「あ、もう夜月も終わりだね」
私はカレンダーに付けた赤い丸印をそっと外して板をひっくり返す。
カレンダーをつけるようになって、色々な事の目安が立てやすくなったと思う。
一年十六月のこの世界。
季節は多少のズレはあっても大体四カ月で動いていく。
解りやすくてありがたい。
今日で夜月は終わり、星月に入る。
雪もピークを過ぎてきたようだ。
「ふむ、そろそろかな?」
準備を進めた方が良いということ。
何の準備かと言えば勿論…
「カエラの飴、食べる人~」
「「「「「はーーーい!!!」」」」」
そろそろ勉強時間も終わりの二の二刻。
机に向かう子ども達に、そんな声をかけた。
私の手には鍋。漂う甘い砂糖の香り。
これを嫌がる子どもはまずいないと確信できる、芳醇かつ喜びの香りだ。
「アーサー。バルコニーからこの箱に雪詰めてきて。
エリセ、精霊魔術の練習だと思って、この鍋温めて」
「りょうかい!」「はーい!!」
全員が勉強道具を片付け、テーブルでの準備に釘付けになる。
「何をされるのですか?」
エリセの手の中で、くつくつぷつぷつと気持ちのいい音を立てる鍋を覗きこみながら、ティーナが首を傾げた。
エリセも精霊術ちょっとずつ上手になっているなあ、と思ったところで気付く。
そういえばカエラの話、ティーナにはしてなかったっけ。
「あのね、このお城にはお砂糖があるの。
ティーナも時々食べてたでしょ。砂糖を使ったお菓子」
「あ、はい。この孤島でどうやって入手しておられるのかと不思議だったのですが」
パンケーキやクッキー、パウンドケーキやクレープなど、毎日ではもちろんないのだけれど、生活の潤いに時々お菓子は取り入れていた。
外の世界では砂糖は、皇王国…アルケディウスというらしい。多分、これも精霊にちなんだ名前…よりも南にあるという大聖都よりもさらに南の国のごく一部でしか取れず、しかも各国の貴族王族が取り合いしている貴重品だという。
「この島のお砂糖は、カエラの木の樹液からできるの。冬限定なんだけど」
「えっ?」
「マリカ姉、これくらいでいーい?」
「うーん、もうちょっと。今年最後のシロップだしね」
「わかった~」
「樹液を煮詰めて、煮詰めて糖分だけ抽出したのがあのシロップと、砂糖」
「そうだったのですか? 木から砂糖ができるとは驚きです」
「マリカ姉。雪もってきたー!」
「ありがとう。アーサー。エリセもご苦労様。それじゃあ、見てて」
私は暖かい鍋が冷えないうちに雪の上にシロップを垂らしていく。
茶色の濃い濃厚なシロップが金褐色に色を変え雪の上で固まっていく様子は胸が躍る。
木の枝で端から水あめのようにくるくると巻いて…
「今年の最初は、ティーナとミルカね」
「よろしいのですか?」
「始めてだし。みんなの分もどんどん作るから」
既に木の枝を持ってスタンバイしている子達がいるので、私は飴をティーナと、同じように何が始まるのかと首をかしげていたミルカに渡す。
と、急がないと固まっちゃう。
冷める前にどんどん雪に落としていく。
「はい、小さい子から順番順番」
「わーい」「わーいわーい」
ジャック、リュウ、ギルにジョイ。
小さい子達ももう何度かやっているのでお手の物だ。
くるくる上手に巻いてぱくっ。
「おいしー」「おいしーね」
幸せそうな笑顔を満面で見せてくれる。
「ほら、二人とも、遠慮しないで食べてみるといい」
「本当に美味しいから、びっくりしちゃうよ!」
遠慮がちに飴を見つめていた二人もエリセやリオンに促されて、おそるおそる口に運ぶ。
と、同時、本当に目を見開いた。
「どう?」
聞く必要も無いけど、聞いてみる。
我ながらドヤ顔してると思うけど。
「本当に、おどろきました。こんなに甘いものがこの世にあるなんて」
「今まで、驚くような美味を幾度も味わってきたと思っていましたが、まだまだ先があったのですね。
本当に素晴らしいです」
「でしょ?」
