木の板にカレンダーを刻んでみる。
今まで魔王城で日付とか、曜日の概念は必要なかったので作ってはいなかったのだけれども、来訪者ティーナの話を聞いて、作ってみようと思ったのだ。
ガルフの話からして曜日は七日。
七柱の神々になぞらえてあるらしい。
木、水、地、火、風、空、夜 夜が安息日だという。
そして同じ周りで月が二回ずつ巡り、最後に大神の月が二回来て十六月で一年。
ということは、プレートは裏表で八枚作れば事足りる。
日にちは数ではなく、何週の何の日、という感じで表されるらしいので数字を入れる必要はないのだけれど、とりあえずは日本風に。
毎月同じ日数なので解りやすい。
一月は三十一日、二月は二十八日、あ、今年はうるう年で二十九日。
なんて考えずにすむのは楽だ。
木の一月、二月、水の一月、二月が春。
地の一月、二月、火の一月、二月が夏
風の一月、二月、空の一月、二月が秋。
夜の一月、二月、星の一月、二月が冬で一年一巡り、というわけだ。
この暦で考えると、去年『私』がこの世界で目覚めたのが地の二月の終わりか火の一月のあたりだろうか?
リオンのケガが火のニ月の初めころ。フェイの変生がニ月の中ごろ。
ガルフの来訪が空の一月から二月の終わりころ。
という感じのような気がする。
ミルカが来たのは多分、木の一月か二月頃だ。
今が火の一月の始め。
ティーナのお腹の様子からして早くて、妊娠五カ月。遅くて七カ月の間だと思う。
臨月までは至っていない。
冬の間に…と思えば七カ月くらいなのかもしれない。
最短であと三月程で生まれると思って、準備しておいた方がいいだろう。
私自身、知識はあっても出産立ち合いの経験はない。
保育士は子どもが生まれてからのお仕事だ。
でも、出来る限りのことはして、無事赤ちゃんが生まれるようにしたい。
清潔な布。分娩台。水。アルコールとかはないから煮沸消毒かな?
私は思いつく限りの準備品と対応策を木の板に書き連ねた。
朝ごはんを終えてすぐ、私はミルカとエリセを連れてティーナの元に向かった。
大丈夫だ、とは言ったのだけれどフェイとリオンも護衛についてきてくれている。
ミルカとエリセは食事の入ったお盆を、私は着替えの包みを持って。
リオンとフェイは武器を携えて城下町の館の前に辿り着くと、私は扉をノックした。
「ティーナ。目は覚めましたか?
入ってもいいですか?」
「マリカ様…。はい。今、扉を開けます」
中から閂が外され、扉が開いた。
「マリカ様、この度はご温情を賜り本当にありがとうございます。
昨夜はちゃんとお礼も申し上げず、失礼をいたしました」
私の前で膝をつき、ティーナは丁寧な礼をとる。
それは、上位者に従う事に慣れた、いや、上位者に従う事を叩きこまれて来た者の流れる様な仕草だった。
「いいえ、顔を上げて楽にして下さい。お腹の子に触ります」
立ち上がるように促してもなかなか聞かないティーナをなんとか促してベッドに座らせ、私は昨日のようにベッドサイドの椅子に座った。
改めてみるとティーナは若い。
外見年齢は未成年に見える。
十六~十八歳くらい。どんなに多く見ても短大生だ。
長い金髪、蒼い瞳は雑誌モデルのようだ。
胸も大きい、手足も細い。
妊娠していなければおそらくスタイルもいいのだろう。
「昨日は、よく眠れましたか?」
「はい。おかげさまで。ここ数カ月で始めてというほどに安心して眠ることが出来ました」
「それは良かった。食事もどうやら口に合ったようですね」
空になっている食器を見て私が微笑むと、ティーナははい、と頷いて幸せそうに笑みを返してくれた。
