向こうの世界の伝説に、トロイの木馬、というのがある。
元は確かギリシャ神話。
戦争の最中、籠城中のトロイアに敵方から送られたのは美しい木馬。
あまりの見事さに城門の中に入れられたそれは、敵の罠で、中に潜りこんでいた兵士によってトロイアは滅んだという伝説。
この世界の人達には通じないので説明はしないけれど、イメージ的にはこの作戦はそんな感じだ。
え? 自分をトロイの木馬になぞらえるのは盛り過ぎ?
解ってはいますけどね。
さて、話は昨日に遡る。
ティラトリーツェ様の妊娠発覚と今後の対応について。
だ。
「問題なのはアドラクィーレ様を排除する事はできない、ということなんです。
ドルガスタ伯爵の様に、罠にハメてポイ捨てできるなら話は早いですけれど、そうはいかないでしょう?」
「…もう少し、言葉を選びなさい。言いたいことは解りますが」
「お前達が言うと洒落にならんと前にも言った筈だが」
ティラトリーツェ様とライオット皇子は私を嗜めるけれど、
「別に、今回だって洒落や冗談で言っている訳ではありませんよ。
私、本当にアドラクィーレ様に怒っているので。排除できるなら排除したいくらいには…」
感情ではなく、冷静に、理性で私は怒っているのだ。そこはお間違いなく。
子どもを虐げる人間が国のトップだなんて色々怖すぎる。
できれば消えて欲しいか、最低でも変わって欲しい。早急に。
「私達の為に怒ってくれるのはありがたいけれど、排除は無理よ。
色々な意味で」
「だったら、変えていけ。お前のやり方で」
「解りました。そうさせて頂きます」
お二人はそういう意味で言ったんじゃないかもしれないけれど、私は取りあえず自分なりに解釈させてもらう。
「まあ、実際問題として、あの方を表だって敵にしてしまうのは今後の事を考えると良策ではないのは事実です。
でも、本当に大丈夫?」
心配そうに私を見るティラトリーツェ様。
つわりで色々と動けなくなるティラトリーツェ様が、調理実習の責任者を調理担当者と一緒にアドラクィーレ様に委任する、というのが次回の実習時に計画している今回の作戦だ。
妊娠を公表し、皇王妃様、そしてできればメリーディエーラ様を味方に付ける。
そうすることで孤立無援になるアドラクィーレ様が、怒りのあまりまたティラトリーツェ様と子どもに悪意を向けないように仕事で手を塞ぎ、かつ監視する意味で私が側に着く。
料理というカードを自由に切れるようになることと、自分で言うのもなんだけれども『気に入りで頭のいい見栄えの良い子ども』を手にすることで、派閥の大貴族からは注目されるだろう。
自尊心が満たされることで、ティラトリーツェ様と子どもに眼が行かなくなれば目的は達成だ。
「大丈夫ですよ。あの方達は私を傷つけたりするわけにはいかないんです。
私を洗脳して自分の味方にして情報を集めよう、っていうのがせいぜいな所で。
だったら、逆に私が情報を集めてきます」
第一皇子派閥の大貴族は、この国の中枢と言って良い。
完全な敵対関係である彼らの情報は第三皇子達には手に入らないので、この機会に私が集めてくるのが一番だと思う。
「奴らは、確かに、お前を懐柔し、洗脳して味方にしようとしてくるだろうな…」
私を手の中に入れておけるのはティラトリーツェ様が出産するまでの間。
終わったら返さなくてはならないから、確かに勧誘は色々来るとは思うけれど…。
ま、無駄な話だ
「皇子は、私が洗脳されるとお思いですか?」
逆に質問してみる。
私が、あんまり自信満々だったからだろう。
あからさまな程に苦い顔をするお二人。
「…いや、思わない」
「逆にアドラクィーレや派閥の女どもを躾け直そうと手ぐすね引いているでしょう。貴女は」
正確に『私』という存在を理解していて下さっているのは流石だ。
「これを機に、情報を集めたり、子どもの地位を高められたらいいな、と思っています。
