目が覚めた時、私は身体がまったく動かない事に気付いた。
何か薬を盛られたのだということは解っている。
全身を巡る倦怠感はきっとそのせいだ。
アドラクィーレ様が寄越して下さったアーヴェントルクの毒物リストには、身体の自由を奪うものがいくつかあった気がする。
それのどれかを盛られたのだろう。きっと。
でも、今、身体が動かないのはそのせいだけじゃない。
私は何せ箱の中に閉じ込められているのだ。
まず口にはさるぐつわを噛まされていて声は出せない。
両手両足も鉄製の固い枷でがっちりと固定されている。微塵も動かない。
手も同様だ。足に比べれば少しは遊びの在る鎖付き枷だけれど、ほんの少し手を動かすのが精いっぱいだ。
身じろぎすることさえできなくて辛い。
頭を少し、下に下げて見れば訪問用のドレスをはぎ取られ、ご丁寧に白いドレスを着せられている。
豪奢な作りからして、多分アンヌティーレ様の舞用衣装だと思う。
なんでこんな服を着せられているのか解らないけれど……。
(失敗したな~)
この事態を招いたのが、私の想定の甘さだというのは解ってる。
実際、ここまで強硬手段をとってくるとは思ってなかった。
親善使節に手荒な真似をする、なんて国際問題。
一国を背負う皇家の方達も流石にそこまではしないだろうと思っていたのだけれど。
そんなことを気にしないくらいの恨みを買ってしまったのか、それとも壊れてしまっていたのか。
どちらにしても、このアルケディウスはおろか、大聖都にさえ見つかったら言い逃れのできない状況を、アーヴェントルクは。
いや、正確にはアンヌティーレ様とキリアトゥーレ様はやってのけたのだ。
「枷は……壊せない事はなさそうだけれど……」
ちゃらり、と鉄の鳴る音がする。
『能力』が使えない、とか封じられているということは無いみたいだから、その気になれば多分、枷を外すこと、箱を壊す事そのものはできる。
ただ、全身にまだ力が入らないし、ここがどこかも解らない。
連れて来て、放置しているということは、逃げられる心配がない。
とおもっているということだろうし。
敵のホームから、まだ、自由に動かない身体を引きずって一人逃げ出せる自信は無い。
それに……
「カマラやミーティラ様達は大丈夫かな?」
一番心配なのはそこだ。
私と一緒に同じ毒を盛られて、倒れた事は解っている。
彼女達は不老不死者。
そうでない私が意識を取り戻しているのだから死んだりはしていないと思うけれど、ここまで強硬手段をとってきた、という事は彼女らにも何らかの対策があってのことの筈。
最後の夢うつつで聞いた言葉通りなら……、怖いな。
そんな事を考えているうちに、箱の外からガチャリ、と重い扉が開く音がした。
鉄製かなにかかな? とどうでもいいことを思っていると……、急に光が目の前に広がった。
「お目覚めになりましたか? 『聖なる乙女』
手荒なご招待をお許し下さいませ」
声の主は皇妃キリアトゥーレ。
酷薄な眼差しが、私を見下ろしている。
言葉遣いは丁寧だけれど、そこに敬意や相手を尊重しようなんて思いが欠片も無い事は直ぐに解った。
目を細め、くつくつと楽し気に扇で口元を押さえて笑う仕草は、欲しい物を手に入れ、勝利を確信した喜びに溢れている。
「狭くてお辛いでしょう?
早く出して差し上げなさい。くれぐれも、丁重に」
背後に控えていた者達に目で合図をするとほぼ同時、微かな音共に、周囲を囲っていた板がパタンと倒れた。
そして、私は柔らかい手に持ち上げられ、固い台の上に横たえられた。
手足の枷は外されないまま、台の端にある鎖と結び付けられる。
白く冷たい台にIの字のように括りつけられているのは辛いけれど、でも、そんなことはどうでもいい。
身体の固定が終わったのを確かめてから、口元の布が取られる。
そこで、私は思わず声を上げた。
「カマラ! ミーティラ様? 一体どうして?」
私を箱から出して、台に拘束したのは私の側近、護衛である筈のカマラとミーティラ様だったのだ。
キリアトゥーレの後ろには、ミュールズさんも立っている。
三人とも、どこか焦点の合わないうつろな目をしているから、自分の意思ではないのは解るけれど……。
「私の側近達に一体何をしたのですか? キリアトゥーレ様!」
「あらあら、ご自分の心配より先に部下の心配ですか?
