マリカ様に仕えるようになってから信じられないものを見たり、出くわしたりすることは多くなった。気がする。
生きた精霊や、勇者の転生、魔王の転生。
広義で言えば、温かい食事もそうだし魔術師の転移術や転移陣。『聖なる乙女』の奇跡もそうだ。今、自分を悩ませているマリカ様とアルフィリーガの成長術も始めて見た時には息を呑んだ。
けれど、これは極め付けだ。
足の震えが止まらない。
目の前に突如として表れた小さな獣。
よくマリカ様が連れて歩き、愛玩している小さな短耳ウサギがよもや、宙に浮き、逆らう事もできないような威圧を放ち、まさか、人間の言葉をしゃべるとは。
「こ、これは……」
『初めまして、ではないけれど、とりあえず、そう挨拶しておこうか。
我が子 アルケディウス皇王。僕はアルケディウスを守護する『精霊神』。
それを疑うかい?』
「いいえ。そのようなことはありません。
我らが祖にして大地の守護を司る大いなる御方。お会いできて光栄にございます」
微かな衣擦れの音と元に、皇王陛下が跪く。
ほぼ同時に傍らに立つ皇王妃も二人の腹心も膝をついて敬服を捧げた。
我らも勿論それに従う。
マリカ様にこの精霊獣は国を守護する『精霊神』の化身であるとは聞いていたが『精霊神の降臨』を目の当たりにすることがあるとは思っていなかった。
『僕が動けない『神』の支配下、よく信仰を守り、国と子ども達を守ってくれた。
礼を言うよ。だからこそ『星』は君達を見込んで『星の宝達』を託したんだ』
「もったいないお言葉。光栄にございます」
『マリカ達も君達も信頼しているからこそ、自分達の姿や情報を晒している。
まあ、少し無防備に過ぎるところはあるけれど。
忠臣を陰でこっそり締め上げて情報を集めよう、なんてやらかしをして、その信頼を裏切らないで欲しいものだ』
『精霊神』は皇王陛下達を褒めつつやんわりと、この降臨は俺を追及する尋問を止める為のモノだと告げる。
『精霊神』にマリカ様の忠臣、と認識されていることはありがたいが、ある意味もう下手な言い訳はできなくなったかもしれない。
「……無論、マリカ達や『星』の信頼を裏切る意図はございません。ただ、知っておかねば守り切れぬこともあるということでお許し願いたい。特にマリカが『魔王』であるというのであればその事実と能力の把握は必須であると思った次第です」
『知らない方がいいということもあるよ。知ると欲が出るだろう?
魔王城に残された財宝や、隠された知識を利用できたら、とか。マリカの能力を利用して国を豊かにできたら、とかさ』
「そんなことは、ありません。と申し上げれば、確かに嘘になりますな。
不老不死後、唯一の魔王城の島への入り口を知るライオットへの追及は大聖都だけのものではありませんでした。
各国が主を失った魔王城を宝の島と狙い続けておりましたから」
空中にぷかぷかと浮き、自分を見下ろす精霊獣、いや『精霊神』に皇王陛下が告げる様子はまるで悪さを見つかった子どものようで、どこか言いわけじみている。
「マリカやフェイから齎される様々な知識、リオン、アルフィリーガの所有するカレドナイトの短剣に、魔王城の島にあるカレドナイトの鉱山。
実り豊かな魔王城の森と大地。子どもだけで対して手も暇もかけていないはずなのに実が詰まり力ある麦穂を見るだけでも呪われた魔王の島ではなく『星』に愛され守護された聖地なのは明らか。
その存在が、入り口が、大聖都や野心ある者に知れれば食い物にされましょう」
『うん、だから君達には自覚して欲しいものだ。
マリカがその危険を理解した上で君達を信用して知識を開示し、魔王城の島に連れて行ったことを』
「無論、理解しております。その上で、あの子達を、あの島を守る為に情報を必要としているのです」
『マリカ達が成長できるか、とかの情報があの子達を守る為にいる?』
「いります。あの子達が真実魔王として立ち『神』に対するというのなら、我々にもその為の心づもりは必要ですから」
『知らない方が『知らなかった』と言い訳できると思うよ。
『神』に逆らう事はこの世界に逆らう事だ。危険ではすまされない。
『僕達』は『子ども達』を殺める事はしないし、できないけれどそれ以外の事は大抵できるし、間接的にならやりようはいくらでもある』
「無知を言い訳するつもりはございません。我々はあの子達に味方する。それが例え『不老不死社会の終わり』であろうとも。そう決めておりますれば」
皇王陛下の発言に、驚いたのは俺達だけではないのだろう。
小さな獣は微かに眉根を上げた様に見えた。
『自分の発言には責任を持たないといけないよ。シュヴェールヴァッフェ。
君はこの国の王だ。その君の発言はアルケディウスの総意、大神殿に聞かれたら叛意と見られても仕方ない』
「確かにアルケディウスの総意ではございませんが、ずっと考えていたことなのです。この場にいる者達には私の意図として既に告げてございます」
背後に控える皇王妃や腹心達の目にも確かに見えた。
皇王の言葉に同意するという覚悟が。
「この世界は澱んでいる。
世代交代も無く新たな進歩も才能の開花も無く、老人達がいつまでも頂上に在り続ける世界というものは、老人にとってさえも楽しいものではありません。
五百年という永久にも似た時を経て、新たな世代の台頭を目の当たりにした今、我々は静かな終わりを願う様になりました」
『不老不死、というのは誰もが望む究極の願いだと思っていたけれど?』
「衰えぬ身体も永遠に続けば飽きるもの。
それにこの世界に生きる為の席。その数が決まっているのであれば、老人が席を確保し続ける今の社会は異常。
未来ある子ども達に十分に生きた老人が席を譲るが正しき道でしょう。
数百年ぶりに喜びと楽しさを思い出させてくれた子ども達の輝きを今少し見ていたい思いもありますが」
皇王陛下の言葉を聞いた瞬間、精霊獣、いや『精霊神』の纏う雰囲気が変わった。
どこか、切ないような、悲しみを宿した黒い瞳が何か、遠い何かを見つめるように……。
と思った瞬間。
「っ!」
皇王陛下が額を押さえ呻いた。
見れば額にぷっくらとした肉球印。
獣の身体で蹴りでも入れたのだろうか?
