大神殿での潔斎、二日目……だよね。多分。
「マリカ様、お身体の具合はいかがですか?」
「あ、ごめんなさい。仮眠のつもりが、爆睡しちゃってました?
今、何時です? もう二の刻になっちゃいました?」
私は二度目もミュールズさんの声で目を覚ました。
うん、二度目の筈。
まさか、日が変わってはいないでしょ?
夜にも禊がある、と言ってたからマイアさん達なら、きっと私が寝てても叩き起こす。
「はい。二の水の刻でございます。
マイア女官長と、ネアが参りましたのでお呼びに上がりました」
うわー、午前中、丸っと無駄にしちゃった。
でも、ネアが戻って来たということはリオン達からの手紙の返事戻って来た、ということだ。
向こうの様子が知りたいし、何か伝言があるかもしれない。
私はベッドから起き上がって髪の毛と服の乱れだけ直して貰って、応接の間に戻った。
そこには本当にマイアさんと、ネアが膝をついて待っている。
「うるわしのほし。アルケディウスのせいなるおとめ…」
「あー、ネアちゃん。そういう口上いちいち、言わなくていいよ。
マリカ様、とか姫様、とか。
本当はそういうのもくすぐったいんだけど、挨拶抜きでそう呼んで。
まだるっこしいし、面倒だから」
難しい挨拶を一生懸命言おうとしているネアちゃんに、私が手を振るとマイアさんが明らかに不愉快、と言った顔で顔を顰めた。
「マリカ様……子どもとはいえ、皇女であり『聖なる乙女』にお仕えする臣下に対してそのような……」
「私が良いと言ってるんだからいいんです。
それに時間の無駄ですから。私は早くリオン……じゃなくってアルケディウスからの手紙が見たいので」
「……姫君は、本当にアンヌティーレ様と違って元気でいらっしゃいますね。
アンヌティーレ様は儀式が始まると、外の様子などまるでお気になさりませんでしたが?」
「そうなんですか?」
「ええ。『神』のお力や御寵愛を感じると、とおっしゃっておられました。
一日の大半は寝所で身体を横たえておられましたね」
……あの、派手好みで皆から褒められるのが好きなアンヌティーレ様が、この退屈極まりない潔斎を一人で、大人しくしていた事も驚きだけど、日がな一日ボーっとしてたとかなんだろう?
わかんない。
「とにかくネアちゃん。
リオンからの返事を早く……」
「姫君。
その前に、神官長様からの御伝言をお伝えしてもよろしいでしょうか?」
「あ、はい。どうぞ」
ちょっとイライラしてるっぽいマイアさん。
この方を敵に回すわけにはいかない。
リオンの手紙の返事は気になるけど、まずは話を聞こう。
「まず、姫君が料理をなさる件につきましては却下です。
ここには軽く湯を沸かす為の竃以外ございませんし、万が一にもお怪我をさせる訳には参りませんので」
「はあ、やっぱりそうですよね」
「それから、持ち込まれたお菓子についても、姫君が召し上がるのは御遠慮下さい。
姫君のお食事は聖別された材料で作られておりますので、身体の中から清める意味で重要なのです」
「え、そっちもダメ?」
「はい。
口が肥えた姫君にはお辛いかもしれませんが、これも神事を行う乙女の務めである。と」
「だったら、せめて果物とか付けてくれればいいのに……言っちゃなんですが、本当に古くて耐えられません。
せめて甘味を……」
「それから、甘味の件ですが、持ち込まれたお菓子があるのなら、お預かりして処分するようにと言付かっています」
「処分、って捨てるってことですか?」
「奥の院に置いておきますと、こっそり食べたくなってしまう。
ならば片付けておくのが良いだろう、と……。どうかお出し下さい」
神官長、横暴!
