舞踏会終盤、終わりも終わり。
各テーブルもあいさつ回りを終え、もしくは諦め、片付けの準備に入っている頃。
彼はやってきた。
「姫君、本日のラストダンスを、僕と踊って頂けないでしょうか?」
「え?」
側に立つ皇王陛下や皇王妃様もガン無視。
私の前にただ、真っ直ぐにやってきて跪く偽勇者エリクスに、私は声も上げられなかった。
「本来、舞踏会というのはダンスや、会談をもって人々が友好を示す場。
愛らしい姫君と踊りたい者は多かれど、姫君と踊れるのは護衛騎士殿以外は、僕しかいないでしょう。
どうか、僕に小精霊の祝福を賜りたく」
「下がれ! 無礼な」
「おやおや、忠義深い護衛騎士殿。姫君を守ろうとするその行動は賞賛されるべきものではあるけれど…」
駆け寄ったリオンが私とエリクスの間に割って入ってくれるけれど、立ち上がりエリクスのリオンを見下す目は冷ややかで余裕に満ちている。
「無礼はどっちかな? 僕は今回の会議の主催にして、監督役。
大聖都 大神殿のこれでも代表の一人だ。主催者が、参加者の姫君に声をかけて引きたてようとすることのどこが無礼だと?」
「言った筈だ。アルケディウスは一人残らず『知っている』。
ダンスなどアルケディウスに踏み入り、情報を収集する為の方便だろう?」
「やれやれ、やはり僕は皇子に信用がないのかな?」
厳しい追及に肩を竦め、呆れたように手を上げるエリクス。
「読みませんよ。
そんなに便利な力じゃ無いんです。直接肌に触れないと意味のあるものは伝わってこないし、それだって断片的なものでしかない。
相手が僕の『能力』を理解して読ませない、と思えば読むこともできない。
ちゃんと手袋もしているでしょう? 僕は純粋に親愛なるライオット皇子の姫君と好を交したい。ただそれだけです」
「それは、貴様の言い分だ。本当に素手で触れないと解らないのか、相手が警戒していれば読めないのかなど、我々には解らない。
姫君の、アルケディウスの秘密を探ろうとする大聖都の間者でないという証拠がどこにある?」
「どこにもないですね。でも、そこは信じて貰うしかない。
…そもそも他国には大聖都の命令を拒む権限などないのですから」
「くっ…」
圧倒的な上から目線にリオンの反論は封じられる。
この世界における七国は、基本的に対等。上下の差は無い。
けれど、大聖都は全ての国々に対して不老不死という絶対の恵みを与える圧倒的上位という立場なのだ。
いかにアルケディウスが反神国であろうと、いや、であるからこそ表向きに逆らう訳にはいかない。
目の前の少年はそれを理解した上で、願いという名の命令をしているのだ。
…サイテー。
「…行ってくるがいい。マリカ」
「お祖父様!」
「皇王陛下?」
諦めた様にため息をつき、皇王陛下が顎をしゃくる。
「正直な所、其方のラストダンスは必要だ。
勇者殿がエスコートして下さるというのなら逆らう事は確かに出来ぬ」
「でも…」
触られたら心を読まれるかもしれない。
そんな恐怖を持ちながら、相手に身を委ねて踊るなんてできっこない。
私の不安を理解していない、訳ではないだろうけれど、仕方ないことだ、と皇王陛下は息を吐く。
「そこは、勇者殿を信用するしか無かろう。
真実アルケディウスと、敬愛するというライオットを敵に回しても聖なる『乙女』の心に踏み入るか。
それとも誠実に対し、信頼を得るか。
どちらが今後、永遠にも近い時を付き合っていくに有効か、解らぬほど愚かでは無い、と」
「無論、皇王陛下とライオット皇子の信頼を裏切るような真似は致しません」
「万が一、其方がマリカの心を暴き、それを利用して我らに何かを迫ろうとすることあらば、貴方の『能力』を他国にも伝達いたします。
よろしいかな?」
『勇者』エリクスの役割がその立場と外見を生かした各国に対するけん制と、情報収集であるのなら、能力を知られればその価値と意味は大幅に減退する。
他人に心を読まれて嬉しい人はそういないのだから。
「承知いたしました。
では姫君。どうかお手を」
白い、上布の手袋で包まれた手が差し伸べられる。
この手を取るのは怖い。
エリクスの言葉が嘘で魔王城の事や精霊の事、リオンの事など読まれたら、私達は終わりだ。
でも…
「よろしくお願いします」
「マリカ!」
心配そうなリオンに視線で微笑み、私は彼の手を取って歩き出した。
ゆっくりとエスコートされながらホールの中央に進み出ると、周囲にも何組かのペアが現れる。
本当に、私がラストダンスに立つのを待っていたみたいだ。
最後に、もう一度踊るならリオンとが良かったなあ。
あからさまな不安を笑みに隠して、私は曲のスタートに合わせて、ステップを踏んだ。
甘やかなワルツ曲。
この曲と最初の曲は舞踏会の定番曲であるそうなので、とりあえずこの二曲だけでも、と必死で覚えたのだ。
一・二・三。
右に回って、それから左で軸を取って。
「少し、顔を上げて頂けませんか? 姫君?」
踊りとステップに集中している私に、どこか困ったようなエリクスの声が降ってきた。
心もち顔を上げて彼を見ると、皇子様のように優しいエリクスの碧の瞳が、私を見つめている。
あー、美形だな。
と素直に思った。
この顔で微笑まれたら、勇者の肩書への憧れ込で女性はメロメロになるだろう。
しっかりとした教育と訓練を受けているのか、エリクスのリードも悪くはない。
