論理問題というのは、的確に考える事で正しい答えが導き出されるある種のパズルだ。
『三人の女がいる。
金髪と銀髪と黒髪で、金髪の女は銀髪の女を見つめ、銀髪の女は黒髪の女を見ている。
金髪の女は人間で、黒髪の女は精霊。
「では人間の女は精霊を見ている」という言葉は正しいか?』
「銀髪の女が人間か、精霊か解らない以上正しいも正しくないも解らないのではないですか?」
フリュッスカイトの公子 メルクーリオ様との問答の後、居室に戻った私にフェイは首を傾げて見せた。
「んとね。「人間の女は全て精霊を見ているか?」だと確かに情報が足りないのだけれど、今回の質問は「人間の女は精霊を見ている」と言う言葉が正しいか? でしょう?
なら一組「人間の女が精霊を見ている」状況が成立すれば正しい、と言えるでしょう?」
「それは……まあ。でも銀髪の女が精霊か人間か解らない状況は同じでは?」
「ううん。銀髪の女性が人間でも精霊でも『一組』人間の女が精霊を見ている状況は成立するの」
「ああ、なるほど」
「どういうことですか?」
ぽん、とフェイは手を叩く。流石。
ずっと沈黙を守っていたカマラはまだピンと来ない様子だけれど。
「銀髪の女性が精霊であるのなら、金髪の人間の女性に見られているのでそこで「人間の女が精霊を見ている」が成立する」
「そう。でもし人間なら彼女が黒髪の女性を見ていることで「人間の女が精霊を見ている」が成立する。故に正しい。ってこと」
「ふわー、なんだかややこしいですね」
「でも、ちゃんと考えれば答えが導き出せるし、論理問題としては割と簡単な方かな」
向こうの世界にはもっと難しい問題が山のようにあったからね。
地獄の扉の問題とか、嘘つきと正直とか、嘘しか言えなくなる指輪とか。
「しかし、これが最低限求められるフリュッスカイト公主家。本当に武よりも知が求められている。のですね」
「多分、武をないがしろにしている、って訳では無いと思うの。
フリュッスカイトにも優れた戦士がいらっしゃるし。
ただ、知から生まれる力というのは時として、武力よりも危険だから正しく扱う為の思考力が必要ってことじゃないかなって思う」
カマラがなんだか微妙な溜息を溢す。
自分には無理だと思ってるのかな?
「リオンだったら、頭を使って戦う事も大事だっていうと思いますよ。
優れた体躯があれば、力推しもできるかもしれませんが、弱い力、軽い身体しかない場合でも敵は待ってくれませんから。それを補うには頭を使った戦い方が大事なんです」
「そうですよね! 私頑張ります!!」
思いがけない所で意気が上がったカマラを微笑ましく思いつつ、ふと思い出して私はフェイを見た。ちょっと聞いてみよう。
「フェイ。精霊古語って知ってる? 読める?」
「うーん、読める、ことは読めるのですが……」
フェイは魔王城にある本を全部読んだ筈だ。確か精霊古語で書かれた本もあったはずなので読んだはず。
公子様はフリュッスカイト王家に伝わる『秘密の書物』があり、苛性ソーダの作り方はそこで知った。現代語とは違う文字と法則で書かれたものだから、それを覚えないと読めない。
とおっしゃっていた。
ならフェイは精霊古語が、フリュッスカイトの『秘密の書物』が読めるのだろうか?
と思ったのだ。
でも、妙に歯切れが悪い。
「何か言い辛い話?」
「いえ、そうではなく。精霊古語、というのは実は一種類じゃないんですよ」
「え?」
「各『精霊神』それぞれが持つ文字や言葉、精霊古語は全部、完全同一、ではなく微妙に違ってまして。文字も、単語の意味とかも。基本の文法などはほぼ同じなので癖を掴めば、別の国のものでも、なんとなくは理解できると思うのですが……」
「そうなの?」
「僕も全部の国の精霊古語で書かれた言葉を読んだわけではありませんが、魔王城の書物と、アルケディウスの書物の文字はかなり違っていました。単語や言葉の意味も、似た感じではあっても相当に。
最初に魔王城の書物で精霊古語を覚えたせいで、ちょっとアルケディウスの精霊古語には苦戦してます」
「フェイでも苦戦してるの?」
「アルケディウスの書物もフリュッスカイトと同じように、基本は王族、皇族しか読むことが許されませんからね。僕が読んでいるのはライオット皇子と、皇王陛下が特別の計らいで貸して下さった入門書で。ようやく意味が解るようになってきたところです」
あれかな。向こうの世界の英語と日本語とみたいな。
文法のルールとかは同じって言ってたから、英語とフランス語とか、そんなかんじなのかもしれない。
エルディランドも違うのかな。そう言えば宮殿を示すマナオって言葉は精霊古語で瑪瑙だって聞いたけど、ちょっと独特な発音だったけ。
「フェイは魔王城の本を全部読んだんでしょ?
