魔王城の島の冬は尋常でなく厳しい。
雪が本気で積もれば簡単に、子どもなんかすっぽり埋まってしまう。
この世界最北端に近いので無理はないけれど、多分南方ロシア、北方カナダ位の気候なのではないかと思う。
だから、この時期魔王城では、外に出る事は完全に諦めて室内あそびを楽しむのだ。
一方、アルケディウスも多分緯度経度的には似た位置。
向こうの世界の緯度経度の概念がこちらと同じかどうかは解らないけれど、天候、気候も似たような感じだと聞いている。
つまりは雪が凄いのだ。
今はまだちらちらと軽く振るくらいだけれどあっという間に歩けない位に積もることは解っている。
もう少ししたら馬車での移動も難しくなると思う。
貴族区画に新しくできる実習店舗の采配があって、今は週三で貴族区画に通っている私には辛い所だ。
「本当は、私の舘に居を移しなさい、と言いたいところなのだけれど…」
ティラトリーツェ様は二階の客間の一つを、私の部屋に直して下さったそうだ。
見せて頂いたけれど、上質の木材で丁寧に作られた上質の家具が揃っていた。
皇子の趣味で、この館は王宮よりも華美な装飾は少ないのだけれど、それがすっきりとしていて私好み。
白を基調に、薄水色と紫のカーテンやイスなどの家具。
でも所々にローズピンクや赤などのクッションやクロスがあって、寒々しさは感じられない。
実の所、豪華絢爛な魔王城より、住環境としてはいいな、と思うのだ。
ただ…
「魔王城への転移門。その設置場所をどこにするかが難しくてね」
とティラトリーツェ様がおっしゃる通り、皇女として皇子の家に居を移してしまうと、この冬、魔王城にほぼ戻れなくなってしまう。
それが、悩みどころでまだ正式に移動できずにいる。
かつてティラトリーツェ様の子どもが流産させられたのは家人の裏切りが原因だった。
その時裏切った人物は勿論、当時の使用人は殆ど入れ替えられ、数百年を忠実に仕えてくれている人ばかりだとは言うけれど今も、本当の意味で信頼して全てを任せられるのはミーティラ様とヴィクスさんだけだというから、貴族社会の厳しさ、押して知るべし。
と、困っていた所に救いの主が現れた。
「同じ家に帰るのだ。フェイと共に行き来すればよかろう?」
いともあっさりと、皇王陛下が通勤の為の転移術を許可して下さったのだ。
門で貴族区画への入退場の登録をすることが条件。
あ、あともう一つ。
「週に一度でも良い。ご機嫌伺いに顔を見せてはくれまいか?」
優しいお祖父様の申し出を断る理由も無く、私はフェイと一緒に貴族区画への通勤を続ける事になった。
「皇王陛下 ご機嫌はいかがでしょうか?」
私が面会に行く日には、皇王陛下が奥の院から出ておいでになる。
プライベート用の応接室で、一緒にお茶をさせて頂くのだ。
お菓子は私の持ち込み。お茶も私が入れる。
側仕えの方が茶葉とかお湯とか全て用意したものだけれども。
「ふむ、悪くはない。というか、いいな。
こうして孫と共に過ごす時間、というのは。
だが、今の挨拶はいかんぞ。プライベートの時はお祖父様と呼ぶように、と申したであろう?」
「はい、お祖父様」
自分の言葉にちくり、とほんの少し胸が痛む。
私は実のところは皇子の娘ではないのだから、優しい皇王陛下を騙していることになるのだから。
「さて、とはいえ、儂の子は皆、男ばかりであったからな。
孫、しかも女の子にどんなことをしたら喜んでもらえるものやら…」
「もし、よろしければ他国の話などをお聞かせいただけますでしょうか?
私はアルケディウスから出てたことが無いので、他国については名前しか知らないのです」
「ふむ、そういう事なら多少は話ができるかもしれんな。
毎年、各国の王達とも会う機会がある。この国で一番、他国と触れているのは儂であろうからな」
自慢げに微笑むと私の葛藤など知る由もなく、それから、皇王陛下は色々なお話をして下さるようになった。
実際、皇王陛下のお話は、すごく面白いし、勉強になる。
他国の話、この国や世界の創世の物語。
この世界の七国は、全て名前こそ違う所もあるけれど、王様が国を治める立憲君主制なのだそうだ。
「アーヴェントルクは皇帝、と名乗っているな。フリュッスカイトは公主。女性が治めておいでだ。プラーミァとシュトルムスルフトは王。エルディランドは大王。
ヒンメルヴェルエクトは大公と呼ぶ」
そうして昔話をして下さった。
創世記、と呼ばれるものだ。
世界がまだ今のような国も何もなかった時代。
迷う人達の前に七人の精霊の力を持つ指導者が現れた。
彼らは全てを作り出した『星』の名の元、人々に知恵や技術、生きる術を教えた。彼等は精霊の術を使って人々を守り導いたという。
指導者は人と結婚して、血筋を残し、それが七国の王。その祖となった。
精霊の恵み豊かな大地で、人々は幸せに暮らしていたがある時、世界は突然闇に閉ざされた。
魔性が現れ、精霊を喰らう様になって、人々は争い大地が乱れた。
『星』は『神』としてその姿を現し、人々を導くようになった。
神官が人々を導き、その流れを汲み、精霊と人を繋ぐ魔術師も生まれを助けるようになった。
そしてアルフィリーガの勇者伝説に繋がる。と。
「今、伝わっているのはそんな話だ。
まあ『神』に都合のいい伝説になっているな」
「以前、おっしゃっていた『精霊の貴人』というのは?」
「『神』が『星』の代行者として世に出たと同時期、もう一人の『星』の代行者として人々を導いた存在。美しく、精霊の力を操る女性であった。
両者は相争う事が多かったが、争いによって人々大地、精霊が傷つく事を悲しんだ『精霊の貴人』が引く形で姿を消し、世界は神の導きを受ける事になったと言われている。
実は『精霊の貴人』こそが世に暗黒を齎した魔王であった、と神は言うが、『精霊の貴人』に深い恵みを受け、救われた土地はアルケディウスも含め少なくない。
彼らの反発を怖れその辺は濁している、というのが現状だろう」
「ということは闇の時代って随分長かったんですね」
「儂の祖父の時代より前というから百年以上はあったであろうな」
「精霊の貴人というのは随分長寿でいらっしゃる?
