『待たせたな。アーグストラム』
呆然と月下の精霊に魅入っていた私達はその声に、ハッと我に返る。
声の主はフェイの杖。
「心配するな。シュルーストラム。退屈はしていない。
数百年ぶりの実体を満喫させて貰っているさ。」
薄く浮かびがった精霊の呼び声に、懐かしそうに嬉しそうに彼は微笑んで見せた。
「アーグ…ストラム?」
「お初にお目にかかる。精霊の貴人 精霊の獣
我が名はアーグストラム 魔術師の杖にして星の手足なれば」
かつて、フェイの杖、シュルーストラムがあいさつしたのと同じ仕草、同じトーン。
彼は優雅にお辞儀をして見せる。
「そう言えば、前に言ってたね。シュルーストラム。
大地を司る精霊の石、アーグストラムと、炎を司る精霊の石 フォルトシュトラムがいるって」
魔術師、精霊術士が術の媒介として使う精霊石は、星の精霊と呼ばれる高位精霊が人間の力になる為に化身したものだと聞く。
シュルーストラムは風の王、の意味と力を持ち移動、流動に強い力を発揮する。
ストラムは精霊の古語で王を意味する。
そして同様の意味合いを持って大地の王 アーグストラムと、炎の王 フォルシュストラムが存在するとも。
「確かに、初めてだよな。
俺が物心ついた時、もうあんたはエルトゥリアにいなかった」
500年前の、精霊国を知るリオンの言葉にアーグストラムは寂しそうに頷き微笑む。
「私が選んだ主と共にエルトゥリアを離れたのはまだ、貴方達がこの世界に生みだされる前の事。
その後、世界は闇に覆われ、島は閉ざされ、星は不老不死の呪いに犯されて、主と分かれて後も島に戻ることはできずに彷徨っていた」
「でも、貴方は驚くくらいしっかりとした実像を結んでいる。
声もはっきりと聞こえる。
エルフィリーネに負けないくらい…。どうして?」
目の前に立つ精霊は男性体。20代後半に見えた。
そして本当に手を伸ばせば触れられそうなくらいにはっきりとした姿で佇んでいる。
背中までの流れる光を紡いだような、深い森を映した濃い緑の瞳。
溜息が出そうな程に美しい容姿は明らかな精霊だと解るけれど
『こやつは、大地を司る者。
故に大地と共に在る限り力を失う事はない。我らの中で唯一、主無しでも人型をとって地上を歩ける者、なのだ』
フェイの手に握られて姿を淡く映すシュルーストラムの声には羨望に似た色が混じる。
「こればかりは与えられた性質、だからな。仕方ない。
貴様とて良い主を見つけたようだ。あと数年もすれば実体を結ぶことも可能であろう?」
『別に無理に実体を取りたいとは思っておらぬ。非効率だからな。その分の力を術に回した方がマシだ』
「まあ、そういう考え方もあるな。否定はせぬよ」
つまり、魔術師の杖は力を供給されれば、実体を取ることもできるということらしい。
アーグストラムは大地から力の供給を受けることができるけれども、シュルーストラム(と多分フォルトシュトラム)は主から供給を受けるしかない。
けれど実体化にはけっこう纏まった力が必要なので、その分術に使うのが効率的という考え方もある、と。
「今、あんたは何してるんだ? 人型でこの蔵の蔵人か? アーグストラム?」
「いや。最初はそんなこともしていたが、今は、杖は杖らしく術士に仕えているさ』
呼びかけるリオンにアーグストラムは肩を竦めて見せる。
「じゃあ…ここの蔵の術士、オルジュさんの…?」
「ああ、そうだ。奴を助けて麦酒作りを手伝っている。今も広間で寝こけるオルジュは私を握っていることだろう」
「オルジュさんは、貴方の正体を…?」
「一応知ってはいるがここ数百年、会話もしておらぬな。奴が不老不死を得て以降私は杖に専念している。不老不死者が術士として大きな力を行使するのは簡単ではないからな。
この姿を取れたのは、シュルーストラムと魔術師の力あってのこと。