何か役に立ちそうなこと、書いてなかった?」
今まで聞いたことなかったけれど、改めて聞いてみる。
「九割が普通の共通語で書かれたもので、五割が国の統治に関するものでした。
租税についてとか、土地の測量についてとか、人民台帳とか、法律についてとか」
「残りの四割は?」
「知識の覚書です。歴史書、剣や武器、道具の作り方、精霊術について。
古の時代に作られていた精霊術を活用した道具について書かれている本も。
通信鏡の作り方とか、結界術についてとか、あと付けた火を長持ちさせる石とか。
植物についてとか、音楽の楽譜とかも。
楽譜や道具の作り方はアレクやシュウに見せたりもしましたよ。
リオン、王子の部屋にあったのは特にその傾向が高かったですね」
そう言えば、と思い出す。
子どもにも解りやすい精霊術や、武術などの本が多かったので降ろしてきて活用したっけ。
あれはもしかしたらリオンの為に用意され作られたのかもしれない。
みんな手書きだったし。
「あと、物語もありました。恋愛もの、冒険もの、精霊の貴人を称える詩など」
「精霊の貴人を称える詩?」
「ええ。良い女王であった精霊の貴人を褒めたたえていましたね」
なんとなく頬が紅くなる。自分の事では無いのに気恥ずかしい。
「残り一割が精霊古語で書かれた本で、正直読んだだけ、というのが多いです。
複雑な図形のようなものが書かれていたり、再現方法どころか意味がまるで解らなかったり」
「フェイでも?」
「ええ。鉱石を熱して成分を分離させるとか、特殊な素材の絞り汁に火をかけて加工するとか、意味が解らないでしょう?」
「金属分離に炎熱加工?」
「ええ、マリカが香水を作ったり、お酒の製造現場を見学して、蒸留とか発酵というのはこういう意味だったのか、となんとなく解ったりもしたのですが」
「蒸留に発酵も?」
「そう言う言葉で書かれていた訳ではありませんが、そういう意味合いの作業なのかなと、図解などを見て……、ってどうしました? マリカ?」
考え込んでしまった私の顔をフェイが覗き見る。
「城に戻ったら、見せて貰ってもいい? 精霊古語の本」
「いいですけれど、僕は教えられるほどでは無いですよ。リオンの方が詳しいと思います」
「リオンが?」
「はい。僕に精霊古語の基本を教えてくれたのはリオンですから」
「そう……」
なんだか、頭の中がぐちゃぐちゃする。
何かに気付けそうなのに気付けないと言おうか。
こういう時こそ、論理問題のように順序立ててしっかりと考えなければいけないのに。
「とにかくその辺は今回の訪問が終わってからね。
今はフリュッスカイトでの仕事が先。
ただ、フェイ。私が魔王城に戻って『精霊古語』の事を忘れちゃってたら、思い出させて。
本、ちゃんと読んでみたい」
「解りました」
大事な事を先送りにする癖は色々と良くないと解っているけれど。
今は、問題と違って問題解決のピースが明らかに足りない。
後で、ゆっくりと考えよう。
ちなみに戻ってから直ぐに通信鏡で連絡したら、夜遅いというのに直ぐに通信鏡の連絡はアルケディウスに繋がった。
軽いお小言と共に、皇王陛下からは交渉の許可を頂いたので、私は私の知る範囲で苛性ソーダの使い方とか応用方法を教えることにする。
まあ、そんなにはないけど、オリーヴァの実のあく抜きはきっとこの国にとって役に立つだろう。
そんなこんなで話をしているうちに日が代わり、私はベッドに放り込まれ、あっという間にフリュッスカイト二日目が始まっていたのだった。
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