長い髪がふわりと棚引くように揺れる。
俯いていた私の身体は凛と立ち、伯爵夫人を弾劾の眼差しで見つめていた。
「なかなか、汚い手を考える。サークレットに毒を塗るとはな。
自分には死は訪れない。毒に致命的に侵されることはない。不老不死世ならではの悪辣な手段だ」
「毒?」
ギョッとした顔で私と伯爵夫人を見た皇王陛下。何かに気付いたように顔を上げ手を振る。
「彼女を捕らえ、手袋を取りあげろ!」
皇王陛下の命令に護衛兵が一気に伯爵夫人に迫り、後ろ手に拘束。
「何をするのです! 放して!!」
言われた通り手袋を取り去った。
「注意して中を見てみろ」
皇王陛下の命令に手袋がひっくり返されると、白い貴婦人手袋。
その親指、人差し指、中指の所が二重補強されていて、何かぬるっとしたものが塗られているのが解った。
「不老不死世で気が緩んでいた、と言われても仕方がない。
この女、さっき、サークレットを先に被った時に、宝石の裏に毒を付けたな」
「おかしな持ち方をしているとは思ったのです。あれでは宝石に指紋がついてしまう」
「拒絶の雷光に弾かれることは解っていたから、マリカを貶める為に、毒を塗ったか、それとも最初から、マリカの毒殺が狙いであったのか……」
三人の皇子が手袋を見て唸る中、私の姿をしたアーレリオス様は、さっき外した私の手袋をハンカチ代わりにしてサークレットの宝石、その裏側を拭う。くくんと手袋の匂いを嗅ぐ様子は精霊獣の姿をしていた時とよく似た雰囲気だ。
「火禍のキノコの毒を煮詰めたか? 量の割に毒性が強い……。ラスの防御が無ければ危なかった。だが、これは……」
後に兵士に手を回され、膝を落とされた伯爵夫人は、呆然と、信じられない、というような眼差しで私を見ている。
「ど、どうして平気なのですか? あの毒は不老不死を持たない子どもなら、皮膚から吸収され、倒れ死に至る。
一滴触れただけでも焼け爛れ醜い跡が残る筈。幾度も実験したというのに」
「待て」「待って」
瞬間、二つの声がユニゾンした。
一つは思わず出てしまった、私の声。
もう一つは私の声、私の身体を使うアーレリオス様の声、だ。
(マリカ。少し黙っておれ)
頭の中に声が聞こえた。ちょっとテレパシーっぽいアーレリオス様の声だ。
でも、ちょっと黙ってられない。さっきの一言は聞き捨てならない。
(だって、アーレリオス様。今、この人、毒の実験をしたって!
まさか、それって」)
(解っている!
私とてそうであるなら、許すつもりは無い。身体を借りる分、厄介ごとは全てやってやる故、黙って見ておれ!!)
頭の中に雷を落とされて、私は押し黙る。
あれは怒ってる。相当に怒ってる。
復讐者に鉄槌をって言ってたけど、あの時以上に怒ってる。
火の精霊神だけあって、燃えるような怒りだ。
「貴様、マリカを陥れんが為に毒を盛ったか。しかも、その効果を試すために子どもを使ったな?」
ぎらり、と熱を持ち鋭い眼光が伯爵夫人を貫く。
私から見た視界が碧を帯びている。なんで?
と思いかけて、ラス様の言葉を思い出した。
『精霊は、本気を出すと碧の瞳になる』
アーレリオス様が本気を出して力を使っているのだろうか?
