれど。
でも、もう準備は始まっている、第三皇子の養女になる計画。
その設定を伝える事は問題ないとガルフは判断したのだろう。
軽くではあるが、第三皇子側との設定の打ち合わせ、すり合わせも始まっている。
だから、私もリードさんも、それに話を合わせることにした。
『マリカは、第三皇子が外で不老不死を得ていなかった女との間に生まれた子』
『女を側室に、娘も我が子として迎え入れる予定であったが、女が身分違いを苦に姿を消した為、長く消息が知れなかった』
『娘がタシュケント伯爵家に囚われていたことを知り、手の者を使って救出、ガルフに預けた。
妻であるティラトリーツェ様の説得と、誰にも文句を言わせない知識や教養を付けさせるまで周囲は勿論、本人にも秘密にしていた』
今回のタシュケント伯爵家のことを含めた背景は、変更点ではあるけれど、基本設定はそんなところだ。
これを、次の大祭の宴会で匂わせ、皇王陛下にも知らせて新年に合わせて神殿に正式登録、養女とし披露目するという予定だった。
少し前倒しになるけれど、ザーフトラク様にはこれをお知らせする。
「ガルフ様…、それは…」
因みに私は知らなかったフリ。今、初めて聞いた、と演技。
ガルフの店と第三皇子の関係が深い事は周知の事実だから、納得はして貰いやすい筈だ。
「ライオット皇子も、ティラトリーツェ様もご存知だ。
ティラトリーツェ様は、特に全てを飲み込んだ上でお前を慈しみ、育てて下さっている。
感謝するがいい」
「はい」
俯き、震える(演技をする)私に言い聞かせてから、ガルフはザーフトラク様に向かい合った。
「このような特殊な事情でございます故、第三皇子から正式な告知が為されますまではどうか、このことはお心に秘めて頂ければと存じます」
「なるほどな。そうであれば色々と得心がいく。
マリカの普通ではありえぬ程の教育と利発さも、な…」
おっしゃるとおり、設定を納得して下ったのだろう。頷いたザーフトラク様は、スッと流れるように私に跪いた。
「ザーフトラク様!」
「主家の姫君に長らくのご無礼、お許しを。そして、願わくばこれからも、改めての忠誠と誓いをお許し頂きたく。…マリカ様」
「お顔を上げて下さい。ザーフトラク様。
私、正直、頭の中に入ってきた情報量が多すぎて、パニックなのです。いつも通りに接して頂けると…それでも勿体ない程ですが助かります」
「そうか、其方がそう言うのであれば、そうさせてもらおう」
笑いながら立ち上がったザーフトラク様の眼差しは、穏やかで優しい。、
チクリ、胸が痛むような音を立てる。
タシュケント伯爵家の態度が子どもに対する普通のそれ、だとするのならありえない程の優しさと誠実で接して下さっているザーフトラク様を、騙しているのだから。
(ごめんなさい。ごめんなさい)
胸の中で、繰り返し、繰り返し謝り俯く私の思いを知る由もなく、頭を優しくぽんぽんと撫でて下さった後、
「だが、そういう事情であれば、これ以上の邪推をさせぬ為にも、早めに公開してしまった方が良いのではないか?」
「決定権は私共にはありませぬ故、第三皇子のお戻りを待ってのこととなりますが、ザーフトラク様から賜った忠告と情報は第三皇子にお伝えいたします。
第三皇子はティラトリーツェ様のお子の誕生、お披露目と合わせ、マリカを我が子として公開する心づもりであったようですが…」
「なるほど。それは確かに良いタイミングだ」
今年の冬に五百年ぶりに新しい皇族が加わる。
産まれれてくる子が男児であっても女児であっても皇位継承に直接かかわりは無いが、それでも大きな慶事として国中がお祭り騒ぎになるだろう。
それに合わせて、養子として迎え入れる事で過度の注目を減らすことができるだろうとザーフトラク様は頷いて見せる。
「ただ市井の子どもをいきなり皇族に、というのでは反感や混乱も沸くだろうが、ここまで実績を重ねて来たゲシュマック商会の娘、というのであれば実際の隠し子という真偽を置いても、国や大貴族が実力を買って養女に、と声を上げる事に不信はないしな」
タシュケント伯爵家は強欲に過ぎたが。
ざまあみろ、と言わんばかりのザーフトラク様の口調に、ガルフも小さく笑み同意した。
「はい。ですので、ザーフトラク様には、今少し、ここでの会話を胸に秘めて頂ければ、と。
