『選手、入場』
オレは再び闘技場、その中央に立った。
昨日、一六人で立った場所に、今日は二人。
オレとあいつは黙って跪く。
斜め上方向、貴賓席から俺達を見ているのはアルケディウス皇王、皇王妃。
皇子、皇子妃達。
そして…中央に立つ伝説の勇者ライオット。
正しく雲の上の人間達ばかり。
不思議な気分だ。
オレのような最下層の人間が、彼らの目視を集めているなどと…。
「ゲシュマック商会のリオン。カニヨーンのウルクス」
心臓がやけにせわしなく鳴っている。
立ち上がった皇王がオレの名前を呼んだ。
それが原因だろうとは解っている。
「どちらもよくぞここまで勝ち残った。
ここまでで見せて来た其方達の技の冴え、誠に見事である」
主催者である第三皇子に場を譲られ、昨日と同じようにこの国の最上位者としてオレ達を労う。
まさか、生きている間に皇王の顔をこの目に拝むどころか、名前を呼ばれる日が来るとは思いもしなかった。
「其方達はこの国の守りの柱。
精霊が齎した大いなる宝である。
今日は、その全力をもって悔いなく戦い、己が力を示すが良い。
皇国は其方らの力に、技に、思いに必ずや報いると誓おう」
「これより、騎士試験 御前試合 決勝、最終戦を開始する!
両者前へ!」
皇王の言葉を引き継ぎ、第三皇子が胸に当てていた手を指し伸ばす。
隣で膝を折っていた奴は立ち上がり、闘技場の右側に立つ。
俺もそれに倣い反対側へ。
奴の黒い瞳と目が合う。
一欠けらの曇りも見えない、澄んだ眼差しの黒い獣。
オレは逃れるように顔を反らした。
皇王の言う、悔いのない戦いはオレには多分、できないだろう。
…これが、本当にオレにとって、最後の戦いになる。
「始め!!」
同時。
オレ達は飛び出して行った。引き絞られた弓弦のように。
戦いの舞台へと。
先手は、黒い獣。
一直線に踏み込み間を詰めると子どもはそのまま、オレに向かってほぼ準備動作も無しに飛び蹴りを仕掛けて来たのだ。
あいさつ代わりのようなその攻撃を、オレは両腕を顔の間で固く重ね、受け止める。
スピードの乗った蹴りに手が痺れる。
子どもの体格から繰り出されたとは信じられない重さだ。
いや、違う。
オレは首を横に振ると改めて、身構える。
解っている筈だ。こいつは子どもの姿をしているがその本質は獣だ。
油断すれば、喉をあっさりと食い破るだろう。
こいつを子どもだと思う思考を、侮りを、オレは頭の名から排除した。
奴にしてみても最初の攻撃は、ご挨拶代わり。
本気では無かったのだろう。
その証拠に、跳ね飛ばされた瞬間に飛びのいた奴は、間合いを空け、両拳を握り込んで、こちらを見ている。
勝負はこれからだと言うように。
昨日、一日の戦い方を見て理解したが、ナイフやダガーを持って戦う事はあってもこいつの戦い方の基本は徒手空拳。
武器に頼らず技とスピードで場を支配する。
今日は最初から、武器さえ持ってはいない。
ならば、此方も己の技とスピードで挑めば良いのだ。
一撃の重さや、技の冴えはともかく身長の高さ、手足の長さから生まれるリーチ。
そして肉体の持つ膂力は、こちらの方が勝っているのだから。
そう思いつつ、拳を合わせ続ける。
十号、二十合、と。
合わせれば合わせる程に理解できる。
この子どもの形をした獣のでたらめさが。
細かく打ち込む拳の雨。それを奴は驚くべき動体視力で躱していく。
躱すだけではない。
連撃の僅かな間合いを狙い、飛び蹴り。そして着地から勢いをつけた回し蹴り。
とっさに後ろに飛び退るが、さらに追撃を目指し踏み込んで来る様はまるで、弾け跳ぶ鳳仙花の種のよう。
リーチの差で届かないだろう、などという甘い思いは首を絞めると理解した。
技と技の繋ぎが驚くほどに滑らかで、魅入ってしまいそうな程に美しい。
良くできたダンスを見ている気分になる。
こちらの攻撃もまるで当たっていない、訳ではない。
小さくて、今まで戦ってきた相手のように、簡単には捕えられないし、スピードが段違い。
大半は人間離れした動きで回避されてしまうが、そのいくつかは腕に、肩に確かに当たってダメージを与えている筈だ。
同様にこちらの身体にもダメージは蓄積されている。
急所を狙う、鋭い攻撃は蜂の一刺しのように深く、鋭くオレを抉る。
数を数える計算、などは得意ではない。
そんなものを学んでは来なかった。
でも、できる計算もある。
先に膝をつくのはこちらだ。
…このまま、正直に戦い続けて行けば。
「…お前は、凄いな…」
組み手の攻防の中、零れた呟きは嘘では無く、嫌味でも無く真実の思い。
返事を期待していた訳ではないが、
「お前の方こそ…。その肉体、体力、膂力が欲しかった」
そんな賛辞が耳に届く。
…初めて、奴の声を聞いた。
まだ変声期も前なのだろうか?