私のぎこちない動きに合わせて手を引いたり、身体を動かしたりしてタイミングを取ってくれる。
「確かに、皇子の面影がありますね。姫君は」
「そうですか?」
「ええ、揺ぎ無い芯の強さとか、目元に宿る意志と自信とか。
確かに皇子の血を引いているのだな、と思います」
「ありがとうございます」
どうやら、本当に今は能力を発動させていないようだと少しホッとする。
もし本当に読心していたら、私と皇子が血が繋がっていないの解るもんね。
と、思ってもエリクスの反応は変わらない。
よく解らない子だな、と思う。
でも油断は禁物。
今は能力を使っていないかもしれないけれど、これからどうか解らない。
心を解かないように気を付けながら、ステップと弾けるように甘いメロディーに集中する。
「…姫君に、嫌われたくないので正直に告白いたしますが、本当に僕の読心など大したことは無いのですよ」
ふと、静かな雪のように落ちた声に目を向けるとエリクスの困ったような笑みが見えた。
「僕の能力は、貴女の護衛騎士が言った通り人の顔色を窺う保身の為のモノですから。
相手が油断していれば、その時思っていた事を読み取れもしますが、警戒されていると殆ど解りません。
実際、貴女のお父上の心は最後まで思い計る事もできなかった」
「エリクス様…」
すました自身満々の『勇者』の仮面が少し外れ、エリクスという少年の本心が見えた気がした。
「色々とご無礼を申し上げましたが、アルケディウスと、そして皇子の面影を宿す貴女と好を持ちたいと思うのは本当です。
大神殿で、僕はいつも一人。
勇者の転生は崇められても、友人もいない。あの少年騎士と仲良くなりたいと思う思いもまったくの嘘ではないのです。
たった一人、頼りになる親友と離れているがため、彼に眼をかけられている彼を羨ましく思う気持ちと共に…」
くるりとエリクスの腕の中で回転し、その腕に背を預けると、子どものような眼差しが私に注がれる。
さっきまでの大神殿という最高権力を笠に着て、他人を見下すそれではなく、嫌われることを怖れ怯える『子ども』の眼差しだ。
「美しい宵闇の姫君。
どうか、僕を嫌いにならないで頂けませんか?」
「お辛い思いを…されてきたのですね」
自分の外見や能力を利用する者の中で育ち、友達も無く。
たった一人の拠り所である皇子にも、自業自得とはいえ冷たい仕打ち。
自らを表す唯一の縁も偽りのもの。
この子も、不老不死世界の犠牲者なのかもしれない、とふと思ってしまった。
『子ども』という存在に私は自分が甘い、と自覚はしている。
でも、彼もまた愛を受けて育つことなく、周囲を伺い、嫌われる事を怖れ、怯えて生きて来た『子ども』なのだと思うと突き放すことができそうになかった。
「別に、嫌いではございませんよ」
「姫君?」
私は碧の瞳を覗き込み、答えた。
出来る限り可愛らしい、笑みを浮かべながら。
エリクスの瞳が見開くような驚きを宿す。
リオンやフェイが聞いたら怒りそうだけれど、神の側の存在を取り込めるかも、という計算も無くはないし。
私にとっては
「せんせい、ぼくのことすき?」
と心配そうに問いかける子どもに対して
「好きよ」
と返すのと同じノリなのだ。
「心を読むだの、大神殿の力を使って圧力をかけるだの言われれば、好きになる余裕もありませんが、私はまだ他国の方をどなたも好きでも、嫌いでもないのです」
「では、私とも…」
「今はまだ、嫌いになる理由はございません。
ですから、どうか変な圧力や脅しをかけず、同じ一人の人間として互いを思いやり、誠実な隣人、友人としてのお付き合いから始めませんか?」
「姫君…」
「その方がきっと楽しいですよ」
身体の強張りをほどき、私は瞬きして私を見つめる彼のリードを素直に受け入れた。
弾けるようなリズムに合わせ、私は音楽と、ダンスを楽しむ。
自分も子どもの頃、人並みに憧れた、お城での舞踏会。
王子様と踊るダンスを楽しむ気持ちなら、別に読まれても構わない。
いつしか曲が終わり、お辞儀をする私達の上に万雷の拍手が沸き起こった。
好意と、称賛の溢れる空気は気持ちがいい。
拍手に応えた後、エリクスは私をアルケディウスの一角までエスコートしてくれた。
「先程はご無礼を申し上げましたこと、心からお詫び申し上げます。
アルケディウス皇王陛下。
そして改めてお願いがございます」
私を護衛騎士の元に帰したエリクスは皇王陛下に深々と頭を下げ謝罪すると、私の方に向かい合う。
「姫君 麗しき宵闇の乙女。
その星の顔と輝く心に、僕は魅了されてしいました」
そして、私の手をもう一度手を取りキスをする。
えっ?
「どうか僕の求愛を受けて頂けないでしょうか?」
「え? えっ!!」
うっとりと、夢見るような王子様の微笑みで私を見るエリクスの言葉にアルケディウスは皆、一様に引いている。
何があったんだ?
と責めるようなリオンの眼差しが痛い。
私だって解んないよ。
頭がパニックだ。
何、何でいきなりそうなるの?
お友達からって言ったよね、私!
ああ! もうこの子、本当に空気読まなすぎ!
わかんない!!
かくして舞踏会は終焉を迎える。
最後にとんでもないスキャンダルを残して。
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