「まさかガルフ様の店に勝る味が、この世にあるとは思いもしませんでした。とても美味しかったです」
「ガルフに味を授けたのはマリカ様です。当然のことですよ」
「フェイ!」
フェイの言葉にティーナは驚いた、という表情で目を見開く。
「まあ、そうだったのですか…。貴族の間でも最近はガルフ様の店と、その味は評判だったのです。
誰が支援しているのか。どこから味を学んだのか、と探る者は多くございました」
「決して、他言無用にお願いしますね。
この島にいる間は問題ありませんが、貴女がもし、外に戻る事を選んだ場合、このことを洩らされるとガルフだけではなく、私達の命に関わるのです」
「勿論です。ガルフ様も、マリカ様も、私の命の恩人。決して裏切ることは致しません」
胸に手を当てて誓ってくれるティーナに頷いて、私は彼女を見た。
テーブルの上の荷物、と今後についての説明をしておく。
「ここに着替えと食事を持ってきました。
良ければ使って下さい。また、外へ出る事は制限しませんので森で、迷わない程度に周囲を散策してもかまいません」
「何から何まで、本当にありがとうございます」
「この島からは出られないが、森にはそれなりに獣もいる。あまり勝手な行動をして俺達やマリカ様の手を煩わすなよ」
「リオン…」
「はい、心得ております」
この辺は、まあ、見せる為の茶番劇ではあるんだけれど、まだティーナがどこまで信用できるか解らないのでお姫様モード。
麦の収穫とか始めるとそうも言ってられなくなりそうだけど。
「それから、私達魔王城の住人が、この近辺に来るとき、ここを休憩に使ったり寄ったりすることがあります。
ここは見ての通り、客人を持て成す為に整えられていますが、他に住人がいない為他は廃墟なのです。
外に井戸はありますが、水が通っているのもここだけなので。お許し下さいね」
「勿論です。私の方こそこのような立派な館を占領し、申し訳ございません」
「魔王城の住人は子どもばかりです。貴女を傷つけるような者はいません。安心して下さい」
「子ども…。そういえば、本当に…」
今更気付いた。というようにティーナは瞬きした。
私も、子どもなんだけどずっと意識してなかったり?
「子どもだからって甘く見るなよ。万が一、城の住人やマリカ様に変な事をしたら即座に命は無くなると思え。
ここでは例え不老不死者だろうと死が訪れる」
「そのような事は、決して。
ただ、生まれてこのかた自分以外の子ども、もしくは子どもであったものを殆ど見たことが無かったので少し驚いただけです」
リオンの脅しにティーナは慌てて首を振る。
「それほど、外の世界は子どもが少ないものですか?」
「私の周囲だけかもしれませんが、滅多に見る事はありませんでした」
幼い頃に売られ、貴族に買われたというティーナの話をミルカは真剣に聞いている。
ミルカもまたガルフに買われた子どもだったからだろう。
「私達はこの周辺でよく狩りをしたり、果実をとったり穀物の収穫を行います。どうか、仲良くして下さいね」
「はい。こちらこそ、よろしくお願いいたします」
「あ、あの…」
私達の話の区切りがついたのと待っていたのだろう。今まで後ろに黙って控えていたミルカが声を上げる。
「ミルカ!」
フェイの諌めに、シュンと首を下げるが、私は頷くとティーナの方を見た。
ミルカが言いたいことは解っている。
「それとお願いがあるのですが…」
「? なんでしょうか? 私に何かお役に立てることが?」
ええ、と頷き私はティーナに問いかける。
「外でのガルフの様子を聞かせては頂けませんか?