私はミュールズさんの方を見る。
「ミュールズさん。お預けしたお菓子は?」
「マリカ様のドレスや化粧品などと一緒に私の部屋に。
私達の私物と違い、マリカ様の大事な品なのでご本人と神官長に確認を取るように言って、とりあえず守ったのですが……」
「お持ちください。
あと、化粧品と呼ばれるものも。
マリカ様のお身体に付けるものでしたら、怪しい品ではないか、確認しなくてはなりません。
必要な品であれば、聖別してお返しいたしますので」
マイアさんの厳しい、丁寧だけれど有無を言わせぬ命令口調に逆らえず、ミュールズさんが荷物を取りに行く。
となると、抗議できるのは私だけだ。
「そんな! お菓子は貴重な小麦粉とかプラーミァの砂糖や香辛料を使った品ですよ。
市販したら少額銀貨どころか、高額銀貨並なんですから!
化粧品だって、アルケディウスの特別な技術を使った他にはない品ですよ」
「神官長のご命令にございます」
でも、相変わらず取り付く島もない。
判を押したような返事は変わらない。
「……取り上げて、着服したり、研究するんじゃないんですか?」
「神官長のご命令にございます」
あ、そんなことはしないって言わなかった。
子どものお菓子取り上げて、自分達で食べたり、使うつもり?
そんなの酷すぎる!
「持って参りました……」
「拝見します。
こちらがお菓子ですね。それから……この貝殻と小瓶は?」
「化粧品。姫君の美しさをより輝かせる為のものです。
口紅。唇に塗って唇に艶と輝きを与える品。こちらは花の化粧水。肌に塗って潤いを与えるもの。
後、花の香りを宿した油と髪を美しくし、艶を与える液にございます」
「アンヌティーレ様もお持ちでは無い、不思議な品ばかりですわね。
一時お預かりします。化粧品の方は検証し、神官長様の許可が降りましたら儀式に使用できるように『聖別』してお返しします」
「お菓子は?」
化粧品は返してくれるって言ったけど、やっぱりお菓子については何も言ってくれない。
「儀式が終わるまで取っておいても大丈夫なものですか?」
「温度管理をしておけばもつかもしれませんが、夏ですから悪くなってしまうかも……」
「でしたら、処分させて頂く事になるかもしれません。その分の代金は支払う様に神官長様に申し伝えておきますので」
「そういう問題じゃないんですってば!」
ああ、もう。
本当に大神殿て、汚い!
あれやこれや、私の嫌なことばっかりする!!
「だったら! ミュールズさん。そのお菓子、貸して下さい!
あと、使用人さん達、皆集まって!!!
ネアちゃん! 皆を集めてきて下さい」
「は、はい!」
「姫君?」
「いいから、黙っていて下さい。私は食べませんし、処分しますから!」
何かを言おうとしたマイアさんを制して、私は奥の院で仕事をしてくれていた人たちを呼び集める。
マイアさんを除くと四人の人が、奥の院や泉の掃除(あと、私の監視?)の為に常駐している。
その人達に並んでもらった後、ハンカチにお菓子を包んで一人ひとりに手渡した。
勿論、マイアさんとネアちゃんにも。
カマラとミュールズさんにも渡す。
「え?」「これは?」
「アルケディウスの新しい産業『新しい食』の技で作ったお菓子、です。
捨てられるのはもったいないので、皆さんに差し上げます。食べて下さい」
「え? そんな?『聖なる乙女』から品物を賜るなど……」
「いいんです。さっきも言った通り、貴重な品物ですから捨てられるのは勿体ないです。お世話をしてくれる皆さんに、お礼です。
食べて下さい。今、ここで!」
戸惑う女性達はどうしたらいいか、と困惑気味。
「お前達、それは箱に戻して……」
と言いかけたマイアさんだったけれど、その時
「素晴らしい美味しさです。マリカ様!
癖になる様なほろ苦さと、鮮烈な甘さ。
この仕事について、役得で何度も甘味は頂きましたが。ええ、それでも!
