迷いなく、敵の眼前にその身を躍らせる。
初手は互いにとって挨拶の代わりのような者なのだろう。
軽く、武器を打ちあわせる。
まるで互いの戦い筋、それを見定めるように。
良くできた歌のように鋼の音を響かせて。
長身のグランダルフィ王子が携えるのは片手持ちの長剣。
特異な特徴があるでもなく、ただそれ故にありとあらゆる戦士に愛され、不老不死という他人を殺める技術と武器が無用の長物となるこの世界でも廃れることなく伝われている武器。
夜の闇の中、白銀に輝く光を放つのは、それなりの業物だから、なのかもしれない。
私には解らないけれど。
迎え撃つリオンが振るうのは短剣。
『精霊の獣』がこの世界に生まれ落ちたその時に星に授けられた守り刀。
カレドナイトの短剣。
その価値を知るものなら山より高く金貨を摘んでも欲しいと願う真なる秘宝。
けれど、彼はそれを敵と認めた者に使うことに躊躇しない。
武器とは、戦う為に使ってこそ意味がある物なのだから。
数合の打ち合いの後、グランダルフィ王子は後ろに飛びずさり、リオンの、互いの攻撃範囲から退いた。
それに合わせてリオンも間合いを開ける。
何かを感じたのだろう。
ここから先に踏み込めば、言葉で会話する余裕はない。
全てを語るのは己の技と武器のみ。
だから、王子の願いと意図を、正確に読みとって、リオンも後ろに下がったのだ。
「うーん、やっぱり身体を本気で動かすには邪魔だな。
でも取ってしまうと、僕は貴方達に会う前に朽ち果てていただろうから、文句は言えないんですけど」
「え?」
剣を下げ間合いを開けた王子は仕方ない、と肩を竦めながら嗤って見せる。
「僕には相手の強さが見えた。
そう言ったら、貴方はどう思いますか?」
「特には何も思わない。大したものだな、と思うだけだ」
間合いを開け、剣を下ろしまるで雑談のように話しかけて来る王子に、リオンも短剣を下げ普通に応える。
「まあ、不老不死になってからも相手の強さをなんとなく読み取るくらいはできるんですけどね。
それは戦士なら、誰でもできる技術、です。
僕が不老不死前、持っていたのはそういうのとは、根本から違うモノでした。
姫がおっしゃっていた、子どものみが持つ『能力』でしたか?
多分、それが僕の能力だったんだと、今なら納得できます。
他人の内に秘めた力の強さ、魂の輝き。それが幼い頃の僕にははっきりと目で見えた…。
誰にも、本当誰にも、母上にも父上にも、言った事はありませんでしたが…」
遠い昔を懐かしむ様に王子は目を閉じたけど…
「父上を包むのは輝く朱金の太陽のような輝き、母上は月光。薄淡い金色。お祖母様は深い紫、カーンは鮮やかな蒼。
もし、今も見えていたとしたら、貴方は宵闇の黒、姫君は紫紺、魔術師少年は青銀でしょうかね。
自分の光は見えなかったので、いつか自分もそんな光を放つ人間になりたいものだと思ったりもしました」
それはそれで、相当に怖い事じゃないか、と私は思う。
子どもにとって周り全ての強さが目に見えたりしたら…。
「成人して、不老不死になって、能力を大よそ失って、代わりに技術で強さを感じ取れるようになっても。
周囲の人間よりも自分が多分、強くなったと解っても。
その頃のトラウマのようなものもあって、僕は自分に自信がなかなか持てませんでした。
僕とフィリアトゥリスはプラーミァ王宮、ただ二人きりの『子どもあがり』でしたから」
どんなに努力しようとも、先にある者達を追い抜く事ができない、許されない。
そう思い知らされて、思い込んで込んで、最下位に生きて来た五百年。
どれほど、辛い思いをしてきたのだろう。どれほど我慢をし続けてきたのだろう。
「ですが、僕は姫君と出会って、そして知った。
子どもであろうとも、自らの才覚を表していいのだと。
先に行く、大人を追い越して、自らの夢を、願いを口に出して、叶えても良いのだと。
…リオン殿。僕は姫君が…マリカ様が好きです」
「ああ…知ってる」
次の瞬間、王子とリオンは疾駆した。
