「これは、素晴らしい料理ですな。
エルディランドでもこのような美味なる食事は食べた事が無い」
「本当に。見た目も華やかで手が込んでいて。
この煮物などまるで花が咲いたようではありませんか?」
「お褒めに預かり光栄です」
「味が濃すぎず、薄すぎないのが良い。
私がチョコレートの味の濃さを指摘したからかと思われますが、姫君のお心遣い感謝いたします」
「生姜焼きや琥珀糖など少し味が濃いものもありますが…」
「いやいや、これくらいなら問題は無い。このビールと呼ばれる酒で流しこむと何ともはや、至福です。…素晴らしい。米酒とは違う味わいですな。
…もう一杯頂けるとありがたいのですが」
「かしこまりました」
エルディランドとの昼餐。
私は空になった麦酒のグラスに酒を満たして、ホワンディオエルディランド大王様に指し出す。
お世辞の無い皿の評価に私はホッと胸をなでおろしたのだった。
現在私は仕事中。
料理人として、給仕と料理の説明の為に、皇王陛下と皇王妃様のお手伝いをしている。
皇女が給仕に料理と顔をしかめる使用人も多いけど(以下略)
メニューを作ったのは私だし、一番詳しく説明できるのも私だ。
ザーフトラク様が料理の仕上げをして暖かく、美味しいタイミングで料理を出して下さるので、私が給仕にあたる。
皇女が給仕すれば、毒見なんて気にせずに食事を楽しんで頂けると思う。
「この料理に、ショーユが使われているのですかな?」
「はい。酒の方も使わせて頂きました。
エルディランドから頂いたどちらも、とても上質で素晴らしいものでした。
料理の美味を褒めて頂けるのでしたら、どの評価の半分は醤油と酒に」
これはリップサービスでは無くホントの事だ。
醤油もお酒も濃厚で豊潤。
私が向こうで使っていた安物よりもずっと上質で、豚の角煮や生姜焼きがグレードアップした気がする。
「ぜひアルケディウスに定期的に送って頂きたいのですが…」
「我々も、ぜひこの料理の料理方法を教えて頂きたいものです」
「その件については、既にプラーミァ国からの先例がありまして…」
昼餐を兼ねた会談は大いに盛り上がって、留学生の受け入れとゲシュマック商会を窓口にする醤油と酒の輸入までトントン拍子に話が決まった。
私が飲めないのでお酒は当面料理用酒使いがメインになってしまいそうだけれど、皇王陛下は
「これは強い。だが、鮮烈で爽やか、良い酒ですな」
と気に入っておられた。
落ちついたらリードさんやガルフに相談して、酒精としての酒の評価もして貰おう。
エルディランドにもアルケディウスにも満足の行く結果で会食が終わると、次はプラーミァ王国との会談だ。
午餐を召し上がって頂くのだけれど、少し早めにお茶会を設定し、その場で王太后様や兄王様達に、ティラトリーツェ様の双子ちゃんのお話をすることになっている。
午餐の為の準備があるので皇王陛下と皇王妃様はお見えにならない。
純粋に『家族』のお茶会、である。
「私、プラーミァの方達とお話してきます。
片付けと午餐の下ごしらえはお願いしていいですか?」
「構わない。よろしくお伝えしておいてくれ」
豚の角煮とか時間のかかるものはもう、後はこのまま煮込むだけだし、基本のメニューは昼と一緒。
ザーフトラク様なら安心してお任せできる。
私は厨房を出て部屋に帰るとミュールズさんやセリーナに手伝って貰って身支度を整えた。
応接室でお茶やお菓子の準備をしていると外でノックの音。
まだ早いけどもういらしたのかな、と思って外に出たら
「ミーティラ様?」
「マリカ様、申し訳ありません。どうしてもマリカ様に会いたいと来客が…」
…あ、嫌な予感。
私が応接室を出て、区画の玄関に出ると…
「用事があるなら正式に使者を送り、相手の都合を聞き、日を改めるのが礼儀だろう!
大聖都の勇者は礼儀も知らないのか!」
「予約を取ろうとしたら、忙しいから無理だと一蹴されたんだ。ならば直接来るしかないだろう。
あの優しい姫君が一顧だにせず僕の頼みを袖にするなんて在りえない。
貴様が勝手に断りの返事を書いたんじゃないのか?」
かなり本気で本気な言い争いの声。
「誰です? 何の騒ぎですか?」
仮にも王国居住区画の玄関。
色々ヤバイだろうと注意の声で私は様子を伺う。
言い争いをしていたのはリオンと…
「宵闇の姫君! やっとお会いできました!」
跪くやっぱりの偽勇者。
側にさっきの使者を務めた小姓と、護衛騎士を二人連れている。
「エリクス様。これは何の真似でいらっしゃいますか?」
「姫にどうしてもお会いしたくて我慢ならず、押しかけてしまいました。
ご無礼をお許し下さい」
「無礼と解っているなら来るな!」
私の手を取り、騎士の仕草で口づけるエリクスにリオンは明らかに怒り心頭と言った顔だ。
しっしっ!
