それは、朝早く。一の地の刻
多くの人が朝の目覚めを迎えるより早くやってきた。
あたしとカリテ、それから門を預かる守衛の男は目を見開く。
蜂が唸るような微かな音が徐々に大きくなり、目の前が黒く歪み揺れた。
息をのむ。
生まれて初めて見る精霊の魔術。
黒い空間はやがて卵の殻が砕けるように、細かく空に溶け、中から人影が現れた。
「こんなに朝早くに申し訳ありません。
リタさん」
少女は美しく、整った顔立ちと姿をしている。
艶やかな光を宿す黒髪。紫水晶のような瞳。
優しい微笑みからは甘やかな花の香りさえ感じられる。
街の人間達が知ったら度肝を抜かれることだろう。
昨日、街中、いや国中を熱狂させた『アルケディウス神殿長』にして精霊の寵愛篤き『聖なる乙女』
「い、いや。こちらこそ。ご足労頂きまして感謝申し上げます。
マリカ皇女」
皇女マリカがここにいると知ったなら。
孤児院の中に皇女達を招き入れる。
皇女達、というのは皇女の二人の護衛と魔術師だ。
側仕えも連れていないあたり、本当にお忍びでこっそりやってきたことが解る。
まだ朝が早すぎるので、あたしとカリテ以外の職員は起きてはいない。
「無理に起こさなくていいですよ。私も用件が終わったらすぐに戻らないといけないので?」
職員や子ども達を起こして挨拶でもさせた方がいいか、とも思ったのだけれど皇女はあたしの考えを読み取ったように手を横に振る。そうして
「申し訳ありません。
おもてなしどころか、子ども達の顔を見せることもできず。
お姿を拝見できれば子ども達はみんな、間違いなく喜ぶと思うのですが…」
「新しく入ってきた子達は特に、ですね~。
みんな、神殿から救い出してくれたマリカ様を凄く慕ってますから~」
「そう、それが出立前に聞きたかったんです。
無理をお願いしてすみませんが、教えてください。
孤児院の子ども達と、神殿から救い出した子ども達はどうしていますか?
何か、困っていることはありませんか?」
あたし達に身を乗り出してそう問いかけたのだった。
ここは孤児院兼保育所。
アルケディウス王都で身寄りのない子ども達を集め、養い、守り、育てるところだ。
数日前までここに所属する子どもは保育所を利用する二人を除いて六人だったのだけれど、一気にその数が倍に増えた。アルケディウス神殿で下働きをさせられていた子ども達が皇女によって保護され、ここに預けられたからだ。
「最初はちょっとバタバタってしましたけれどね。
今は落ち着いてます。ゲシュマック商会からも助っ人を回してもらえましたしね」
「ごめんなさい。何の相談もなしに子ども達を置いていくような形になってしまって」
申し訳なさそうに眉根を寄せる皇女にあたしはとんでもない、と手を振って見せた。
「そんな顔をしないで下さいよ。皇女様。
事情は皇子から聞いてますし、行き場のない子ども達を守って育てるのはあたし達『ホイクシ』の仕事なんですから」
「十分なお給料も貰ってますからお気になさらず~。
ついでに困っている子がいるのを放って見てるだけなんてのも嫌ですからね~。
できることがあるなら嬉しいですよ~」
カリテの言葉にあたしもうんうん、と頷く。
この仕事をするようになって、子どもの動向に目が行くようになった。
最近はアルケディウスに子どもの保護法ができたのでそれほどでは無くなったけれども前はたまーに豪商や貴族のところで辛い目に合わされている子どもを見る場面があった。
それに孤児院の子達も。
今でこそけっこうやんちゃになってきているけれど、最初は表情もなくて見ていられなかった。
あれは、辛い。本当に辛い。
だから、自分が子ども達の為に何かできるなら、やらせて貰った方がうれしいのだ。
「ありがとうございます。お二人にここをお任せできてよかった」
皇女にそう認めてもらえると誇らしい気持ちになる。
そしてより、期待に添いたいと思う。きっとカリテも同じだろう。
少し、感傷的になったけれども
「それで、子ども達の様子はどうです?
