「僕の、一番最初の、いやきっと最後の記憶は、多分五歳くらい。
頭が熱くて、身体が熱くて……朦朧としている自分を見つめた『父上』の顔だ」
この場合『父上』というのは現アーヴェントルク皇帝ザビドトゥーリス様のことでは多分、無いのだろうと思う。
アーヴェントルク神殿、精霊石の間。
『精霊神』の異空間から戻って来た私達は、一言一言を噛みしめるように選び、語るヴェートリッヒ皇子の言葉を私達。
リオンと、私とアレク。二匹の精霊獣は聞いていた。
アーヴェントルクの聖域で、ヴェートリッヒ皇子が聞き『精霊神』が答えた言葉『王子』の意味の説明にして答え合わせ。
つまりヴェートリッヒ皇子は皇帝を名乗るザビドトゥーリス様の息子では無く、前国王にしてザビドトゥーリス様の兄上の子なのだと言う事なのだ。
この部屋の中がある意味、一番安全で、誰にも余計な聞き耳を立てられない。
アレクには意味が解らないだろうけれど、ここでの話は内緒と言えば、誰かに言うような事はしないと信じてるから。
「『強く……生きろ。
お前はアーヴァントルクのたった一人の王子なのだから』
そう言って僕の髪をそっと撫でて『父上』は部屋を出た。
夢うつつの中、何かが聞こえたような気がしているうちに、部屋の扉がまた開いた。
そして抱き上げられて、多分……連れて行かれて『ヴァートリッヒ皇子』になっていた」
熱で朦朧とした中、暗示をかけられたりすれば、自我があやふやな幼い子ども。
記憶が書き変えられて自分がヴェートリッヒ皇子だと思い込まされることはあり得るかもしれない。
「正直、自分には本当の名前の記憶は無い。調べれば勿論、前王の子の名は解る。
でも、彼はもう死んだものとして墓に埋められてしまった。
僕には葬儀の記憶は無いけれど、王子の死体はあったそうだから、多分、本物のヴェートリッヒで流行り病で死んだのだと思う。
自分達は後継者を失い、兄王には『聖なる乙女』が生まれた。
それがきっかけだったんじゃないか、という話を聞いたのは『不老不死世界』になってからのことだけどね」
真冬の王宮における大量死。
隣国アルケディウスが『革命だ』と認識しているくらいだもの。
大貴族達の多くは『国王一家の病死』に納得しなかったし、新たに皇帝に即位したザビドトゥーリス様を疑いの目で見た者も多かったという。
前国王陛下は文よりの方ではあったが、それだけに慕う人も少なくはなかったし。
ただ、皇帝陛下は間違いなく有能で、国を強く豊かにした。不老不死後はさらに生活水準も上がった。
聖なる乙女もいたし、何より皇帝一家を廃すれば、アーヴェントルクの『七精霊の子』はいなくなってしまう。
彼らの多くはしぶしぶではあったが、ザビドトゥーリス様の『無血戴冠』を受け入れ、アーヴェントルクに新しい皇家が誕生したのだ。
「いくら努力しても褒めて貰えない。認めて貰えない。
そんな子どもじみた理由からだけど、自分の存在と意味に疑問をもったのは丁度、アルフィリーガやライオット達と戦った頃の事だ。
その頃になれば、煩い雀が色々な噂を囀るのを聞く機会もあったしね。
旅に出る許可が貰えなかった事は悲しくもあったけれど、自分は父上達に必要とされているのだと嬉しくもあった。
まあ、不老不死後の大混乱は、そんな喜びも吹き飛ばしてしまったけれど……」
「ヴェートリッヒ……」
『神』の力が強化された世界。
詳しい事情も分からず、友の死を受け入れる余裕も無いまま、アーヴェントルクは完全な『神国』となった。
妹アンヌティーレが『聖なる乙女』として崇められる一方で、不遇の扱いを受ける『永遠の第一皇位継承者』は考える。
父皇帝や母が自分に期待していないのなら、それはそれで構わない。
どうせ、自分は皇帝にはなれないのだ。
それに、本当の親では無いどころか、仇かもしれない。
なら見限られない程度に職務を熟し、遊び人を演じて油断させて、いつか真実を見つけよう。
そして、本当に。
自分が父皇帝の子ではなく、無念、失意の中殺された王の子であるのなら。
アーヴェントルクを絶対に取り戻してやる。と。
「二人の妻の親も、どちらかというと前王寄りの派閥だった。
僕を『忘れ形見』として尊重し、当時の事を教えてくれたのも彼等だ。
子ども達を拾い、育て、絶対に裏切らない部下を作り、僕は待っていたんだ。機会を……」