と手を払う様子は虫を払うかのよう。
「先程、使者が戻ってきたのですが、忙しいので会見はできかねるとの返事。
何かの間違いだと解っていましたので、姫の真意を直接確かめるべくはせ参じました」
「間違いではございませんよ。今日は勿論、明日も、その翌日も。
会議の最終日まで私、皇王陛下と皇王妃様のお手伝いで忙しいのです。申し訳ありませんが遊んでいる暇は無く…」
私は顎に手を当ててため息をつく。
所謂こまったわ、のポーズ。
空気の読めない子はこれだから困る。
「何故です? 何故、まだ成人もしていない幼い姫が社交外交の矢面に立たねばならないのですか?」
「カーン、…行け!」
「え?」
その瞬間、
詰め寄ろうとするエリクスの前に、ひらりと遮る大きな影が降りた。
リオンでもミーティラ様でもない大柄な騎士が、私を背後に庇って立っている。
自然、エリクスは押し飛ばされる形で後ろに下がることになった。
「何者だ! 貴様!」
背後に控えていた偽勇者の護衛騎士は、焦ったような困ったような顔をしているけれど、戦意は見えない。
知らない人だけど、知ってる。この人は…
思った時に、深みのある声が私の耳に届いた。
「何を玄関先で騒いでいる? 小精霊」
「兄王様!」
やっぱりプラーミァ国王陛下御一行だ。
時間ピッタリ。
ということはやっぱりこの人は兄王様がアルケディウスに来た時、同道してた腹心騎士さんだ。
確か、名前はカーンダヴィットさん。ミーティラ様と同格の王様の腹心だった筈。
「国王陛下。王妃様、王太后様、お待ちしておりました。
すみません、ちょっと急な来客がありまして。どうぞこちらへ」
入り口を塞いでいたリオンや騎士達は勿論、兄王様達にはスッと横に避けて道を開く。
「待って下さい。姫君。
僕とは話ができず、彼等は招き入れるというのですか?」
「当然でございましょう?
きちんと約束を交した国賓と、相手の都合も構わず押しかけて来た子どもを同列には扱えませんわ」
エリクスは喰ってかかるけれど、正直比べ物にならない。
私にとってプラーミァ王国は失礼ながら家族も同様だし。
「ですが、私は…大聖都の…」
「それがどうした。勇者の転生」
言いよどむエリクスに兄王様は言い放つ。
そこには一欠片の敬意も見えない。
「確かに貴様は前世で偉業を成し遂げたのかもしれんが、今の世の貴様はまだ何も役に立っていない。
大聖都の威光を笠にきるだけの未熟で愚かなただの子どもだ。
自らのやるべき事を自覚し、国務を行うマリカの邪魔をするな!」
その偉業を果たしたのもリオンだしね。
と呟くのは心の中でだけにしておく。
「僕だって…魔性退治の仕事をしている。
大聖都の守備兵団を率いる者だ。何も役に立っていない訳じゃない!
それに昨日皇王陛下もおっしゃっていたが、姫君のような幼い子どもが、貴族社会に初めて立ったような方が、一体何の国務をしていると…」
「料理だ」
「料理?」
「そうだ。アルケディウスは近年人々に活力を与える『食』に取り組んでいると聞いたことは無いのか?」
「し、知らない…」
必死に反論を探すエリクスの態度に、心底呆れたという仕草で肩を竦めると兄王様は私を抱き寄せて持ち上げた。
「昨日、神官長も言っていただろう?