お優しいのですね。アルケディウスの『聖なる乙女』は」
甘やかな笑みを浮かべて、背後に立つ三人をキリアトゥーレは見遣る。
「ちょっとした説得、ですわ。
時間がありませんでしたので、まだ完全に『言い聞かせた』訳ではありませんし、理解してくれた訳ではありませんの。
ただ、アンヌティーレに力を吸いとらせその後、神の祝福と共に力を返すと大抵の者はアンヌティーレの言う事を聞いてくれるようになるのです」
以前、皇子が言ってたっけ。
アンヌティーレ様に力を吸い取られた者は、その命令に従うようになるって。
「ご心配なく。
姫君がアーヴェントルクの皇女。
アンヌティーレの妹になった暁には、あの者達は完全に躾け直して姫君にお付けしますから」
「私は、アルケディウスの娘です。
アーヴェントルクの皇女になんかなれません! 親善使節である私にこんなことをしたら、国際問題ですよ。
解っておいでなんですか!」
「あら、何の問題も起きませんわ。
姫君が自ら、アンヌティーレの足元に下り、妹になると宣言するのですもの。
ねえ? アンヌティーレ?」
「ええ。私とマリカ様はとって気が合って、義姉妹の契りを交しますの」
「アンヌティーレ…様?」
気が付けば、そこにアンヌティーレがいた。
純白のドレスを身に纏い。
高く、澄み切ったソプラノは楽し気に自らの夢見る都合のいい未来を謳う。
「そしてマリカ様はアルケディウスには戻らず、アーヴェントルクの神殿に仕える巫女となって姉妹仲良く幸せに暮らすのですわ。
私、ずっと従順で可愛らしい妹が欲しくてたまらなかったのです」
「私は、アンヌティーレ様の妹になんかなりません!
そもそも、アンヌティーレ様にはアドラクィーレ様という妹がおいででしょう?
「アドラクィーレは、私の妹などではありませんわ。
あんな陰気で気の利かない娘にアーヴェントルク皇家の血が流れているなんて考えるだけでおぞましい」
酷い言い草だと、思う間もなく、アンヌティーレ様がスッと私の括りつけられた台に腰かけ、私の頬をなぞる。
体温が消え失せたような冷たい手に、暗い眼差しに私は思わず逃げるように身体を捻った。
でも、しっかりと括りつけらた枷は頑丈で願いは叶わない。
「……若い、というのは素晴らしい事ですわね。
染み一つない、美しい白雪の肌、紫水晶をはめ込んだような瞳。
夜そのものの漆黒の髪」
褒め言葉に、はとても聞こえない。
まるで呪詛のように、微かな羨望と怨みが宿っていると解る。
「姫君こそ、アーヴェントルクの皇女に相応しいと思いますわ。
本当に兄上が、ちゃんと姫君を落して、妻に迎えて下さればこんな強硬手段を取らずにすみましたものを」
「一体、何をするおつもりなんですか!
