明日には軍が王都に到着するだろうと連絡が来た。
本当は急げば今日中に着くくらいなのだけれど、華やかに出迎える準備の為、明日の開門までは外に待機というのが通例なのだそうだ。
去年の秋、今年の夏と敗戦が続いていたらしく、今年、久しぶりの勝利の凱旋にアルケディウスの王都は、熱気と活気に溢れていた。
今日は風の日、明日は空の日で所謂週末。夜の日が安息日、で開けた木の曜日から大祭が始まる。
けれど、祭り前の喧噪が嘘のように、私第三皇子の館。
私とティラトリーツェ様、二人の間にはお互いの呼吸がはっきり聞こえるくらいの静寂が広がっていた。
「そんなことが…。移動商人の襲撃よりもやっかいな話ですね」
ミーティラ様は、まだ子ども達の護衛から戻ってこない。
ヴィクス様は明日の凱旋の準備。
早急の報告があるのでお時間を、という私の急な願いに応じて下さったティラトリーツェ様は頭を押さえながら一際大きな息を落とした。
「タシュケント伯爵の話は第一皇子妃一派、それにザーフトラクも聞いていたのですね」
「はい。ザーフトラク様は皇王陛下と皇王妃様にもお伝えすると」
「下手に隠すよりはその方がいいでしょう。お二人ならこちらの味方をしてくれる可能性が高いですから。
そしてザーフトラクには、あの事も告げた、と?」
第一皇子派閥の大貴族、タシュケント伯爵家が私を拾った孤児だと主張してきたのは、昨日の王宮での仕事の帰りの話だ。
付き添いと保護者をかって出てくれた皇王陛下の料理人で、王宮の食料管財人ザーフトラク様に問われ、ガルフは私を『第三皇子の隠し子』だと告げた。
皇子とティラトリーツェ様のお手伝いをするために、そしてこの国に子どもの保護と食を広げる為に養女になる話は本当に最初の最初。私達が王都に出て来た頃からあった話。
その設定も周囲を納得させる為、皇子とティラトリーツェ様の了解を得て用意していたものだ。
でも、沈黙を約束してくれたとはいえ、皇王様に仕える貴族に伝わった以上、もう無かった事にはできないだろう。
「申し訳ありません。ティラトリーツェ様。勝手に話を進めてしまって…」
「貴女が覚悟を決めたというのであれば、それは別に怒る話ではありません。問題は、タシュケント伯爵家の方、ですね」
頭を下げた私に向けるティラトリーツェ様の声は優しいが、声は緊張を宿している。
それはそうだろう。
タシュケント伯爵が拾った娘が、皇子の隠し子、だなどという事になれば、大きな醜聞になる。
もしかしたら、皇子に誘拐の疑いもかけられて…責められたり、白い目で見られる事も…
「…多分…サークレットだと思うのです」
「へ?」
意図していた案じとは違うティラトリーツェ様の呟きに私は目をぱちくりと瞬かせた。
「貴女が…皇子がいない今、まだ断言はできないでしょうけれど、ほぼ間違いなく…拾われた時に着服された身元を明かす手がかり。驚く程高価な装飾品、というのはサークレットだと思う、と言っているのです」
私は、ティラトリーツェ様が、タシュケント伯爵家からの追及や、私が隠し事して表に出る事によって生まれる醜聞をどう処理するか考えている、と思っていたのだけれど、違っていた。
「人は、他人が持っていない貴重な品物を手に入れたら、それを見せびらかし褒めて貰いたい、という欲求からは逃れられないモノなのです。タシュケント伯爵夫人は、公式の場ではありませんが、私的なパーティや茶会などで『伝来の家宝』をこっそりと来客に見せていたという噂を以前聞きました。
それは素晴らしく美しく精緻なサークレットであるとも」
「サークレット、ですか?」
ファンタジー世界では比較的おなじみのサークレット。
この世界では額冠とも呼ばれ、その名の通り額につける女性の装飾品だ。
向こうの世界でのティアラのようなもので基本的に王族、皇族が、特別な場でしか身に付ける事ができない。
この国で言うなら、公式の場で皇王妃様が、新年の参賀の時に、皇子妃様達が身に付け、大祭の初日、神に奉納の舞を捧げる指揮官夫人が特別なものを身に付けるだけだ。
公式の舞踏会、晩餐会くらいでは皇子妃様達でさえ身に付けない特別なアイテム。
ただし、大貴族が花嫁を迎える時だけは着用が許されているので、大貴族の館には伝来のサークレットが一つはあるものらしい。
「タシュケント伯爵の夫人が嫁いで来た時、それを使う事は無かった上に、見せびらかようになったのはつい最近と聞くので、多分、それが拾った赤子から着服したものなのではないかと思います。
私自身は見たことがありませんが、どのようなものであったか、覚えている者はいるかしら…」
「そんな話を、よく…」
「情報収集は身を守る為の基本です。
不自然な話や、おかしい話は記憶にとどめておくことでいざという時、相手の隙をついたり弱みとして使う事ができるのですよ」
にこやかな笑顔で怖い事を言うティラトリーツェ様は、やはり王宮という魔境を生き抜いてきた方なのだなと思いつつ今、問うべきはそこではないと、私は気付いた。
「まさか、ティラトリーツェ様は、タシュケント伯爵家から宝を取り返すことを、お考え下さっているのですか?」
私はすっかり諦めていたのだ。
皇子の隠し子として公開される以上、タシュケント伯爵の脅しは黙殺することになるだろうと。
だって、私が拾われた子であると認めれば、伯爵家に弱みを見せる事になる。
最悪、皇子が娘を連れ出したのか。と誘拐犯扱いされることだって。
「当然です。貴女の家族に繋がる大事な品でしょう? 盗人に預けておいて良いものではありません。
