季節が初夏から夏へと移り変わろうとする頃。
暫く、本当に暫く慌ただしかった私の周囲はようやく落ち着きを取り戻し始めていた。
「全く、貴女という子は本当に、何か思いついて動く度にことを大事にするのですから。
…ああ、そこ、気持ちいいわ」
「ここは、確か、肩こりのツボなんです。すごくゴリゴリ言っています。やっぱりお疲れが溜まっておられるんですね」
「貴女のせいで仕事と気苦労が増えていますからね…、って痛い、痛いわ」
「私は別に大事にしたくてしてるわけでは…あ、もう少し力弱めますね」
「弱めなくていいわ、痛いけど、気持ちいいの…。
でも口答えは止めなさい。貴女はその気は無くても結果的に大事になっているのですから」
「はい…」
「本当に、後片付けに苦労する私やガルフの身になって頂戴な…」
「すみません」
「…っ! 痛い、痛い、ホントに痛いからそこは力を弱めて!!」
週三回ペースで行われている皇家の料理人さんへの料理実習。
その終了後、私は第三皇子妃様の自室に呼ばれ、足裏マッサージをしていた。
第二皇子妃目メリーディエーラ様にローズウォーターの作り方と一緒にプレゼントしたハンドマッサージ。
話を聞いて事情を知ったティラトリーツェ様にせがまれたので、ついでにフットマッサージ込みでやってみたら、すっかりティラトリーツェ様にもハマられてしまった。
第二皇子妃様は調理実習の度に試食に訪れるようになって、マッサージをせがんで来るし、第一皇子妃様まで興味を持つしで本当に暫く大変だったのだ。
ガルフと相談し、金貨5枚でフットとハンドのマッサージの仕方を教える事になった。
マッサージは専門で習ったわけではないので、申し訳ないくらいなのだけれど、自分がやって貰っていた手順に沿ってリンパの流しから、指先、疲労のツボなどを押していくと皇子妃様方は本当に、うっとりとした嬌声を上げる。
料理実習の後、それぞれの侍女さん達にマッサージの仕方を簡単に教え、アーモンドオイルとフローラルウォーター(まだ精油は売りに出せないので混ぜるのが大変だけどこっちを使う)を混ぜたマッサージオイルの作り方を教え。
お三方がそれぞれに自分の元でマッサージと花の香りを楽しめるようになって、ようやく拘束にも一段落ついた。
なので今日はお礼を兼ねてティラトリーツェ様の足を揉んでいる。
でも、本当に冗談でなく、ガチガチで、少し指を入れただけでゴリゴリボキボキ音がする。
怖いくらいだ。
貴婦人って身体に悪いんだなあ。と実感。
「でも、本当にどうするの?」
マッサージの中、ティラトリーツェ様が私の方を心配するように見下ろした。
「お二人とも、貴女を気に入ってしまっているわ。
今は国の事業があるから手出しはできないけれど、落ちついたらきっと奪い合いが始まるわよ」
「ホントに…どうしましょう?」
「他人事のような顔をしない。取り込まれて正体を知られるわけにはいかないでしょう?」
「はい…」
ここは私とティラトリーツェ様のお二人だけだから、深い話もできる。
「予定を早めて、私達の養女になる? そうすればよりしっかりと守ってあげられるし情報の発信もしやすくなるわ」
「あ、ライオット皇子そこまでお話されたんですね」
「ええ、一年間ガルフの店で実績を上げろ、と言ったそうね」
身体を起こし、水色の瞳でティラトリーツェ様は私を見据える。
ライオット皇子が世界の環境整備の為に、私を自分の養女にしてやってもいい、と言って下さったのは木の月。
最初のプレゼンテーションの時だ。
あの時は、まだティラトリーツェ様の存在さえ知らなかった。
「それもアリかと思いますが、今の時点ではちょっと準備が足りません。
私が店を出てしまうと新しい料理とかを出せなくなるし、これから始まる大貴族や他国からの食料の買い取りや料理情報の売却、それから次年度に向けた小麦や食べ物の収穫などもまだ未経験なので」
「そうね。城に入ってしまうとその辺はどうしても薄くなるわね。社交とかも大事な仕事になりますし」
最低一年は店の流れを見て覚えたい。