困っていることや足りないものはありますか?」
皇女の言葉で我に返る。そういえば皇女は忙しいのだ。今日の昼過ぎにはまた親善訪問に出ると聞いていた。本当なら外出もできない出発直前の忙しい時間。
貴重な時間を割いて来てもらったのだから、しっかりと報告と相談をしないと。
「子ども達は最初は環境の激変に驚いていましたが、徐々に落ち着いてきているようです。
パッと見た限り一番下が五歳くらい、一番上は八歳くらいですかね。
孤児院に前からいた子達が同じ奴隷上がり、ということでいろいろと世話をやいてくれていますし、プリエラやクレイスも親切ですよ。
神殿でこき使われていたようで、子ども達自身も掃除とか洗濯とかを進んで手伝ってくれるのはありがたいですね。いきなりやることを取り上げるのもどうかと思うので、できる仕事は手伝ってもらっています」
「いい判断だと思います。仕事をしたらお礼を言って意欲を育ててあげて下さいね」
「心得ています」
「食事も目を輝かせて食べてましたね~。
部屋はまだ大丈夫ですが、着替えが危うい感じです。あと靴も。
男の子は他の子のおさがりって手もありですが、女の子も二人いましたから。
今は、大人用の服を直して着させてますけど。
新品じゃなくていいですから数が欲しいですね~」
「子供服の古着そのものがなかなか市場に出ませんからね。作って貰ったほうが早いかも。
シュライフェ商会に頼んでおくようにします」
あたし達の話を聞いて皇女はてきぱきと対応してくれる。
「旅から戻ったらなんとかまた顔を出しますが、それまでは子ども達が新しい環境に慣れることを優先して見守ってあげて下さい。
興味を持ったら危ないこと以外はいろいろさせてあげるといいと思います。
文字の勉強とか、料理とか、家畜の世話とか。
成果が目に見えることがいいかもしれませんね」
「許可が降りてからプリエラは料理を勉強し始めてますよ。
今は厨房担当が手伝いを頼みにくるくらいには腕を上げています」
「プリエラが料理を作ってくれた、ってウルクスが男泣きしてたな。そういえば」
護衛の少年騎士の言葉にくすっと微笑みが弾ける。
「プリエラとクレイスもまた今日から、泊まりに来ますし、きっと面倒を見てくれるでしょう。
あたし達も精いっぱい努めますので、皇女はどうぞご心配なさらずお役目に専念なさって下さい」
「ありがとう。
頼りにしています。この孤児院は私の夢であり、アルケディウスの希望です。
どうぞよろしくお願いします」
膝をついたあたし達に皇女は逆に頭を下げてくれて、逆に恐縮してしまったけど気合は入った。
何があろうともここの子ども達はあたしが守って見せる、ってね。
皇女が滞在してた時間は一刻くらい。
火の刻の始まりには戻っていった。
プリエラ達がやってきたのはそのすぐ後だ。
「あれ? 先生。何をしてたんですか?」
「今、マリカ皇女がここに来てたって言ったら信じるかい?」
「え? ホントに?」「うわー、会いたかったなあ~」
あたしの言葉に心底残念そうな表情を見せるプリエラ達。
この子達もマリカ皇女に直接助けてもらったから、心底慕っている。
「ねえ、先生」
「なんだい? プリエラ」
「私、大きくなったらマリカ皇女みたいになりたいです。皇女になりたいわけじゃないけど、皇女みたいに誰かを助けられる人に…」
「なれるよ。きっとね」
プリエラの言葉を聞いたら皇女はきっと喜ぶだろうな。とその時思った。
自分のようになりたいと言ってもらえたからではなく、子ども達が未来に希望を持てるようになったことを喜ぶのがあの皇女だから。
「さて、と。そろそろみんなを起こさないとね。
プリエラ。クレイス。手伝ってくれるかい」
「はい、わかりました」「りょーかい」
皇女が今度戻ってきた時は、子ども達もみんなで迎えてやりたいもんだ。
あたしはそんなことを思いながら、皇女から預かった職場に戻っていく。
子ども達を守り、育てるホイクシとして。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!