それは、正しく『王』の姿であった。
外見は何も変わらない。
変生で成長した訳でもない、少年のリオンの姿のままだ。
けれど、違う。
息を呑むほどに力強く、美しい。
威風堂々とした立ち姿。
纏う空気はいつもの彼が、爽やかな蒼だとすれば、紫紺、いや夜そのものの漆黒だ。
碧玉の瞳の眼光は邪悪を宿した強かな輝きを放ち、夜陰の髪は風も無いのに不思議にたなびく。
居並ぶ飛行魔性、獣魔性。
さしたる知識も持たないであろう彼らは、人語さえ介するのか解らないけれど。
『下がれ、そして跪け』
強い、ただの一言で平伏するかのように全てが地に伏して、動きを止めた。
リオンの前に。
地面は、倒れ伏し踏みつけられた偽勇者が転がって入るけれど。
一瞬前の絶望的な盤面は一転している。
たった一人の王の存在が全てを変えたのだ。
意識を失った少女を腕にかき抱きながら僕は、その異様な光景を、心のどこかで、当たり前のような気持ちで見つめていた。
エリクスが倒れ、魔性に囲まれた僕達は絶体絶命に思えていた。
頼りのリオンは身体に『神』の欠片を入れられ、意識不明。
魔性は精霊を狙い、喰らうもの。
人間を襲うのは二次的なモノだと聞いていたのに飢えた狼のように眼光鋭く僕達を襲ってきた魔性達に僕は正直、最悪さえも覚悟していたのだ。
けれど魔性達は今、まるで躾けられた犬のように一匹残らず地面に這いつくばっている。
「なるほど。
あの方の『意思』に呼び寄せられたか」
くん、と微かに鼻を動かした彼は納得したというように頷き腕を組む。
「『私』が堕ち、『あいつ』も消えた。
手駒を全て失って、あの方もらしからぬ程に焦っておられると見える」
小さく苦笑した彼の言葉の意味は解らない。
だが、目の前の存在が僕の知るリオンではないこと。
けれど間違いのないリオンであることは解るのだ。
「……私は、これでも納得して目を閉じたのだがな。
だが、呼び戻されたのなら、私は私の役割を果たさねばなるまい」
深く、一度だけ瞬きをすると彼はその手を真っ直ぐに魔性達に向けて差し伸べた。
「数百年ぶりの目覚めで腹も減った。
用意された弁当は今の私の口には合わんが。
命じられたとはいえ『王』とその配下に牙をむいた。己が罪を噛みしめ消えるがいい」
小さな僕にも聞こえない声と発音で、古き言葉が紡がれる。
決して短くはない、十詠唱。
「ヴァン・グリュンドリヒ・ディアーブロ」
最後の呪文が完成した直後、それは起きた。
天地に溢れていたまだ、百を遙かに超えていた筈の魔性達が一気に、まるで大きな掌に叩き潰されるようにその容を失ったのだ。
目に見えるか見えないか、黒金の粒子と貸したそれらはリオンの指先に向かって渦を巻いて集まり、吸い込まれて行く。
「くっ……」
「リオン……?」
「この身体では、やはりまだキツイな……。だが……」
微かに彼の口元が苦し気に歪んだ。
けれども、一回の深呼吸。
逆流するように込み上げる何かを彼が呑み込んだと思った時には、もう全てが終わっていた。
平穏な朝の平原に戻った風景。
そこにもう魔性の気配は欠片も無い。
「……これで、少なくとも今回の攻略の為に、大聖都にあの方が放った魔性は消えた筈。
新たに作り、差し向けるにも時間がかかろう」
恐ろしいまでの魔性の力を宿し、微笑する彼以外には。
「フェイ!」
「は、はい!!」
まさか『彼』に名を呼ばれるとは思っていなかった僕は、慌てて顔を上げ、抱きかかえていたネアを横に置くと跪く。
誰であろうとその意思と姿が『リオン』であるなら、それは僕の主だ。
「良いか?
