奥の院での言い争いから間もなく。
私は神官長と一緒に大神殿の中を巡っていた。
明日から始まる儀式の下見。場所の確認だ。
神官長は随員なし。私の方は護衛のカマラだけ。
大理石で作られたような純白の神殿は夏だというのに静かで涼やかだ。
「新年の火災の痕跡はもう殆ど見られませんね」
「表向きの修理は終わりましたが、残念ながら中枢部の損傷は言葉に出来ないほど、酷いものでした。
犯人に賠償を求める訳にもいきませんし。
本当の意味での修復が終わるにはまだ数年はかかりそうです」
苦笑交じりの神官長の嫌味を私はさらっと受け流す。
犯人はリオンだと、公表されて罪を追求されたら、こちらは社会的にほぼ終わり。
私達を合法的に手に入れられる筈だけれど、大神殿は不思議にそれをしようとはしない。
大神官が戻るまで手出しはしない。
交わしたあの約束を今はまだ、翻すつもりはないということは、どうやらあちらにもいろいろと事情があるっぽい。
さっきの言い争いも、もう無かったこと。
忘れたかのように神官長は白い廊下を歩いていく。
私はその後を、少し速足で追いかけた。
白を基調にした建物は正しく神殿。
神像とか絵とかが無い以外は私が、現代日本人の感覚で思うものと全く同じに見える。
で、驚くことに人を全く見ない。
アルケディウスの神殿でも相当な人数が働いてるんだからもっといるのか、と、思いかけて思い出した。
私がいるからだ。
『聖なる乙女』の視察だから余計な人は隠れてるんだ。きっと。
殆ど誰にも合わないまま私は、外に促され、とある場所までたどり着く。
白い壁と、大きな白い扉が外界と何かを隔てているようだ。
扉はやがて、誰の姿も見えないまま、ゆっくりと音を立てて開かれる。
「どうぞ」
「は、はい、わっ!」
促されるまま扉を潜ると、直ぐに刺すような太陽の光に私は目を焼かれた。
昨日は禊以外で外に出ていなかったから、夏の日差しがこんなに強かったのを思い出した、という感じだ。
チカチカ、光が躍る太陽の残滓が落ち着いた頃、そっと瞼を開けると目の前は大広場。
その中央に、扉からまっすぐ前に伸びる階段とその先にある壇が見えた。
「これが、舞を舞う祭壇、ですか?」
「そうです。大神殿の中庭であるとお思い下さい。
明日の前夜祭、明後日の礼大祭、その翌日の後夜祭、全てここで執り行われます。
見てのとおり、ここが正面入り口ですが、ここを通れるのは神殿関係者のみ。一般客は大聖堂から繋がる別の入り口を通って入ります」
ぐるりと完全に白壁で取り囲まれた祭壇は、アーヴェントルクで踊った時のものに似ている所も多いけれど、こちらの方があきらかに大きく、高く広い。
祭壇に施された彫刻、てすりの高さなども段違いだ。
この舞台、けっこう広いから、下からだと良く見えないかも。
「上がって見てもいいですか?」
「どうぞ。ただ、舞は踊らない方がいいと存じます」
「解りました」
自分の当日の衣装などを想像しながら、一回限りの予行練習だ。
「案内役は無しですね」
「無しです。護衛は側を歩き、壇の下で待つ事を許されますが当日の『聖なる乙女』に触れる事は私とて許されません」
当日はリオンに側にいて欲しいので、さっきの扉の所で待機してもらう、かな?
私は人員の配置などを考えながら、扉の前に立った。
ゆっくりと歩幅計算をしながら歩く。
壇は小さな段が三つ重ねられているような感じだ。
下から二段目の会談横に小さな椅子がある。ここが多分、楽師の席。
アレクには練習無しになっちゃうけど頑張って貰おう。
そして、私は祭壇の一番上に立った。
思った以上に高い。空が近く感じる。
実際にはそこまで高い訳では無いのだけれど 眼下に見下ろす神殿と人々の視線にくらくら来てしまいそうな感じ。
私、高所恐怖症は無かったはずだけど。
くるっと、舞台を一回りして確認。
広さなどは問題ない。落っこちない様にてすりのようなものもあるから、万が一力を取られ過ぎて気絶しても大丈夫だろう。
いや、そんなのは困るけれど。
せっかく舞台の上に上がったのだ。
軽く予行練習くらいはしたいところだけれど、舞はダメと言われている。
じゃあ、歌、かな。
大きく深呼吸。
私はアカペラで、前夜祭と後夜祭で歌えと、と言われた讃美歌を歌ってみる。
「~~~♪」
アカペラだけど思った以上に声が伸びていくのが解った。
何か、魔術でもかかっているのかもしれない。
声を張り上げた訳では無いけれど、広場全体に、空全体に声が流れていく。
見えない拡声器でもあるみたいに、祭壇下で見ているカマラや神官長にも、あちらこちらで見えない様に仕事をしている神官さん達にも届いているのが実感できた。
思った以上に気持ちがいい。
野外コンサートで歌う歌手さん、ってこんな感じかな?
