今頃、ティラトリーツェはマリカの側近達に注意を与えている頃であろう。
敵国アーヴェントルクから帰還した夜。
疲れ切って寝入ってしまったマリカのいない場所で、我々は男も女もそれぞれに話し合っていた。
あの、無鉄砲で優しい娘をどうしたら、守ることができるのだろうか?
と。
『いいか? お前達。ぐれぐれもナハトに感謝しておけ。
奴が悪役を演じてくれてたからこそ、マリカの秘密が知れ渡らずに済んだのだ』
使節団の解散が終わった夜。
俺はアルフィリーガとフェイを館に引き留めた。
二人とて久しぶりのアルケディウス、ゆっくりとしたいであろうことは理解している。
それでも、俺は、父親役としてどうしても、アーヴェントルクで起きた出来事を把握しておかねばならないと思ったのだ。
三か国目の諸国親善旅行の目的地は、隣国にして敵国アーヴェントルク。
そこでマリカは、皇妃キリアトォーレに毒を盛られて捕えられ、あやうく死にかけた。
『聖なる乙女』アンヌティーレに『神』の欠片を身体に入れられて身体を奪われかけたという。
幸い、アーヴェントルクの精霊神に救われ、事なきを得たと言うが、万が一奴らの狙い通りになっていたら、例え命は守られたとしても死と大差ない状況になっていただろう。
『神官と呼ばれる存在は、身体の中に精霊石とは別種の精霊達に働きかける『神』の力を入れられている。
『神』がマリカを操ろうとした『額冠』と同種のものだと考えるがいい。
無論、比べ物にならない程弱いが、それでも『神』の欠片に身体を支配されれば思うがままに操られていただろう』
プラーミァの『精霊神』はそう我々に説明して下さった。
勿論、己の分身たる『精霊獣』の言葉と身体を借りて、の事であったけれど。
今、この部屋にいるのは俺とアルフィリーガ、フェイ。
そして二匹の精霊獣だけだ。
「成程、神殿の『神官』達はその『神』の欠片を通して、精霊達に呼びかけ、術をを使う事ができるのですね」
フェイが納得したというように頷く。
『神』や『精霊』の世界については我々も知らない事が多い。
俺も『神官』の仕組を詳しくは知らなかった。
「だが、マリカの秘密……というのは?」
『……お前達には話しておいた方がいいだろう』
世界の謎、全てに対して答えを持つ『精霊神』は秘密の断片を我々に開示して下さった。
『マリカと、アルフィリーガ。
二人の体液、特に血液を不老不死者が口にした場合、その人間はほぼ間違いなく、不老不死を解除される』
俺も、フェイも言葉を失う。
だがそれ以上に驚愕に震えたのはアルフィリーガだ。
「俺……も?」
『あれ? マリカの方は気が付いていたのかい?
にしては、アーヴェントルクでの事件は不用心に過ぎると思うけど』
諌めるようにアルケディウスの『精霊神』はつぶやくが、俺ははい、といいかけ、やはり首を横に振る。
「気が付いていた、というか……おそらくそうではないか、という事があったので。
用心が足りなかった、というのはその通りなのですが」
「では、神殿長にお二方が罰を与えた時も、あれはマリカの力を使っておられたのですね?」
『精霊神』達は顔を見合わせながらも頷いて見せる。
『まあね。
僕達が自分でやれないこともないけれど、あんなに一瞬ではできない。
力の質が違うんだ。体中に散った『神』の力をゆっくり取るのにはそこそこ時間がかかる』
「僕も、不老不死者を解除しようと思うと『神』の力を全て取り除くのに相手の了承と、それなりの時間が必要です」
『さもありなん。それが普通。
マリカとアルフィリーガは特別だ。
『星』直属の人型精霊。
『神』と『星』の力は対極にある。
『星』の最も強い力を『神』に支配された者が摂取すれば、正反対のもの同士が打ち消し合って、ほぼ一瞬で『ない状態』に戻る』
「それで……。あの時、アンヌティーレ皇女は、マリカの額をナイフで切り裂いた時、流れた血を口に含んだそうです。
ヴァン・ヴィレーナの悪名どおりの行動ですが……、つまりその時点で」
『そういうこと、だな。『神』の力が消えれば、不老不死は消えるが、むしろ『星』の力は強まって色々便利な事ができると思うが……』
「不老不死者が、当たり前にあった力を失えば、そんなことは思えなくなるでしょうね。
因みに、僕や他の子ども達がマリカやリオンの血を口にした場合は……」
『気持ちは解らなくもないが止めておけ。
確かに力は高まるかもしれんが、人の身体に余る力だ。どんな代償を支払う事になるか解らんぞ』
『魔術師なら、なんとかなるかもしれないけど、強い力に依存してしてしまったり、中毒症状に近いものが出てしまったりということもありうる。
実際の所、どうなるかは解らないからね。
無くてやっていけるのなら、欲を出さないほうが無難だよ』
「……解っています」
「フェイ……」
魔術師らしく、フェイはその先。
