私達が、夜の勉強会をしていた時の事だ。
「アルフィリーガ、フェイ様…お力をお借りできますか?」
静かに入って来たエルフィリーネが頭を下げたのは。
子ども達が側にいない時、エルフィリーネはリオンの事を「アルフィリーガ」と呼ぶようになった。
もう隠す必要もないからだけれど、呼ぶたびエルフィリーネの水晶のような瞳はどこか嬉しそうな輝きを宿す。
「そう言えば、リオンは王子時代『リオン』じゃなかったの?」
「違う。あの時代の名前は別にあるけど、名乗ったらバレることもあるかもしれないだろ?」
確かに。
伝説では名前は秘されていても、不老不死であの時代を生きていた人なら知っているということもあるかもしれない。
「育ててくれる奴がいるときはそいつがくれた名前を使う時もあったけど、今世は自分でつけたな」
「リオン、というのも『獣』の意味があるのですよ。
魔王城の島にはいないですが、外の世界では脅威とされている獣…そうですね」
私達の話を聞いていたらしいフェイが何かを思い出したようにぽん、と手を叩いた。
「僕達が見たものと、マリカが見たものが同一かどうかは解りませんが、マリカの中の、力の獣。
その一匹が『リオン』と呼ばれる生き物です」
ぽくぽくぽく…チーン。
「あ、ライオン!」
思いついた。
多分、ライオンだ。
私の内側にいた獣はライオンと狼の形をしていた。
狼は以前、この世界の固有名詞を聞いたから、残るはライオンの方だろう。
音も似ている。なるほど、リオンの精悍さににぴったり。
外見が代わってもリオンという存在が『精霊の獣』であることは変わりはない。
だからアルフィリーガ、と呼ぶというエルフィリーネの態度は理に適っている。
そういえばいつの間にか私もリオンやフェイ、アルのことも兄って呼ばなくなってた。
子ども達がいる前では意識して『兄』と呼ぶようにしているけど。
「余計な話はそこまでだ。それで? なんだエルフィリーネ。
力を借りたい、とは?」
「島に魔性が侵入しております。退治にどうか手助けを…」
「なっ!」
ガタンとリオンの足が勢いよく椅子を蹴った。
「それを早く言え! フェイ!」
「待って下さい…」
杖を出したフェイが目を閉じる。
今までも何度か見た、索敵モードだ。
「小型の…飛行型魔性が複数…ですね。
でも、動きがおかしいような…。島全体を…無秩序に飛び回って…?」
「他に精霊がいないか探してるんだろ? 実体化した精霊がいる以上、いずれここに来る。バルコニーで迎え撃つぞ」
「解りました」
立ち上がり、今正に駆け出そうとする二人を
「待って!」
声が呼び止めた。
「リオン兄、フェイ兄。オレも、行っちゃダメ?」
「アル?」
呼び止めたのは、アル。
「狩りじゃない、訓練じゃない本当の戦いを見たい。
それにオレも、リオン兄やフェイ兄の助けになりたい」
本当に、真剣な表情だ。
「私も、一緒に行かせて。後ろで見ているから。怪我をした時、直ぐに助けられるように」
思い出す。
私がリオンの魔性との戦いを見たのは一度だけだ。
空中をオルドクスと駆け回る姿は、正しく獣。
凄かった。
もう一度、見たいと私も思う。手助けしたいという気持ちも勿論あるし。
「…魔性相手の戦いは見世物でも、遊びでもない。油断したら怪我じゃすまないこともあるぞ」
リオンの言葉も、声も優しくはない。
獲物を睨む獣の眼だ。
震えがくるほどに鋭い眼光を
「解ってる。
許可が出るまで前に出ない。無理はしない。邪魔もしない。後ろで見てるから」
でもアルの碧の眼は真っ直ぐ怯まず立ち向い受け止めた。
「リオン、時間があまりありません。それに、今回は一体一体はの強さはそれほどでもなさそうですが数が多い。
取りこぼしのフォローくらいなら任せてもいいのでは」
私達の説得にかかる時間と、戦いへの影響。
それを冷静に計算したらしいフェイの言葉に、リオンは息を吐く。