シュルーストラムではないが人の形を取るのは術を行使するのはロスが大きい」
『貴様がよく人型を諦め、不老不死者に力を貸すことにしたものよな』
「仕方なかろう? オルジュが望む『この蔵で酒造りを手伝う』には不老不死が必要だったのだ」
そういうと彼は目を伏せて思いを馳せるように語ってくれた。
『ごめん! アーグストラム…。僕は、エクトール様達の力になりたいんだ』
彼の術士、オルジュさんとの物語を。
「あやつと出会ったのは不老不死とそれにまつわる食の消滅が冷めやらぬ混乱の30年であった」
私達には解らない事だけれども
勇者アルフィリーガによって世界が不老不死になった直後、世界は混乱の中にあったという。
最初の10年は皆が不老不死を得たことに皆、熱狂し、ありとあらゆる享楽にふけった。
次の10年で人は不老不死に飽き始めた。
そして残る10年で格差が決まり、得た者は人の上に、持たざる者は地に堕ち全てを諦めるようになった。と。
「俺の最初の転生はその後だ。実際に見たことは無かったな…」
「見ないで済むならその方がいい。あれは相当に酷い時期であった」
アーグストラムは直接何があったかを詳しくは語ってはくれなかったけれど、言葉から察するに食が失われ、子ども達が投げ出されるようになったその始まりの時期だったらしい。
「このロンバルディア候領は農業を主としていただけにな。特に多くの者が職を失って乱れていた。
親に捨てられ行き場の無かったオルジュを拾ったのも、ちょうどその頃。
そして私はオルジュ共々、このエクトール荘領に転がり込んだのだ」
「居場所がないならここに滞在するがいい。
なに、住む場所はある。人手が足りぬ故、働いてくれるなら詮索はせぬ」
そうアーグストラムの正体を気にかける事も無く、エクトール様は迷い込んだ二人を受け入れてくれた。
蔵人として働き、麦酒作りを助けながら、アーグストラムはオルジュさんを育てたのだという。
「不老不死を得ずに死んだ主を見送って流離った私にとって、精霊の恵みを守り続ける彼らとの生活は心地よかった」
オルジュさんは成長し、エクトールさんやアーグストラム、蔵人に可愛がられながら精霊術士として育って行った。
「私としては奴に魔術師となって欲しかった。
才も、能力も十分にあった。
オルジュもその意志がまるで無かった訳ではないと思う。その頃には奴に正体を語ってもいたからな…。
ただ…」
「どうしても、不老不死を得ると? 不老不死は星の呪い。
得れば魔術師の資格を失う…」
「ごめん。アーグストラム。
僕は、術士としてエクトール様とこの蔵を、守り続けたいんだ…」
成長し、不老不死を得る、と決めたオルジュさんは、アーグストラムにそう意志の籠った目で告げたという。
「魔術師は、長寿であっても不老不死ではない。
100年もすれば普通の人間と同じように死して星に還る。
それではこの蔵を、エクトールを助けられないという奴の意志を、私は否定できなかった。
恩あるこの蔵と、エクトール達を見捨てる事もできなかった」
故に術者の杖に戻り、陰ひなたに彼らを守り、見守っていたという。
「フェイ、もしかして最初にオルジュさんに会った時から彼の杖がアーグストラムだって気付いてた?」
話を聞き終わった私の疑問に、ええと、フェイは静かに頷く。
「それはもう、一目で。
アーグストラムに見込まれながらも、己の意志で魔術師の道を選ばなかった者、だと解りました」
ああ、あの微妙な当たりの強さはだから、か。
『奴を見限りエルトゥリアに戻る気はないのか? アーグストラム?』
「同じ立場で貴様はそれをするか? シュルーストラム?」
返答は聞かなくても解る。
シュルーストラムの負けだ。
彼ら精霊はそんなことはしない。
竦めるように肩を揺らし、黙したシュルーストラムに微笑んで、彼、アーグストラムは