などと呑気に思っていると、ふと、頭上が暗くなる。
あれ?
さっきまで雲一つない青空だったのに。
と思った瞬間。
「マリカ様!」
階段下から、凄い勢いで走って来たカマラが、私を庇う様に押しのけ、前に立った。
ガキン! と何かと何かがぶつかり合う音がする。
「え? 何?」
状況の把握が良くできなかったけれど、カマラの背中の後ろから前を見れば、鷹か鷲かと見まごう黒くて大きな鳥がこちらを、というか私を見ている。
「鳥? じゃなくって魔性?」
さっきの音はカマラの剣と、魔性の爪がぶつかった音っぽい。
「マリカ様、そこを動かないで下さい」
「あ、うん。ありがとう。カマラ。気を付けて」
カマラはショートソードを構えて鳥型魔性を見据えている。
魔性はと言えばカマラを見てはいない。
いや、邪魔者として見てはいるだろうけれど、明らかに獲物として狙っているのは私だと解った。
翼を広げた体長は2mはありそう。
小柄なカマラだけど、押しつぶされてしまいそうな程小さく見える。
ここは、大神殿だよ?
魔性がこんなに簡単に入ってくるの?
私はちょっとパニックだ。
下手に動くとカマラの邪魔をしてしまうから、動く事も出来ない。
でも、その間にもカマラは、ただ気圧されてなどいない。
スッと、構えたままの剣に力を込め、敵を倒すべく前に踏み出した。
魔性の懐を狙う鋭い一刀は
「ギシャアアア!」
魔性の右翼に深い傷をつける。
身体を振るわせるように魔性は身を上空へと翻す。
「危ない! カマラ!」
敵の狙いは、多分勢いをつけた急降下による突撃だ。
翼がある分、空に逃げられてしまうとこちらは圧倒的に不利になる。
「大丈夫です。マリカ様は、必ずお守りします!」
カマラが敵から目を離さず、剣を持つ手に力を込めたのが解った。
ならば、私は信じるだけだ。
狙いは敵が、こっちに迫って来る瞬間、的確に切り込んで敵の急所を抉る。
せめて翼を奪う。
そう私達が覚悟を決めた正にその時。
「エイアル・シュートルデン」
「えっ?」
足下から低い、けれどもはっきりとした呪文詠唱が聞こえた。
と、同時。
「きゃああ!」
周囲に突風が吹き荒れる。
私とカマラも風に巻き込まれたけれど、術を直接受けた訳じゃない。
単に余波に巻き込まれただけだと解る。
「グギャアアア!」
見れば、渦を巻く小台風が私達の眼前の魔性をその中に包み込んでいる。
洗濯機の中の洗濯もののように風に翻弄され、絞られ魔性は悲鳴を上げた。
そのスキを勿論、カマラは見逃さない。
「タアアアッ!」
術の切れ間、風の渦が途切れた一瞬を狙って、魔性の脳天に渾身の兜割を入れた。
剣の力もあったのだろうけれど、驚く程に綺麗に魔性は真っ二つ。
地面に落ちて、そのまま靄のように消えてしまった。
「マリカ様、お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫。カマラは?」
「大丈夫です。かすり傷の一つもありません。でも……」
私はもう、微かな黒い残滓しか残っていない魔性を見る。
「『神』の膝元たる大神殿が、しかも聖地とも言える祭壇に魔性の侵入を許すとは……。
復活した魔王の、宣戦布告でしょうか?」
「神官長……今の魔術は?」
「姫君、真に申し訳ありませんでした」
祭壇の上に上がって来た神官長は私の問いに応えぬまま、そのまま私にスッと膝をついた。
「祭壇は直ちに清め、周囲を警戒、魔性の探索、退治を行います。
大神殿の威信にかけて、明日からの祭りで姫君を魔性の脅威にさらすようなことは致しません。
今日は、奥の院に戻り、お身体とお心をお安めになって下さい」
下見は終わり、部屋に戻れとの言外の指示。
勿論、それに異論はないけれど……。
『魔王の宣戦布告』
神官長とは別の意味で、私は今の魔性の襲撃に、嫌な予感を感じずにはいられなかった
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