「…まあ、戦いを見ることも経験か…。仕方ない。アル、マリカ。…剣を持ってこい」
「リオン兄!」「リオン!」
喜びに笑顔を咲かせたアルに、
「ただし、前には本当に出るな。邪魔になる。
いつでもエルフィリーネの結界に入れるくらいのところにいるんだ。
溢れた奴がいたら、それを倒すだけ。守りに専念すると約束しろ」
「解った」「うん、約束する」
釘を刺す事だけは忘れなかったリオンは、そのままオルドクスと一緒に二階に向けて走っていく。
後を追ったフェイから剣を取りに行った分の時間だけ遅れて、私達がバルコニーに出た時にはもう、本当に戦端が開かれていた。
「うわっ、数多い!」
雪は止んでいるけれども月灯りは殆どない。
微かな城の窓からの灯りが照らすだけだけの闇の中、リオンはオルドクスと共に、敵を切り伏せていた。
襲撃してきた魔性、は私の異世界知識の印象だと、ワイバーン、と呼ぶのが一番ふさわしい様に思えた。
サイズはそれより小さいけれど。
この世界の正式名称は解らないので、とりあえずワイバーン(仮 …仮は以下略)と呼ぶことにする。
鷹やトンビを少し大きくしたような感じ。色は濃緑と、緑を中心に何匹か黒いのが混ざっている。
それがバルコニーの上空を埋め尽くしていた。
パッと見た限り50匹は超えている。
100匹以上かは微妙な所、という感じだろうか?
リオンの攻撃は基本、単体攻撃だ。
この間のような強いけれど一体の攻撃であるならそう苦戦することもない。
けれど、今回のような数の暴力で攻めて来る敵には対応が難しいのだ、と見ていて解った。
背後を取られないようにフェイと背中を合わせ、襲い掛かって来る敵を、確実に一匹ずつ仕留めていく。
完全に仕留められた敵は、暫くの間亡骸がそこに残るが、その後、5分ほどすると煙のように跡形もなく消えてしまう。
どういう仕組みになっているのだろうか?
「リオン!」
「解った。オルドクス!」
杖を掲げたフェイの声に、リオンは頷き、横で戦っていたオルドクスに首を振る。
言葉も無いコンタクト。
でも互いの意図は伝わっているようだ。
オルドクスは、タン! と地面をけるとフェイの前に、ワイバーンを押しつぶす様に舞い降り、唸りを上げた。
フェイの側を狙おうとしていワイバーンたちが、立ち尽くす間にフェイは静かな詠唱を始める。
「風の精霊ここに来て!」
くらいだったら、一小節くらいで呪文もすむ。
風の精霊はどこにでもいるから、効果もすぐ発動される。
けれど、ある程度大きな呪文を使おうと思うなら、精霊を集めるのにも、呼びかけるにも、意志を伝えるのにも時間がかかるのだ。と前に少し聞いた。
だとすれば、これはけっこう大きな呪文を使おうとしているのだろう。
「…突風よ、敵を切り裂け!! エイアル・シュートルデン!!」
フェイの呪文が完成したと同時、オルドクスは大きくジャンプして場から離れた。
彼がバルコニーの手すりに身体を乗せたとほぼ同時
「うわっ! すげえっ!!」
アルが目を見開く。私も息を呑んだ。
竜巻と呼ぶにふさわしい渦が、立ち上がり周囲の敵を吹き飛ばしていく。
翼の制御を風に奪われたらしいワイバーンたちは、地面に叩き付けられるように、バタバタと落ちて行った。
「しまった…」
敵の数と方向を計算したらしいフェイが舌を打つと私達に向けて声を上げた。
「アル! マリカ! 何匹かそちらに落ちました。
傷もついて動きも鈍っている筈です。もし、来たら仕留めて下さい!」
「無理はするなよ! こっちが終わったらすぐに行く!」
リオンは短剣で敵の喉笛を切り裂いて言うが、向こうにいる数の方が断然多い。
こちらに来たのは、フェイの言う通り、手負いが数匹だ。
甘く見ちゃいけないけれど、リオンに負担はかけられない。
「大丈夫だ。任せておけってな。マリカ、行くぞ!」
「うん!」
キイイイイーーッ!