このような美味なモノ食べた事がありませんわ!」
私の視線で意図を察してくれたのだろう。
カマラはハンカチを開けて、中のお菓子。チョコレートを口に頬張ってくれた。
「失礼いたします。
クッキーや、パウンドケーキは幾度か味合わせて頂きましたが、このチョコレートはプラーミァからの輸入品でなければ作れない味。
王侯貴族、豪商でさえ食べられない『新しい味』の真骨頂。
疲れが溶けていくようです。素晴らしい体験をさせて頂きました」
ミュールズさんの微笑みと賛辞を聞いて、女性達の喉が鳴ったのが解った。
神殿の下働きさん達だ。
甘いお菓子はおろか、食事だって碌にしていないかもしれない。
「ネアちゃんも、一つどうぞ。
大丈夫です。私が食べて、と言ったんですから他の人達に怒られることはないですし、怒らせたりしませんから」
渡したハンカチを預かり、開いた後、チョコレートを一つ手渡しする。
皆大好き、ミクルのプラリネだ。
少し逡巡して、口に運んだネアちゃんは、
「ふわああっ!」
ほっぺを押さえたまま、かくんと膝をついてしまった。
生まれて初めての甘いもの。それもチョコレートだもんね。
自分で言うのもなんだけど、きっと幸せに美味しいと思う。
「あの……、ほんとうに……なんて、いったらいいのか……。
すごい……」
「おいしい、って言って貰えると嬉しいです」
「おいしい、です。しあわせ……です。ゆうしゃさまに、ほめられたときより。すごく……すごく」
「よかった」
「ちょ、頂戴します!」
「これ!」
ネアちゃんの様子に、我慢がならなくなったのか、女性達も次々に包みを開けて、菓子を頬張る。
「うわっ!」「凄い!」「……甘い?」「何百年ぶりかしら。お菓子なんて食べたの」
「な、何をしているのですか?
『聖なる乙女』のご命令とはいえ、聖なる奥の院、しかも高貴な方の前で物を食するだなんて……」
「私が望んだのですからいいんです。
お菓子もただ捨てられるよりは、誰かに美味しいって言った貰った方が絶対に幸せですから。
マイアさんは、食べては下さらないのですか……。
新しい『食』に興味はお有りになりませんか?」
「…………」
ありません、と即答しなかったあたり、脈はあり。
腰を抜かしているネアちゃんをそっと立たせて、私はマイアさんを見つめた。
「お仕えする方の前で、物を食するなど、御許可を頂いていても失礼な事です。
分けられ、食べかけたものを神官長に渡す事も出来ませんし、個別に渡されたものを廃棄するのも不敬。
これは、後ほど、頂かせて頂きます。
ご厚情感謝申し上げます」
「いいえ。元々、自分が食べられない時は、皆さんに差し上げたいと思っていたので。
お世話をおかけするお礼と、感謝の気持ちを込めて……」
お世話になる人達への菓子折り持参は社会人の処世術。
神官長達に盗られるよりは本当にずっといい。
「食べるって、幸せで元気を作る事なんです。
だから、アルケディウスは国を挙げて事業展開しています。
より良い未来を創る為に」
「……より良い未来、ですか?」
「お願いですから、女官さん達を怒ったりしないであげて下さい。そして、マイアさんも、できればその幸せを感じて頂ければ嬉しいです」
私の言葉にマイアさんは返事をせず、退室してしまい、夜の禊まで戻ってこなかった。
でも、禊の後。
「……お菓子、とても、美味しゅうございました。
食というものが、人を力づけ、幸せにするということを、改めて理解致しました。
『聖なる乙女』のお力も……」
そう言ってくれて、微笑んでくれたのだ。
たった、一度の事だけれども。
そして、なんと! 翌日の朝から、食事に生果物が付く様になった。
マズ飯は相変わらずのマズ飯だけど、食後の甘味があるというのは食事に幸せをくれる。
「ありがとうございます。マイアさん」
「別に、私は何もしておりませんわ」
マイアさんの態度がその後、劇的に親切になったとか、変わったとかは無かったけれど。
ほんのちょっとだけでも「きっかけ」になったのならいいなと思う。
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