何の合図も無く、全く同時に。
とちらも、もう言葉を発しなかった。
ここから先に、もう言葉が介入する余地はない。
ただ、互いの思いを乗せた武器が語ればいい。
そう、全身で語りながら…。
「リュゼ・フィーヤ。俺は、一つだけ後悔している事がある」
「! 国王陛下」
二人の真剣勝負に魅入っていた私は、本当に真横に国王陛下が立っていた事に気が付かなかった。
真横、隣に立たれるまで。
傍らには王妃様もいらっしゃる。
別に…隠すことは何もないし、昼間の戦いも見ておられたし今日ここで会う事は衆人環視の前でなされた約束だ。
ここにおられても不思議は何もないけれど。
その真剣な眼差しに少し、心臓が音を立てる。
「俺は、あいつに…グランダルフィに『友』を与えてやることができなかった」
零れる静かな思いの発露。
強く、揺ぎ無く、迷いなく。
国を治める王には決して許される事の無い、それは告解のようにも思えた。
「共に立ち、並び、歩む者。
競い合い、協力し合い、切磋琢磨する友。
親友、同胞。
それは、親や家族、妻とはまった次元の違う存在だ。
持つか、持たないかで人生の輝きが大きく変わる。
ライオットも勇者アルフィリーガと出会う前と後ではまるで別人のようだった」
プラーミァの王族には必ず、幼い頃に同年代の腹心が付けられる。
名目上は部下になるけれど、共に生活し、同じ教育を受け対等に会話する事、真剣に競い合う事を許された友。
ミーティラ様の様に、カーンダヴィットさんのように。
けれど、王子にはそんな存在が見つからなかった。
腹心どころか、身の回りを助ける側仕えさえ、同年代の者はいなかった。
人々が不老不死を得た混乱の三十年。
プラ―ミァの王宮に最後に生まれた王子はずっと、孤独の中を生きていたのだろう。
「あいつが、あんな顔をして戦うのを見るのは、生まれて初めてだ」
目を細める国王様の視線の先には「あんな顔」で戦う王子がいる。
空を裂く長剣が唸る。
暗闇を両断するかのように白銀の閃光が宙を薙ぐ。
ひらりと躱したリオンが後方に飛びのくのに合わせて余勢を利用して踏み込み。上段からの一撃。
リオンはそれを予測して受け止め、力任せに剣をはじき上げ、懐に逆に懐に踏み込んで来る。
喰らえば一撃必殺。
数倍の体躯の男であろうと沈むことが証明されている、リオンのアッパーカット。
その威力を正確に読み取って王子は、半ば強引に背後に身体を返した。
バク転じみた攻撃は隙も多いけど、それはリオンも同じこと。
渾身の拳を交されたと知るや、すぐに間合いをまた開き、状況の確認を優先する。
力量は三:七で多分リオンの方が上だ。
けれど王子はその差を経験と、細身ではあるが鍛え上げられた戦士の体格と長い手足でリーチを広げた長剣。
剣技で埋めていく。
そして、リオンの急所を狙わんとその牙を奔らせるのだ。
冷静に理性をもって戦いながらも、二人の表情に憎しみや殺意、敵意は無い。
ただ、ひたすらに眼前の相手を見つめ、認め、倒さんとする意志があるだけ。
ふと、遠い記憶を思い返す。
成長した『精霊の獣』と『戦士ライオット』の戦いを見た時のことを。
あの時に感じた認め合う、対等の戦士同士が命と技で語る無言の会話と似た何かを感じる。
外見も、空気もなんとなく似ているし。
もしかして五百年前の『勇者』と『戦士』の会話はこんな風だったのかもしれない。
「グランダルフィの有能を疑ったことはないが、あいつはいつも周囲の顔色を伺いながら生きていた。
孤独の中、身を護る奴の処世術だと解っていたから、歪んでいると解っていても止める事はできなかった。
そしていつしかそれが当たり前になっていた」
「我が子の欲目かも知れませんが、あの子は、王の『七精霊の子』の血と性質を強く受け継いだ『王になる者』。
世が世であるなら間違いなく、歴史に名を遺す賢王の素質を内に秘めながら自分には何もできぬ、と己を押し込めていたグランダルフィを変えたものは何でしょうか?