甲高い悲鳴のようなものをあげながら、襲ってくるワイバーン達は、フェイの竜巻のせいであまり高くは飛べないらしい。
後ろを取られないように、リオンとフェイを真似てアルと背を合わせた私はぎりぎりまで敵を引きつけて…握りしめた長剣を
「えいっ!!」
渾身の力で横薙ぎにふるった。
刃に重い衝撃と、肉を切る感触が確かに伝わって来る。
ぎぎゃあああ!!
「うわっ!」
剣の切れ味は凄い。こっちが引くくらいに凄い。
ワイバーンの胸元は横一文字にスパッと切れて、そのままワ音を立てて地に落ちて動かなくなる。
どうやら…仕留められたようだ。
魔性であっても…初めてこの手で命を奪ったことに、微かに手が震えた。
でも、罪悪感は無い。
ここで一匹でも討ちもらせば、相手は精霊を喰らう獣 エルフィリーネが狙われるし、子ども達にも危険が及ぶ。
大丈夫、理解できている。迷わない。
「マリカ! もう一匹来るぞ!」
アルの声に、私は前を見た。
気が付けばもう敵はすぐそこ、真っ直ぐに伸ばされた爪が私の喉元を狙っている。
「エア・シュトルデル!」
その爪の先に風が集まった。
1秒にも満たない、けれども生まれた確かな隙を狙って、私はその爪を、下から上へ右翼ごと切り落とす。
ぐぎゃああああっ!!
身体のバランスを崩したワイバーンのもう片方の翼、返す刃でその根元を狙う。
本当に、このロングソードは魔法の武器なのだと実感する。
女の子の非力な身体なのに、重力の助けがあったとしても、骨の固さも、肉の抵抗も最小限に私はワイバーンの左翼を切り落としていた。
ごろん、と翼を失った、ワイバーンの身体が、地に落ちて…あっという間に闇に溶けて消える。
魔物の死体なんてそんなに長く見ていたいものではないから、助かった。
フェイの竜巻でこちらに飛ばされた敵は五匹。
「や、やった。なんとか…できた」
私とアルで、なんとか仕留め終わった頃。
リオン達の方も、ようやく終わりが見えてきたようだった。
ワイバーンの数は、もう殆ど消え、空に残っているのはあと一匹。
一際大きな漆黒のワイバーンだけになった。
あと一匹。リオンなら仕留め切るだろう。
気を抜いた訳ではないけれど、ほんの少し肩の力が抜ける。
だが、その時。
黒いワイバーンの金色の眼が、ギラリと輝いたように見えた。
…見つけたぞ…
「「えっ?」」
唸るような、闇から響くような…そんな声が聞こえた…気がした。
私は首を左右に振って、周囲を見回す。
気のせいだろうか? 他の誰も声に反応してはいない。
ただ、アルだけはワイバーンを、その眼を睨む様に見据えている。
その時リオンは、最後の攻撃態勢に移っていた。
「フェイ!」
真っ直ぐに敵を見据え、地面を蹴った。リオンの飛翔に完璧にタイミングを合わせ
「はい! エイル・シュルトス!」
フェイが放った術。敵を切り裂くかまいたち。
漆黒の獣は動きを止めた敵の脳天に、上空から深々と短剣を突きさし、動きと思考、その命を奪っていた。
「終ったか…? アル。どうした?」
安堵の息を吐き出すリオンの足元に墜ちた黒いワイバーンは形を失い消えようとしている。
それにアルは駆け寄り、既に崩れかけたワイバーンの顔を見つめた。
「…リオン兄。こいつ、もしかしたら、ただのエサを探して来たワイバーンじゃないかも…」
「なに?」
アルに言われてリオンも、そしてフェイも正に、姿を失おうとするワイバーンに視線を向ける。
さらさらと、風に空に溶けるように消えた、漆黒のワイバーン。
後には金色に鈍く輝く不思議な結晶が一つ、残されていた。
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