翌日、私が貴族街店舗に出勤すると、ラールさんが出迎えてくれた。
挨拶もそこそこに奥の部屋で直ぐに伝えられたのは
「マリカ様。
旦那様から今日か明日、お時間を頂けないか、と伝言を預かっております」
というガルフからの言伝。
つまりは昨日の手紙のそれが返事だ。
「ガルフの都合がつくのなら早い方が良いでしょう。
私は今日も夜営業が終るまで、ここで仕事をしていますのでいつでも来て下さい。
と伝えて貰えますか?」
「解りました」
ラールさんが退室して一刻程、二刻は経っていないなと思う頃。
「マリカ様。失礼いたします。お忙しい中お時間を取って頂きありがとうございます。」
ガルフがやってきた。
リードさんも一緒。
多分、最優先で来てくれたのだと思う。
「こちらこそ、大祭前の上にアルがいない慌ただしい中、呼び出す様な形になってごめんなさい」
私は素直に謝罪する。
大祭前の忙しさは私が一番よく知っている。
っていうかガルフを忙しくさせてしまっていたのは私だったけれども。
………。墓穴はさておき
「話、というのは手紙にも書いた通り、アーヴェントルクのオルトザム商会からの手紙の事です」
「はい」
ガルフも私も忙しいから、用件は手短に。
直ぐに本題に入る。
「私は基本的に商業に関してはガルフに任せています。
ガルフが良いと思ってくれた相手と契約する事を妨げるつもりはありません」
「ありがとうございます」
ガルフは静かに目を閉じている。
多分、覚悟は決まっているのだと思う。
「オルトザム商会が例え王宮御用達であろうと、ガルフが理由があって契約に値しないと思うのならその選択を尊重します。
ただ、次の訪問国はアーヴェントルクです。
今迄の友好国と違って、今、戦真っ只中の敵国であると皆から言われています。
不安要素があるのなら、教えて貰えると助かるのですが…」
「はい。俺自身もいつまでも隠しておけないと解っております」
ガルフは顔を上げるとじっと私を見た。
遠い昔、魔王城で、私に忠誠を誓ってくれた時と、同じ眼差しだ。
「オルトザム商会そのものに不安要素も無くは無いのですが、今回の件に関しては問い合わせを黙殺したのは俺の完全な私情です」
ガルフははっきりと口にする。
おそらく、覚悟を込めて
「オルトザム商会、商会長ボントルモ氏は大貴族と繋がる豪商で…俺の妻を買い取った男なのです」
「買い…取った?」
「はい」
そうして彼は話し始める。
遠い、五百年の彼方の彼の傷。
物語を。
「まだ不老不死前、俺はまだ三十代そこそこ。
両親は夭逝しましたが、商会を受け継ぎ日々を懸命に過ごしていました」
リードさんやラールさんはその頃からガルフを知っていると前に聞いた。
口を挟まず静かに聞いている。
「継承でドタバタしていた店が落ち着いたので、妻を娶ったのは『勇者が魔王を倒す』本当に直前でした。
相手はシュライフェ商会の針子、アデラ。
料理の上手く、目立つ容姿ではありましたが気の優しい女で、長く付き合ったあと求婚しました。
シュライフェ商会の商会長には結婚時、後ろ盾になって頂きました」
なるほど。仲人だったのか。
契約の時になんだか微妙な顔をしていたのはそのせいかと納得する。
それは頭が上がるまい。
「新婚で、我ながら舞い上がっていた時期でした。
魔王討伐が為され、不老不死が発生。
世界が激変したのは…」
世界中の人間が、不老不死を得られるようになった。
拒否する事もできたが、そういう人物はごく僅かで多くの人間が、永遠の憧れであった不老不死を得て有頂天になっていた狂乱の三十年。
そこで全てを失った者達がいた。
今まで、生きるのに必須であって尊重されていた『医』と『食』に纏わる仕事に着く者達。
「あの地獄は、忘れられません。
倉庫一杯の肉が、果物が、生鮮食料品が一気にゴミになった。
我々は変わらないのに、食物は日々腐っていく。
今まで『食』は人にとって生活必需品でした。
丁寧に商って行けば、食いはぐれる事は無い。
父からそう言われ、その通りにして事実、安定した商売ができていたのに。
…本当に、どうしてこんなことになったのか、と絶望したものです」
私には想像するしかないけれど、若手で大きく商いをしていただけにその打撃はきっと大きかったのだろう。
「売れない商品の代金を払い、店を閉め、働いてくれていた者達に多少なりとも報いて送り出してやる為には、蓄えを全て吐き出し、全てを手放してもまだかなりな借金が残る計算でした。
でも、なんとかで出来る。二人で頑張って行けば。
俺自身は、そうおもっていたのですが、アデラは違ったようです。
ある日、突然姿を消しました。
…一枚の手紙と、大金と共に…」
「え?」
「オルトザム商会の商会長が、第二夫人としてアデラを望んでいる。と俺に仲介したのは同じ商業仲間のザックでした。
アデラを譲れば、無期限、無請求で融資を行う、とも。
俺は勿論一蹴しましたが、ザックはアデラに話をしたようです。
当時、ボロボロだった俺を見かねたのか、それとも見限ったのか。
アデラの真意は解りません。
解っているのはアデラが神殿に離婚の手続きを行ったことと、国を離れたこと。
そして、大金が俺の手元に残ったことだけです」
基本的には離婚の手続きは双方が合意しないと行えない。