もうお気づきでしょうけれど、私達魔王城の者がガルフを支援し、食料品の販売を手助けしているのです。
ガルフの手腕を信じてはいますが、知っての通りここと王都は遠く、滅多に彼が訪れる事はありません。
彼は、王都で上手くやっていますか?」
「それは、もう! 今、王都で一番の話題と言えば、ガルフ様の店にございます。
王都に500年ぶりの味をもたらした。
と、老いも若きも、あの味に夢中になっております」
パッとミルカの顔に笑顔が咲いた。
ミルカは王都からの来訪者に、ガルフが元気でいるかを聞きたかったのだろう。
実は、私も知りたい。上手く行っているかどうか、心配だったから。
リオンやフェイも、内心気にしていたのを知っているから、彼らも側に座らせ、ティーナの話を聞かせて貰う事にした。
「ガルフ様が、本格的に店を始めて、まだ三月と経ってはおりません。
ですが、今や王都の庶民でガルフ様の名を知らぬ者はいない程の大評判です」
春の初めに王都に戻ったガルフは、春の四月を準備期間に使い、夏の始まりから勝負に出たという。
ベーコンとソーセージの屋台販売。
本店での軽食販売。
王都近辺の空き耕地と作物の買い占め。
販売員と作物の収穫員。調理員など下層階級への雇用拡大。
「貴族の何人かが、肉の串焼きをお忍びで手に入れてその複雑な味わいに驚いたという話も耳にしました。
味わいの秘密を知りたいという声はひっきりなしですが、ガルフ様は決して明かされないとか」
私達の想像を超える程に、ガルフは腕利きだったらしい。
二月で二店舗目を出した、という話を聞く頃にはフェイの目も誇らしげに輝いていた。
「初夏の新商品としてピアンとセフィーレの果実水が出された時には皆、驚きました。
今まで自分達が踏みつけていた実がここまで美味であったのかと」
慌てて拾おうとしても、その時点で手に入るピアンとセフィーレは全てガルフに買い占められていて皆、臍を噛んでいるという。
「私が王都を離れる直前には、下町の人間全てではないかというくらい大規模に人を集め、周囲の空耕地で雑草と同じ扱いだった麦を刈り取っていたところでした。
それから、野生化していた牛を集めて刈り取った耕地に放したりも。
麦と牛でガルフ様が何をする気なのか、と皆が集中しておりましたわ」
「それはそれは。ガルフが戻ってきたら労わなければいけませんね」
少し心配になるくらいの手腕だ。
そこまで注目されているとなると、手持ちのカードもそろそろ切れてきた頃だろう。
麦が入手できているのなら、次に来た時にはパン、は無理でもパンケーキやガレットなどの焼き物など、簡単でバリエーションの効くものを教えてあげた方がいいかもしれない。
牛がこの世界にいて、牛乳も入手できているならできることも広がる。
早めにこちらに一度来てくれるといいのだけれど…。
「話を聞かせてくれて感謝します。
仲間の成功を知れて安心しました」
話を聞き終わった私が立ち上がると、側に控えていた皆も立ちあがる。
ティーナも立ち上がって、私達にお辞儀をして見せた。
その動きはとてもキレイで…、私はもう一つ、やるべきことを思い出した。
「こんな話では、命を救って頂いたお礼にもなりませんが…」
「お礼は、ガルフが戻ってきたら直接言ってあげて下さい。貴女の命の恩人はガルフです」
「…はい。必ずや…」
「それか…もう一つ、お願いがあるのですが…」
「なんでしょう?」
「貴女は貴族の家に仕えていたと聞きました。動きもとてもキレイです。
貴女が滞在する間、貴族相手の立ち居振る舞いを教えて頂けませんか?」
「それは…構いませんが…どなたに?」
「私に」
「マリカ?」
リオンとフェイが青ざめたのが見えるが手を伸ばして静止する。
私の言葉にティーナはぎょっとしたような顔になる。
でも、これはずっと考えていたことなのだ。
魔王城の中でなら、今のままでもなんとかなる。
一応、向こうの世界での礼儀作法や言葉遣いは学んだし。
でも、この世界でのそれは解らない。マリカの時代も誰も教えてくれる者はいなかった。
それでは、この先足りないのだと、私は思っている。
ティーナは貴族の、しかも主の愛人だった人物だ。