貴女を養女としたら、正当な抗議の元、取り返すつもりです」
でも、そう告げるティラトリーツェ様の顔には迷いは本当に欠片も見えない。
「ですが…」
「子どもが余計な事は心配しなくても良いのです。
貴女を養女として迎える、と決めた時から多少の醜聞は被る覚悟は皇子共々できています」
…昨日、ザーフトラク様と話をしていて改めて気付いたけれど、私が皇子の隠し子として表に出るという事はティラトリーツェ様にとってはかなりの醜聞になる。
愛妻家で名高い皇子が外で子どもを作ったことそのものもだけれども。
妻であるティラトリーツェ様が、子どもを引き取るということは、なさぬ仲の女の子を育てなければならないということなのだ。
実の我が子が産まれるという時に。
「それにね。貴女が思う程の醜聞には多分、なりません。
自分で言うのもなんですが、私も皇子も、長年積み上げてきた実績と信頼に自信がありますから」
でも、ティラトリーツェ様は晴れやかに笑う。
「もし、王都の民が、孤児を拾って、下働きをさせていた伯爵家と、そこから我が子を救い出した皇子の話を聞いたら、どちらの味方をすると思います?」
「…それは、多分、皇子の方を…」
知名度と好感度が段違いだ。
そもそも大貴族の名前なんて一般人は覚えていないし、子どもを実際死にかける程まで追い詰めていた点とかを突けば、そこから我が子を救い出した皇子の話は間違いなく美談になる。
「貴女との関係も同様。マリカ。
貴女が王宮に入ってから、今まで、私が貴女を邪険に扱ったことはありますか?」
「いいえ、ありません」」
即答できる。
厳しく躾けられ教えられはしたけれど、意地悪されたり、悪意を向けられたりしたことは一度も無い。
本当に。
「そうでしょう?
私は皇子の子が欲しかった。
貴女に興味を持ったのはそれがきっかけではありますが、お腹の子とは別に誰の代わりでもなく、私は貴女を気に入り、我が子と思って愛情を注いできました」
そういえば、最初は本当に、私の事を皇子の隠し子だと言っていた時もあったっけ。
でも、あの時でさえ、ティラトリーツェ様は、私を一人の人間として認めて、護衛し、力になって下さっていた。
「人は、見ていないようで、そういう関係を見ています。
私が継子いじめをするような者ではないと、皆が解ってくれていると信じていますし、貴女と積み上げて来た絆にも自信があるつもりですよ」
ティラトリーツェ様は美しく微笑む。
その頬に、瞳に、言う通り紛れも無い自信が見て取れた。
「貴女も同じです。
元は子どもなど見下していたザーフトラク。
あれが自ら精霊の誓いを捧げ、子どもに対して保護者をかって出る等、私は最初思いもしませんでした。
それと同じように皇王陛下、皇王妃様、第二皇子妃…。
私の妊娠の時と同じように、貴女が倒れた時のように、貴女が危機に陥れば味方をしてくれる者は大勢いると思います」
昨日、ザーフトラク様も言って下さっていた。
辛い事があっても、苦しい立場に立たされても、味方は必ずいるのだ、と。
自分が積み重ねてきたことが、少しずつでもこの国の役に立ち、人々を変えて来たのであればこれ以上に幸せな事は無い。
「貴女は、何の為に皇女になりたいと思うのですか?
皇女になって何を望むのですか?」
「私は、子ども達を守りたい。子ども達が幸せに、認められ、笑顔で生きられる世界を取り戻したい。
その為に、アルケディウスを、世界中を幸せにしたいのです」
不老不死は、誰もが憧れる平和な世界の象徴だった。
でも、実際になってみれば平和な世界では無かった。
未来を繋ぐ子ども達は打ち捨てられ、格差はより強固になり、新しいものは生み出されず、永遠の繰り返しに人は疲弊し、自ら死を願う人もいる。
子ども達を守るのが私の目的だけれど、子ども達だけを守っても子ども達は幸せになれない。
世界が平和で幸せになって、人々に愛されて初めて、子ども達も幸せになれるのだ。
だから、私はこの国を、世界を幸せにしたい。
「強い思い、信念をもって国を良くしたい。
と思い立つのなら、貴女には今の第一、第二皇子よりも上に立つ資格があると思います。
人々も、その思いについて来てくれるでしょう」
私の壮大な我が儘をティラトリーツェ様もまた、強い信念と思いで受けとめて下さった。
「自信を持ちなさい。胸を張って王宮に来るのです。
…マリカ。私の娘」
私の事を、娘とティラトリーツェ様は呼んで下さる。
血が繋がっていない、という点においてはティラトリーツェ様もこの間の偽母親エリスも立場的には同じだ。
でも、比べるのが失礼なくらい。二人は違う。
私を思い、手を尽くし、心を砕いて下さるティラトリーツェ様は、実子とは違う形であろうけれども私を愛してくれていることが解る。
母親らしいことを何もせず、血だけで(それも偽りだったけれど)母親の顔をしたエリスとは雲泥の差がそこにはあるのだ。
ならば、私は娘として、この方の側に有り続けよう。
私のできる限り、許される全てで。
そして、味方をしてくれる人がいる、というのなら、私は全力を尽くして、子ども達のそれと同じ思いで、助け、守る。
跪き胸に手を当て、私はティラトリーツェ様を見つめた。
この世界で初めて口にする。
敬意と愛と思いを込めた尊称をこの方に贈ると決めたのだ。
「はい。よろしくお願いいたします。お母様」
例え、実の母親が見つかっても、マリカにとってはこの方が、この世界ただ一人の『母』なのだから。
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