王家の後押しを受けた国賓の皇女。
そして本物の王家の王子、王子妃を前に、もはやギルド長の顔は青を通り越して真っ白になっていた。
「では、まず第一弾として、基本的な調理の技術をお教えします。
それを使って約一年、庶民に『新しい味』を広める事を優先して伝えて下さい」
「かしこまりました」
「支払いは金貨10枚ですが、分割でも構いません。先の支払いをすべて終えた時点での報告と状況を見て次のレシピやアイデアの提供を行います」
「はい。必ずや秋の大祭までに完済してご覧に入れます」
何せ、自分の頭の上を素通りして金貨の取引が行われているのだから。
去年の夏の大祭で燻製器を持ち込んだ移動商人によって始まった屋台が徐々に人気が出てきた頃、王様が大規模に食の事業展開を発表した。
燻製器が大量に生産され、大貴族達は各地で魚介類などを含め、燻製作りを始めている。
国策としてアルケディウスと反対に上から『新しい食』が貴族に伝わった関係から、人気はあっても一般人がまだ気軽に新しい食を口にするところまでは行っていないというのが現状らしい。
さっきの屋台も串焼き一本中額銅貨2枚なのだそうだ。
アルケディウスの倍。
なかなかエグい。
しかも、損を気にせずどんどん新商品を展開できるアルケディウスと違って、まったくの新事業だから食文化が死滅し、衣料、工芸などで数百年を生きて来た各商人達は本格的な参入に懐疑的だった。
それは一人の移動商人としてアルケディウス皇族御用達、を隠して接触を図ったアルへの態度にも表れていたのだけれどその中で、数少ない存在として、アルを子どもと侮らず興味と誠実な対応で接してくれたのがマーカムだった、
「きっかけは、串、でした」
木工商人であるマーカムはそう、私達に語る。
衣料と違い木工はなかなかに、新規顧客を作り辛い。
性能の良いものは長持ちする。大事にして貰えるが買い替えて貰えることは少ない。
粗悪乱造だと品物は売れるが顧客は離れる。
丁寧な商売をしていた彼は、新しく生産される燻製器と、屋台の販売に使われる串、に着目した。
燻製器の権利を買い取って配下の工房に作らせると同時、今まで木工の端材として捨てられたり燃やされたりしていた木材で屋台に使われる『串』を作らせたのだ。
「棄てていたモノに値が付く。
しかも消耗品として繰り返し買って貰える。私はそこに新しい商圏を見ました。
それで情報を集め、ゲシュマック商会から接触があった時に、交渉を申し出たのです。
我が商会にも、子どもの見習いはいますので、忌避はありませんでしたし」
「子ども? 子どもを育てておられるのですか?」
「ええ、元は捨て子でしたが、目端の効く頭のいい子なのでいずれ片腕になってくれればと…」
「オレも会っ…会いました。俺より二つ年下だそうですけれど、大事にして貰っているようです」
その話を聞いた時点で、私はマーカムを信用する事にした。
頭の良い人だし、先見の明もある。
意欲も持っているし、何よりこの世界で子どもを虐げないということは信頼に値する人物だという事だ。
私的に。
ゲシュマック商会のプラーミァ代理店のような形をマーカムのフロレスタ商会に委任する。
運用しやすいレシピをいくつか預け、庶民用の固定店舗を冬までに開店して貰う。
などを概要として決めた。
契約者はゲシュマック商会。代表アル。
ただ、レシピ権利の所有者として、そして後援者として私が概要を提示する。
「レシピは屋台用の基本レシピを十、お教えします。それ以上はある程度商売が広がってからですね」
「姫君、王族、貴族向けよりレシピを安く販売なさるのですか?」
「安くはしませんよ。王族にお売りしているのと同じ値段です。
ただ援助したり、返済を待ったりはします。
食の裾野を広げる為です。実際に作業に当たる庶民が味を覚えその価値を知れば、国王陛下が提唱される事業展開や、農作物の増産も従事者が増えスムーズに進むかと」
「それは、そうですが…」
王族からも、ガッチリしっかりお金を取っているので王子は不満げだったけれど、私は食を貴族の楽しみだけのものにしたくはないのだ。
食べる事は、食物から、星から力を分け与えて貰う事。
膝を抱え、やることが無い人たちに気力を蘇らせたい。
それが本当は保育士でありたい私が商人兼皇女しながら、食を推進させている理由、なのだから。
「フィリアトゥリス様、明日、契約の為に城に来てもらってもいいでしょうか?
