リオンの騎士試験本戦の一日目が終わった魔王城の夜。
「皇子がさ、『お前ならいい所まで行くかも』って言ったけど、あれお世辞だな。
ぜーったい無理。とてもじゃないけど無理だって思った」
皆で集まった食後の穏やかな時間。
食卓から場を移し、厚手の絨毯の上で思い思いに座ったり、寝転んだりしている。
その中心にいるのはアル。
勿論、話題は御前試合でのリオンの活躍だった。
「固くてさ、石像みたいに頑丈そうな戦士だったんだ。
そいつが振り上げたリオン兄の身長よりもでっかい斧を、ぱあーっと避けたリオン兄はさ、後ろにまわりこんで、一・二・三ってそいつの背中を駈け上って…」
「それから? それからどんな感じだった? アル兄?」
目を輝かせながら興奮気味に語るアルの話をその場にいる全員が。
店に帰り着いた途端に
「どうだった? リオン兄、勝っただろ?」
確信に満ちた目で迫ってきたアーサーだけではなく。
大よその概要を聞いていたアレク、ミルカ、エリセ。
ジャックやリュウの年少児は勿論、セリーナ、ファミーの女の子達。
エルフィリーネやティーナ。
ティーナの腕に抱かれているリグに至るまで真剣に聞いている。
…勿論、リグには意味は解っていないだろうけれど、みんなが夢中になっているのが解るのだろうか。
身動き一つしない。
空気が読める子だ。
で、当のリオンはといえば少し離れた食卓の椅子に残り、居心地の悪そうな顔でアルの語る武勇伝を聞いている。
右手に巻かれた白い包帯が痛々しい。
今日の最終戦。
槍使い ヴァルさんの攻撃で受けた傷は、中指と人差し指の間を、手の甲から手のひらを突き抜けるような感じで貫通していた。
骨が砕けていないのが奇跡的。
よくこれで拳を握れるとも、思う。
治療しようか、とも言ったのだけれども。
いろいろ不確定要素の大きい私の能力。
『変化』による治療、リオンなら以前一度成功しているし大丈夫だとは思ったのだけれども。
「それは、『精霊』の力だ。
ライオとの約束に反する」
と拒否られてしまった。
「怪我をしたのは俺のミス。一日で治したら不審がられもする。
このままでいい」
本人がそういうのなら仕方ないけれど、明日は騎士試験 御前試合の決勝戦。
リオンにとっては今回の参加者の中で一番の難敵である筈だ。
心配。
武術家 カニヨーンのウルクス。
明日のリオンの対戦相手だ。
リオンと同じ、この試験で初めて準貴族の地位を得た人物。
カニヨーンというのはアルケディウスの国境近くの小さな村の名前だそうだからそこの出身ということなのだろう。
「リオンとはタイプが違いますけれど、徒手空拳。
接近戦による肉弾戦がメインの武術家、ですね。騎士試験に出てくるのは珍しいタイプだ、とソレルティア様が言っていました」
思い出してみる。
筋骨隆々と言う言葉がふさわしいみっちりと筋肉のついた肉体。
ズボンは動きを妨げない、だっぽりとしたものだったけれど、上半身はほぼ裸と言って良い。
足は裸足で、手甲、足甲も無し。防具と言えるのは手に巻いたバンテージじみた布のみ。
出場者の大半が既に騎士資格を持っている準貴族で、鎧や防具をしっかりつけていたことを考えると確かに異色と言えるだろう。
彼に比べるとリオンの方が、まだちゃんとした服装をしていた。
髪はちょっと濃い茶髪、赤みがかった茶色の瞳。
ちょっと乱れた感じではあったけれど、視界や動きを妨げないようにすっぱりと切られた角刈り。
年齢は多分三十代後半に見えた。
子ども上がりはもっと若いうちに不老不死になるだろうから、多分最初からの不老不死者だと思う。
「奴の試合は見たが、強敵だ。
正直、今の状態だと勝てるかは五分五分かな、って思ってる」
「リオンが、そう言うの?」
実際に試合を見た私とフェイは、アルの話から少し離れ、リオンの側に集まる。
皆が話に夢中になっている今なら、多少突っ込んだ話や弱音があっても、聞かれずにすむだろう。
「スピードは、互角か、ちょっとこっちが上、かな?
