閑話 ノアール視点 独り言
はっきり言って、バカなんじゃないかと思う。
私の新しい主人は。
信じられない位頭がいいのに、警戒心が無い。
自分の婚約者を誘惑しに来た暗殺者を、何の躊躇いも無く懐に入れて、お金を払って雇おうとする。
それだけじゃなくって、側仕えに引き上げて金貨一枚以上で取引される特別な料理レシピを惜しげも無く教える。
清潔な服を着せて、美味しい食事を食べさせて、自分の背中を預け、知られたら命どころか存在に関わる秘密を教えるのだ。
在りえない。
私の知る貴族では絶対に在りえない。
おバカな主。
でも…どうしてだろう。
放っておけないと感じるのは。
「ノアール」
あの警戒心のない顔で名前を呼ばれる度。
叶わないと、思ってしまうのは。
彼女の力になりたいと、思うのは…。
私はノアール。
もとはオルデと呼ばれていた貴族の下働きだ。
下働き、と言っても、言葉通りの意味じゃない。
人買いに売られ、貴族に買われ色々な意味で『使い潰される』のが私達みたいな子どもの、特に女の役割。
物心ついた頃には親に売られて、貴族の館に連れて来られて、奴隷として飼われることになった。
正しくゴミの様に扱われる日々は、心底嫌で、逃げ出したいといつも思っていたけれど逃げ出す事などできる筈も無く、いつの間にか減っていく仲間のように、私もいつか消えるのだとそう思っていた。
そんな私に機会がやってきたのは、外国から『客』が私の国。
プラーミァにやってきた時の事だ。
アルケディウスという国からやってきたその皇女は、十一歳。
私と同じ歳だと聞いた。
大勢の部下を従え、婚約者を引き連れて、王宮にやってきたその娘は、誰も知らない知識と技術を持つが故に国に招かれた。
国王陛下に可愛がられ、王子でさえ膝を折って求婚するという。
その話を聞いた時には、取り立てて興味も無く、ただ世の中というのは不公平だなと思っただけだった。
状況が変わったのは彼女に私の主が求婚し、あっさりと袖にされてしまってからのこと。
「この小生意気な小娘に小僧め! 下手に出てやればいい気になって!」
皇女の能力を欲した主人は、王家への当てつけも兼ねて求婚し、にべもなく断られ、あげくの果てに子どもである婚約者にぼこぼこにされたらしい。
ちょっぴりざまぁみろ、という気持ちになったのだけれども、その後の矛先がまさか私に向くとは思わなかった。
「オルデ! お前、あの婚約者気取りの子どもを殺して来い!
誘惑して、篭絡できるのならそれでも構わん!
とにかく、アルケディウスの使節団をめちゃくちゃにしてやるのだ」
「え? 私が、でございますか?」
主は奴隷部屋から私を引き出してくるとそう命じた。
「お前は顔立ちも整っているし、雰囲気があの皇女に似ている。
護衛や婚約者も、子どもであれば油断するだろうからな。
使節団の元に赴き、婚約者の騎士貴族を殺して来るのだ」
「殺す…って、不老不死なのでは?」
「その騎士貴族は子どもだ。まだ不老不死を持っていない。
腕はそれなりに立つが閨で油断している時を狙えば、貴様でも殺せる筈だ」
「で、ですが…そんなことをしたら、私は…」
他国の使者を殺した重犯罪者として捕えられ罰を受けるだろう。
でも、そんな私の不安を上司は一蹴した。
「元々、お前はオルデだ。
ここで死ぬか、向こうで死ぬかだけの話でしかない。
ここで今、私に嬲られ、苦痛の中殺されるか? それとも向こうで自らの手で、最小限の苦しみで死ぬか?
どちらがいい?」
「そんな…」
鞭を手にして私を睨む主に、逆らう事などできない。
逆らってはいけないと、身体に叩きこまれているのだ。
「もし、万が一婚約者の騎士貴族を篭絡し、寵愛を得られたらその時は死ななくてもいい。
婚約者の不貞を知ればあの小娘も態度を変えざるを得ないだろうからな。
私と皇女の婚約が叶えば、お前を奴隷から解放し、金貨を授け不老不死を得る事を許してやる」
そうして私はアルケディウスの使節団の元に連れていかれた。
生きて帰れると思っては勿論いなかった。
私は黒髪、黒い瞳。
主の元にいた女の中では地味でパッとしないと言われていたし、まだ身体もできてはいない。
好かれる要素など何もないと解っていたから。
あっという間に捕えられた私は、辱められる事を覚悟していたのだけれどあれよあれよ、という間に私は皇女の前に連れ出され、気が付けば侍女に引き上げられる事になっていた。
「では、オルデ、問いましょう。
貴女は主の元に帰りたいですか? それとも主を変えて私に仕えますか?」
「へ? 私が? 皇女に仕える? 正気?」
「貴女は、リオンの所に好きにせよ、と贈られた贈り物なのでしょう? だったら私が貰います」
バカだと思った。
在りえないと思った。
自分を陥れ、婚約者を殺そうとした相手を懐に入れようとするなんて。
「悔しくは、ありませんか?
自分が子どもであるというだけで、虐げられる世界が?
死ねと言われて死ななければならない世界が。
その世界に自分の能力で抗いたいと思いませんか?