喜んでもらえると本当に嬉しい
純粋かつ濃縮された甘さ。雪とまじりあうシャリシャリとした食感。
ただ甘いだけではない、複雑なうまみが絡まり合ったメイプルタフィーならぬカエラキャンディは世界でまだここでしか味わえない至高の逸品だと自負している。
「マリカ姉、よそ見してないで早く早く!」
「あ、ごめんごめん」
全員に行きわたってから私も一口。
うーん、美味しい。
雪がいい具合に飴と混じりあってシャリシャリしている。
カチカチに固めるのもいいんだけどやっぱり、このなんともいえない柔らかい水飴感が私は好きだ。
「ああ、そういえばもう、そんなシーズンですね。後で、精霊にいつごろからがいいか、聞いてみましょうか?」
嬉しそうに飴を舐めるフェイが頷く。
去年も甘党のフェイは随分頑張ってカエラ糖作りに協力してくれた。
そのおかげでまだ、多少シュガーの方には余裕があるけれど、来年、外で使うとなれば今年もできる限りは確保しておきたい。
「もう少し雪が減らないと木の方が良くても私達の方が動けないと思う。
でも、無理のない程度に、でもできるだけ今年も頑張ろうと思うから、みんな協力してくれる?」
飴で口がいっぱいで、声は聞こえないが全員の首が縦に動いた。
みんなが手伝ってくれれば、人手も増えているし、今年は去年よりもう少し量産出来るだろうか。
「採取が始まったら、私、そっちにかかりきりになっちゃうと思うんだ。
だから、ティーナにもミルカにも色々手伝ってほしい」
採取は男の子達。煮詰め作業は私やフェイ、今年はエリセにも手伝って貰って魔術も使って全力でやる予定だ。
ティーナやミルカにも直接の作業は難しくても、子ども達の面倒や食事準備の手伝いとかをしてもらえると凄く助かると伝えた。
「解りました。お姉様」
「お役に立てることがあるなら喜んで」
これで、協力体制確保。
みんなきっと、頑張ってくれる。
後は去年のように美味しいものを作ってあげながらお砂糖の増産、頑張ろう。
私はそう思っていた。
ところが…。
「マリカねえ…こっちきて~」
「? なに、どうしたの? ジョイ?」
「ぼくの方がさき!」
「ギルも? なあに?」
何故だか年少組が甘えてくるようになった。
以前よりも、特に私が作業の準備などをしようとすると、私の手を引っ張って自分の方に呼ぼうとするのだ。
「マリカねえ! こっち!」「ちがう、こっち!」
「ちょ、いたい、痛いってば!」
私は腕を両方から引っ張られて逆大岡越前状態。
こっちは私が涙目になってもなかなか止めてはくれない。
「ギル様、マリカ様はお忙しくていらっしゃいますから、向こうで遊びませんか?」
「イヤ」「マリカねえがいい!」
ティーナが宥めても言う事を聞かずぎゃいのぎゃいのと大騒ぎだ。
「いい加減にしなさい。
マリカに迷惑をかけるのは許さない、と前にも言った筈ですが…」
見かねたのだろう。フェイが二人に声をかけてくれた。
怒りの冷気に一瞬、怯んだように見えた二人だったけれど、次の瞬間
「いやだー!」「たすけてー。マリカねえ」
私にしがみ付いてのぎゃん泣きが始まる。
もう私が宥めても効果がない。
「ごめん。ティーナ。ジャックとリュウお願い。
私、二人を落ちつかせてから行くから」
呆れ顔のフェイに目で合図して、私はギルとジョイ、二人を自室に連れて行った。
そう言えば、二人とだけ何かをする、というのは今まで殆どなかった気がする。
三人だけになると、二人は嘘のように泣き止んだ。
そして
ピトリ、ペタリ。
ベッドに腰かけた私の両脇から、二人が私の足にしがみ付く。
ギルとジョイ。
二人の、二人だけの顔を見て、私はやっと気が付いた。
赤ちゃん返り。その理由に。
「そっか、寂しい思いさせちゃってたんだね」
ぽんぽん。
背中を撫でながら私の横に座らせると
「マリカねえ、どっかいっちゃうの?」
「マリカねえ、おおきくなっちゃうの?」