私が知らない世界と、そこでの生き方、有り方を知っている。
「マリカ様は、貴族ではないのですか?」
「私は、この島と城を預かるだけの者です。外のことは何も解りませんし、他者へのマナーも存じません。
でも、それでいいとも思ってはいないのです。
どうか…お願い致します」
ティーナを真似て私は跪き目を閉じ、胸に手を当てる。
頭上から、大きく息を吐き出す音が聞こえた。
そして、
「失礼いたします」
私の肩と背筋に手が当てられた。
「肩は丸めずに、背筋と首は伸ばして、手は胸の中央にお当て下さい。
貴方の言葉を、心の底から待っている。という意味がございます」
私が目と顔を上げるとそこには優しく微笑むティーナの顔がある。
「私から見てもマリカ様の所作は美しく、言葉遣いもお綺麗で貴族と比べても遜色ございません。
ですが人と人との関り方や、決まりなどにはそれぞれの定められた意味と手順がありますので覚えておかれるのは、意味のあることかもしれません」
「では…」
「私が知るのは下の者から、上の者に対する立ち居振る舞いだけですが、それでもよろしければ。
私と、子の命を救い、守って下さる方にお返しできるものが少しでもあるのなら、うれしゅうございます」
「ありがとうございます。どうか、よろしくお願いいたします」
私はティーナにお礼を言うと、ほぼ同時。
背後で、ザッと何かが動く音がした。
「我々にも、お願いできませんでしょうか?」
「リオン? フェイ?」
振り返れば、そこには同じように膝をつく二人がいる。
「私、男性の所作は本当に、基本的な所しか存じませんが」
「それでも構いません。マリカ様が外に出られた時、側に仕える我々が、礼儀も知らぬ山猿と罵られるわけにはいかないのです」
二人の真剣な眼差しに、ティーナの笑顔がさらに優しくなった。
「解りました。お時間がある時おいで下さいませ。
幸いこの部屋は、貴族のそれと遜色無いほどに整えて頂いております。
動きや作法を学ぶのに、良い環境だと思いますので」
「ありがとうございます」
こうして、私達は最高の教師を手に入れたのだった。
「また、何を突っ走るのか…って、思ったんだよな」
帰り道、リオンが大きく息を吐き出して見せる。
「ごめん、ずっと考えていたことの一つなの。
外に出た時に困らない知識を学びたいな。って」
「マリカ姉、外に行くの?」
「今すぐじゃないけどね。いつか、外の子ども達を助けに行きたいな。って思ってる…」
伺うようなエリセの問いに、私はその場しのぎのごまかしは止めた。
「…外の子どもを救う。それが…ガルフに支援されたお姉様達の目的、なのでしょうか?」
「そればっかりじゃないけど、それも大事な目的…かな?」
「であるなら、私もお手伝いはできないでしょうか? ガルフとお姉様達のお力になりたいと思います」
「私も!」
真剣に言ってくれる二人に、でも今は首を横に振る。
「今すぐじゃない、って言ったでしょ。私達がしっかり覚えて、必要ならエリセ達にもちゃんと伝える。
一人じゃ力が足りないしね。今は勉強して、力を蓄えて…その時に備えるの」
アルや、みんなにもちゃんと話して相談して。
自分ができることを最大に頑張る。
そうすればきっと、どんなに難しい事でも道が開ける筈だ。
「とりあえず、今は、外の情報を集めつつ、魔王城の生活改善、内需拡大。
そしてティーナの赤ちゃんを無事に迎える事。
やらなきゃいけないことはいっぱいあるからね。
外に行くとしても、まだまだ先の話だよ」
「今度はちゃんと、動く前に相談しろよ。
マリカが決めた事に、反対なんて多分しないんだからな」
「多分?」
「ああ、多分…な」
「酷いなあ。リオン兄…」
厳しいようでリオンの思いは優しい。
けれど
「マリカ。
残りの『ずっと考えていたこと』については後で必ず教えて貰いますから、そのつもりで」
「フェイ…兄…」
リオンに聞こえないように落として行った、優しいようで厳しいフェイの囁きに、私は視線を逸らす。
さて、こっちはまだ言えない。
どうやって誤魔化したものか…。
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