「その数十人を超える。お前の周囲に子ども達の怨讐がこびりついているぞ」
「マリカ? 目の色が? 髪の色も」
「我は『精霊神』。このサークレットは我らが巫女にして娘、『聖なる乙女』と『精霊神』『星の意思』を繋ぐ秘宝なり」
私にはよく分からないけれどお母様が、驚愕の声を上げてる。
『精霊神』とアーレリオス様が名乗りを上げた途端、場にいた全員が。
お父様、皇王陛下、皇王妃様、皇子達、文官長にリオンにフェイ。
護衛騎士も伯爵夫人の側近も、全員跪いている。
伯爵夫人を拘束していた騎士も膝をついたので、夫人はさらに地面に這いつくばる形になった。
と同時なんだかぎゅんぎゅんと変な音を立てて明るくなった周囲の力が一か所に集まっていく気がする。
多分、私の手の平? 右手を顔の横に何か受け止める様に空に向けられた手の上に何かが集まっているようだ。身体全体が熱い。サウナの中にいるみたいだ。
「我らが『娘』を虐げ、汚さんとしたばかりか、秘宝を奪い、殺そうと企み、挙句の果てに未来を担う子どもに悪逆を成した。
それを、我々が許すと思うてか!」
外を見ていると『私』に怯えた眼差しを向ける伯爵夫人が見えた。
「ひっ! 私は、ただ……私から、奪われたものを、取り戻したくて……」
「黙れ! お前達が自分達の領分を護って正しく生きていれば何も失うものは無かったのだ。身の程を弁えず、他者を思いやることを忘れ、強欲を成し続けた結果が帰ってきたにすぎぬ。
それでも己の罪を悔いて行動を改めていれば、今、ここで我が怒りを受けずに済んだのだ。全ては『無敵の愚か者』貴様自身が招いた罪である!」
「な、何を……!」
「貴様に極刑を授けてやろう。
この世で一番の地獄を見るがいい」
必死に弁明する夫人の言葉に一切頓着せず。
掌に集まっていた力を全部、アーレリオス様は握りしめると伯爵夫人の前に進み出てその顔に手を当てた。
「あ、あああっ!!」
何かが夫人の身体に注がれ、同時に何かが彼女の身体から引き出されていくのが解った。
カチンと音を立てて、彼女の中から出てきたものが砕かれる。
呆然とする夫人。その手にテーブルに置かれた手袋がふわり、浮かんで手に貼りついて……
「ギャアアアア!!」
今度こそ王宮全てに響く悲鳴が轟いた。
まるで炎の中に手を突っ込んだような絶叫だ。
「熱い! 熱い!! 痛い、痛い! 何故、何故? 私の身体は一体どうして」
必死に手袋をはがそうとする夫人。なんとか取り外した両手はまるで火傷をしたように真っ赤に焼けただれていた。
「子らの生命を管理する『精霊神』の名においてお前の不老不変をはく奪する。
生命活動の停止は許可しない。
愚かな復讐者。貴様には人の世の裁きさえ生ぬるい。
死という救いのない永遠の呪いを、その身をもって味わうがいい」
何が起きたのかは分からない。
だが、アーレリオス様がご自分と、私の身体と力を使って、相当な何かをしでかした事が解る。
「木国の王とその一族」
「はっ!」
全ては終わった、と言わんばかりに伯爵夫人に背を向けたアーレリオス様は、アルケディウスの首脳部、特に皇族達をみやる。
「ライオットの娘マリカは『精霊』と『人』を繋ぐ役割をもった真実の『聖なる乙女』である。
この者にはいずれ重要な役目がある。
侮ること無く、傷つけることなく守り育てよ。
ソルプレーザのように、この女のように、我らの怒りを買いたくなければ。
これは『精霊神』の命令であり『星』の意思である」
「か、必ずや」
頭を垂れる皇王陛下の言葉に鷹揚に頷いたと同時、私の身体は力を失い崩れ落ちた。
「マリカ!!」
リオンと、多分、お父様が支えて下さったっぽいので衝撃とかは無かったけれど。
「マリカ」
「アーレリオス様」
頭の中で、今の光景を見ていた私の前にアーレリオス様が見える。
今は、身体を動かす操縦者がいないので、身体は動かないけれど、意識はここにちゃんとある。
「やりすぎと、思うか?」
寂しげに笑うアーレリオス様に私は首を横に振った。
「そう……かもしれないですけれど、別に構いません。
子どもに害を与える人は、それ相応の罰があっていいと思いますから」
「感謝する。あの力の行使も、他者の生殺与奪の実行も、好きでは無いのだがな」
「あの力?」
私から顔を背け、どこか、遠くの。
星を見るような眼差しでアーレリオス様は呟く。
「我々に与えられた原初の力。
あれほど、呪い、恨んだ力をあっさりと使って世界を変えて見せたあの方の変化と決断は一週回って尊敬するが、私はできるならもうやりたくはない。
『精霊神』として子ども達を護り、導く方がよほどいい」
「どういうことです?」
「単なる独り言だ。この世界の謎、我々の秘密は自分達で探し、重荷も皆で分け合うと約束したのだろう?」
「はい」
「ならばそうするがいい。いずれ、嫌でも大人になる時はやってくる。
それまでアルフィリーガや、家族、兄弟達と共に、ゆっくりと子どもの時を楽しむがいい」
「はい。ありがとうございました」
すっと、柔らかな笑みと共に、アーレリオス様の力が抜けていくのを感じた。
周囲に灯る光は、明るいままだけれど私は、私のまま、変わることなくここに在る。
さあ、帰ろう。
みんなの所に。
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