「まず、最初に申し上げておきますが、今回の件については完全に個人的な案件であり国としてはゲシュマック商会を敵に回すことも、皇女にご不快な思いをさせるつもりは無い事をご理解頂きたいのです」
「つまり、オルクスさんがアルを誘拐したことを認めるのですね?」
翌朝、朝一でヒンメルヴェルエクトに乗り込んだ私に、アリアン王子は挨拶もそこそこに弁明を始める。
顔色は良くない。額には冷汗も見える。でも容赦するつもりなんかないからね。
「いえ、私が言っているのはオルクスがゲシュマック商会のアル少年に連絡を取ろうとしたこと。そしてその手紙に目を止めて貰う為に、私の封蝋を使う事を許可したことです」
「誘拐の事は知らないと?」
「オルクスとはまだ連絡がついていませんが、誘拐など手荒で愚かな事をする男ではありません。私としては何かの間違いだと信じております」
「では、自書の責任を伴う封蝋を貸すに至った理由をお聞かせいただけますか?」
私が追及の手を緩めるつもりがないことに気付いたのだろう。
大きく息を吐きだし、アリアン公子は弁明を始める。
「アル少年と好を繋ぐことで、ゲシュマック商会が専売している科学分野の素材入手を有利に運びたい。できれば皇女との関係も深めたい。
その他色々な理由はありますが、今回の件に、私が関与した一番大きな理由は我が后、マルガレーテからの頼まれたからです」
「マルガレーテ様、ですか?」
「はい。アル少年は自分の妹の子ではないか、と言い出したので」
「妹の子?」
「勿論、血族というわけでは無いでしょう。同じ孤児院で育った妹のように可愛がっていた娘という意味にお考え頂ければと」
少し諦めたような顔つきで私達に視線を向けるアリアン公子。
「マルガレーテは自分から話したとも申しておりましたし、姫君は御存じだと父から伺いましたので申し上げますが、マルガレーテは孤児院出身の子ども上がりにございます」
「はい。聞いております」
「公子として貴族や町の有力者から娶った妻もおりますが、私は神殿で出会ったマルガレーテに一目ぼれして、周囲の反対を押し切り結婚。正妃に据えました。
マルガレーテが孤児とは思えない程に教養深かった事、神殿育ちで、国に残った『精霊の書物』の読み解きに力を貸した事。そしてなにより精霊の祝福を受けた外見をしていたことなどから最初は大きかった反対なども徐々に減ってはいきましたが、最初はやはり辛い思いをさせたと思っています」
それはそうだろうな。と思う。
停滞の不老不死時代、一度得た立場が変わることは滅多にないと考えるとヒンメルヴェルエクト公子妃という立場を、ぽっと出の小娘に盗られたら、周囲の女性は相当に怒るだろう。女性の世界は色々と怖いと身に染みて知っている。
「ヒンメルヴェルエクトの孤児院からは、アルケディウス程ではありませんが、時々、才を持つ者が現れ、今も幾人か国の要所で働いております。
その中に実はマルガレーテがとても可愛がっていた娘がいたのです」
私は真剣に話に耳を傾ける。やはりこのヒンメルヴェルエクトの孤児院は『神の子ども達』の受け皿になっていたのかもしれない。
マルガレーテ様やオルクスさんのような人が国の上層部にいれば、孤児院さえない他の国よりは安全に子どもを守れるかと。
「国の恥を晒すようですが、マルガレーテが公子妃に立ち、色々と支援する前の孤児院はお世辞にも子どもにとって良い環境では無かったようです。
姫君からの指導を受けて我々も考えを改め、今は無いと断言しますが、当時は少女達が貴族の慰み者に売られたり神官の欲望のはけ口になったりということがあったようです」
私があからさまに顔を顰めたのが解ったのだろう。傍らで話を聞く大公様がすまなそうな顔をしている。子どもに人権の無い中世異世界ではある程度仕方のない事だとしてもやるせない。
「そんな中、一人の少女が保護されました。最初は解りませんでしたが、彼女は保護される前から子を宿していたそうです。
流産の処置を拒む彼女をマルガレーテは必死で守って、出産を助けました。
ですが母親は男児を産んだと同時に死亡したと聞いています。
