オレが、その場に居合わせたのは、偶然、だったと思う。
「アル!」
アーヴェントルクの街で、契約を終えてのんびり商業視察、という名で観光していたいたオレは
「リオン兄! どうしたんだ一体?」
「丁度いいところに! 来てくれ! 頼む!」
「わっ! 何だよ急に」
「説明は後だ! 早く!! ヴァル、ハンス。
アルは連れて行く。お前らは宿舎に戻って随員達と一緒にいろ!」
「隊長?」
護衛の部下の問いかけに返事はせず、オレを黒馬に無理やり、ひっぱりあげたリオン兄はそのまま馬に蹴りを入れた。
瞬く間にオレはたてがみにしがみつき、疾走する羽目になる。
さらにその先には栗毛の馬、他にも数人が従っているようで………。
「どうしたんだよ? 一体?」
「マリカが従者達ごと皇妃に攫われた。今、どこに連れていかれたか探してるんだ。
力を貸してくれ!」
「はあ? マリカが誘拐? しかも犯人は皇妃? どういうことだよ?」
「俺達だって知るもんか? 国交や対面、そういうものを一切無視した女の思惑なんか…」
リオン兄を問い詰めたおれは返った返事に喫驚する。
実際、在りえない話だ。
マリカは、そしてオレ達はアルケディウスの名を背負ってやってきた使節団。
それに危害を加えるということは、アルケディウスの顔に泥を打ったに等しい。
一時、脅迫などで情報を手に入れられることができたとしても、永続的にマリカをこの国に留めおく事ができる理由が何かが無ければ、後ろ指を指されることになるのはアーヴェントルクだ。
そんなこと、子どもでさえ解る事なのに。
「フェイ兄は?」
「精霊獣を探して貰っている。館にもどこにも見つからなかったんだが、彼等なら何か知っているかもしれないし、気付いているかもしれない」
そういえば、と思い返す。
ここ暫く精霊獣をまったく見てなかった。
「とにかく、今、マリカを連れ去ったであろう皇妃の行方を、アーヴェントルクの者達も含めて、全力で追っている。
何か気付いたらすぐに教えてくれ」
「解った」
街中を全力で駆け抜ける騎士達を人々は何が起きたのかと不安そうな顔で見ている。
これだけの騒動になったらもみ消しも難しいだろう。
本当に何を考えてこんな馬鹿な真似を実行に移したのだろうか?
「母上の馬車だ! やはり母上はここにいる!」
アーヴェントルクの神殿前。
飛び降りるように馬から降りた第一皇子が正門へと駆け寄った。
その後をリオン兄、オレ。他の騎士達も全速力で追う。
「開けろ! ここに母上がいる筈だ。火急の用件に付き面会を申し込む!」
「それは、できません。神殿長と『聖なる乙女』よりこれから大事な儀式がある。
終わるまで誰も中に入れるな、とご命令が下っているのです」
詰め寄る皇子に門番達は首を振るけれど。
「そんなことを言っている場合か! アーヴェントルク存亡の危機なのだ!
……やれ!」
「な、なにを!」「皇子? 神殿の命令に逆らうおつもりですか?」
皇子の命令に部下たちは一瞬も躊躇することなく、彼等を捕え縛り上げる。
「言え。母上は、神殿に荷物を持ち込んでいるな?」
門番の首元に剣を当てる皇子。
不老不死者にとっては威嚇でしかないけれど、皇子や周囲のただならぬ気配に門番は怯み答えた。
「は、はい。大きな木の箱を。儀式に使用する大事な供物だと…」
「供物……、だと?」
リオン兄が歯噛みしたのが解った。
状況は解らないけれど、それがおそらく神殿に連れ込まれたマリカなのだろう。
「儀式は、どこでやっている!」
「ぞ、存じません。本当に! 表の祭壇では無い事は確かでございますが…」
「くそっ!」
門番を蹴り飛ばし、皇子は中に踏み込んでいく。
その後に、リオン兄もオレ達も続いた。
「どこだ? 人目に付くところではないのは、確かだろうが……」
「解らないのか?」
「神殿になど、僕は滅多に入ったことがない! 構造も殆んど何も解らない。
お前達、誰かそこら辺の司祭を締め上げて!」
焦る皇子とリオン兄の会話を聞きながら、オレはできるだけ深く、大きく呼吸をして「切り替えた」。
視界が淡い虹を帯びる。
物の存在を形では無く、力で見るオレの『能力』で見て、感じる。
この神殿の『力』を。
純白の大理石で磨き上げられた、豪奢な神殿が、一気に漆黒に色を変えた。
「うぐっ…」
とその途端、吐き気がこみ上げる。
とっさに手で押さえなければ、オレは吐き出していたと思う。
「どうした? アル」
「兄貴……この神殿、ヤバイ……。
とんでもない瘴気と、呪いと……怨念が……神殿全体に絡みついてる……」
「呪いと……怨念? この不老不死世界で……そんなものが?」
「一つや、二つじゃない。感じられるだけで百とか、二百とか…もっと?