「『精霊神』に会わせろ、と言われた時、俺は自分の後ろ盾になって貰おうとしたんだと思ったんだが……」
「これは僕の私怨。
『精霊神』様を巻きこめないよ。
僕が欲しかったのは確信。
やるべきことも解っているし、自分でできる。
後はそれを誰かに言葉にして、背を押してほしかった。それだけさ」
そう言って、肩を竦めた皇子は私たちに、恭しく膝をついた。
「感謝します。アルケディウス皇女 マリカ姫。アルフィリーガ。
そして二柱の精霊神よ。貴方方のおかげで僕は長い間、望んでいたものを手に入れることができました。
色々と、利用するような真似をしましたことをお許し下さい」
「皇子、いえ……王子はこれからどうするおつもりなのですか?」
遊びや悪ふざけの無い真摯な言葉に、私は心配になる。
親と信じていた者が実は仇だった。
周囲全てが敵の中で、この聡明な王子はどう生きていくつもりなのだろう。
「勿論、アーヴェントルクを取り戻す。
母とアンヌティーレ。
ある意味本星の仇と『神国』アーヴェントルクを象徴する二人が消えたからこれからアーヴェントルクは徐々に今までの力を失っていくだろうからね。
その隙をついて父皇帝もサクッと排除して、追い出せればいいなあ、なんて」
「サクッとって……お前」
リオンは呆れた様に息を吐くけれど、王子はケロッとした顔だ。
「だってエルディランドみたいに、素直に世代交代なんて考えて下さらない方だから仕方ないよ。
不老不死世界では毒殺とかもできないし、実力で排除するしかない。
勿論、自分の私怨の為に、国に乱を起こし、民を苦しめるなんて最悪な真似はしない。
正当な血を継ぐ者であろうと、それだけで王になっていいとも思わない。
有無を言わさぬ実力と実績が必要だ。
それを見せた父皇帝のように。
だから当面は、力を蓄えて逆襲の時を待つ。その一環として神殿長になれないかな、って考えてるところ」
「神殿長に?」
「うん。現皇帝が甘く見ているうちに『精霊神』様の力を知らしめて『精霊信仰』を取り戻せたらいいなって。
僕は元々『神』や『神殿』もあんまり好きじゃない。
ライオットの慟哭やアンヌティーレの悪事も見て来たからね。
主だった者が拘束された今の隙に、君みたいにアーヴェントルクの神殿を乗っ取っちゃおうかと」
突然話の矛先がこちらに向いた私は首を傾げる。
「へ? 君みたいにって、私のことですか?」
「そ。噂には聞いてるよ。お飾りの神殿長を迎える筈がいきなり初日に会計まで詳細に見ていって、みんな戦々恐々としたって」
「どういう噂ですか? って王子はどこまでの情報網をアルケディウスに敷いておられるんです?」
「内緒。情報源は明かせない」
「それは、そうですけれど……」
神殿の会計監査まで把握されているのはちょっと怖い。
この王子、やっぱり油断できないよ。
「この国の租税を預かる『神殿』を掌握して、軍も再編して。
『食』を充実させて人々に気力を取り戻して、子ども達を育てる環境を作って、徐々に、父皇帝の力を添いでいきたいかな」
「随分大胆な計画を私達の前でさらっとおっしゃいますけど、いいんです?
私達がそれを皇帝陛下に言ったらとんでもない事になりますよ?」
「言うのかい?」
「いえ、言いませんけど……」
「だろう? 君達が信じられなかったら僕はもうこの世の誰も信じられないなあ」
出会ってから二週間。
演技であったとはいえ、最悪の出会いから始まったこの方との関係がここまで深まり、ここまで全幅の信頼を頂けるとは私も思っていなかったけれど。
確かにもう王子を助けない、裏切るという選択肢は出てこないのも事実だ。
そう考えると上手く利用されている感が無くも無い。
王子を助けてはあげたいからその辺はいいんだけれど。
『ふむ、そういうことなら手を貸してやるか?』
「え? 何をなさるおつもりで?」
『アルフィリーガ。マリカも少し力を寄越せ』
「解りました」「いいですけど……」
『いいな? ラス?』
『御自由に~』
今までずっと黙って話を聞いていた白い精霊獣。
プラーミァの『精霊神』アーレリオス様の化身は、ひょいとリオンの頭に飛び乗ると私を手招きした。
頭の上で、チカチカ、額の石が明滅する。
と、間もなく部屋の奥に鎮座する、まだ闇は残るけれど光を取り戻した精霊石がアーレリオス様の石と呼応するように煌めいて……
ポン!
