皇国の皇女の朝は早い。
他に、皇女はいないので他の人は違うのかもしれないけれど。
朝、一の地の刻の鐘の音と共に起床。
顔を洗って身支度を整えて、ダイニングへ。
そこには大体の場合、もう既に身支度を整えたお父様とお母様が待っている。
「おはようございます。お父様、お母様」
「おはよう。いつもちゃんと時間を守るのは良い事ですね」
「もう少しゆっくりしていてもいいのだぞ。
兄上など火の刻あたりまではいつも寝ているのではないか?」
お二人は褒めて下さるけれど、お母様はともかく日ごろ政務で忙しいお父様にちゃんとご挨拶するにはこの時間に起きるしかない。
「…ま、…ゲシュマック商会の頃は水の刻には起きて、朝食に支度をすることが多かったですから、皇女になって大分寝坊させて頂いております」
「そうか。
働き者だな。其方は」
わざわざ立ち上がり、頭を撫でて下さったお父様の手が大きくもくすぐったい。
「マリカ。今日の予定は?」
「午前中は実習店に行って新しい留学生の受け入れ確認をしてまいります。
午後はシュライフェ商会の方が旅装と新しい礼装の仮縫いに着てくださるそうなので。
館の応接間をお借りしていいでしょうか?」
「かまいません。シュライフェ商会には私も用事があるので仮縫いには後で顔を出します。
それから、孤児院の方で新しい子と職員が入り、報告をしたいとのことです。
概略は私が聞いて確認、許可を出してありますが、直接話したい事もあるでしょう。
時間が空いたら行っておあげなさい」
「ありがとうございます。では、明日にでも行くむね連絡を致します」
「貴族区画を出るときはリオンを連れて馬車で行けよ。最近孤児院の近辺は物騒らしい」
「解りました」
そんな話をしているうちに、朝食が運ばれてくる。
少しずつ『新しい食』が広がってきているアルケディウスでも朝昼晩、三食しっかりと出るのは皇王家と孤児院と、あとは魔王城くらいだろう。
「いかがですか? マリカ様。
今日の朝食はマリカ様のアイデアで作った『ヨーグルト』です。
色々と試作研究を繰り返して、これならかなりマリカ様の言っておられたものに近付いたかと思えたのですが」
透明な深皿に入れられたとろりとした白い乳清。真ん中にはふんわりとオレンジの花のようなジャムが垂らしてある。
ふんわりと焼かれた丸パンにヨーグルト、まるで向こうの世界の朝ごはんのようだ。
「とっても素敵で美味しいです。カルネさん。
ヨーグルトは一歩間違うと腐っている、って思われかねないのにこんなに絶妙のバランスで作って頂けて嬉しいです」
「ほほう。これは面白い味だな。爽やかな酸味と、濃厚でとろりとした乳の風味が絶妙だ」
「少し酸味が強い気もしますが、オランジュのジャムと混ぜると甘やかで食べやすくなっていいわね」
「ヨーグルトは妊産婦の身体に必要なものが多く含まれているそうです。ミルクの出が良くなるかもしれません」
「あら、それは嬉しい事。最近は二人とも食欲旺盛でミルクを良く飲むの。
足りなくならないか心配だったから、沢山食べようかしら?」
絵に描いたように幸せな『家族』の一時。
異世界にやってきて、こんな時間を過ごせる日が来るとは三年前は思ってもいなかった。
マリカ 十一歳
異世界で保育士魔王兼 皇女をやっています。
「あ、マリカ姉だ。おかえり!」
「あら、マリカ様。おはようございます。
今日はこちらにお戻りの予定でございましたか?」
朝一で魔王城に戻った私を城とそこに住む子ども達を任せる私の親友にして保育士、ティーナが出迎えてくれる。
庭で遊んでいた子ども達が集まってくれるのは嬉しいので手に持った箱を床に置いて一人ひとり、だっことぎゅーをするけれど、目的はちょっと違う。
「ううん、そうじゃなくってエルフィリーネにちょっと用事と相談があって。
午後には向こうに戻らなきゃいけないの。夜の日にまた改めてゆっくり来るから」
「解りました。皆さま、マリカ様はお仕事がお有りようですわ。向こうで遊びましょう」