けれど特別な理由が有ったり大金を払ったりすれば、神殿が特例と受け入れる事もある。
ガルフとアデラの場合は、ガルフが借金の返済と引き換えにアデラをオルトザム商会に売った、という形になったのだそうだ。
男性優位のこの世界、夫側が妻や娘を売る事例はまま存在する。
男側が拒否し、異議を申し立てる事も不可能では無いけれど、色々な意味で疲弊していたガルフは、それを受け入れてしまった…。
「不思議な事に、その頃には王都の商業者全てに、俺とアデラの別れが知れ渡っていました。
アデラが俺の借金を返す為にオルトザム商会に行った、そして妻となったと」
「え? どうして?」
「後にして思えばザックが俺の退路を断つために、噂をばら撒いたのでしょう。
アーヴェントルクに乗り込み、金を叩きつけてアデラを取り戻してやる手も無くはなかった。
それを許してくれる従業員や周囲の者もいるにはいたのですが、実行すれば彼らに迷惑がかかる。
多額の借金を抱えたまま、国を離れる事もできなかった…。
何より、アデラがそれを望んでいなかった」
ガルフが懐から取り出し見せてくれた手紙には、
『ガルフの元にいては、どちらも幸せに離れない。
私はオルトザム商会に嫁いだ方が幸せになれる。
貴方もどうか私を忘れて幸せになって下さい』
と書かれてあった。
「俺は、最終的にアデラよりも、店と店の者達をとり、金を使って借金を返し、店を畳みました。
アデラが残した金は手続き上、アデラが一方的な離婚の慰謝料として結婚の支度金を俺に譲渡したという形になりオルトザム商会からの借金とはなりませんでした。
そして俺は商業の世界から足を洗ったのです」
ガルフを店員として雇いたいという声もあった。
けれど、国の商業者全てが彼の醜聞を知っている。
アデラをガルフが売った、という噂、いやアデラが自らガルフの為に身を引いたという話が交錯している。
そんな中で、蔑まれながら仕事をしたくない。
ガルフはスッパリと商業の世界から身を引き、闇に沈んでいった。
日雇いや戦で日銭を稼ぎ、その身をすり減らす最下層へと。
死を決意し、魔王城の島に足を踏み入れるその時まで。
「…酷い、話ですね」
「まあ、混乱の三十年には良くあったありふれた話の一つです。
俺の場合は店の規模や、話が大きかったので、今も忘れていないものが多いだけでしょう」
「でも、ガルフ自身も、忘れてはいないのでしょう?」
肩を竦めて見せるガルフだけれど、その眦には光が浮かんでいる。
「…忘れる事はできませんが、切り替えてはいるつもりです。
アデラは俺を信じてついてきてはくれなかった。
俺もアデラに応える事ができなかった。
…仕方がなかったのです」
「ガルフ…」
私には、もうそれ以上ガルフにかけられる言葉が見つからなかった。
「どちらにしても、もう五百年前の話です。
今更やり直す事もできません。お聞き苦しいことを話しておいてなんですが、お忘れ下さい」
「…ガルフはオルトザム商会とのこれからについてはどう考えていますか?」
「商売相手として純粋に見るのなら、オルトザム商会は悪い相手ではありません。
アーヴェントルクの鉱山から算出される鉄鋼などを利用した工業製品を一手に扱っておりますので。
ただ、食料品に関しては門外漢。
アデラを盾にして自分達に有利に契約を運ぼうとするのなら別の相手を探した方がいいかもしれません」
「解りました。その点に関しては今までどおり、ゲシュマック商会に全面的にお任せします」
見つけられないなら、余計な言葉はかけない。
ガルフはちゃんと気持ちを切り替えているし、恨みなどを商売に挟むようなことをする人じゃない事は解っている。
ならば今まで通り、信じるだけだ。
「夏の戦が終わり次第、アーヴェントルクに旅立つことになります。
アーヴェントルクにはガルフが行きますか?」
「いえ、俺が行く事で逆に足元を見られる事もあるでしょう。
前回と同じくアルに任せます」
「それなら、フェイとお祖父様に頼んでゲシュマック商会との直通の通信鏡も作って貰いましょう。
連絡を密にして対応できるように」
「ありがとうございます。…マリカ様」
ガルフが私に膝を付き、見上げた。
思い出す。二年前のこと。
きっとガルフも、忘れられないあの日の事を思い出している。
「もし、俺がアデラと別れず、闇に堕ちていなければ。
自ら死を選ぶこともなく、魔王城に足を踏み入れる事もなく、マリカ様と出会う事もなかったでしょう。
俺は、なんだかんだで今の自分を気に入っています。
どうか、本当に今の話は忘れて、今まで通り。
自惚れて良いのであれば、マリカ様の一の配下として使って頂ければ幸いです」
ガルフが胸元から引き出した精霊金貨が光を弾いて輝いている。
私は頷き、手を差し伸べた。
「ガルフは、言うまでも無く私にとって誰にも代えられない右腕です。
退きたい、と言われても受け入れる訳にはいきません。
これからも、多分こき使いますので、着いて来て下さい」
「御意。
この命の全てを改めて、マリカ様に捧げましょう」
「ありがとう。頼りにしています。ガルフ」
出会いの時と同じように
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