マルガレーテは生まれた子を王宮で保護することも考えていたようですが、様々な理由から叶わず神殿にそのまま預けました。せめて良い家に養子にと動き、子を引き取ろうとする寸前、神殿長は乳飲み子を持て余し、奴隷商人に売ってしまったのです。
子は金髪、碧眼、アルフィリーガと同じ色合いをしていたので、それなりの金になったと言っていたと聞きました」
赤ん坊を、奴隷商人に、売った。
私の中で怒りがふつふつと燃え上がる。
ヒンメルヴェルエクトで子ども達を虐待していた神官長は更迭して降格。
私が大神官になってからは、司祭位を奪って地方神殿の下働きにまで落としたけど生ぬるかった。
こぶしを握り締める私の背をリオンがポンと叩く。
落ち着け、話を聞けという眼差しに、少し深呼吸して私はアリアン公子に向き直った。
「その後、赤子がどうなったかは解りません。
マルガレーテも孤児にばかりかまけていられる立場ではなかったので、消息を探すことはできなかったでしょう。
二年前、姫君がヒンメルヴェルエクトをご訪問下さった時、あの少年と出会い、もしかしたらとずっと考えていたそうです。
ダメ元で構わない。連絡を取り、話がしたいとマルガレーテに頼まれて、私はオルクスに仲立ちを頼みました。それがあの封蝋の理由です」
「なるほど。解りました」
アリアン公子が真実を行っているとは限らない。でも、一応筋は通っている。
とすれば、アルの親は既に両親とも亡くなっているということになる。
そしてマルガレーテ様が妊婦の少女を目にかけた理由がただ、孤児だったからではなく『神の子ども』の一人だったと考えれば、アルは『神』に由来する存在である可能性が高い。
『神の子ども』
『神の国から『神』が連れてきた守るべき子ども』
アルは精霊ではなく、紛れもない人間であるけれど。
もし『神』というのが『精霊神』様達と同じく、地球世界の元人間であるとすれば『神の子ども』とは。そしてこの星の人間の起源とは……。
「マルガレーテ様にお会いすることはできませんか?」
「申し訳ありません。現在、体調不良で臥せっておりまして」
「不老不死者であるのに?」
「心労などが重なっているのだと思います。どうか、お許し下さい。
オルクスについては国を挙げて捜索し、見つけ次第必ずマリカ様の元に連れて参りますので」
「そうして下さい。私達はアルの無事を一刻も早く確認したいのです。
マルガレーテ様も、回復し話ができるようになりましたらお知らせ下さい」
「かしこまりました」
私は立ち上がった。
これ以上、追い詰めても無駄だ。
誘拐は駆け引きが重要。
何よりも大事な者が相手に奪われている。
そしてその身の保証は犯人の良心に委ねられているのだから。
「マルガレーテは、どこかいつも遠くを見ているような娘でした」
「アリアン公子?」
私に聞かせる意図があったかどうかは解らないが、アリアン公子はそんな言葉を落とした。
「神殿育ちの為か、どこか夢見がちで、不思議な光景を話してくれたりしたことが忘れられません。
蝋燭よりも眩い光に満ちた街、人の手を借りず動く人形。柔らかで美しく、動きやすい衣服。そして見栄の為、腹を満たすだけではない食事。
ヒンメルヴェルエクトが姫君の訪問を待ちわび、食に力を入れた理由の一端はマルガレーテの尽力にあります。新しい『食』は必ずや人の力になると。
そして、天使のような歌声。聞いたこともの無い美しい、不思議な歌は、不老不死世で退屈しきっていた私の心を慰めてくれて……」
「公子のお気持ちは解らないでもありません。でも、それに今の件は関係ありません」
私はその言葉をどこか、冷めた脳の端で聞く。
アリアン公子はきっと、彼女を弁護したかったのだろうけれど、彼自身もきっと解っている。真の犯人が誰であるかを。
「重ねて申しますがアルの安全が第一です。
子どもは親の所有物ではない。かけがえのないものではありますが、それを理由に子どもの自由を奪う事は決してしてはいけないと思います」
返事のないまま俯くアリアン公子と大公様を置いて、私は部屋を出る。
そして
「リオン、カマラ。少し付き合って下さい。
確かめたいことがあるのです」
その足で、ある場所に向かったのだった。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!