「わかったー」「またねー」「マリカ姉。次来た時は新しい僕が作ったの見て!」
「うん。楽しみにしてるから」
魔王城の子ども達は聞き訳がいい。
色々と我慢させている自覚はあるから、次の休みにはたっぷり遊んであげようと思いながら私は床に置いた箱を拾いあげた。
ティーナと共に中庭に移動していく子ども達を見送って私は魔王城に入り大扉を開ければ、シャンデリア輝く豪華な魔王城のエントランスが迎えてくれる。
子ども達は皆、さっき遊びに行ったようだから今は多分、誰もいないだろう。
「エルフィリーネ!」
この城の守護精霊以外は。
流れるような銀とも虹とも見える髪、紫色の瞳。
絶世の美女よりもなお美しい守護精霊は、何もない空間からふわりと舞い降りると私の前に跪いた。
「お帰りなさいませ。マリカ様。何か御用事でございますか?」
「うん。ちょっとした質問と相談があって…いいかな?」
「解りました。ですが玄関先で立ち話もなんですので、上階に参りませんか?」
「解った。三階借りてもいい?」
「この城の主はマリカ様です。いつ、どの部屋であろうともご自由に」
魔王城の一階は城の住人なら個人の部屋以外は誰でもほぼどこでも自由に使えるいわばフリーエリアだ。
魔王城にはこの世界に捨てられた子ども達がたくさん住んでいるけれど、
二階以降は前の城の住人の残滓が強く残っているのでみんなには用事がない時は立ち入らないように話してある。
そう、ここは魔王城の島。
外の世界では遠い昔、世界を闇に包み滅ぼしかけた魔王が住んでいた呪いの島と城と言われている。
実際は勿論、そうではないのだけれど。
精霊国エルトゥリア。
精霊の恵み深き国と呼ばれた隠れ里であり、その国は『精霊の貴人』と呼ばれた女王によって治められていたという。
城の調度はどれも豪華で上質だけれどだけど華美ではない趣味の良いものばかりだ。
私も好きだな。
こういう家具を揃えたいな、と思うのはやはり、同一人物だから、なのだろうか?
来客用のエリアであるという二階をすり抜けて三階に向かう。
ここは正真正銘の前城主のプライベートエリア。
女王の私室と寝室がある。
その女王の私室に入り、私はエルフィリーネと一緒にパタンと扉を閉めた。
「これ、見てくれる? エルフィリーネ」
私は持ってきた箱を取り出して机の上に置いた。
パカッと開けると薄青のきらめきが部屋を照らし出す。
「これは…」
「私が拾われた時に産着の中に入っていたもの、なんだって。着服していた大貴族がね、新年開けて直ぐに返しに来てくれたの」
『本当に申し訳ございませんでした』
私はこの世界では捨て子であったという。
異世界で保育士をしていた北村真理香25歳の記憶を持っているけれど、転移では無く多分、転生。
この世界で生まれ、八歳まで育った記憶が朧げにある。
使用人として厩で寝かされ、働かされていたものだけれども。
『私』が目覚めたのは八歳の時。
今の『父親』ライオット皇子に極悪環境から救われ、この魔王城に連れて来られ、そこでリオンとフェイ、アルに出会ってからの事だ。
それから三年。
色々あって私は同じように極悪環境から救い出された子ども達を守る為に魔王城で保育士を始めた。
二年かけて、子ども達が自立できるようになったので、去年からは外に出て多分、故郷であるアルケディウスで世界を変える環境整備をしている。
何せこの世界は、全ての人間が不老不死で永遠に生きられる。
でも、子ども達はその『永遠』に加えられず良くて放置、下手すると現実世界の虐待真っ青の奴隷生活を送らされているのだから。
転生した私も、その多分に漏れなかった訳だけれど。
どうやら、普通の子どもとは違った様で変わったアクセサリーを持っていたという。
で、私を拾った人物はそれを着服していたのだ。
ライオット皇子や助けてくれる人達と一緒に、私は一年間外の世界で頑張って、皇女の身分を手に入れた。
そして私を拾い、アクセサリーを着服していた貴族から取り戻すことに成功したのだ。