二人の力の活用法を考えていたらしいが、正直な話そんな『活用』をされては困る。
「『精霊神』それは、血液だけのことですか? それとも……」
『はっきりと実験した訳ではないが、体液全て、だと思っておけ。勿論、皮膚や肉を食まれても同様の事が起きようが……』
『ふつー、人の血肉を口にするなんて無くない?』
「それは……確かに。なら、危険があるとしたら、やはりマリカですね。
襲われ、辱められた場合が一番恐ろしい」
『そんなことをしでかすなら相手の自業自得だと思うけど』
「だったとしても、そんな事象が発生することが知られれば、マリカの存在そのものが危険になります」
前にソルプレーザの時も思ったが、誰も死なない、殺せない。
『不老不死者』の世界であるからこそ、今代は大きな争いも無くある意味平和を保っている。
憎い相手でも殺すことはでいないのだから、なんとかやっていくしかない。
けれど。
人の心はそう簡単でも無い。
相手を殺してやりたいと、思う人間は不老不死世界であっても一定数いるだろうし、逆に恨みが蓄積されている可能性もある。
そんな彼らの前に
『憎い相手を殺す手段』が現れたら……。
更にそれが少女の血液であるというのであれば、どんなことになるかは目に見えている。
「如何に『神』憎し。
星の循環を正しく取り戻す為に『神』の力を削ぐことは必要であっても。
何の準備も無く『不老不死』を解除すれば世界は大混乱に陥り、大量の死者が出るでしょう」
『そうだな。故に、当面はマリカとアルフィリーガを『神』に奪われないように注意しつつ、『精霊神』達を復活させて連携回路を構築する。
封印されている7人全員が蘇れば『神』の力をかなり削ぐこともできるだろう』
『後は、『食』を世界に取り戻し、人々が不老不死を失ってからも生きることができる体制を作る事かな。
どうあっても混乱は起きるだろうけれど、それは最小限にしないといけない』
「そうですね……。アルフィリーガ。
何をいつまで呆けてる」
俺はまだ、混乱している様子のアルフィリーガに声をかけた。
奴にしては珍しい。ここまでの動揺を見せるとは。
「……ああ、すまない。そうか。俺達はこの身を敵に奪われる事さえ許されないんだな」
『そうだ。お前と『精霊の貴人』の身体を使って『神』が不老不死世界を作ったように、お前達の身体は相手にとって希少情報の固まりだ。
精神が失われてしまえば奥深くまで読み取ることはできないにしても、素材や部品として良いように使われてしまうことは在りうるぞ』
『まあ、魂の無い『精霊』の身体は長くはこの世界には存在できないけど』
「ああ、だからなのですね? 転生した『アルフィリーガ』の亡骸が長く残らなかったのは」
「皇子?」
思い出す。
今から五百余年も前のこと。
『大聖都に子どもが忍び込もうとして殺された』
俺がそれを知ったのは幾度目か、大聖都に呼び出され、尋問を受けていた時だ。
幽閉されていた俺が首実検のように、捕えられ死んだ子どもの亡骸を目の当たりにした時の事は、今も忘れられない。
汚れ、光を失った金髪、見開かれ動かないガラス玉のような碧の瞳。
俺が知っているアイツとはまったく違っていたのに、一目で解った。アイツだと。
その小さな体は、俺がかき抱くと光の粒子のように空気に溶けて散り消えた。
死体をかき抱き、泣く事すら許されなかった。
もしかしたら、俺を待っていてくれたのかもしれないと思えたのは、ずっと後になってからの事だ。
ただ、解った。
奴は、まだ諦めてはいない。
『己の使命』を守る為にまた戻って来るだろうと。
だから、待つ決意をしたのだ。
地獄のような永劫の孤独を、ただ、いつか再会が叶うその時まで。
この時まで。
「奴らは、今世こそ求めているんだ。お前とマリカを。
魂ごと今度こそ、手に入れようと」
アルフィリーガは自死が許されていない。
でも、わが身を犠牲にして、目的を為す事くらいはこいつはする。
当たり前のように。
マリカにもだが、こいつにも『自己優先』『自己保全』の意識は完全に欠落しているのだ。
「何度も言っているが、マリカを守りつつ、お前自身も守ることを考えろ。
アルフィリーガ。
お前とマリカが奪われたら、本当に終わりだぞ」
「ああ、解っている」
そう言いながらも瞳を決意に輝かせるこいつが、いざという時に己の命を惜しむ存在ではないことは、誰より俺が知っている。
今頃、女達もマリカを守る為に方法を考えているだろう。
だから俺は改めて決意する。
マリカは守る。絶対に。
そしてそれと同じかそれ以上の意志で自分に言い聞かせた。
こいつを今度こそ、絶対に神の手には渡さない。
必ず、守り抜いて見せる。と。
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