食事も終わり、給仕も終わり。
一使用人がいつまでもここにいるのは無礼かもと解っているけれど、足が動かなかった。
他の人達も同じ。
声も出ない。
ティラトリーツェ様、この国の第三皇子妃を連れて帰る、と言ったのだ。
この南の国の若い王様は。
「ライオットからは再考を求められ、ティラトリーツェからは拒否されましたが、私の考えは変わりません。
皇王陛下から二人にご命令を頂きたく、お願いいたします」
「理由を、お聞かせ頂けますかな? ベフェルディルング殿」
「言わねば解りませんか? シュヴェールヴァッフェ王」
父と子、どころか祖父と孫ほどに外見の差を持つ二人。
けれども彼らは対等の存在。
この世界の二人の王として、まったく悠然と立つ。
「妹とその子を守る為。
少しでも安全に、確実に今度こそ子を産ませる為です」
「あ…」
兄王から発せられた言葉に、皇王陛下、皇王妃様も反論を紡ぐことはできない。
『今度こそ』
その言葉にどんな思いが込められてるかが、簡単に理解できるからだ。
「ティラトリーツェが、ライオット皇子に嫁ぐとなった時、プラーミァで反対の声は少なくありませんでした。
皇子の人格を疑う者は、勿論誰もいません。
敬愛する叔母上の唯一の忘れ形見、世界有数の戦士にして伝説の勇士。
私も従兄として妹の選択が間違いでは無い事を、重々承知しています。
ただ、優れた夫の妻になることと、妹が幸せになれるかは別の話。現に妹は嫁いだこの地で苦しみ、命を賭けてもと望んだ我が子を失う事となった。
それも、兄嫁の手によって…」
皇王陛下も、皇王妃様も、ライオット皇子も口を挟めない。
話を聞くしかない。
怒りや感情を叩きつけたものでは無い、静かな語り口調は、一国を背負う王として感情をコントロールしていると理解できると同時に、その内に秘めた思いもはっきりと私達に伝える。
妹への深い愛情。
そして理不尽に命失われた身内への憐れみ。
「懐妊も流産も多くの者に伝えられた訳ではありませんが、それ故に身内は皆、怒りに震えました。
アルケディウスに攻め入り、思い知らせようという声さえあったのです。
為されなかったのはティラトリーツェがそれを望まなかったから。
そして母がティラトリーツェの思いを尊重したから。
夫に最後まで寄り添うと決めて嫁いだティラトリーツェの思いに横槍を入れるな、と。
プラーミァが、アルケディウスに抗議も申し入れも一切行わなかったのは、ティラトリーツェを慮ってのことだと御理解頂きたい。
決して、第一皇子妃の無礼を許した訳でも認めた訳でも無かったのだということも…」
王様は自分の言葉や思いを、再確認するように一度目を閉じそしてまた見開いた。
「五百年の間、不老不死と引き換えに子どもが生まれる事は奇跡にも等しい確率となりました。
それぞれの事情によるでしょうが、プラーミァでも王宮で貴族、大貴族に子が宿り生まれた記録はここ数百年0。
国全てを調べても多分、年、百人を超えて子が生まれる事は無いようです。
事前に流されることも無論、多いのでしょうが。
子を望むティラトリーツェに、二人目が宿ったのは正しく神の祝福、精霊が与えたもうた奇跡、三度目は、おそらくありますまい」
ちゃんと現状を調べ、データを集め、状況を判断する。
この人はしっかりとした帝王教育を受けた優れた国王だと、私は話を聞いて思った。
外見や破天荒に見える行動に騙され甘く見れば、手酷い返しを受ける事になるだろう。
私は彼の思いの意図も、提案の正当性も理解できる。
「故に、ティラトリーツェをプラーミァにお返し頂きたい。
別に永劫、という訳ではありません。妊娠、出産までの間だけのことです。
勿論、産後、母子の様子が落ちつけば帰国させましょう。
必要な人員、ライオットの入国も許可します。
プラーミァでも王族、貴族の出産は不老不死以降殆どありませんが、我々兄妹を取り上げた産婆がまだ健在ですし、母もいます。
誰も傷つける者のない、安全な場所で、今度こそ出産を成功させたい。我々の望みはただそれだけです」
「ティラトリーツェ様の、お気持ちはどうなんですか!」
「マリカ!?」
ただ、理解できるのと、納得できるかどうかは別!