少し高めの声は、奴の戦い方や外見とは不思議にアンバランスで目を見張る。
だが本当に目を見張り、驚いたのは奴が、オレを認め、褒めた事。
「本気で、そう言うのか?」
「ああ。あんたは、今まで戦ってきた中で…親友を除いてだが…、一番の強敵だ」
嘘や、お世辞ではないと解る。
こいつは今までオレを侮ってくれた連中とは違う。
真実、オレを認め、全力を出して戦っているのだ。
「…そうか」
不思議な思いで胸の中が満たされていく。
さっき、皇王に声をかけられた時と似た感じ。
五百年、ずっと求め続けていたこと。
自分自身を、努力を、認められること。
それは、オレに、生まれて初めて、戦う事が楽しいと。
生きて来て良かった、と思わせた。
こんな、薄汚れた人間が、皇王に、そしてこの星に選ばれたような美しい強さを持つ男に認められる日が来ようとは。
だが、その多好感をオレは振り払う。
そんなものに流されてはいけない。
ここで負けるわけにはいかないのだ。
賞賛の思いが侮蔑に変わろうと、今のオレにとって一番大切なのは、あの二人。
「だが、オレは勝つ! 負けるわけにはいかないんだ!!
どんな手段を使っても、背負う者、守らなければならない者がオレにはある!!」
小さく布を裂く音は、オレの吼声にかき消され、外の誰にも聞こはしなかっただろう。
勝利を、そして敗北を告げるそれを確かめて、オレは力任せ。
拳を奴の顔面に叩き付けるように放った。
鼻先をかすめて、回避される。
だが、それは
「!」
狙い通り奴の身体をぐらりと、傾けさせた。
畳みかける連撃を、驚くべき速さで躱し、奴は大きく間合いを取った。
「貴様…一体、何をしたんだ?」
表情の変化が全く見えない顔に、本当に効いているのかと心配になるが、微かに荒く小刻み増えた息と、その質問は効果を発揮している、ということなのだろう。
「…言った筈だ。
背負う者、守らなければならない者の為に、オレはどんな手段を使っても勝つ、と!」
効いているのなら、そのスキを逃すわけにはいかない。
一気に畳みかける。
渾身の連撃をオレは仕掛けた。いくつかは躱される、さっきまでに比べると足さばきに精彩はないとはいえ、信じられない。
常人なら、一呼吸で全身の動きを奪う、強力な薬、だというのに。
乱れた呼吸の中。
「…プリエラとクレイスか?
こんなことをしてまでも、お前の守りたいモノは」
「! 何故…その名を?」
奴の口が、ありえない形に動いて、知る筈の無い名称を紡ぐ。
その驚愕に動揺したオレに、鍔ぜるように肉薄してきた奴は、連撃の中オレに、おれにしか聞こえない、囁くような声で言った。
「お前が望むなら、そいつらは救い出してやれる。
もう、手筈はできているんだ」
「なっ、なに?」
再び開く間合い。
奴が視線を向ける先にいるのはクレイス。
さっきまでの監視に睨みつけられ、怯えた顔でこちらを見ていた漂白した顔では無く、元気な笑顔で両手を振っている。
呆然としたオレの懐に飛び込み、奴は連撃を繰り出す。
攻撃は軽い。オレと会話する為のものだと、解る。
「弟は、もう既に保護されている。
お前が、望むなら娘も救い出す。言った通りもう手筈はできてる。娘が囚われているのは奴隷商人ベネットの館だろう?
姉弟の命が惜しければ、そして自由が欲しければ、大会に参加して優勝しろとでも言われたか?」
「なぜ…それを?」
理解ができない。
誰も知る筈の無い、語ったこともないオレ達の事情をどうして、目の前の子どもは知っているのか?