「ねえ、エルフィリーネ。
このアクセサリーを知っている?」
「はい」
私の質問に彼女は驚く程素直に頷いてくれた。
「これは間違いなくマリカ様のものでございます。
『精霊の貴人』
エルトゥリアの女王の額を飾るサークレット」
それはエルフィリーネの言う通り、とても美しいサークレットだった。
白金とカレドナイト、青くて美しい希少金属の合金で、優美で繊細、細く絡み合った極細の線が蔓のように絡み合う作りで見ているだけで、うっとりしてしまう。
中央の宝石は紫水晶。
エルフィリーネの瞳と…もしかしたら私の瞳の色と同じでもある。
「やっぱりそうなんだ…」
この世界でサークレットは花嫁と女王、もしくはそれに準ずる存在しか付けられない特別なものだと聞いている。
だとしたら私を産んだ母親がどういう過程でこのサークレットを手に入れたのかは知らないけれど、私は最初から『精霊の貴人』として生まれた存在だということなのかもしれない。
異世界転生者で、この世界の『精霊の貴人』の生まれ変わり。
なんてなんだかややこしいけれど。
「これ、付けて大丈夫?」
「大丈夫? とは?」
「付けたらバーン、と記憶が戻っちゃうとか、私が今の私じゃなくなっちゃうとかは、ない?」
とっても綺麗だから身に着けるてみたいなあという女心は正直ある。
でもちょっぴり不安なのだ。
この三年『精霊の力』には沢山助けて貰ったけれど怖い目にも遭わされた。
身体が急に成長したりとか、自分ではない自分と出会ったりとか。
「…そういう事をご心配でしたら、今は身に着けず、保管して置かれるとよろしいかと思います。
マリカ様に害になることは決してありませんが、今のマリカ様にはご負担になるやもしれません」
念のために、って聞いたのにそんなにあっさり、大丈夫じゃない、の返事が返って来るとは思わなかった。
あっぶな!
安易に身に着けなくて良かった。
エルフィリーネの言葉に、私は背筋がぞくりと泡立つ。
ドーンとか、バーンとか変な事になるかもしれなかったんだ。
って何が起きるか解らないけど。
今は、聞く気も無いけれど。
三年、異世界で生きて来て解ったことがある。
この世界は『星』と星が生み出した『精霊』が支えている。
今はその『星』の力と権利を奪い取った『神』が世界を支配しているけれど。
そして精霊達は『星』の意志に従い、人間達を守り、助けてくれる。
けれど『星』と同じ力を持つ『神』に精霊達は基本逆らえず、『星』の命令で秘密などについては言えない事もある。
私が転生した理由とか『精霊の貴人』とか『星』の秘密は『言えない事』つまりは教えては貰えない事なのだ。
いつかは教えて貰える日が来ると信じて待つか、自分で答えを見つけ出すしかない。
「解った。じゃあ、エルフィリーネ。
これ、預かっててくれる? 私に必要になる時まで」
箱のふたを閉めて私はサークレットをエルフィリーネに渡した。
未練は無い、とは言わないけれど危ないものなら手を出さないに越したことはない。
「解りました。お預かりいたします」
「お願い。じゃあ、私は向こうに戻るから。
お昼過ぎからお客さんが来るんだ」
「解りました。お気をつけて行ってらっしゃいませ」
エルフィリーネは私を外の世界の転移門まで送ってくれた。
「行ってくるね。後のことと、子ども達の事をお願い」
「お帰りをお待ちしております。
それから、アルフィリーガの事を宜しくお願いします」
「え?」
いつもの見送りとは違う、エルフィリーネの言葉に私は驚いたけれど、発動した転移陣は止められない。
気が付けば私は、魔王城と繋がるもう一つの転移陣。
ゲシュマック商会の書庫に立っていて
「な、なんだったの、さっきの…リオンの事をお願い?」
さっきのエルフィリーネのもの言いたげな眼差しをぼんやりと思い出していたのだった。
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