お祖父様はお会いした事があるのですよね?」
「神にも等しき存在なのだ。不思議はあるまい?
直接お会いしたのは一度きりではあるがな」
エルフィリーネの言い方からすると、代替わりはしていたらしいけれど、人々には神と等しき長命の存在と思われているようだ。
そういう魔王視点の矛盾や疑問はさておき。
皇王陛下の話は、伝説を伝える王家の方だけあってとても深く、面白い。
何より、お祖父さん、との時間というのが私は初めてで楽しかった。
私の転生前、家は核家族でだったから、お祖父さんという存在とは縁遠かった。
保育園でお迎えに来るお祖父さんお祖母さんに甘える子ども達をちょっぴり羨ましく思った事もあったりする。
父の祖父母は私が物心着く前に亡くなっていたけれど、母方の祖母は田舎に住んでたので子どもの頃は夏休みに遊びに行ったりもしたものだ。
朝に食事用の焼きたてパンをパン屋さんに買いに行くのが私の仕事で、おつりをお小遣いに貰えるのが楽しみだったっけ。
それから間もなく、亡くなったので田舎に行く事も無くなったけれど 他愛もない思い出が、異世界に転生しても消えないのは不思議な話だと思う。
普段はきれいさっぱり忘れているのだけれど。
話の区切りがついた頃。
ふと、私は田舎の祖母にしてあげたことを思い出した。
あの時の私は、丁度田舎に行ってた頃の私と同じ。
向こうではできなかったおじいちゃん孝行というものをしてみるのも悪くない。
「お祖父様、ステキなお話をありがとうございます。
お疲れではありませんか?」
「このような話、公務に比べれば容易い事だが…」
「もし、よろしければ肩でも揉ませて頂けませんか?
私、ティラ…お母様や、アドラクィーレ様、メリーディエーラ様に時々マッサージをしているのです。
好評なんですよ?」
フッ、と皇王陛下の顔が綻んだ。
「では、頼むとするか?」
「はい」
私はそっと後ろに立つと肩に触れる。
肩は叩くより、揉んだ方が多分気持ちい。
そっと、優しく丁寧に。
アルケディウスに五百年君臨し、支える王様の肩はやっぱり皇子妃様達に勝るとも劣らず、って位に固くって責任とかお疲れの重さを感じずにはいられない。
「ほう…これは気持ちが良いな…」
「ありがとうございます。そのまま少し、目を閉じてお気持ちを楽になさって下さいませ」
少しずつ手に力を込めながら、私は一生懸命肩を揉んだ。
ティラトリーツェ様や、メリーディエーラ様にやった時と同じように、この方の疲れが、少しでも取れますように、と祈りと思いを込めて。
「うむ、目の前が明るくなった気がする。
良い腕だな。其方」
一通りの肩もみが終わると、皇王陛下はぐるりと手を回してそう褒めて下さった。
「ありがとうございます。少しでもお疲れが取れたのなら良いのですが…」
「本当に五百年来の疲れが取れた気がする。礼を言うぞ。マリカ」
「お祖父様のお役に立てたのなら、これ以上の喜びはありません」
私が頭を下げると皇王陛下、お祖父様は優しく笑って、頭をぽんぽん、と撫でて下さる。
その手が優しくて、くすぐったいくらいに嬉しくて。
血のつながっていない、嘘つきで魔王な孫だけど、でも優しいお祖父様の為にいい孫でいようと思ったのだった。
二回目のお茶会からはお祖母様もおいでになるようになったけど、マッサージをしたり昔話を聞かせて頂いたり、私も仕事内容や店での話、兄弟の話や孤児院の話をして、楽しい時間を過ごせている。
血のつながりはもちろん大事だけど、血のつながりが無くても家族にはなれる。
私は、そう信じている。
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