アルが侮られるのは困りますし、私も契約に立ち会いたいのです」
「そうですわね。正式な契約の前に国王陛下にご報告しておいた方がいいかと思いますし、応接間をお貸しする事はできると思いますわ」
王様や、留守番のミリアソリス、モドナック様にも報告しておかないといけない。
あと、国の皇王陛下や、お母様経由でゲシュマック商会にも。
「姫君…本当に、姫君の後援する食の直営店をこのような若造に任せるおつもりでございますか?」
話の区切りがついたのを見計らったようにギルド長が私に呼びかける。
若造って、不老不死者なんだからそれでも五百年商人やってたベテランでしょう?
不老不死者のその辺の思考がホントに解らない。
「プラーミァとアルケディウスは離れておりますから、信用できるかどうかが第一なのです。
大事なアルケディウスの財産、『食』を託すのですから」
「信用であるのなら、長く王家の御用を務めて参りました我が商会の方が!」
「だって、貴方は子どもを、私の代理人である存在をないがしろにするのでしょう?」
「そ、それは…」
ぐっと、返答に詰まるギルド長に私は、わざとらしく息を吐いた。
我ながら権力を握った子どもはタチが悪いと思うけれど、ここはキッチリ〆ておく。
「私自身も子どもですから、子どもをないがしろにする存在はちょっと、ねえ?」
「それは…その、決してないがしろにしたわけでは…」
「せっかくの新規事業に興味がないのであれば、今まで通り堅実に御商売された方が良いと存じますわ」
「…マリカ様、ギルド長の店、マクラーレン商会は長く王家御用を務めて来た服飾の店なのです。
御用商会に対する無礼へのお怒りはごもっともですが、機会を与えてやっては頂けませんか?」
「別に怒っている訳ではございませんよ。食へも参入する気があるのなら参入して下さいませ」
「それでも、商業ギルド長の全く関われない所で、国の重点事業に関わる契約が全て決まってしまったら他の者達に示しがつきません」
フィリアトゥリス様とグランダルフィ王子が間に入って下さるけど、私、別に本当にそんなに怒ってるわけじゃないんだよ。
やりたくない仕事を無理にやらせなくてもいいかなってだけで。
あと、子どもを甘く見ないで欲しいな、って。
まあ、あんまりやり過ぎるとマーカムの商会が嫌がらせされたりするかもしれないし…。
アルも今後の交渉がやりにくくなるかもしれないか。
でも全くのペナルティ無しってのも…。
あ、そうだ。
「では、お願いがございますの。
王都を預かるギルド長であらせられるなら、この街の情報には詳しくていらっしゃるでしょう?」
私はギルド長に目をやった。
彼も何のペナルティ無しで許されたとなれば、居心地悪いだろうし。
「それは…まあ、多少なりとも」
「後ほど使いを出しますので。私のお願いを聞いて下さいませ」
「お願い、でございますか?」
「ええ、別に無茶を申している訳ではありませんの。ただちょっと知りたいことがあって、私の代わりに調べて頂きたいのです。
王宮に呼ばれて仕事をする身ですから、そうそう私、市街を歩き回る事もできませんし」
一応、自分が今回けっこう皆に迷惑をかけている事くらいは理解しているのだ。
そんなに何度も同じことはできない。
ほぼ身内のプラーミァだから許された、多分一回限りの我が儘だってことくらい。ちゃんと覚悟している。
だから、できる限りの事はしていきたい。
「解りました」
何を調べて欲しいかは言わなかったけれど、ギルド長は頭を下げる。
そんな無茶じゃないから、ちゃんと調べてくれるだろう。
「ありがとう。
代理店はフロレスタ商会に委託しますが、一緒に協力して、食を広げて下さることは歓迎いたしましてよ。
レシピについてもご希望ならフロレスタ商会と同条件でお教えできますね? アル」
「はい。マリカ様」
つい、口出ししすぎてしまったけれど、商業関係の責任者はアル。
私が出しゃばり過ぎちゃいけない。