だが、身体の持つパワーが違い過ぎる。単純な膂力なら完成された『精霊の獣』モードの俺に匹敵するくらいはあると思う」
声を失う。
私もフェイも、呼吸を忘れそうな程のそれは驚きだった。
そこまで強いとは…。
「加えて鍛え上げられ肉体から繰り出される技は、俺が見る限りだけれど、かなり実戦慣れしている。
場数を踏んでいる、と言って良い。それも対人に特化してると俺は見た。
表舞台で生きる人間のそれじゃない。
闇の中で多くの不老不死者と戦い、倒し、目的を果たす為の技術と戦い方だ。あれは」
戦士の能力の見切りについて、私やフェイがリオンの判断に異議を挟める訳はない。
幾度となく転生を繰り返し、戦い続けて来たリオン。
リオンがそう言うのなら、そうなのだ。
間違いなく。
「犯罪者…ってこと?」
「そうは言ってない。ただ裏の世界で多分使われてきた用心棒とかそういう類だと思う。
正統派の戦いしかしてなかった準貴族が、戦った事のないタイプの相手と戦わせられたら、意表を突かれて負けても無理はないな」
「…じゃあ、元は裏の人間で…ゼファードさんみたいに足を洗おうとしたのかな?
あの子達の為に…」
あの子達、というのは帰り際、闘技場から出て来た私達を呼び止めた男の子。
多分、5~6歳くらい。
茶色の髪と瞳。くりくりとした可愛い目、生きた目をしていた。
参加者、関係者出口で声をかけて来たから、試合の参加者の関係者かもしれないとは思ったけれど、珍しいと思ったのだ。
子どもを街で見ることはまだ、滅多にない。
その子どもが、リオンに向けて言った。
「おねがいします! あしたのしあい、おとうさんにかたないでください!」
と。
リオンを呼び止めて、『明日の試合』と言う以上この子はカニヨーンのウルクスの関係者。
しかも『おとうさん』というのなら、実子か養子かはともかく、ウルクスを親と慕っていることに間違いはない。
リオンの服を掴み、泣き出しそうな顔で訴える。
「おとうさんが、まけたら、ぼくたちは…おねえちゃんは!」
「どういうことだ?」
リオンが問い詰めようとするより早く
「何をしてる! クレイス!! そいつに近付くな!」
遅れて出て来たウルクスがその子を見つけ、強い声で引き戻した。
慌てた表情で駆け戻っていった子はウルクスに何やら話し、怒られるような様子を見せていた。
ウルクスの側には、もう一人、子どもがいた。
七~八歳。島に来たばかりのミルカと同じくらいの女の子が。
さらに数名、男達も付き添っている。
基本的に明日闘技場で対戦する戦士、関係者同士が、どんな理由が有ろうと外で関わるべきじゃない。
八百長や不正を疑われる。
…何より、実際、あの子は
『おとうさんに、かたないで』
と八百長を依頼したのだから。
私達はそのまま場を離れ、店に戻った。
彼らには声をかけなかったからその後は知らないけれど。
「あれは…どういうこと、だったのかな?
不老不死者と、子どもが、親子?」
話しかけて来た男の子とウルクスは似た色合いの目と髪をしていたから実際の親子と言われてもあまり違和感はない。
似てないけど。
でも、もう一人の女の子はかなりの美少女。
金髪で蒼い瞳。
ウルクスの実子だったら、お母さんに似て良かったね。
というレベルで似てない。
「勝たないで…って、どういうことかな?
それは勿論、親子なら勝って欲しいは欲しいだろうけど…」
「さあな。どちらにしても聞き入れられない話だが…」
子どもだから深く考えてはいないのかもしれない。
けど、見も知らぬ対戦相手に直訴するなんて…よっぽど…。
相手がリオンじゃなければ…例えばヴァルさんとかだったら騎士団に報告が上がって問題になってたかもしれない。
「………それと、関係するかは解らないんですけれど、店でジェイド達にちょっと面白い話を聞きました」
「面白い話?」
フェイが暫く、何か考えるような仕草をした後、そう切り出した。
口では「面白い」と言っているけれど、全く面白そうな顔はしていない。
むしろ、冷静で冷酷な魔術師の目をしている。
「ええ。騎士試験なんですけれども、その勝者当ての賭け事が実施されているようです」
「賭け事?」
「はい。ジェイド達は、元は路地裏にいた子達ですからね、今まではそんなお金も無かったけれど今年はどうだ?