私は気が付けば、そう声を上げて兄王陛下を睨み付けていた。
この皇王陛下と皇王妃様の主催する宴席で、一番最下位は間違いなく私だ。
他の給仕やお付きの方だって、多分準貴族の地位持ち。
許可無く発言するなんて、無礼にも程があると解っている。
でも…
「娘。今、なんと申した? プラーミァ国王である私に向かって」
私の方をぎろり、と音がするような目で兄王様が睨む。
今までの皇王陛下との交渉では見られなかった、素の感情が浮かぶ。
ああ、そうか。
解らないけど、なんとなく解った。
なら、引かない。
「…ティラトリーツェ様のお気持ちを聞いて、汲んであげて下さい、と申しました。
気を遣うな、というお言葉に甘えましての無礼、どうかお許し下さい」
そういう問題じゃない、とライオット皇子が頭を抱えて苦笑いしているのが見えた。
でも瞳は楽し気に揺れている。
いろいろ言いたい事はあっても、従兄であり義兄であり、他国の王様だ。
ライオット皇子からは立場上、言えないのかも。
言ってやれと言わんばかりに、目が笑っている。
一方、ティラトリーツェ様も、家長でもある兄の言う事には大きく逆らえないのだろう。
話し前に怒られて以来、黙って俯いていたけれど、次第に目にいつもの力が戻って来ているように見えた。
「小生意気なフィーヤめ。
事情を知らぬモノは黙っていろ。
妹の意思を汲んだ結果が、最初の子の流産だ。
故に、今回は意思など聞かぬ。何が何でも子と妹を守ると決めている」
「お気持ちは解りますが、それが本当にお子を守ることになるんですか!
お母さんの不安や、辛い思いはお腹のお子に伝わって悪影響を齎します!」
「悪影響とは何だ! 私の行動が悪影響だとでも!」
「お母さんを無理に連れ出し、嫌な思いをさせるのは長旅と合わせて間違いのない悪影響です!」
「妹の身を兄が案じて何が悪い!
一番、安全な場所で、己の力の及ぶ、守れる場所で、妹とその子を守るのが、兄と一族の長としての務めだ!」
朱い太陽のような強い意思と想いが籠った眼差しを、私は全力で睨み返す。
自分の倍近い身長差の相手に、せめて思いだけでも負けないように。
「子を産みたい、一番安全な場所、を決めるのはティラトリーツェ様であるべきです。
アルケディウスでの安全な出産の為に、手を尽くして来たし、準備も整えています。
最初の時とは違う。今はティラトリーツェ様には味方がたくさんいて、守ってくれる人もたくさんいるんです!」
私もいる、とは大きな顔では言えないけれど。
「お子を産むのも、出産の苦しみに耐えるのもティラトリーツェ様です。
どこであれ、ティラトリーツェ様が、安心出来る場所、一番に子を見せたい人がいる場所で出産されれば良い、と私は思います。
だから、ティラトリーツェ様に聞いてあげて下さい。
そして、お気持ちを汲んで差し上げて下さい!」
別に、里帰り出産に反対している訳じゃない。
向こうでだって実家に戻って出産なんて普通にあったことだ。
でもティラトリーツェ様は
「その話は断った」
と言った。
プラーミァに行くというのならついて行ってもいい。
ただティラトリーツェ様が、アルケディウスで、第一皇子の側で、赤ちゃんを産みたいと望むのなら、私はそれを助ける。
全力で。それだけ。
子どもじみた意地の張り合い、睨み合いを不思議な事に皇王陛下も、皇王妃様も止めなかった。
皇王陛下の側に付いていたザーフトラク様は、頭を抱え、皇王妃様の給仕を担当していたカルネさんは笑っていたっぽいけれど。
真剣勝負の私は気付いてなかったし。
兄王様も、今思うと、王様モードが完全に切れてかなり素が出ていたように思う。
子猫とライオンの取っ組み合い。
ライオンが本気になればあっさり勝負はついていたと思うけれど、本気で唸りながらもこの王様は、爪を出して、私の喉元を切り裂くような事はなさらなかった。
「ふうっ」
先に根を上げた、というか、引いて下さったのは兄王様の方だ。