皇子が戻り次第、今回の件を報告すれば、おそらく予定を少し早められ、今回の会議と宴で、発表。
新年に赤子の登録と合わせて、マリカの養子登録となるのではないかと思います故」
「解った。皇王陛下、皇王妃様への報告はタシュケント伯爵家の言い分までに留めるとしよう。
ただ伯爵家が会議や茶会で、マリカは逃げ出した使用人だと言い出すよりも早く、噂は流しておいた方が良いかもしれないな」
「前々から、少しずつ動き始めているのですが、そこは皇子や皇子妃様と相談の上で」
「確かに。指示を仰いでからの方が良かろうな…マリカ様、いや…マリカ」
「はい、ザーフトラク様」
私は静かに頭を下げる。
本来なら主家の娘として対峙するべきなのかもしれないけれど『マリカ』は今、出生の秘密を知ったばかりでまだ切り替えられない。…という設定だ。
けれどそんな設定に合わせた私の態度など知る由もなく
「今後、其方の周囲は騒がしくなるだろう。
環境の急変に戸惑う事もあろうし、悪意に今まで以上に晒される事も多いかもしれぬ。
王宮や貴族社会は其方が思う以上に魔境であるしな…。
だが、其方を支え守る味方は多い。それは其方がこの一年の中で努力と共に勝ち取ってきたものだ」
「勿体ない、お言葉です…」
ザーフトラク様が下さった言葉を、私はお辞儀したまま受け止める。
この世界の貴族からの、誠実な褒め言葉は嬉しく、誇らしくもあるが少し後ろめたい。
私は今、この瞬間もこの方を騙しているのだから。
内心で自嘲するように息を吐きながらも、私は顔を上げた。
微かに潤む目元を、申し訳なさそうな表情を、ザーフトラク様が、どうとっているかは解らない。
「躊躇わず、胸を張れ。
前を見て進むがいい。
私は其方が、どのような立場になろうともかつての誓いをたがえることなく、その力になろう」
これは、自分が決めたコトだから、受けれいなければいけない。罪悪感と共に。
躊躇わず演技をし続けると。
私は深く、心からの思いで頭を下げた。
「ありがとうございます。ザーフトラク様。
これからも、どうぞよろしくお願いします」
全ては解決した、と、晴れやかな笑顔でザーフトラク様は城に戻って行かれた。
でも、正直な所、タシュケント伯爵家から投げかけられた謎と問題は何も解決していない。
「ガルフ、ありがとう。上手く繋いでくれて。
さっきの設定が上手く働けば、タシュケント伯爵家にも上手く圧力がかけられると思う」
「それはいいのですが…そうしてしまった場合、全ての手がかりは『皇子の子』という事実にかき消され、詳しく調べる事ができなくなるのでは?」
「うん…そうだね」
心が重い所でもある。
私は捨て子だったようだ。
高価な布に包まれ、特別な品を添えられてはいたけれど。
捨てられた理由、持っていた高価な品を『皇子の隠し子』という理由で上書きしてしまえば、誰もが納得するだろうけれど、本当の親は誰か。高価な品の出所はどこか。
ガルフの言う通り、調べる事は難しくなる。
「私が、どこの誰なのか。
この世界の生みの親、家族はどこにいるのか。そして、一緒に持たされてたという宝物は何で、どういう意味を持っているのか」
「調べてみますか? 精霊上布の流通をシュライフェ商会に確認してみる、とか?」
私の呟きを聞きつけて、ガルフが心配そうに声をかけてくれたけれど、私は首を横に振る。
「ううん。いいよ。
だって皇子の隠し子だってことにするのなら、そんな探りをかけるのは危険だもの。
皇子とティラトリーツェ様にはお知らせして、話を合わせて頂かないといけないけれど」
気にならない、と言ったら嘘になる。
この世界の私のルーツはやっぱり知りたいと思う私がいる。
でも、それを理由に足を止める事はできないのだ。
私には、子ども達を守るという役割と、この世界に逆襲するという約束がある。
産みの親より大切な家族がいる。
私にとって、何よりも大切なそれは、絶対に、何があっても守ると決めているのだから。
大祭まであと数日。
私の想像を超えて、事態はどんどん大きくなっていく。
まるで転がる雪玉のように。
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