「なら、もうこんなことは止めろ。さっき皇王も言っていただろう? お前の技と力は国の宝だと。
お前はもう準貴族、その力を憂い無く、国の為に使うなら助力は惜しまないと、ライオ…第三皇子は約束してくれた」
「…オレを、あいつらを…救ってくれるというのか?」
「お前が、望むなら。皇子を…、俺達を信じるなら…、助けられる」
「なら、頼む………」
「解った」
頭の中は混乱して、理由や過程はとても考えられない。
けれど、オレは驚くほどにはっきりと、そう応じていた。
後方に下がり、間合いを開けた奴は貴賓席を見上げた。
偶然か、それとも…。
こちらを見つめていた第三皇子に向けて、奴は手を動かす。
額に当てた二本の指がすいっと弧を描いて空に溶けた。
意味は解らない。
だが、それは何かの符丁であったのか、皇子は静かに頷き、胸を叩いているのが見える。
「もう、大丈夫だ」
「本当か?」
「ああ、娘は助け出され、準貴族の家族として保護されるだろう」
再び交される会話の為の攻防。
デタラメかもしれない。
嘘かもしれない。
けれど
今までこの世に誰も…あいつら以外…信じられる者も、気にかけてくれる者も存在しなかったオレにとって奴の言葉と行動は、紛れもない福音だったのだ。
ここまで交して来た拳が知っている。
奴は嘘をつかない。
真実、約束は果たされるだろう。
「だが、お前はその為に支払いをしなければならない」
「何をしろと? この場で降参しろというなら今すぐその通りに…」
「違う。戦え!」
「え?」
会話の為の攻防と完全に油断していたオレの鳩尾に、不意打ちの拳が入った。
「何の言い訳も、理由も無く、真剣に俺と戦え!」
言葉の意味を理解しきれずに頭が真っ白になる俺から間をあけ、胸を張り奴は言い放つ。
「この場に、戦いの頂点に立つ俺達には義務がある。
試験に賭ける思いや夢を打ち砕き、破ってきた戦士達が負けた事を悔やんでも恥じない戦いをする義務が。
自分を打ち倒した男は、それだけの価値を持つ者だったと思わせなくてはならないんだ!」
その朗々とした声は、きっと多くの人間に届いただろう。
…考えもしなかった。
この戦いは、ただ子ども達を救う為の手段であって、その意味も、その先にあるものも。
何も。
(オレの負け、だな)
叶わない、と素直に思った。
この男には、力も、技も、何より心が、叶わないと。
だが、それと同時、嬉しく、そして楽しく思う。
戦っていいのだ。
唯ひたすらに、勝つ事だけを求めて。
光の中で。
仕事の為では無く、目的を果たす為では無く、認めた男と拳を合わせる事をしてもいいのだ、とこの男は言う。
オレが拳に仕込んだ薬によって、本当だったら立つこともままならないくらいだろうに。
一切、態度に出さず、言葉にもせず、ただ凛と立つ男と、オレは生まれて初めて、本気で戦いたいと思ったのだ。
ならば、簡単に負けるわけにはいかない。
大人の意地を見せてやらないと。
「…解った。負けても言い訳するなよ」
深く身構える。
オレの言葉に奴はにやりと楽しそうに笑うと拳を構えた。
「それは、こっちのセリフだ! 行くぞ!」
そこから先のことは良くは覚えていない。
随分長く戦っていたような気もするし、驚く程短かった気もする。
あいつのスピードも、オレの技も全てが一撃必殺。持てる全てを出し尽くす様に。
躱し、躱され、唯ひたすらに勝利を追い求める。
無我夢中の技の応酬だった。
確かに覚えている事はオレが生まれて初めて、誰かと戦う事。
拳を合わせる事を楽しいと思った事くらいだ。
全身のあちこちに、重いダメージは蓄積されて、不老不死であるのに、痛く、苦しく、死にたくなるくらい。
だが、それは泣きたくなるほど幸せで、満たされた時間だった。
無限にも思えた一瞬の彼方。
やはり先に膝をついたのは自分だった。
情けない話だ。
不老不死の大人だというのに、足が疲労とダメージでもうガクガクしている。
そこに開けた筈の間合いを一気に0にする、飛び蹴りが襲い掛かってきた。
必死で躱すが、躱されることは覚悟の上の、それは移動の為の技だったのだろう。
一撃必殺の飛び蹴りさえ、助走にして。
やつは勢いを殺さずに、拳を握り込む。
フィニッシュブローは奴の得意技。
下方からバネと力の全てを込めて、脳を揺らす渾身の突き上げ。
「ぐあああっ!」
少し身体を逸らす余力すらなく、奴の攻撃にオレは沈んだ。
遠ざかる意識の中で
「勝負あり。優勝者、ゲシュマック商会のリオン!」
奴の勝利を謳う声が割れるような歓声と共に聞こえて来た。
少し、残念に思う。
その光景を見られなかったことが。
そうしてオレは、目覚めた。
「おとうさん! だいじょうぶ?」
「しっかりして!」
「…プリエラ…クレイス」
愛しい者、守りたかった者を腕の中に抱きしめて。
光の中で。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!