『アルケディウスを中心に人々に活気が戻っている』と。
アルケディウスの食を味わった者は、気力に溢れ意欲と活力を取り戻す。
まあ、そんな能書きは抜きにしてもアルケディウスとこいつによって広まりつつある食は、人々を幸せにするのだ」
「幸せ…に?」
ぐりぐりと大きな手で私の頭を撫でてくれる兄王様。
ちょっと大げさな褒め言葉だと思うけれど、そう思って頂けているのなら嬉しいと素直に思った。
「…姫君に馴れ馴れしいぞ。それに…食事なんて…どれも濃くて甘いだけの…道楽じゃないか」
「物は試しです。勇者殿。信じられないなら味わってみてはいかが?」
「王太后様」
兄王様とエリクスの言い争いを黙って見ていた王太后様が小さく笑って提案する。
エリクスに向けられた眼差しは、まるで我が子を見守る母のように優しい。
「これから、我々はアルケディウスとお茶を頂いて、夕食を共にすることになっておりますの。
私の席をお譲りしますから、アルケディウスとマリカが大切にしているものをどうかその眼、その舌で確かめて下さいな」
「それはいい。姫君の料理というものを味わえるのなら…勇者への無礼は帳消しにしてやっても…」
「だ、ダメです! 王太后様!」
大声を上げてしまった私を兄王様が降ろして下さる。
私は王太后様に駆け寄り必死で手を握りしめた。
「今日はティラトリーツェお母様と双子ちゃんの話を聞いて頂くお約束です。
この機会を逃したらゆっくりお話しできる時間は何時とれるか…」
会議の帰還は五日間。そのうちもう、二日が終わる。
明日はアーヴェントルクとフリュッスカイトから食事の申し込みがあった。残る二国も疎かにできないとなれば四日目は両国を招く事になるだろう。
最終日は朝から会議で終わり次第帰国。
国王会議の来賓は一名と決められているから、来年私と王太后様がお会いできるとは限らないし、国の北と南に別れた国同士、そう簡単に行き来もできない。
今日しかないのだ。
「エリクス様!」
私はエリクスをキッと睨み付ける。
我ながら眉がつり上がっていると思うけれど、いい加減私も怒った。
育てられた環境に関してエリクスに罪は無くても、与えられた環境と恵まれた(しかも他人の)立場に胡坐をかき、感謝の心も無く、成長しようという意図も見えない我が儘っ子はこのまま育ったらろくな大人にならない。
一度、プライドを木っ端微塵に砕いて鍛え直さないとダメだ。
「大聖都のどこかに、戦える場所はございませんか?」
「戦える場所?」
意味が解らないと首を傾げるエリクスの横で小姓の少年が教えてくれた。
大神殿の一角に、騎士達の訓練場がある、と。
「そこをお借りできますか?」
「会議中は特に訓練があるわけではないから、できると思いますよ。
姫君がお望みなら申請を出しておきますから」
お願いします、と小姓の少年にお願いして、私はエリクスを見る。
「明日、早朝、大神殿の訓練場にいらして下さいませ。
アルケディウスの実力をお目にかけますわ」
「アルケディウスの…実力?」
「ええ、望んでおられた私の護衛騎士との手合わせの場を作ります。
もし、エリクス様が勝たれましたら、私が腕に寄りをかけた料理を振舞い、お祖父様にお願い申し上げて一日、エリクス様と過ごします」
「マリカ?」
「誠、ですか?」
所謂決闘だ。
リオンが驚きに眉を上げているけれども、当のエリクスは嬉しそうに瞳を輝かせていた。
「ですが、私の護衛騎士が勝ったら、この滞在中、無理な訪問や誘いかけはお止め下さいませ。
そして、大神殿の笠を着ず、誠実な振る舞いと努力を学んで頂きたく存じます」
「解りました。ですが、私が勝利いたしましたらもう一つ、褒美を賜りたく」
即答。随分自信があるようだ。
もう勝利を得たかのような勝ち誇った笑みを浮かべ偽勇者は頭を垂れ私を眇めた。
「なんでしょうか?」
「姫君の花の顔に近付き、花芯に我が祝福を…」
「…いいでしょう」
「マリカ!」
「ありがとうございます!」
速攻立ち上がると私にだけ、丁寧なお辞儀をして彼は去っていく。
「では、明日、土の刻に」
最後の最後まで失礼な。
お気遣い下さった王太后様や、親切に言い聞かせて下さった兄王様にお礼も言わず。
もう用はないとばかりに走り去っていく背中をため息と共に見送った私に、王妃様が心配そうにお声かけ下さる。
「良いのですか? あの勇者は自分が勝ったら貴女ににキスさせろと言っていたのですよ」
「解ってます。でも、大丈夫です。
私の護衛騎士はあんな名ばかりの勇者には負けません」
「まあ、そうだな」
「心配するまでも無い事ですわね」
おや?