私は、絶対にアーヴェントルクの巫女になんかなりませんけど!」
「姫君の御意思はこの際関係ないのです。
これは『神』と私の意思。つまりはこの『星』の最高存在の決定ですわ」
アンヌティーレが目配せすると、側に控えていたらしい青年が恭しく白いクッションに乗った何かを運んでくる。
「ほら、動かないで下さいませ」
ひらり、アンヌティーレ様の手が目の前で翻ると、私の身体にピクリと、痙攣のような痺れが奔った。
私が横たえられた壇全体から、力が吸い取られて行くようだ。
私の身体なのに、もう指一本動かない…。
「見えますか? マリカ様。
これは『神』の僕たる証。精霊石ならぬ『神石』
神殿に仕える司祭達が、神と繋がりお力を授かる為のものなのです」
アンヌティーレが私の目の前に見せつけるように煌めかせたのは金を宿した緑の結晶、
「これを額に埋め込めば『神』のお声が直接聞こえるようになって、逆らおうなどという気持ちは無くなりますわ。
いざという時に父上や兄上に使う為に『神』から賜ったのですけれど、姫君に使うのが一番いいと思いますから」
ぞわり、と背筋に悪寒が奔る。
父皇帝や兄皇子を操る為の…もの?
それを埋め込まれたら神の傀儡になる?
神の額冠をつけた時のように…
「まさか、キリアトゥーレ様にもそれを?」
「それは違いますわ。マリカ様」
娘に仕えるように一歩下がっていたキリアトゥーレ様は頭を振る。
「私は、自分の意思でアンヌティーレの為に動いておりますの。
世界の頂点に立ち、人々の敬愛を一身に受ける強く、美しい神の代行者。
『聖なる乙女』アンヌティーレは私の夢そのものですから」
うっとりと、アンヌティーレを見つめるキリアトゥーレの眼差しは本当に、眩しい夢を見ているかのようで…。
自分の叶わなかった夢を、娘に託す母親の眼差しそのものだった。
「ですから、アンヌティーレの場所を奪う者は誰であろうと容赦はしません。
一人二人消すのも、何十人の口を封じるのも同じこと。
命を失いたくなかったら、大人しく自らの運命を受け入れるのです。
アンヌティーレ」
「はい、お母様」
差し出された儀礼用の優美なナイフをアンヌティーレは手に取り、壇の上。
私に覆いかぶさるようにのしかかってきた。
彼女から漂う鼻につく鉄気を孕んだツンとする匂いは多分、血。
「今度は先のような醜態は晒しませんわ。
精霊の恵みを強く宿す子ども達の力を、私は取り込みました。
今の私であれば、貴女の力に負けることなく我がものとし、支配する事が叶うはずです」
「子どもの力って…まさか!」
「あの子達も世界を司る『神』と私の力になれてきっと喜んでいる筈。
…さあ! 大人しくその身と力を私と『神』に捧げなさい!」
「い、イヤ!!! 助けて! 助け……!!!」
必死に頭を振り、身をよじらせたけれど、周囲に仕える男達が私の頭をしっかりと固定して、口元を押さえるともう、何もできない。
額に当てられたナイフが私の皮膚を裂いた。
額から頬に血が伝って、白い祭壇にポツリと染みを付ける。
同時ググッと、傷口に何かが無理やり、押し入れられるように埋め込まれた。
痛みに身体が跳ね上がるけれど、抵抗は完全に封じられている。
「ふふふ、勿体ない」
アンヌティーレが傷口を塞ぐように、私の額に唇を寄せたのが解った。
舐められ、血をすすられ…。
おぞましさに背筋が峙つけど、正直、それに意識を向けている暇は、私には無かった。
私の額に埋められた、小さな固まりに見えたものが、チリリと熱を帯びて蠢き「孵化した」のが解ったからだ。
細い糸のような何かが私の脳を侵食しようと蠢き『私』の意識を捕える。
「う……、あ……、ア……」
似たモノを私は知っていた。
神の額冠。
あれが私を私を支配した時とほぼ同じ。
何かが根を張り、私を…変えようとしているのだ。
(イヤ……イヤだ、イヤだ……。こんなのイヤ……助けて……、リオン、皆、助け……)
強い力に抗えず、逆らえず、私がその熱に支配されようとしたまさにその時。
『こっちだ!』
何かが『私』を引っ張った。
少なくとも、そう感じた。
私に絡みつこうとして迫って来る何かを振り払い、迷う間もなくその手に従って逃げた。
暗紫色の闇の中に……。
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