伺うような目で、ギルが私を見ている。
縋る様な目で、ジョイが私の顔を見上げていた。
「…どうして、そう思うの?」
私の変化は、この子達も見た。
大きくなったところは見ていないけれど、大人になった姿と、子どもに戻ったところは見ていた筈だ。
それが多分きっかけだ。
私を見つめる二人の眼にはいっぱいの涙が浮かんでいる。
「マリカ姉。じょおうさま。
いっつもいそがしい、いそがしい。
おりょうり、お外、おべんきょう、けんのれんしゅう。
やだやだ、マリカ姉といっしょがいい」
「おおきくならないで。どこにもいかないで。
おさとういらない。おかしもいらない。
おおきくならないで。どこにもいかないで…」
「ギル…。ジョイ…」
ぎゅう、と私にしがみ付く腕は、細くて弱いけれども全力で、私はとても振りほどけなかった。
ああ、本当に寂しい思いをさせてしまったんだ、と解った。
ギルとジョイは、この城に来た時2~3歳くらいだったと思う。
本当なら一番、親に甘えたい時期。
愛着行動が出てくる時期だった。
でも、二人の下にはジャックとリュウというもっと小さい子がいた。
だから、なんだかんだで、ジャック達はだっこしたりおんぶしたり、添い寝したりが多かったけれども、直ぐ上であるギルとリュウにはたくさん我慢させてしまったのかもしれない。
そんな自覚は確かに在る。
自分達も誰かに甘えたい。
見て欲しい。
受け止めて欲しい。
そんな気持ちをずっと、ずっと抱えてきて…でも、言葉に出さず我慢を続けていた。
完全な安心できる基盤、保育用語であえていうならアタッチメント。
愛着の根幹、絆の源。
を作ってあげられなかった。
いや、作れていたのかもしれないけれど、あの騒ぎで「私」という存在が揺らいで見えた。
いつかいなくなるかもしれない。そう気付いてしまった。
信じていた足元が崩れてしまった。
だから、不安になって赤ちゃん返りしてしまったのだろう。
これは、私の保育士としての未熟さが引き起こしてしまった事態だ。
でも…
「ありがとう。ジョイ。
ありがとう。ギル。
私を大好きでいてくれて。私と一緒にいたいって思ってくれて。
私もジョイが、ギルが大好きだよ」
それでも、せいいっぱいの気持ちをちゃんと伝えてくれた。
言葉に乗せて、一生懸命。
二人を胸元にぎゅう、と抱き寄せる。
「でもね。私は大きくなるよ。
でないとギルとジョイといっしょにいられなくなるもの」
そして、一番近い所で本当の気持ちを伝えた。
どこにもいかないと、言うのは簡単だけれども、それは嘘になってしまうから。
「行かないで。大きくならないで。ずっとずっといっしょにいて!」
「いっしょにいる為に大きくなるの。
大きくならないといっしょにいられなくなっちゃう。
ギルやジョイを守ってあげられなくなっちゃう」
「ぼくたちを、まもる?」
「うん、私は守るの。ギルとジョイを。ジャックや、リュウを。
エリセやアーサーや、リオンやフェイもみんな、みんな守る為に大きく、強くなりたいの。
ごめんね。それは本当に譲れない」
しがみつく二人を抱きしめる。
強く、強く。
二人の寂しい思いごと。私の気持ちごと。
「ギル。ジョイ。
いっしょに大きくなろう。いっしょに勉強しよう。一緒に遊ぼう。
そして、二人も大事なものをみつけて。アーサーやアレクみたいにやりたいこと。
シュウやヨハンみたいに大好きな事。
私は、それまでちゃんといるから。ギルの近くに。ジョイの側に」
スッと、腕の中に抱きしめていた身体が後ろに動いた。
最初にギル。それからジョイが。
私も腕を下げて子ども達を放す。
「ギル、ジョイ…」
「やくそくした。そばにいて、ちかくにいて、もうちょっと」
「ぼくたち、おおきくなるから。おてつだいするから。そばにいて。もうすこし」
今まで、我慢し続けて来た二人から始めて出た、それは心からの願いだったように思う。
「わかった。お手伝いしてくれる?
