雪がちらほらと降り始まった夜の一月の始め。
プラーミァから料理留学生がやってきた。
留学生、というには少し歳をとってはいるけれど。
「まったく、アルケディウスの寒さは、年寄りには身に応えますよ」
「母さん!」
馬車から降り、開口一番身震いしながらそう言った女性を見て駆け寄ったミーティラ様の声は、どこか悲鳴じみていた。
「久しぶりね。元気そうで何よりだこと。
ティラトリーツェ様もご無沙汰しております。ご機嫌麗しゅう」
「コリーヌ?」
ミーティラ様に軽く声をかけると彼女はティラトリーツェ様に向かって跪き、丁寧なあいさつをした。
その仕草は、彼女が宮廷で王族に仕える存在で在ることを知らせている。
「まさか、貴女が来るなんて思いもしなかったわ。お兄様も、随分と悪戯好きだこと」
「陛下はティラトリーツェ様を心配しておいでなのですよ」
くすりと笑って肩を上げたコリーヌ、と呼ばれた女性は年齢50~60歳くらいだろうか?
体格、というか恰幅のいい女性だった。
赤毛に、茶色い瞳。母さん、と呼ぶだけあってミーティラ様とよく似ている。
ん? ミーティラ様のお母さん?
「あのー、ティラトリーツェ様?
ミーティラ様のお母様、ということはあの女性はお二方のお知り合い、というか国王陛下の腹心であらせられる?」
「ええ、そうよ。
コリーヌは私を取り上げた産婆であり、乳母。
ミーティラはコリーヌの娘なの」
ということは、ミーティラ様もティラトリーツェ様の乳兄弟なんだ。
納得。
ぼんやりしていた私にコリーヌさんは目を向ける。
「おやおや、この子が噂のリュゼ・フィーヤですか?」
楽しそうに肩を上げるコリーヌさんは、私のような子どもにも
「初めまして。私はコリーヌ。プラーミァの国王陛下のご命令で、貴女に料理を教わりに参りました」
丁寧なあいさつをくれた。
「はじめまして。どうぞよろしくお願いいたします」
私も教わった礼儀作法でお辞儀を返す。
「おや、利発な良い子だこと。
ティラトリーツェ様がよく皇子の浮気を許したものだと思いましたが、こんないい子なら仕方ないですかねえ」
ちょっぴり皇子に棘のある発言は、多分ティラトリーツェ様を思ってのことだろう。
産婆で乳母、ということであるのなら、本当にティラトリーツェ様は娘のようなもの、なのだろうし。
「長旅で疲れたでしょう? まずはゆっくり休んで頂戴。
舘の客間に部屋を用意してあります。ミーティラ。案内を」
「解りました。母さん…」
馬車から荷物を下ろし運ぼうとするミーティラ様を手で制して、コリーヌさんは私を見る。
「あ、ちょっと待って頂戴? 陛下からお嬢さんにお土産を預かっているの」
「え? 私にお土産? ティラトリーツェ様やミーティラ様に、ではなく?」
「二人や皇子にも預かっているけれど、これはお嬢さんに。
頼まれていたモノはこれで良いのか? って」
馬車に身体を入れてがさごそ、
座席の下から取り出されたそれほど大きくない木箱の蓋を開けると…中には茶色の実がみっしり。
「うわー、カカオの実だ~。
しかも、発酵と天日干しまで…終わってるっぽい?」
「国王陛下曰く、
『お前が言っていたと思しきものを見つけたので送ってやる。使ってみろ。
礼は利用方法と活用レシピで良い』
だそうです。お使いになれそうですか?」
一つ手に取り割ってみる。
凄い。王様、私が木札に書いた通りのタイミングで乾燥させて下さったんだ。
綺麗な茶色、水分も殆どなくなってる。
「後は…焙煎と、分離加工、微粒化とテンパリング…だったけ?」
以前不思議な世界に迷い込んだ時、助けてくれたお姉様のお兄様が、美人でミステリアスなお姉さん先生と一緒に教えてくれたカカオ豆の扱い方を思い出す。
現代日本人にとってはチョコレートなんて、お店でいくらも売ってるもの。
自分で豆から作るものじゃなかった。
あそこで教えて貰えなかったら、私には異世界でチョコレートなんて作れなかったろう。
「やってみます。
ただ、少し実験や改良をしてみてからでないと教えられないのでそれからでもいいですか?」
「解りました。楽しみにしております」