自分が認められ、生きられる世界を作りたいと思いませんか?」
そんな風に、真剣に問いかけるなんて。
「あたしに、能力なんて…。あたしは…オルデだし…」
「いいえ、あります。今はまだ気付いていないだけです。
私は庶出の厩育ちの皇女ですし、ここにいる者には奴隷や浮浪児上りだっています。
やる気と機会さえあれば人は変われるんです」
きっぱりと言い切った皇女は私の手を握り、視線を合わせる。
「私の側仕えとして働いてくれませんか。
衣食住保証、給料は週少額銀貨一枚。休暇は週一日。
交代制。自分の給料を貯金して将来不老不死になることは妨げません。
望めば読み書き計算は教えますし、それ以上の教育も与えます」
「待って! 私は婚約者の命を狙いに来た奴隷よ? それを雇って給料出すっての?」
「働いてもらうなら、それに相応しい給料は出します。子どもであろうと大人であろうと変わりません」
どこか呆れたような表情をしているけれど、主の無茶苦茶な提案を部下たちは否定しようとはしなかった。
「貴女が主の元に帰りたい、というのであれば尊重しなくもありませんが戻りたくはない、というのであれば私が絶対に守ります」
「本当に…戻らなくてもいいの?」
「少し、仕事はして貰いますし、情報は貰いますが、絶対に相手の所には返しません。
貴女の存在は私達にとって、重要かつ必要ですから」
そう言って皇女は私に手を差し伸べたのだ。
「一緒に、世界を変えませんか?
貴女の力が私は欲しい」
「誰かに、必要だ…。欲しいなんて言われたのは初めて…。
閨でだって、そんなこと言われたこと無かった…」
叶わない。
そう、思った。
それにどうせ、主の元には帰れない。帰れば死ぬ。
むごたらしい目に合されて殺される。
だったらどんな環境下であろうと、まだマシだと思った。
私は膝を付いて主替えに同意する。
「なら、行くわ。いいえ、共に参ります。どうか、お側にお仕えさせて下さい」
「ありがとう」
それから、約一カ月。
私は国を出て、隣国エルディランドを回り、アルケディウスにやってきた。
旅の中、新しい主 マリカを見続けて思ったのは、この少女は、本当に。
色々な事を知っていて、頭がいいくせに、どうしようもなくおバカでお人よしだということだ。
王家の用意した高級な品物を惜しげも無く部下に下賜し、自らの手で料理を作って振舞う。
どこの誰とも知らない私を、平気な顔で自室に招き入れ、背中を見せる。
あげくの果てに私に、周囲に知られたら即座に命取りの秘密まで知らせたのだ。
魔王城
世界中の人間が追い求める秘密の城。
この皇女はそこの主で、魔王の生まれ変わりだというのだから、声も出ない。
ホントに。
私を妹の様に扱って、連れまわす皇女は解ってなかっただろう。
私が、どんなに驚いていたかを。
皇女のことを、どう思っていたかを。
正直に言えば、ズルいと思う。
同じ人間、同じ歳の子どもとして生まれたのに、この皇女は不思議な力も、知識も、身を立てる技術も持っている。
優しい両親と、祖父。
しかもアルケディウスの皇子と皇王だから、大体の我が儘は効くし、愛されていて心配もして貰っている。
庶出で、しかも誘拐されて厩で育ったというけれど、そこから救い出されて教育を受けて皆から大切にされている。
本当に羨ましいと思う。ズルいと思う。
才能や家族、そして婚約者の愛情を一身に受けている。
自分も、彼女の様になりたかった、と心の底から嫉妬している自分を私は理解している。
だから、皇王から
『皇女の替り身』
を提案された時、迷わず受けたのだと思う。
でも…、やっぱりそれだけではない、とも解っている。
私は多分、あの皇女が好きなのだ。
お人好しで、頭がいいのにおバカで危機感が無くて。
私の様なオルデを妹と呼んで、無理な提案に憤ってくれる優しい『姉』を。
「私は、マリカ様に侍女として、替り身としてお仕えします」
息をするように自然に答えが出た
「いいの? ノアール。
色々危険だよ。狙われたり、襲われたりするかもしれないよ。断ってくれてもいいんだよ」
「それは、マリカ姉様も同じでしょう?」
「ノアール…」
羨ましいくらいに恵まれているけれど、それ故に私達とは次元の違う危険が付きまとうこのおバカで愛しい『姉』を守りたいと思ったのだ。
「ならば、私はマリカ様、いいえ、マリカ姉様に救って頂いた命は、マリカ姉様の為に使いたいと存じます」
私は家族なんて得た事は無い。
大事なものなんて何もなかった。
でも
「貴女が私の替り身になってくれるのなら、私は今以上に全力で行くから」
今は大切だと思うものができた。
「ノアール!」
私を、美しい名前で呼ぶ紫水晶の輝き
「この世界の環境整備、子ども達を守る世界を作る。
ノアールが幸せになれる場所を必ず作るから。
だから、力を貸して!」
そして、絶望の中、たった一つの憧れだった昔話の勇者。
「自分を粗末にするな。
俺達にはお前が必要なんだ」
彼女が、いいや。
彼等が何を目指しているのかは解らない。
何をしようとしているのかも今はまだ理解できない。
でも彼女の力になりたい思いは本当。
やっと手に入れた、傷つかずに笑っていてもいい毎日。
暖かい居場所を守りたい。捨てたくはない。
その思いは嘘じゃない。
だから、答える。
「はい。お力にならせて下さい」
と。
…正直、彼女みたいになりたいと思っている。
羨ましいと思う気持ちは消えた訳じゃない。
彼女のように自分も皆から愛される存在になりたいと。
憧れの勇者に彼女の様に、愛され守られたい。
替り身を引き受けたのも、それが理由だったりもしなくもない。
でも、あの賢くておバカな主を放っておけないのは本当だから。
私は彼女に仕えようと思う。
もう一人の、彼女として…。
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