私の側で、一緒にね。教えてあげるから。
一緒にがんばろう。大きくなろう」
立ち上がり、二人も立ち上がらせて目線を合わせる。
手をしっかり握り、心を伝えるように。
「うん」「いっしょに」
「一緒にね」
もしかしたら、最初から小さい子達にもちゃんと話しておいた方が良かったのかもしれない。
私は今回の事で反省した。
リオンの告白の時のように。
私の秘密も変化のことも全部。
解ってないと、思っていても、子ども達はきっと解らないなりに解っているのだ。
きっと。
小さい子達を、小さいからといって省くのではなく、仲間として小さい子にもできることをやってもらおう。
話もしよう。
そうすれば、きっとそれぞれに、それぞれの自信と信頼を身に付け自立していく。
信じてくれる。
フェイには甘いとまた言われるかもしれないけれど。
私は出来る限り、子ども達の思いに寄り添っていきたいと思う。
子ども達の身体と、心を守る。
それが、私がここにいる理由だと、思うから。
それから、少しして本格的にカエラ糖の採取時期に入った。
去年は始めてということもあって、本当に手探りだったけれども、今年は去年の経験を踏まえて少し余裕を持ってできそうに思う。
その余裕を増産ではなく、時間に使うことにして私は、煮詰め作業やシロップ作りを年少、年中組と一緒にやっている。
子ども達を台所に入れて。
薪をくべたり、鍋をかき混ぜたりを手伝ってもらいながら。
ギルも、ジョイも、ジャックもリュウも。
鍋や火を前に約束すればふざけたりはしない。
ちゃんと解って、手伝ってくれる。
ジョイは特に料理に興味を持ちはじめたようだ。
鍋のかきまわす手、シロップを見つめる目には真剣さが宿っている。
まあ、やり方を教えたり火傷したりしないように気を付けなければならない分、手は取られるので
「手伝わないことが、一番の手伝いのような気がしますがね」
というフェイの言葉は真実なのだけれど。
「マリカ姉。つぎなにする?」
「じゃあ、これをエリセ姉のところに運んであげて」
「はーい」
「ぼくは?」
「じゃあ、これをそっと、掬って…」
せめて、今はできるだけ、一緒にいようと思う。
いつか、必ずやって来る。
その時まで。
楽しいメイプルシロップ作りになる筈が何故?
ギルとジョイが泣きだしたのでこんな話になってしまいました。
思えばあんまり描いてあげられなかったし、我慢もいっぱいさせてたね。
ごめんなさい。
アタッチメント、とは中にもさらっと書きましたが、保育用語で愛着、絆などとも訳される子どもにとっての「人との安心できる関係」という概念です。
これが形成されている子どもは安心して自分を出して成長できるのですが、それが作れていなかったり揺らいでしまっている子は親からの分離ができなかったりします。
まあ、その辺は難しいので省略。
ギルとジョイももっと見てあげよう。というお話でした。
子ども達一人ひとりを、ちゃんと書いていきたいです。
次話こそメイプルシロップで美味しい食事回、になると思います。
多分。
宜しくお願いします。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!