と昔の知り合いに声をかけられて一枚買ったとか」
「昔の知り合い? まだそんな人が絡んでくるの?」
「そんなにタチの悪い相手、という訳ではなさそうですよ。
普通の商人の間にも流れてきている話のようですから。
聞いたらリードさんやガルフも知ってはいました。
大っぴらにやっています、と公開している訳では無いですが、胴元は商人ギルドの長が運営しているガルナシア商会。
ある程度信用が無いと、換金保障ができず賭けが成立しませんからね」
貴族や大貴族も一枚噛んでいて、年に一度のお祭りのようなものなので騎士団や皇室もほぼ黙認しているとか。
…まあ、トトカルチョくらい向こうの世界でもあったし、競輪競馬、競艇もtotoだってギャンブルと言えばギャンブルだ。
完全否定はできない。
賭けられる方は嫌な気分だろうけれど。
リオンは視線が空を泳いでいる。
「ですが、今年はその賭けが大荒れなのだそうです。
本命が騎士団のヴァル卿で、対抗が剣士レスタード卿。
その二人が揃って今日、ニューフェイスに負けたから」
「「え?」」
考え事をしていた私と、話題から顔を背けていたリオン。
自分達には関係あるようでないと思っていた話が急にキナ臭くなる。
二人の視線が同時にフェイに注がれた。
「試合開始時点で賭けは締め切られ、オッズも公開されています。
細かい割合は違うかもしれませんが、ざっくり賭けに乗った人達の全賭け金の40パーセントを胴元が確保、残り60%を当選者に配ると考えましょう」
静かな声で語るフェイの言葉に心臓が変な音を立てた。
「はっきり言うと、リオンに賭けている人物は殆どいませんでした。
無名の子ども、ですからね。
ジェイド達が一人一枚買った、少額銀貨一枚のリオンの籤。
もしこのままリオンが優勝すれば金貨一枚以上にはなるぞ、と言われたそうです」
「少額銀貨が、金貨…って100倍?」
「ええ、…ただ、それはまだいい」
頭が真っ白になった。
嫌な予感がする。
凄く、凄く嫌な予感が。
子どものピンチの予感が。
「今回のニューフェイスは三人。
騎士団や、店の知り合いなどが応援のつもりで…買っている人がいたリオンの籤よりもさらに倍率が高かった人物が二人、います。
リオンが倒した鞭使いゼファードと、決勝に残ったもう一人のニューフェイス、カニヨーンのウルクス。
この二人の籤をもし勝っていた人物がいれば、そしてどちらかが優勝すればその倍率は400倍近くになると言われているそうです」
「よ…400?!」
鞭使いゼファードさんは既に敗北している。
決勝戦はリオンとウルクス。
どちらが勝っても大穴ではあるけれど…、ウルクスが裏の人間で命令されて騎士試験に出ていたとしたら…。
リオンのオッズが少額銀貨一枚で金貨一枚。ということは100倍。
もし、ちょっとした冗談だ、とでも言ってウルクスに大銀貨一枚を賭けて、彼が優勝すれば…倍率400倍というのであれば…それは金貨四十枚に化けることになる。
金貨四十枚。向こうの世界で言うなら四千万円。
どんな人間も無視できない金額だ。
「考えすぎなら、いいと思います。
ですが、リオンの嗅覚がウルクスは裏の住人だと言い、その子どもと思しき人物が『勝たないで』と願った。
明日、彼のセコンドと、彼の出場者枠の見学者席に注意した方がいいかもしれません。
今日と同じように子どもがいるなら良し。
もし、子どもでは無く違う人間がその席にいたとしたら…それは、僕達全員が予想する通りのことが起きようとしているのかも…」
ぎりり、と音がした。
音がした方を私は振り返る。
「ふざけるな…」
噛みしめれた唇にも、握りしめられた拳に巻かれた包帯からも血が滲んでいる。
滅多に見せる事の無い、それはリオンの怒りだ。
「今回の試験に…試合に挑む者達が、どんな思いで戦っていると思っている…」
二回戦のゼファードさんは、旅芸人としてずっと厳しい中、生活していたのと、あの後話してくれた。
「試験は、安定した生活を送れる最初で最後のチャンスだったのさ」
準貴族となれば支度金や、家、身分が貰える。
今まで貯めていたお金と足して自分を買い戻して、足を地に付けた生活ができる。と。
三回戦のヴァルさんは、もう言うまでも無い。
この戦いに、貴族位に自分の夢を賭けていた。
リオンだってそうだ。
リオンは不老不死者じゃない。子どもだ。
戦いの中、不老不死者の攻撃をどれか一度でも受けたら、命の危機。
戦士として再起不能の可能性だってあった。
真実命がけでバトルに挑んだのは、皇子の力になる為。
皇子との約束という、リオンにとって、かけがえのない大事なものを守る為。
「それを…ただ、賭けるだけならともかく、金儲けの為に歪める…だと?」
リオンは神と自分以外の何にも怒らないし、恨まない。
けれど、今回ばかりは叩き付けるような怒りが見えた。
考えすぎならいい、とフェイは言った。
でも、フェイが考えた上で口にした結論なら、私は他の状況からしても高確率で在りうることだと思う。
「ねえ、フェイ?