新しい食? それとも…」
「マリカ様との出会い、ですわ」
「いいえ」
王妃様の吐息に王子妃は即答するけれど、私は違うと思う。
「王子が自分で目を開かれたのです。ご自分の意志で変えたい、と変わりたいと願われた。
私、いいえ私達との出会いはそのきっかけにすぎません」
彼は夢と願いを持っていた。
胸の中に押し殺していたけれど確かに持っていたのだ。
それを自分の意志で出すと決め、変わると決意し行動しただけ。
現に今、王子の気持ちを一番受け止めているのはリオンだし。
「王子が変わり、決意するきっかけに私達がなったのであれば、そして今まで王子が得られなかった共に立ち、並び、歩む者になれるのでしたら。
それは、私達にとって、この国に食以上のモノを与えられた。
正しく誇りでございます」
「リュゼ・フィーヤ…」
二人の戦いも、もうじき決着しそうだ。
互いに乱れて来た呼吸を押し殺し、リオンは獣がその力を溜めるように深く身を下げ、グランダルフィ王子は下段に下げた両手で長剣の柄に渾身の力を込めた。
「はああっ!!」
「たああっ!!」
今の、自分自身の全てを込めた、渾身の攻撃。
白銀と青銀。
爆発するような光のぶつかり合いに一瞬、目がくらみ瞬きした瞬間。
それは終わっていた。
高い響きと共に飛んだ長剣が、地面に突き刺さる。
武器を失った王子と、武器をまだ持って立つリオン。
一撃に全てを込めた戦士と、その一撃を捌き、次に繋げる事に専心した獣の僅かな判断の差が勝利を分けた。
「これで、終わりだ」
「ええ、お見事、僕の負けです」
両手を上げ、多分この世界でも変わらない、降参を手で示した後、グランダルフィ王子は、スッとリオンに向けて跪く。
私ではなく、リオンに向けてだ。
「プラーミァ王子 グランダルフィはここにマリカ皇女への求婚を破棄し、その全力をもって夢の実現、願いの成就に助力する事を誓います。
私を敗北させた真実の戦士と、その婚約者に賭けて」
「了承する。だがいいのか?」
リオンが気遣う様に王子に声をかける。
一瞬、私の方を見たから、この勝負と誓いを父王様と王妃様が見ていたことは解っているだろう。
でも、ええ、と王子は頷き微笑んでいた。
「僕は貴方に負けたんです。敗者は勝者に従うのは摂理。
それに、貴方達が僕を認め、受け入れてくれるのなら、一番勝ちたかった戦いには勝利しています」
その笑みは輝かしく、眩しい程。
「貴方方の隣に立ち、共に歩むことを許して頂けますか?」
「ああ、王子、その力と意志に期待している」
「グランダルフィ、と呼んで頂けませんか? 夢だったんです」
「ああ、おれの事もリオン、と呼んでくれ。
これからも、よろしく頼む。グランダルフィ」
「ええ、リオン」
真っ直ぐに差し出された手を、握りあう二人。
私の事なんて、アウトオブ眼中だ。多分。
いいああ、男同士の友情。
ちょっと、ジェラってしまうけれど、でも本当に嬉しいと感じていた。
私達はここに、世界でもっとも頼りになる同胞を、手に入れたのだから。
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