魔王城の深夜。
「急にやりすぎだ。エルフィリーネ」
リオン兄は、城の守護精霊にそんな声を向けた。
「あら。私はただ、マリカ様のご要望に応えただけですよ。
全てはマリカ様の御意志であり、決定です」
どこか怒りを含んだ兄貴の言葉に悪びれた様子もなく、エルフィリーネは微笑む。
マリカは知らない。
知らせる事の無い裏の話。
精霊達のないしょ話。
マリカが転移陣で帰ったのを見届けた後、リオン兄は転移陣を見つめるエルフィリーネにそんな抗議の声を向けた。
深夜の魔王城前、照らすものは消えかけた月の光しかない筈なのに、妙に明るいのは城の守護精霊と精霊の獣がいるからだろうか?
二人は闇の中で、不思議な光を纏っているように見える。
「僕達が今まで、あえてマリカに『精霊の力』『気力』について話をしなかった理由を貴女は解っているのでしょう?」
リオン兄の援護をするように思いと抗議を重ねるフェイ兄。
残念ながら『精霊』の力とやらを持たないオレには、言葉を発する権利は無い。
「ええ、勿論、理解しているつもりです。
マリカ様に『能力者』としての覚醒を促したくなかった。
ごく普通の女の子として、できる限り平穏に過ごして欲しかった。
私も、そう思っておりましたから、今まで。
マリカ様に問われるまでは、決して自分から『精霊』の話を振ることは致しませんでしたでしょう?」
きっぱりと抗議に反論するエルフィリーネ。
自分は何も悪くない、と言外に主張しているのがオレにさえ解った。
「……お前は、マリカに、早く『精霊の貴人』になって欲しいんだな?」
「それは、もう!
五百年もの間、城に背を向け、一人で歩き続けてきた貴方には解るようで解らない事でしょうけれど。
ただ一人。
何もできないまま、たった一人で世界の変容を見させられ、自分の無力を噛みしめ続けて来た私にとってマリカ様の帰還は長年待ち焦がれた福音なのです。
さらに、貴方が戻り、魔術師が蘇り、子ども達が帰って来た。
後は一刻も早い、王国の復活を。
『星』のご心労を、ご負担を少しでも減らしたい。
それが、マリカ様が戻られてからずっと願い続けて来た、私の思いです」
うっとりと、夢見るような表情で語るエルフィリーネを見て、俺は考える。
もし、この場にマリカがいたら、きっと同じように考えるだろう。
マリカは『精霊の貴人』の生まれ変わり。
でも 今のマリカ=『精霊の貴人』ではないのだろう。
逆に対の存在であるというリオン兄は生まれながらにして『精霊の獣』だ。
『精霊の貴人』『精霊の獣』が姓名では無く、役職であるのなら。
能力を持って生まれたから、ではない両者を隔てる何かが、そこにはあるのだろうか。
「そうすることで、今のマリカが失われて、役割を果たす『精霊の貴人』になってしまうとしても?」
「あら、誤解なさらないで下さいませ。
昔ならいざ知らず、今の私はそんな強引な真似は致しませんわ」
エルフィリーネの言葉を言外に責めるフェイ兄にエルフィリーネは頭を振る。
昔ならいざ知らず、という言葉にゾワリと背中が寒くなったのはオレだけだろうか?
「正直、命令に従うだけの人形に、お仕えするのは楽しい事ではありませんし。
マリカ様にお仕えするのは、本当に楽しく、やりがいがあるのです。
あの方が、少しずつ『星』の封印を破り、自らを磨き上げ、『精霊の貴人』として輝いていく姿を見るにつけ、成長し、遠くない未来、完成されたマリカ様が立つ姿を想像して嬉しくなるのですわ」
「その為に、マリカの知らない所で『精霊の貴人』にする為の研磨を続けるというのか?」
「私は、あくまで道具を渡し、磨き方を教えるだけ。
己を磨き上げるのはマリカ様自身です。それに、多少は身を護る手段も教えておかないと、あれだけの宝石、神だけでなく傲慢な人間どもも手を伸ばして参りますわよ」
「マリカを守るのは『精霊の獣』の役目だ」
「貴方の手の届かない所で、危険が及ぶことも在りえるのでは。
事実、ナハトクルム様の領域では危なかったのでしょう?」
「それは……」
アーヴェントルクでの失態を揶揄されて、唇を噛みしめるリオン兄。
リオン兄はマリカに対して、過保護すぎるくらい過保護で、絶対に守る意思と能力を有しているけれどマリカは女で、リオン兄は男だ。
どうしても一緒にいられない場所や時間は生まれる。
そのスキを突かれた、らというエルフィリーネの指摘は間違ってはいない。
護衛を育てると言っても、成長を敵は待っていてもくれない。
「加えてマリカ様がおっしゃっていた『礼大祭』。舞台の上で『神』が伸ばして来る手を振り払えるのはマリカ様だけでしょう?」
「……っ」
「今は様子見だとしても、『神』もマリカ様の価値を知っているからこそ、徐々にその狙いの手を強めて来る筈。
貴方はその全てから。
搦め手の陰謀も含めて、マリカ様を守り切れるのですか?
持つ者は、持つ力で、持たざる者はその知恵と持たないという事実で戦うしかないのですよ」
エルフィリーネの言葉は容赦ない。
容赦のない真実だ。
「何より、マリカ様ご自身が望んだのです。
『神』に向き合う為に、負けない力を。私はそれを助けただけ……」
「それが、マリカを『精霊の貴人』の役目に縛りつける事になったとしても、か?」
「勘違いしないで。
私は『星』が望もうと、私自身が深く願おうと、あの方の意思に沿わぬ事を押し付けるつもりはありませんよ。
全ての決定権はマリカ様にあるのです」
「でも……あいつは……」
「マリカ様を戦わせたくない、守りたいと囀るのであれば、貴方自身が力をつけ、そうなさい。
貴方が全てを守る『精霊の獣』にふさわしい力を付けた時、真実に至る扉が開かれる事でしょう」
アルフィリーガ。
決して口調は強くない。
けれども深く、ナイフでえぐる様な鋭さで彼女の言葉はリオン兄を刺し貫く。
「……解っている。
ああ、必ずそうしてみせるさ!」
「それなら、いつまでもこんな所にいる暇はないでしょう。
やるべきことをなさい」
「アルケディウスに戻る。行くぞ。フェイ、アル」
「リオン!」
エルフィリーネの横をすり抜け、リオン兄は転移陣に向かう。
オレとフェイ兄もその後を追いかけた……。
「ん?」
微かに、何かが降れたような感覚を確かめる間もなく
「アル!」
「あ、今行く」
オレは発動する転移陣に乗ってアルケディウスに戻っていた。
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