瞬く間の出来事で、今見ても誰も、どこも居場所が変わっていないから、解らないけれど。
『子どもが生意気を言ってるんじゃないよ。この世界は、星はそこまで狭くない。
まだまだ人が十分に生きる場所はある。
不老不死はいずれ解除するとしても『星』が与えた命を自ら終わりにするなんていうもんじゃあない』
「こ、これは失礼を……」
『せいぜい長生きして、マリカ達を導いてやることだ。あの子達はどうにも危なっかしくてしょうがない。上から怒ってやる人間がいないとどこまでも暴走するよ』
「確かに。では……もう少しこの命をお借りするといたしましょう」
本当に親に怒られた子どものような顔で皇王陛下は笑みを浮かべられている。
今のはさしずめ親におでこを弾かれたようなものなのだろうか。
どちらに怒りは無く、ただ優しい信頼が見える。
『それで? 聞きたい事は何?
マリカの忠臣には立場上言えない事もあるだろう。僕があることないこと教えてあげるよ。言えることであるならば』
「ありがとうございます。
お言葉に甘えていくつか伺わせて頂いてもいいでしょうか?」
『許す。その代わり、この会話はマリカ達には秘する事。
マリカの忠臣。お前達もだ。問われたら言っても構わないけどそれまでは彼らが『知っていること』をマリカ達に知らせてはならない』
「は、はい!」
その後の『精霊神』と陛下達がどのような会話をしたかを語ることはできない。
魔王討伐の真実、『神』と『精霊神』の関係。
何よりマリカ様やリオン様について、我々でさえも知らない情報もいくつか紛れていたからだ。
『この情報とマリカ達を上手く使えば、多分アルケディウスが七国の頂点に立つこともできるだろう。だが……』
「無論、斯様な事は望みません。全ては『星』と『精霊』の導くままに」
『そう願っている。我が愛しい子孫達。
お前達の事はいつも見守っている。
マリカ達を宜しく頼むよ』
話を終え、そう言い残すと風を裂くような音と共に『精霊獣』は消え失せた。
消失の瞬間、零れた安堵の吐息は誰のものだったろうか。
我々のものだったかもしれないし、皇王陛下達のものであったかもしれない。
「やれやれ、よもやこの歳になって『親』に叱られることになろうとは。
長生きはしておくものだな」
「大丈夫ですか? 陛下?」
「大事ない。もう消えた。心配するな」
「残っていても精霊神の祝福です。
それはそれで良かった気がしますが。以外に可愛いとマリカ様などは喜ばれたのでは?」
「こら、タートザッヘ!」
「そう言うお前も笑いが隠れてないぞ。ザーフトラク」
愛し気に額に手を触れる皇王陛下、もうそこに獣の印は残っていないけれど、そのお心には何かが刻まれているのかもしれない。
「前触れも無く呼び出して怖い思いをさせてすまなかったな。ゲシュマック商会」
「い、いえ。このような場に立ち合わせて頂いたこと、光栄に思います」
「今後もマリカ達の事をよろしく頼むぞ。
そして『精霊獣』様がおっしゃった通り、今日の事はマリカ達には秘密でな」
「はい」
唇に指を立て片目を閉じて見せる皇王陛下は、国の長ではなく孫の為に魔王城で麦を刈っていた一人の好々爺の顔をしていた。
この日以来、我々の皇王家への信頼と好感度が急上昇したのは言うまでもない。
マリカ様ではないが、親しみが沸いたというか。親近感を感じたというか。
生意気と言えば生意気な言い草だと解ってはいるが。
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