大人じゃない……多分、子どもの怨念が、そこかしこから……聞こえて来る」
タスケテ、タスケテ……。
オレが気付いたことを感じ取ったのだろう。
無数の黒い影がオレに縋りついて来る。
リオン兄は、一度瞬きすると目を見開き、顔色を蒼白に染めた。
「な、なんだこいつら! アルから離れろ!」
「何をしてるんだ? お前達、この非常時に!」
しゃがみ込むオレと、黒い影を払ってくれるリオン兄に、皇子や周囲の騎士たちは訳が分からない、という顔をしている。
多分、彼等には見えないのだ。
この神殿に蠢く無数の怨念が。
「リオン! アル!!」
オレ達の名を呼ぶ声と燃え盛る炎。
炎は、どうやら他の連中にも見えたようだ。
激しく見える割に、熱くも痛くも無い炎は、黒い怨念達だけを焼き、消し去っていく。
「フェイ!」
『何をしている。貴様達は! 何故ここにやってきた?』
「? 獣がしゃべった?」
飛び込んできたのはフェイと二匹の精霊獣。
いや、精霊神だ。
慄くアーヴェントルクの者達を無視して、リオン兄は精霊獣に詰め寄った。
「それは、こちらが聞きたい話だ。
マリカが皇妃と聖なる乙女の罠に填まり、神殿に連れ込まれたらしい。
俺達はそれを探しに来たんだ!」
『え? マリカが!』
『あのバカ! あれほど神殿に近付くなと言っておいたのに!』
「精霊神、今回の件はマリカのせいではありません。
いえ、油断して捕えられた咎はあるとしても。
それより、マリカがどこにいるか解りませんか?」
フェイ兄の言葉に精霊獣は白い獣の姿でもはっきり解るように頭を振った。
『解らぬ! お前らも気付いた通り、この神殿全体に帯びたたしい数の怨念が蠢いているのだ。
我々の感知能力も働かぬ!』
『ここまで近づいてもアーヴェントルクの『精霊神』は姿も形も見えないし、声も聞こえないんだよ!
もう何をしてるんだ! あの人は!! 引きこもりにもほどがあるだろう!』
『これだけの怨念に絡みつかれては是非も無い。
下手に出てくれば闇に犯され『神』の思うつぼだ』
「一体、何を話しているんだ? アルケディウス。
状況がまったく見えない。知っている事があるのなら、教えてくれ!」
完全に置いて行かれた様子のアーヴェントルクの皇子、騎士達がこちらを見る。
『フェイ』
「解りました」
黒い短耳ウサギの声、いや命令に頷いたフェイ兄は小さく呪文を詠唱、杖を掲げて見せた。
と、同時。
「うわあっ!」「な、なんだ? この黒いものは」
彼等は悲鳴じみた声を上げて後ずさる。
「この神殿に憑く怨念を視覚化しました。
……アーヴェントルクは神殿で、一体何をなさっておいでなのですか?
不老不死世。人の死なない世界でこれほどまでに『死者』の『怨念』を受けておられるなんて」
「死者の…怨念?」
アーヴェントルクの皇子がごくりと、唾を呑み込んだのが解った。
「ヴァン・ヴィレーナ……アンヌティーレの仕業だろうけれど……。
噂には聞いていたが……まさか、ここまで?」
以前、アーヴェントルクの皇女、アンヌティーレは人の命、気力を奪い吸い取ると聞いたことがある。
まるで魔性だと、その時思ったけれど。
今の話の流れからして、本当に人の命を吸い取って死にまで至らしめているのか?
フェイ兄が言った通り、不老不死の世の中。
死に至らしめているとしたら、それは……。
「とにかくアンヌティーレと母上だ!
探せ! マリカ皇女もそこにいる! 机の下、椅子の下、床の絨毯をはがしても見つけ出せ!!」
騎士達が駆け出して行く。
多分、もうすぐ見つかるだろう。
でもこうしている間にも、マリカは……。
「?」
ふと、オレはそれを感じた。
小さな小さな、下手したら言葉では発せられていないような。
でも確かに聞こえた誰かの…声。
「マリカ?」
リオン兄も同じものを感じ取ったのだろう。
ハッと顔を上げて周囲を見回す。
怨念の流れが一番強い場所。
大聖堂の作りはアルケディウスとは色々な所で趣が違うが、似た印象はある、
神像やシンボルが無いのはどこも同じ。
そして、最奥にかけられた紫紺のビロード布…。
「皇子! アーヴェントルクの精霊石の間はどちらにあるか解るか?」
「それなら、多分、正面のカーテンの……! まさか!!」
「あそこは隠し部屋になっているのでは?」
「なってはいる。
一度だけ見た事があるし、入った事も、
だが、まさか、聖域でそんなことを……?」
話す間も二人は動きを止めることなく、大聖堂の奥に走り、カーテンを開いた。
オレは見るのが初めて、だけれどもそこには噂に聞く通り。
隠し部屋への入り口があった。
でも……
「扉? こんなもの、ここに在ったのか?」
「鍵がかかっている? 動かないぞ!」
紫色のつるんとした材質。
鉄でも、銅でもないような不思議な扉が、固く入り口を閉ざしている。
『……生体認証だ。多分、この国の『七精霊の子』なら開く筈』
「皇子!」
「解った!」
獣の正体についての疑問や、思いを今は、口にすることなく第一皇子は扉に手をかざす。
スッと、音も無く扉は開き、オレ達の前に暗い通路が口を開けた。
「行くぞ!」
全力で駆け抜けた俺達の前に、もう一つ扉が現れたけれど、それは普通の鉄扉で、大きな抵抗も無く開いた。
抵抗が、敵が待っていたのはその先。
「お兄様! どうしてここに?」
「アンヌティーレ……」
紫紺の光を宿す巨大精霊石の前に、オレたちが探していたマリカが……いた。
祭壇に、生贄のように括りつけられ、額から真っ赤な血を滴らせて……。
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