皇王陛下からのお話の後、私達はゆっくりと休むようにと言われて、自室、部屋に戻った。
「お疲れ様でした。マリカ様」
「ありがとう。ちょっと緊張しました」
ミュールズさんが、着替えと入浴を手伝ってくれる。
バスタブにつかり身体を伸ばすと疲れが溶けていくようだ。
「明日は皇王妃様の所に行きます。
明後日はゲシュマック商会に視察と、食事に呼ばれているのでカマラ、セリーナ、ノアールを連れて一泊して来るつもりです。
ミュールズさんは、久しぶりの休みですのでゆっくりして下さい」
髪を洗って貰いながら、私は旅行中、使節団の第二位として一行を率いてくれた女官長に声をかける。
大祭からずっと、ほぼ休みなしだ。
私はなんだかんだで魔王城に行ったり息抜きしたりしたけれど、ミュールズさんは殆ど詰めきりだったと思うから、少しゆっくりしてほしい。
「私の方はお気になさらずとも。
姫様の方こそ、せっかくのお休みにお仕事でございますか?」
「うーん、そこのところは気にしないで下さい。
私にとってはゲシュマック商会に行くのは仕事も半分ですが、ほぼ休みの旅行です。
聞いていますか?
ゲシュマック商会のガルフは私の育ての親のようなもので、王都から離れた郊外に孤児院のような場所を作っているのです。
子ども達を守る為に、場所は明かせませんが……楽しい所ですよ」
流石に魔王城とは言えないけど。
夜の日、安息日まで後二日だけれど、明日、皇王妃様とアドラクィーレ様の出産までについて話し合いをしたら空の日は休んでいいと言われている。
せっかくの二連休だから、久しぶりに魔王城に帰るつもりなのだ。
「そうでございますか……。
では、今まで療養や休みという時にはそちらに…?」
「ええ。カマラとノアールはこちらに係累がいませんし、セリーナは妹がその孤児院に預けられているので、会わせてあげるつもりです。
だから私達の事は気にせず、ミュールズさんもゆっくりなさって下さい」
「……お気遣い、ありがとうございます」
休みを貰えてうれしそう、という様子ではないけれど、ミュールズさんもようやく納得して下さったようだ。
私がしょっちゅう、休みにゲシュマック商会に行っていたので、心配してくれていたのかもしれない。
ミュールズさんもたまにはゆっくりと羽を伸ばして欲しいと思う。
入浴を終え、着替えて後は寝るだけ。
明日の会見の為に消灯まで、母子保健について纏めようと思ってテーブルについた、私の横にミュールズさんが静かに膝をつく。
「どうしたんですか? 後は明日の資料を作成したら眠りますので、下がって下さってかまいませんよ」
私はそう促したけれど、ミュールズさんは神妙な顔をして膝をついたままだ。
本当にどうしたのだろう?
「アルケディウスの誉れ高き皇女 マリカ様にお願いしたき儀がございます」
「何ですか? 改まって? ミュールズさんが、私にお願い?」
「はい。どうか私に妊娠と出産の仕組みをお教えいただけないでしょうか?」
「え? 妊娠出産?」
「はい。姫君が『母子保健』とおっしゃる妊娠、出産の仕組み。出産日数の数え方や妊娠期間、出産時の留意点などを学びたく存じます」
「どうしてです? ミュールズさんは出産の経験がお有りですよね」
「はい。不老不死前に二人の子を出産しております。ですが、実は妊娠の経験は四回であり、うち二回は流産と死産だったのです」
「え?」
思わず、声と呼吸が止まった。
語るミュールズさんの声は静かで感情の高ぶりは見えない。
けれど隠しながらも確かに伝わる静かで悲しい彼女の無念は伝わってくるようだった。
「貴族、大貴族であれど、妊娠出産は厳しい者。
経験者の伝聞による情報の口伝と手腕に頼るしかありません。
ですからむしろ、下町よりも上流階級の方が伝達されている出産に関する知識、経験は少ないと言えるでしょう。
まして五百年、完全な空白が開いた上に御殿医も姿を消しました。
ティラトリーツェ様の出産に、他国の侍女頭とマリカ様のお手を借りなければならない程に知識が途絶しているのです」
ミュールズさんの声、言葉に今度ははっきりとした悔しさが滲み見える。
本来であるなら、外国から嫁いできたとはいえ皇族の出産に他国の侍女の力を借りた事。
