昨日。
リオンがアルを追ったまま、戻らなかった夜。
私は、一人、魔王城の守護精霊。
「エルフィリーネ」
「はい、何でございましょうか。マリカ様」
エルフィリーネと向かい合った。
「私ね、今年の暮れには成人式をするんだって。
今、お母様が張り切って準備をしている」
「はい。心からお喜び申し上げます。この城にある全てのものはマリカ様のものでございますのでご入用であればいつでもお申し付け下さい」
優雅に頭を下げ、優しい眼差しで私を見るエルフィリーネ。
私を主として確信をもった瞳で見つめる微笑みは、本当に初めて会った時から変わらず、揺るぎない。
「前に、私が成人したら『精霊の貴人』としての力と意志に目覚めるって言ってたけど、それはいつ? 成人式をしてから?」
注意深く質問を考え問いかける。
精霊は嘘をつかないけれど、言えない事は厳密にしゃべらない。まるでロックがかけられているように。
この質問には明確に首が横に振られた。
「人が定めた暦の区切りは、正直あまり関係ございません。
大事なのはマリカ様の決意と自覚。そして肉体の成熟、完成度。
肉体面では、あと少し。でしょうか?
それが伴えば、後はマリカ様が、全てを知る。というご自身の意志を持って決断されるだけでございます」
肉体の、成熟……か。正直、何をもってそう言うのかよく解らない。
まだ他人事のように見るなら、第二性徴はあんまり進んでいないように思う。
私の完成形が『大祭の精霊』だとしたら私も、リオンも大きくなったように見えるけれど、まだ決定的に違うと解る。
私は特に胸が全然、真っ平だからもう少し大きくなって欲しいな、とは思うけれど。
こういうのって一朝一夕に大きくなるようなものでも無い気がするんだよね。
でも
「つまり、私の身体が成熟した後、自分の意志でサークレットを身に付ければ、私は『精霊の貴人』になれるってこと?」
「はい。ですが、幾度となく申しております通り『星』は決してマリカ様に『精霊の貴人』を強要してはならぬとの仰せです」
「それは、身体が成熟して大人になっても、成人式を終えても、私が嫌だって言えばならなくていいの?」
「はい」
はっきりと肯定の意志が返る。
私が『精霊の貴人』であることを、成ることを心から望んでいる筈のエルフィリーネとしては驚くほどに。
「『星』は我が子であるマリカ様の不幸をお望みにはなりません。
マリカ様がそれを『精霊の貴人』となり、人々を『精霊の力』で導くことを望まないのであれば。皇女として、大神官として、人として。
生きていくことを見守って下さると思います。ただ……」
「ただ……『神』はそうしてはくれないだろう。ってことでしょ?」
「はい」
言い淀んだエルフィリーネの言葉の意味はよく解る。
『神』は『星』のように『精霊の貴人』にならなくていい。好きに生きていい。なんては言わないだろう。
はっきりと、自分の目的の為に私が必要だ、と。
その為に連れて行く。と言っているのだから。
「間違いなく彼の方はマリカ様とアルフィリーガを諦めはしないでしょう。
くれぐれもお気を付け下さい。あの方の目的に必要なのは『精霊の貴人』の肉体。
『アルフィリーガ』と違い、御心を残さなくていいと強硬な手段に出ることも考えられます」
「リオンは、心ごと欲しいの?」
「リオンという人格で考えるなら必要ではないと思うかもしれません。
アルフィリーガに求められるのはどんな敵をも打ち砕く戦闘力。
ただの意志を持たぬ操り人形には、それは叶わないでしょうから」
つまり、リオンという心を消して違う戦闘マシーンとしての人格を入れる可能性はあるってことだ。そんなことをすれば身体は生きていても、心は死んだも同じ。
絶対に許すわけにはいかない。
それに。
エルフィリーネと話す時、ふと頭を過るものがある。
それは、遠い遠い昔。北村真里香だったころの記憶。
『貴女は、家の事とか気にしなくていいの。
自分の好きな道を歩みなさい』
そう微笑んだ、母の記憶だ。
私は長女、一人っ子だったから、できれば家から出ないで婿をとって、という思いがあったのかもしれない。外に出ていたとはいえ、長男の嫁だったし、田舎でもあったし。
でも、母は。父もだけれど家計が苦しい時も、それを見せることはしなかったし家を継ぐことを強要したりもしなかった。
私が都会に出て、一人暮らしをすることも認めて応援してくれた。
きっと、両親も願いはあったのだ。望みもあったと思う。
孫を見たいな、とか一緒に暮らしたいなとか。
それを叶えられず逆縁の親不孝を私は犯して、今、ここにある。
消えない後悔と共に。
私は、多分、皆と違う生き物だ。
親の体内から生まれたのとは違う道筋を辿って生まれてきた。
それでもいいと、今は割り切っているつもりだけれど。
『親』がいるとしたら。
私を愛し、慈しんでくれる『親』を悲しませることはもうしたくないと思ってしまうのだ。
アルケディウスのお父様、お母様もだけれど。
私はこのまま『星』の。親の優しさに甘えていていいのだろうか?
「繰り返しますが、選択権はマリカ様にございます。
『星』は御身の力尽きるまで、愛し子達の生きるこの星を守られるでしょう。
ですから、どうぞマリカ様はご自分の信じるままにお進み下さい。
マリカ様の幸せを『星』は心から願っておいでです」
「……解った。ありがとう」
それが、昨日の夜の事。
ぼんやりと考え事をしていた私の服。その裾をエリセが引く。
「マリカ姉。どしたの? ぼんやりして。みんな食べ終わって、ごちそうさましたよ」
「あ、ごめん、ちょっと考え事してた」
「マリカ様。お皿はどうぞそのままに。
後で洗っておきますから」
「ありがとう。エルフィリーネ」
今日の夜には向こうに戻らないといけないから、一緒に過ごせるのは今日の昼までだ。
少しでも、皆と時間を過ごしたい。
「エルフィリーネ」
「はい。マリカ様」
「また、暫く魔王城に戻って来れないと思うの。この城と子ども達。
それから『星』をお願い。私は、必ず帰って来るから」
「かしこまりました。お任せ下さい。マリカ様」
それだけ告げて、私は子ども達の方に向かう。
自由に生きていい。と。
言われる度に、胸の中に漂う罪悪感。
私のような『〇〇〇〇〇〇』が、自由を願っていいのだろうか。
そんな思いから、今は背を向けて。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!