「ティラトリーツェ!」
「は、はい」
「この無礼なフィーヤはこう言っているが、お前の意見はどうなのだ。皇王陛下と皇王妃様と、俺の前で本心を言え」
私から視線を逸らし、ティラトリーツェ様に兄王様は矛先を向けた。
どこか吐き捨てるような口調ではあったけれども、その声音は決して怒りを孕んではいない…と思う。
優しい、兄の思いやりと問いを真っ直ぐ受け止め、ティラトリーツェ様は、応える。
「私は、アルケディウスで子を産みます。…不安はありますが、この子はアルケディウスの皇子の子。私は皇子妃です。
皇子や、義父様、義母様、それに…。
500年を過ごした地で、家族の元で子を産み、一番に我が子を、皇子に、夫に抱いて貰いたいのです」
照れたように眉間を掻きながら、でも、心底嬉しそうな、安堵の表情で皇子は頷いている。
「プラーミァはもはや故郷ではなく、我らも家族ではない、と申すか?」
どこか寂しげな兄に妹はいいえ、と頭を振ってその手を握った。
「遠く離れていても、私達は家族です。
プラーミァで得た自信と信頼。揺ぎ無い安心があるからこそ、私は遠く離れたこの地で、真っ直ぐに立てるのですから」
「そうか…」
妹の眼差しから顔を背け、ゆっくりと手を振りほどいた兄王様は
「皇王陛下、皇王妃様」
上座のお二人の前に深々と頭を下げた。
「先の要請は撤回いたします。
せっかくのアルケディウスの持て成しをぶち壊すようなご無礼をどうかお許し下さい。
この非礼は後ほど必ずやお詫びを。
そして、改めて妹、ティラトリーツェをよろしくお願いいたします」
真摯な謝罪をお二人は静かに受け止める。
「いや、ベフェルディルング殿。
兄として妹を思う、貴公の思いは当然のこと。
むしろ孫を守ることができなかった我らに全面的な非がある。
大事な姫君を賜りながら傷つけた事、これを機に、深くお詫びする」
「ティラトリーツェと、プラーミァへ悲しみに謝罪を。
償いにはなりませんが、今度こそ必ずティラトリーツェの子は彼女が望む形で産ませるとお約束いたします」
「二方に、そう言って頂けるなら安心できます。
プラーミァは遠い。何かあった時に駆けつけてやることも支えてやることも私達にはできぬのです。
…ティラトリーツェ」
肩を上げて微笑むと兄王様はティラトリーツェを見つめた。
「お前も、プラーミァの女。
解っているな」
「はい。己以外に敗北するな。敗北は次の勝利で濯げ、と。
二度と我が子を失うような敗北は致しません。必ずや子を守り、勝利して見せますわ」
「ならいい。…ライオット。ティラトリーツェと子を頼んだぞ」
「必ずや。義兄上」
妻を守るように寄り添い、義兄に誓うライオット皇子。
その眩しい姿に、私はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
その後、何があったのかは私とカルネさんは会場を出されたからよく解らないのだけれど、後から聞いた話では、穏やかな家族の雑談から、互いの国の近況。
果ては兄王様が今日出された食事に興味を示し、プラーミァから砂糖や胡椒の輸出を増やす代わりにレシピを教えて欲しい、なんて話にまでなったようだ。
明日、帰国は変わらないけれど、商売の話をしたいから私とガルフを午前中に呼んで貰えないか、と伝言を受けた。
とザーフトラク様が教えてくれた。
勿論、ザーフトラク様には
「其方の無謀には慣れているが、できれば二度としてくれるなよ。
プラーミァ王でなかったら、その場で切り殺されていても不思議はないぞ。
其方は子どもで、不老不死を持たぬのだからな」
と怒られた。
まったく反論の余地はない。
今、思い出すと背中にぞわっと、寒気が来る。
でも…。
私はあの時、合った兄王様の目線。
燃えるような紅い目に籠った思いを、忘れる事はできないと思ったのだ。
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