その後は育てていく人材に任せるにしても。
「なので、やはり予定通り、一年間、しっかり地固めをしたいと思います。
それに魔王城の子ども達の去就も考えたいのです。皇女になってしまうと城との行き来も今以上に難しくなってしまうでしょうから」
「あら? 館に道を作れば? できるのでしょう?」
「いいんですか?」
「あ、ごめんなさい。今はまだ止めた方がいいかもしれないわね。
そうね、考えてみれば私にも準備期間が必要だわ…」
「はい。思った以上に周囲の状況の変化が著しいので、慌ててしまいましたが、今は地道にコツコツと力を付けて行きたいと思います」
私はティラトリーツェ様の足のオイルを拭きとりながら決心を伝える。
ティラトリーツェ様も本気の本気で言っていた訳では無いようだ。
優しく笑いながら頷いて下さった。
「そうね。…であるのなら本当に、身辺には気を付けなさい。
国の事業に関わる者を誘拐などすれば、直ぐに足がつくけれどその知識と身体を国外に売り飛ばす、などと考える輩がいないとは限らないから」
「はい」
「後は、本当に軽はずみな行動は控えるように。自分の行動がどんな結果を齎すかよく考えてから行動するのですよ」
「はい、ありがとうございます」
その暖かい微笑みと頭に乗せられた手は、本当にお母さんの様で、私は心がほっこり明るくなった。
ふつふつと元気が出てくるようだ。
よし、がんばろう!
「そういえば、マリカ?」
「はい、なんでしょう?」
足裏マッサージの片づけをしていた私をティラトリーツェ様が真顔で見る。
「足と手以外のもみほぐしの方法は知っていて?」
「えっと…知らない訳ではないのですが、教えられる程詳しくはない、というか…」
首、肩コリ、腰の痛みは保育士の職業病。
だからマッサージには通っていたし、マッサージ棒も私は手放せず、ずっと机の中に入れていた。
「首や肩がね、ちょっと辛いのよ。
こういうものだと思ってきたから今まで、あまり気にもしなかったのだけれど、手や足のもみほぐしをして貰って手足が軽くなって来たら今度は肩とかの辛さが気になって来てね」
あー、なんとなく理解できる。
何カ月もマッサージも行く余裕が無くって我慢し続けて、どうしてもダメだと思って時間の隙間を見てショートで肩だけ解して貰うと、今度は腰や全体が辛くなるとかたまにあった。身体が辛い事を思い出した、という感じだろうか。
「専門ではないのですが、それでも良ければ…」
教えてちゃんと施術できるほどの知識は無い。でも、ちょっとお母さんへの肩もみのノリでやってあげることはできるかも。
「そのまま、座って頂けますか? 私の方に背を向けて」
「こう?」
「はい。失礼します」
マッサージの時に、椅子代わりに使っていた台に上ると目の前に、固く結い上げられたティラトリーツェ様の首筋が見える。白くて細くてキレイだなあ。
などと思いながら、私は肩口に手を乗せた。
うわっ、固い。本当にガチガチだ。
けっこう本気で指を入れてもほとんど入って行かない。
「すごい、固いです…。どれだけお疲れなんですか?」
「解らないわよ。500年の間ずっと解されたことなんてないんですから」
少しずつ、少しずつ繰り返し解しているうちに、なんだか、ふと、向こうでの母を本当に思い出して来た。母も保育士だから肩こりが酷くって、子どもの頃は良く肩もみしたっけ。
『叩かれるより、揉んで貰った方がいいわ』
と、母の日に作ったかたたたき券にツッコミ入れるような母だったけれど。
優しい母だったのは間違いない。その背中を見て私は同じ仕事を目指したのだから。
「失礼しますね」
肩からゆっくりと首筋に指先を移動させた。
左手で額を押さえ、首筋のツボを押していく。
他のツボは殆ど覚えていないけれど、首は特に辛かったからあ門、天柱、風池くらいなら覚えている。
「あ…すごい。気持ちいいわ。頭の芯がチリチリする感じ」
やっぱり、貴婦人って疲れていらっしゃるんだなあと思う。
決して俯く事が許されない貴族社会。見かけほど優雅ではないのだ。
きっと。