「ティラトリーツェ様、今日、ちょっと台所をお貸し下さい。
研究してみたいんです」
「勿論構いません」
コリーヌさんの準備をしている間に、私は箱を台所に運んでもらい、早速カカオ豆からのチョコレート作りにチャレンジしてみた。
詳しい事は省くけど、本当に、めっちゃ大変だった。
お兄様が製法、行程はきっと詳しく説明してくれると思うので省略。
でも細かい手間がほんとうにかかるのだ。すりつぶしとか混ぜるのとか。
…私だけの事だったらギフトでやっちゃえば簡単なんだけれど、他国で普通の人が作ることを考えると手で作らないと。
カルネさんと二人がかりで二時間以上頑張ってすりつぶして、滑らかにするのにちょっとギフトも使って。
本気での破砕機を作ってみようと思う程大変。向こうの世界にも手動ミキサーあったし構造もなんとなく解るから。シュウに見本作って貰って、他の工房の人に頼めばいいよね。とにかくこれは人力きっつい。
あと、テンパリングの温度管理も難しい。
当たり前だけど、この世界の温度セ氏じゃないから、感覚でやるしかない。
向こうの世界で子ども達とバレンタインデーにチョコレート作りやってよかった。
今回作るのは砂糖とミルクを入れたカカオ70%くらいの高濃度ミルクチョコレート。
苦みに慣れない人には甘い方が食べやすいと思う。
で、製造時間約6時間、なんとか完成した品は…
「うーん、ちょっと、というかかなりざらつく。
あれだけやってもまだ足りないかあ~」
工業チョコレートに慣れている私にはかなり不満の残る味わいだったのだけれどカルネさんは…
「これは凄いね。目が覚めるようだ。こんな食べ物があったのか!
手間をかけたかいはあった気がするよ」
なんだか随分気に入ってくれたようだった。
ティラトリーツェ様達の感想もおおむね同じ。
元気が出る。力が湧く、と言うのが概ねの感想。
流石カカオ、昔は神様の食べ物として珍重されていたらしいものね。
ポリフェノールも栄養価もたっぷりだ。
ちなみにカカオから作ったホットチョコレートが実は一番人気だった。
所謂ココア。
あんまり手間をかけなくても美味しいからプレゼンテーションにはこれがいいかもと思う。
「コリーヌさん。王様は興味持って下さると思います?」
「あの方は新しもの好きですからね。きっと喜びますよ」
なんとか作った固形チョコレートの方も、数日熟成させるとぐっと美味しくなった。少し硬くてざらつきが残るけれど高級チョコレートの味わい。
『お兄様』たちの反応を思い出しながら私は考えた。
「あ、これお菓子に使ったらざらつき感じなくなって美味しいんじゃない?」
そこで私は、不思議な世界でチョコレートを混ぜたパンケーキが、ビックリ美味しいと言って貰えた理由に気が付いた。
…なるほど。そういうことだったのか。
という訳でミクルとアヴェンドラの飴かけにチョコレートかけた所謂プラリネと、チョコレート入りパウンドケーキを後日ご用意してみました。で、その結果は…
「マリカ! チョコレートの製造方法を絶対に他所に知られてはなりませんよ!」
化粧品以上に目の色を変えたティラトリーツェ様とプラリネを齧りながら
「…マリカ。これを作る為に必要なら、僕はいくらでも魔術を使いたいと思います」
という超本気なフェイの言葉。
知らせるも何も、プラーミァでしか取れないし、加工、超大変だし、簡単に真似できるものではないと思う。
チョコレートはどれも喝采をもって迎えられ特にプラリネが大絶賛。
温度管理をしっかりすれば日持ちもするだろう、と早々にコリーヌ様はチョコとプラリネを見本に添えて早馬使って、プラーミァの兄王様にカカオの確保を願い出たそうな。
やっぱりチョコレートの魔法、恐るべし。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
遠い空の下でも、今頃『お兄様たち』はチョコレートを食べているだろうか?
私は心からの感謝の思いを込めて手を合わせたのだった。
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