子どもを人質にして、子どもを助けたかったら優勝して貴族位を手に入れろって言われたのなら、準優勝、準貴族最高位じゃ交渉はできないかな?
多少は支度金とか貰えるんでしょう?」
「ウルクスを試合に出した人間の目的が、自分の息のかかった人物を国の中枢に入れて…というのであれば何とかなる可能性もありますが、目的のメインが賭け事の掛け金であるのなら…難しいでしょう。
僕は辞退しましたが、合格した文官に与えられる支度金は金貨一枚ほどだそうですし。
それでは普通の子ども奴隷でも買えるかどうか。
僕が脅迫者なら、セコンドには息のかかった見張りを。観客席には子どもと保護者を装った配下を入れて負けたら殺す、と脅すかもしれません。
その場合、子どもの一人…多分、女の子は別の場所に監禁されているでしょうね…」
うん、そんな感じだよね。
私も、そう思う。
「…私、今から向こうに戻る。戻ってガルフに相談してくる。
もし、できるのならライオット皇子の所にも行って…」
「僕も行きます。ガルフやジェイド達。ことによったらクオレ達の手も借りた方がいいかもしれません。
奴らは、誰にも気づかれていないと油断している筈。
僕達が最速で動けば、助けられる隙があるかも…」
テーブルから立ち上がった私を追うようにフェイが言ってくれた。
フェイが一緒なら心強い。
「リオンは魔王城に残って、明日に備えて身体を休めてて」
俺も、と立ち上がりかけたであろうリオンを私は、先に制して首を振る。
「リオンは、勝たないといけない。
明日、ウルクスにどんな理由が有ろうと。
ううん、ウルクスの為にも、勝たないといけない」
ウルクスが優勝してしまったら、裏の息のかかった人間が国の中枢に入ってしまうことになる。
子どもを人質にして何かを迫るような人間が、目的を果たしたからと簡単に約束を守ってくれる筈もない。
十中八九、子どもの一人は人質にとられたまま、命令を聞かされ続ける。
子どもを悲しませること、苦しめることは許せない。
ウルクスと裏社会は絶対に、ここできっぱりと切り離さないと!
「リオンは、賭け事とか、脅迫とか考えないでいい。
ただ、全力で挑んで…勝って。
皇子との約束を守って…」
リオンがやるべき事はそれだけだ。
後は、私達が勝手に考えて、勝手にやること。
「解った」
立ち上がりかけた腰を下ろして、リオンは目を閉じた。
「俺は、明日、自分の全力をもってウルクスを倒して優勝する。
だから…任せた」
「うん」「はい、確かに任されました」
「何? 何があったんだ?」
話を終えたアルが、私達の様子に気付いたのだろう。
駆け寄って来る。
「アルも来てくれますか?
事情は道々話します」
「解んないけど、解った」
「エルフィリーネ。みんなとリオンをお願い!」
「解りました」
駆け出し、城を出た私達はその後の事は知らない。
けれど、なんとなく想像はつく。
「何? どうかしたの? マリカ姉達?」
「何でもないさ。心配するな」
心配そうに私達を見送るエリセの頭をそっと撫でるリオン。
彼は集まる兄弟達に言う、いや誓うだろう。
「約束する。
明日、俺は必ず優勝して、上に立つ。
あいつ…ライオとの約束を守り、神に挑む為の一歩を手に入れる、と」
それはアルケディウス 騎士試験 最終戦が始まる。
この国に歴史上初めての少年騎士貴族が誕生する半日前の事だった。
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