精一杯力を入れて揉み解してみるけれど、やっぱり固くて思ったほどに解して差し上げられない。
「あ、そうだ。ちょっと待っててください」
「なあに?」
私は台からぴょんと飛び降りて、いったん部屋を出た。
目指すは厨房。
「カルネさ~ん!」
「ん? なんだい?」
事情を話して材料を分けて貰って、こっそりギフトで加工して…。
「お待たせしました~」
「なにをしていたの?」
首を傾げるティラトリーツェ様の後ろに立って、私は返事の代わりにそれを使って見せた。ぎゅうっとね。
「きゃあっ!」
ティラトリーツェ様があられもない声を上げる。
「な、ちょっとなに? 今、貴女なにしたの? あ! ちょっと、凄い、すごいんだけど!!」
(注 ただのマッサージです)
「やめて、ちょっと待って! いやっ! すご、すごく、いい、いいわ…これ…」
(注 ホントにただの肩もみマッサージです)
指と、秘密兵器を併用して首肩のもみほぐしを私が終えた頃には、なんだかティラトリーツェ様は息も絶えだえだった。
「き、気持ちよかったけれど…、本当に、身体が痺れました…。
不思議ね。目の前が明るくて眩しいくらいよ」
大げさな。
「マリカ、本当に貴女、何をしたの? 突然、力の入り具合が、変わったでしょう?」
「これを、使ったんです。マッサージ棒」
息を荒げるティラトリーツェ様に、私はさっきカルネさんから貰った薪で作ったマッサージ棒を見せる。
「マッサージ…棒?」
まあ、要するに先の丸いただの棒ではあるのだけれど、指で押すよりしっかりと力が入る。
「どうしても私の指、細いし力も入らないので、この棒を使ったんです」
ついでにちょっと加工して、ワニ型にしてみた。
反対側には少し尖った形の耳に見立てた細い突起。
口に見立てた部分は薄くしてある。それから本体にも背中と身体に見立てた突起がいくつもつけた。向こうで愛用していたものを思い出して真似てみたのだ。
旅行先で見つけたオリジナルアイテム。工房の手作り品でお気に入り。
毎日使っていていたから、イメージもしやすかった。
「こうして疲れた所に当てて押すと自分でも揉み解しができるし、こうしてぎゅっと握ったりしても気持ちいですよ」
この世界にはワニっているのかなあ? と思いながら説明していると
パチン!
「わあっ!」
ティラトリーツェ様に、いきなりおでこを叩かれた。
「な、なんですか? いきなり!!」
「また、貴女はそういうことをする! あれほど軽はずみな行動は控えるようにと言ったでしょう?」
「え? これも軽はずみな行動ですか?」
「当然です。貴族の男も女も身体に疲れがたまっている事は第二皇子妃様の件で身に染みたでしょう? もみほぐしの技術も多分、これから世界中に広がっていきます。それに拍車をかけるこれはとんでもない品ですよ?」
本当にただの木の棒なのに、と思ったけれど、考えてみれば現代でも愛用されるくらいのものなのだから、今の人達も知れば欲しがるのかもしれない。
マッサージを必要とする身体の疲れは、どんな階級でも共通の悩みだし、不老不死で身体は衰えなくても、疲労やダメージは蓄積するのだというのなら、確かにマッサージ技術もこの棒も、世界を変えかねない?
「とにかく、この棒は没収。
皇子と扱いを相談してから、ガルフの元に話を持っていきます」
「そんなあ、またガルフに怒られるじゃないですか?」
「怒られて当然。少しは本当に反省なさい!」
ぐっすん。
でも、マッサージ棒は元々ティラトリーツェ様に差し上げるつもりで作ったからいいけどさ。
今はもう、顔も思い出せなくなった母。
殆ど親孝行も出来ぬまま、逆縁の罪を犯したことを思い出しながら、私は母の分もティラトリーツェ様に恩返しできればいいな、と思ったのだった。
ちなみに、このマッサージ棒は暫く封印を命じられたけれど、第三皇子の注文でもう一本、後で作った。聞けば、二人で互いにマッサージし合っているそうな。
仲がよろしいことで。
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