『うわっ!』
「え?」
ポップコーンがはじけるような音と共に空間が揺れ一匹の黒猫が現れた。
ちっちゃい。
まだ両手の平に納まる様な子猫だ。
『何をする! 貴様ら!!』
「そ、その声はナハト……『精霊神』様?」
空中から、猫の身軽さで着地した子猫はそのままの踏み足でジャンプして、リオンの頭の上に。
重さはさほどではないとはいえ、獣二匹に頭の上に乗っかられて困っているリオンを気にも留めず、二匹の獣は外見に似つかわしくない野太い声で大喧嘩を始めた。
『私は忙しいと言っただろう。
その舌の根も乾かぬうちに呼び出して! 感動の別れをなんだと思ってるんだ!』
『お前もなんだかんだで、我が子達のこれからが気になっているのだろう?
我らが去ってしまえば『精霊獣』を作れるほどの力を調達するのには時間がかかるぞ。
我々に権限を預けたお前が悪い。覚悟を決めて子ども達を助けてやれ』
「な、何です? 一体何をしたんですか?」
『さっき、ナハトが僕達に預けたのはさ、あいつの力を自由に使う為の権能、というか使用許可?
ナハトの『夜』の力を大よそ自由に使える。
使っていい、って奴なんだ。
それを使って『精霊獣』を生成したんだよ。ナハトが僕達みたいに外に介入しやすくなるように』
なるほど。
確かに国の中の事は大よそ把握できるとはいえ、実際に目であり、手足である端末があったほうが色々と動けると思う。
『私には貴様らのように遊び歩いている暇はないと何度言ったら!』
『子ども達の守護は、我らにとって遊びでは無く最重要事項だろう?
確かに介入のしすぎは良くないが、放置して引きこもり過ぎていたが故、あそこまでの歪みと汚染が進んだのではないか?』
『……うっ……それは……』
『旅に同行しろ、とは言わん。ロイスの所も、新しい大王について助手に徹しているしな。
お前はお前の子孫と国を守ってやればいい』
「……」
『神殿を乗っ取ると、こいつは言うが、奴らはそう甘くはない。マリカに入れられたアレのように傀儡にはきっちりと首輪をつけようとするだろう。
それを止める為にはお前の力が必要だぞ』
「あ…」
『また我が子を『神』に盗られてもいいのか?』
言い負かされ諦めた様に肩を下げた黒子猫は、ぴょぴょん、と猫らしい体重を感じさせない身軽さで今度はヴェートリッヒ王子の肩へと飛び乗る。
「お力を、お借りできますか? 『精霊神』様」
『私は、王位簒奪には手を貸さぬ。
アレはアレで、悪い王ではない』
「解っております。
むしろ、僕が己の正義によがり、道を誤りそうになったら叱って頂けるとありがたいです」
『ついでに言えば、私の力はそれほど便利なモノでは無い。
現世利益には向かぬものだ』
「いいえ。であるからこそ美しいのだと、僕は思います。
アーヴェントルクが世界に誇る、山嶺の輝きのように」
『……良かろう。だが、言った通り私は忙しい。あまり期待するなよ。
せいぜい、神殿と国を掌握し、私の仕事の邪魔をさせぬようにしろ』
「はい」
会話の後、飛び降りて背を向けてしまうけれど。あれは、多分照れてるし喜んでる。
猫が尻尾をピンと立てているのは、喜びの仕草だと前に聞いたっけ。
「私も、『精霊神様』がアーヴェントルクと王子に力を貸して下さるなら、安心して帰国できます。
王子や皇女、この国の子ども達をお願いしますね」
『……実際に、動くのは子どもらだ。
だが、その子ども達を守る様に、努力はするとしよう』
「ありがとうございます」
うん。それでいい。
それで十分だと思う。
一人で戦う王子に『精霊神』がついていて下さる。
それだけで、私達は、安心してアーヴェントルクを後にできるから。
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