「精霊の貴人、精霊の獣
我ら精霊を統べる、星の代行者よ」
私と、リオンの前に膝をついた。
「私には、守るべきものがある。
貴方達と共に在り、助力するは星の精霊の使命なれど、どうか今しばらくの猶予を願いたい」
「猶予って、何か考えがあるの?」
「無くはない、という程度、ではあるが。夢を通して主、オルジュに働きかけられないかとは思っている。
我らは主あっての杖であるから…、主が動かねばどうしようもないのだ」
神との戦いの時、アーグストラムとその術者がいてくれれば心強くはある。でも
「私達としては平穏な貴方とオルジュさんの生活を乱すつもりはありません。
貴方の所在が確認できて、敵に回らないと解れば、それだけで安心できます」
「神との戦いと言ってもすぐの事じゃない。気にしないでくれ」
「すまない」
「当面は今まで通り、この荘園を守ってあげて下さい。麦酒が世に出ればその技術、あるいは麦酒そのものを狙ってくる人も増えましょう」
申し訳なさそうにアーグストラムは頭を下げるけれども、申し訳なく等全然ない。
麦酒は世界を変える。今後下手をすれば軍が必要なレベルで、狙われる筈だ。
この荘園には守護者が必要。絶対。
「貴方がそれをしてくれれば色々と安心できます。
エクトール様と荘園をよろしくお願いしますね」
「ああ、任された」
頷き、立ち上がったアーグストラムは一度だけ森に視線をやると、私達を見下ろす様に眇めた。
「気が付いているか? 星の代行者?」
「何が、です?」
「この蔵の物者達は、皆、外の世界の不老不死者に比べて元気だろう?」
「ああ、それは確かに」
この荘園の蔵人はエクトール様やオルジュさんを入れても20人に満たないくらいだけれども、みんなやる気に満ちた目をしている。
500年、麦酒の味の試行錯誤をしていたなんて外の人達からすればありえない位に。
「それは多分、麦酒を通して彼らが星の気を取り入れているからだ。
彼らは不老不死者ではあるが、我らが愛したかつての人間に近い」
「星の気…。貴方も飲食が大事だと思う?」
「ああ、私は大地より星の気を直接取り込むことができる。故に他の精霊よりも力を保ち得ている。
食という形で星の力を取り込むことは人に力を取り戻させるには重要だろう。
流石の英断と感心した」
「ありがとう」
世界を見続けて来た精霊の言葉であれば少し、自信も持てる。
新しい味方も増えたのだ。
まだ神の喉笛にはまだ遠いけれど、今は自分とそれを支えてくれる人、精霊達を信じて頑張ろう。
「これから、どうぞよろしくお願いしますね。
アーグストラム」
「こちらこそ、しっかりな。精霊の貴人」
私の背中を、ポンと励ます様に叩く精霊の手はエルフィリーネと同じ、体温の無い冷たいものであったけれども、不思議に優しく、暖かかった。
第二の精霊の杖 アーグストラムの登場です。
精霊の宿る術師の杖(石)は世界に最大で数百本ですが存在します。
精霊に命令し、術者の意志を伝えるという効果は基本同じですが、能力はピンキリ。
地方公務員から官僚レベルまで。
その中の最高位に位置するのが『ストラム』を冠する三本の杖で、一本はフェイの持つシュルーストラム。二本目が荘園の術士オルジュが持つアーグストラムです。
アーグストラムはその特殊な性質でかなり人間に近い形で実体を取れますが、今はその能力を封印してオルジュの為に杖に専念しています。
今後、けっこう大事な役割を持つことになるかと。
次が皇国の麦酒の荘園側後片付け。
そして皇国に戻った麦酒がまた騒動を齎すことになります。
もうすぐ200話。
あっと言う間ですね。何か考えられればいいのですが。
今後とも宜しくお願いします。
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