「では細かい内容についてはゲシュマック商会の代表と詰めて下さい。
フロレスタ商会も『食』と言うのは一商会が独占するのは不可能な程の大きな商圏です。他の商会と協力して大事に育てて行って下さいませ」
「心得ております」
私の答えにギルド長は安堵したように息を吐き出した。
これで、事なかれ主義を少し改めて本気で『新しい食』の拡充に勤めてくれるといいのだけれど。
一通りの話を終えた頃にはもうかなり時間が過ぎていた。
服飾店まで回るのは無理だろう。
後日、改めてフィリアトゥリス様に御用商会を呼んでもらうことをお願いして私達は城に戻ることになった。
ギルドの前まで馬車を回して貰う間、少しマーカムと雑談。
気になった事を聞いてみる。
「何か、良い香りがするようなのですけれど…」
「ああ、それはこれだと、思います。ハイファ…うちの息子が提案し作った細工物なのですが…」
「細工物?」
彼は服の隠しから小さな、根付のような飾りを指し出す。木で拙いけれども唐草模様の様に精巧に彫り込まれた親指の先ほどの小さな小箱に小さな布のボールが入っている。
「あら、本当に良い匂いですね。花の香りや完熟の果物の香りとは違う、どこか甘くて不思議な感じ」
フィリアトゥリス様も机の上に乗せられたそれにくん、と鼻を動かして見せる。
この世界には香りの文化があんまりない事はアルケディウスの経験で解っている。
香りを人が好まない訳ではない事も。
「息子が『育てた花の種が良い香りを発しているから、作ってみた』と。
量産できるわけではないのですが、作らせたものを店で売ってみたらなかなか好評で買っていく者も多いのですよ」
それで、時々街中で甘い香りがしてたのか。
でも…これは…。
「どうかなさったのですか? マリカ様?」
「マーカム。これを買い取らせて頂く事はできませんか?」
「へ? こんな子どもの細工物を、姫君が?」
「ダメですか?」
「いいえ、お望みなら勿論献上いたします」
「マリカ様?」
私は自分がかなり、ガチでマジになっている事に気付いてた。
横でフィリアトゥリス様がなんかひいてる。
「ありがとう。そして、できれば次に城に上がる時にその子どもを一緒に連れて来て下さい」
「え? 子どもを、ですか? 教育はしておりますが、まだ城に上げ皇女や王族の方々の前に出す礼儀作法は…」
「気にしないで下さい。どうしても聞きたいことがあるのです。
あと育てた花の種というのも残っていれば持ってきて頂けるとなお助かります」
「は、はい」
暴君皇女再び、でもここはゴリ押しする。
これは本当に私の思う通りならとんでもない代物なのだ。
詳しい話をどうしても聞きたい。
やがて、やってきた馬車に乗せられて、私のプラーミァ王都観光は終わりを告げた。
「グランダルフィ王子、フィリアトゥリス様
今日は我が儘を聞いて頂き、ありがとうございます。
おかげでとても多くの収穫がありました」
馬車の中で、私は今日一日付き合ってくれたお二人に頭を下げる。
けれど、お二人は顔を見合わせながら、伺う様に私を見つめている。
「それは、構いませんが…マリカ様。ギルド長にプラーミァの何を聞きたいのか、伺っても構いませんか?
私達では答えられない事ですか?」
「私も少々気になります。今日の事は申しわけありませんが、父上に報告しなければならないので…」
まあ、それはそうか。
変に疑われない為にお二人の前で伝えたのだけれど、他国の王女が自国の商人に情報収集を命じるなんて気分の良い話では無いだろうし。
「それでしたら、私から国王陛下にご報告いたします。
代理店の話と、一般市民への食の展開、そして…これに付いても」
私は手の中の小さな小箱の蓋を開け、中を開いた。
白い綿のようなモノの中には、思った通り小さな黒い粒が封じ込められていた。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!