随分とあっさり。
プラーミァ勢が心配を手放して下さったのがちょっと意外ではあったのだけれど。
「相手の強さも計れないような戦士は二流以下、ということですよ」
兄王様の護衛騎士さんが肩を上げて見せる。
さっき、私を助けてくれた人だ。
「君が姫君の目の前で手を出す価値も無いと思いましたから、余計な手出しをしましたが、本気を出されたら私でさえも勝てる自信がない守護騎士を抱えているのです。
あんな名ばかりの勇者に姫君が、唇を奪われることは無いでしょう」
「カーンの言う通りだ。そいつはライオットが目をかけ、育て上げたというだけのことはある。
大事にしろよ」
「ありがとうございます」
ぽんぽん、と頭に触れる兄王様。
流石だな。プラーミァ。
リオンの実力を見抜いてたのか。
流石に本物の勇者の転生だとは気付いてないだろうけれど。
気付いてないよね。きっと。
「少年騎士、茶会の側に付け。
女達の会話の間、我らの話し相手を命じる」
「はっ!」
プラーミァとの時間は本当に楽しく過ぎて、幸せに終わった。
ティラトリーツェ様との出会いや、その後の武勇伝も時間の許す限り話すと、やっぱり王太后様は心配しておられたのだろう。
楽し気に笑いながら時々目元を拭っておられた。
双子ちゃんの様子も頷きながら幸せそうな笑みで頷いていらっしゃる。
今度、ギルに頼んで双子ちゃんの絵を描いてお送りしたいな、と思った。
兄王様はお付きの騎士と一緒にリオンと楽しそうに話をしている。
実力ある戦士同士、やっぱり気は合うのかもしれない。
午餐は私の全力を尽くした最新の和風会席もどき。
兄王様は、豚の角煮が特に気に入ったと言ってお代わりまでして下さった。
「これは、エルディランドとも輸入交渉をしないといけないか…」
とは、兄王様の独り言。
チョコレートについても話が決まり、当面、豆の六割でアルケディウスが加工を担当することになった。
その代り、希望を受け付ける。
プラリネ多め、とかトリュフいくつ以上、とか。
そしてさらに二人の料理留学生を受け入れる事にも。
「チッ、皇王陛下の思う様にされてしまった。
一刻も早く、自国に料理人を育てねば…」
兄王様の目は真剣だ。
「マリカ。プラーミァは南国だから、花も一年中色々な種類が咲くのよ。
今度ぜひ、花の香りの水や香料の作り方も教えて頂戴」
プラーミァとは今年も良い関係が築けそうだ、と皇王陛下はいたくご満悦。
私もキトロンや南国フルーツ、香辛料を定期的に確実に入手できるようになったので、幸せである。
そして、夜。
アルケディウス区画の中庭。
小さな東屋で、私はリオンと一緒に月を見ていた。
月は大聖都も魔王城も変わらないんだな、当たり前のことを思う。
「本当に、全力でやっていいんだな」
主語は無いけれど、明日の朝一。
約束したエリクスとの戦いの件だと、お互いに解っている。
事後承諾になってしまったけれど、リオンは私の意図を十分に理解してくれているから
「うん。思いっきりやっちゃっていい。伸びた鼻へし折ってやって」
私は何の躊躇いも無くそう答える。
精霊の力を封じられていようと、偽勇者に本物が負ける筈は無い。
頼もしくリオンは頷いてくれた。
「よし、八つ当たり込みで叩き潰してやるさ」
本物の、名に懸けて。
声にならない声は、私以外の人にはきっと届かなかったろう。
けど、私には届いた。だから、それでいいのだ。
「…なあ、マリカ」
「なあに?」
リオンが私に呼びかける。
珍しく歯切れの悪い声?
「あのさ…」
「?」
「…俺が勝ったら、俺にもエリクスと同じ褒美を貰えないか?」
小首を傾げながらリオンを見る私には、言った瞬間顔を真っ赤に染めるリオンがはっきりと映る。
夕刻、月明かりと僅かな灯りしかない中庭でもはっきりと。
かわいい。
思わず零れた笑みを頬に浮かべたまま
「今でも、いいよ」
「マリカ…」
リオンに向けて目を閉じ顔を上げた。
ミュールズさんとか、使用人とか、皇王妃様に見つかったらはしたないとか言われるかな、と思ったけれどリオンならいいのだ。
うん。
唇にリオンの温度が伝わってくる。
本当に触れるだけの優しいキス。
なのに、身体から力が抜けていきそうな程に気持ちいい。
ずっと、彼を感じていたかった。
分かれていたモノが一つになるような、そんな幸福感が全身を支配する。
頭と心が熱を帯びて幸せに酔ってしまいそうだ。
「ありがとう。マリカ」
だから、唐突に終わってしまうと、まるで夢から覚めた気分になった。
でも、夢じゃないと解る。
目の前に、リオンのホッとしたような笑顔があるから。
「これで、何の心配も気になることも無くなった。
あいつにマリカの唇は渡さない。
偽勇者は俺の本気でブッ飛ばしてやるから」
「うん、頑張って。信じてるから」
そう、私は信じてる。
私の 精霊の獣 を。
「何を探してるの? セリーナ? マリカ様がリオンと共にお戻りです。
お風呂とお休みの準備を…」
「申し訳ありません。ミュールズ様。
マリカ様からお預かりしたアクセサリーが一つ見つからなくって…」
「何です?」
「蒼い宝石のついたバングルです」
「? そこにあるではないですか? テーブルの上」
「あれ? 何度も探したはずなのに…???」
読み終わったら、ポイントを付けましょう!