今度、アレクを皇国に呼ぶ予定なので王宮でお披露目するとか、秋の大祭の頃にはリオンやフェイが試験に合格しているでしょうから、援護射撃して貰えると色々スムーズに行きますね」
「待ちなさい。アレクというのはあのリュートの名手でしょう? あの子を表に出すのなら使い方は慎重に。
貴族皇族、誰もが喉から手を出して欲しがるから、あの子に危険が及ぶ可能性があるわ」
「あ、はい。その辺は気を付けます」
頭の中に書き留める。
アレクを外に出すのは、神殿登録と保護者の存在と、吟遊詩人としての地位をしっかりさせてから。
「私の弱みはこの国にはありません。
魔王城の子ども達や、店の人達に手を出されれば困ることになりますけれど、国の保護を受けているのでとりあえずは手出しできないでしょうし、お二人を使って脅迫なども無意味な話です。
それに美味しい料理は、独り占めしたいって誰もが思うかもしれないですけど、皆の目の前で皿に乗ってしまえば抜け駆けて一人で抱えるなんてできないでしょう?」
仮に、本当に仮に、だけれど私のことをドルガスタ伯爵の様に力づくで、手に入れようと強硬手段に出ようとする大貴族がいた、とする。
無理に拷問や酷い事をしたとしても、私は屈しないし黙ってもいない。
逃げる手段は十分あるし、やられれば皇子妃様に言いつける。子どもだもん。
皇子妃様や皇子自身が同様の手を出してくるのも、多分無いだろう。
私は皇王様に金貨を賜ったお気に入りで、第三皇子派閥の所属だ。
無理を通そうとすれば言いつける相手が皇王妃様と第三皇子に変わるだけ。
子どもと侮って同情するフリをして、自分は味方だと猫なで声を出して私にすり寄りながらを引き入れようとするのがいいとこだと思う。
「私の身は安全です。子どもだと思って舐めて下さるのならけっこう深い所まで入ってこれるかも、ですね」
「本当に、貴女という子は…」
自信満々の私にお二人はため息をつく。
言っても無理だという事は理解して下さったようだ。
「無理は禁物よ。自分の身を護ることをとにかく第一に考えなさい」
「君に何かあるとアルフィリーガが煩いからな。とにかく慎重に動け」
「ありがとうございます。
ティラトリーツェもお身体、大事になさって下さい。今が一番大事な時期です。
皇子も助けて差し上げて頂けると…」
「ありがとう。注意するわ」
「ああ、心がけておこう」
あとは、細かい打ち合わせをして、店に戻って皆に話をして実行あるのみ。
「…そう言えば、ティラトリーツェ様、つわりの方はいかがですか?」
「ちょっと、食欲がなくなってるわね。吐き気も酷くってなんだかこう、がーっと酸っぱいモノ。
オランジュとかキトロンが食べたい感じ」
「オランジュ、ですか。ジャムとかにしちゃったからそんなに酸っぱいのはもう残ってないですよね。
酸っぱいのが必要なら、プルームとかは行けるかも。梅…は無いかな? キトロンはアルケディウスには無いです?」
「キトロンはプラーミァ特産だった筈。ふむ…」
「あとね、パンとかパンケーキが食べられなくなってしまって。
小麦粉を焼いたもののあの香りがダメ。大好物なのに辛いわ…」
「パスタとか麺類なら行けるでしょうか? 後で試してみましょうか」
そんなたわいもない雑談をしながら、私は思う。
大恩あるお二人。
そしてお腹の中にいる大切な未来に繋がる命。
絶対に、今度こそ失わせるわけにはいかない。
少なくとも大祭が終わるまでは、ティラトリーツェ様からアドラクィーレ様の視線を離す。
で、敵派閥の情報を集めながら、女性陣の意識改革を試みる。
それが、当面の私の目標だ。
敵地に潜入して情報を集め、勝利をもたらすトロイならぬアルケディウスの木馬。
アルだってもっと辛い中やってのけたんだから、私にだってできる。
絶対にやってみせるんだから。
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