館に戻ったら直ぐにこの身体の中に入れられた『神』の欠片を除去しろ。
その為の燃料は十分に用意してやった。
そうすれば『私』はまだ、もう少し目覚めないでいてやれる」
「は、はい。でも……貴方は?」
彼は、僕が知る『リオン・アルフィリーガ』ではない。
けれど、全くの別人や他人が憑依した訳では無い。
色や形こそ違うけれど、その魂の本質は間違いなく同じだ。
同じ木板を削り取り、新しい文字を書き換えたような、そんな印象を感じる。
「私は、奴の中でもう一度眠る。
今の身体では私の力を十全に使う事はできないし、無理に使えば精神ごと、身体が崩壊してしまうからな」
「!」
「『星』から賜ったこの身体は悪くない。
あと、二年、長くとも三年あれば『私』の力を完全以上に発揮できるようになるだろう。
それまでの訓練は面倒だから、奴に任せるさ」
「二年……」
ふと、思い出す。
遠い昔、リオンは言った。
五年、もしくは三年あれば、かつての自分に近い所まで力を取り戻せる。
あれは約三年前のこと。
今のリオンはかなり力を取り戻していると思うが、それでも完全な成長まではあと二年かかるのか。
リオンは今、十三歳。
つまりは十六歳。成人まで。
「完全に肉体が成長し、力を取り戻し、奴が真実に覚醒した時。
『私』に戻るか『リオン』で在り続けるか。
『神』の元に帰るか。『星』と共に生きるか。
それは、その時考える」
静かに微笑む『彼』は半目を閉じて何か、自分の中にある『何か』を見つめているようだ。
「……貴方は、自分が『リオン』になろうとは思わないのですか?」
「なってもいいのか?」
「いえ。それは嫌です。困ります」
「だったら口にするな。……そうしたくなるだろう」
僕がとっさに首を横に振って見せたので『彼』は肩を竦めて笑って見せる。
「まったく『神』も余計な事をして下さる。
『私』は本当に、あの時、納得して目を閉じたのだ。これで終わっていいと彼女の腕の中で。
今の私は、奴と違う死者そのもの。呼び戻して何をしたいのか……」
自嘲まじりの苦笑を呑み込んだ彼は、もう一度僕を見る。
「だが、そう思えるのも、『星』の祝福を強く受けた肉体の中で、奴が自分を失わんと必死で抗っているからだ。
真実の『私』はこんなに物解りは良くない。
奴の精神と『星』の慈愛。そして彼女の思い出が『私』を今の私にしているだけだ」
彼が浮かべる笑みは静謐な湖のようで息が詰まる。
「だからさっきのように、今のように『神』の力を深くこの身体に刻まれてしまえば『神』に作られた『私』が奴を押しつぶしてしまう。
その時の『私』はおそらく今の私ではない。あの方の忠実な僕。
そうなれば、お前達の『リオン』は決して戻らなくなるぞ」
「!」
「それが嫌なら『神』の力をとっとと外せ。そして二度と隙を作るな。
罠にハマるな。
奴もそう伝えておけ」
「……解りました。僕達を救って下さり、ありがとうございます……、あの…貴方は……」
跪き、礼を捧げる。
僕の伺うような視線に気付いたのだろうか。
彼はくくっと、口元を押さえると笑って告げた。
「マリク。マリク・ヴァン・デ・ドゥルーフ。
幸運に思うがいい。この名を聞いて生きる人間は、今代にお前だけだ」
「! リオン」
次の瞬間、彼は消え、崩れ落ちるようにリオンの身体は倒れた。
呼吸は落ち着いているが、身体はまだ燃えるように熱い。
彼、マリクの言葉が正しいなら、一刻も早い治療がいる。
「待っていて下さい。今、戻りますから」
僕はネアと、少し迷ったけれどエリクスも連れて転移。
アルケディウスの宿舎に戻った。
「! リオン? 一体、どうしたのです? フェイ?」
「説明は後でします。とにかく、寝台の準備を。リオンには治療が必要なんです」
「解りました。セリーナ、ノアール!」
「かしこまりました!」
僕はとりあえず、安堵の息と共に顔を上げて時計を見た。
随分と長く感じたのにまだ火の刻にさえ、なっていない。
波乱の礼大祭 一日目 前日祭はまだ始まったばかりだ。
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