もしかしたらこの国の方達にとっては断腸の思いだったのかもしれない。
「コリーヌ女官長は、王族の出産を安全に執り行う為に、出産の知識を学んだと伺っております。
今後、妊娠出産の可能性が上がるというのであれば、なおの事、姫君ばかりにその知識、対応をお願いしてはいられないと思うのです」
妊娠出産は、人類の長い歴史の中でも多くの女性の命を奪う危険なモノだった。
飛躍的に安全性が上がったと言えるのは戦後の数十年のことであり、医学や超音波エコーなどの技術の発展のおかげ。
それでも、妊婦十万人に対して二百人以上が現在でも亡くなっていたというデータがある。
データで拾いきれない貧困層、貧困国ではきっともっと多い。
そして、中世異世界の医学知識の絶滅した環境は、偏見と言われるかもしれないけれど、貧困国レベルなのだ。
帝王切開も、大量出血の輸血もできない。
不老不死で母体は守られるかもしれないけれど、子どもは誰も健康と安全を担保してくれない。
お母様の出産。
逆子が無事生まれたのは幸運でしかなかった。
「ですから、どうか、私にマリカ様の『精霊の書物』の知識をお与え頂けないでしょうか?」
「それは、本格的に『母子保健』出産と妊娠に関する知識を知りたい、ということですか?」
「はい。そしてゆくゆくは。勿論、姫様の元での私の仕事が終わってからのことですが。
貴族、大貴族、時として平民も含めての妊娠、出産において、安全安心を与えられる存在になりたいと思っております」
私はミュールズさんと視線を合わせた。
妊娠、出産というのは本当に女性にとっては命がけのこと。
一人での出産を強いられる女性も多いかもしれないけれど、心と身体を削られる。
だからこそ、近代まで地域が力を合わせて、出産を助ける風習があり、流れがあったのだ。
妊娠の確立が増加、でも堕胎を禁止するというのなら、その分、母子を助ける環境が必要だ。
絶対に。
それは母親が安心して子どもを産める環境作りであり、それを助ける正しい知識を持った人材の育成でもある。
私の知識は決して専門ではないけれど、中世の、しかも数百年知識、経験の伝承が途絶えた今なら人々を助ける。
その手助けができるかもしれない。
私一人で可能なのはアドラクィーレ様のお産のお手伝いまで。
この先、広がっていく裾野を全て支えるのは無理だ。
お祖父様がおっしゃった知識の共有。これもきっとその一環だ。
ミュールズさんはそれを理解して、申し出てくれたのだと思う。
「解りました。私の知る限りで良ければ」
私の答えは決まっている。
願っても無い事だ。
「ありがとうございます」
「あともし、できればいいのですが、同じような志を持つ方がいらっしゃれば、声をかけて下さい。
知識を多くの方に共有して行きましょう」
孤児院の保育士にも声をかけて、知識の共有と連携ができるようにしていければいいな。
あと、下町に出産専用の施設を作るとか……。
お母様に相談しよう。
「かしこまりました。情報料に関しては?」
「勿論、無料です。これは料理のレシピや道具の作り方、アイデアと違い、世界の人々を守り助ける為に広く、世に知らしめるべきものですから」
私の知識は、預かりものだ。
最初の頃はともかく、やりたいことをある程度自由にできる環境が得られたのなら、お金はそれほど重要じゃない。
世界の人々を少しでも助ける。
その為に私はきっと向こうの世界に生まれ、この世界に遣わされた……。
「色々と大変な事も多いでしょうけれど、力を貸して下さい」
「こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします」
「じゃあ、早速ですけど私が書く書類を写して貰っていいですか?
明日、皇王妃様とアドラクィーレ様にお知らせする、妊娠周期についての目安表なんです。
書きながら内容の説明をしますね」
「解りました。でもあまり夜遅くならないようにお休み下さいませ」
「ミュールズさんが手伝ってくれれば、多分早く終わります」
新しい仕事は増えたけど、頼もしい味方も増えた。
将来的には仕事も減っていくと思う。
業務効率化、情報共有。
向こうの世界では学んでもなかなか実践できなかったことを思い出しながら、私は隣の椅子を引いたのだった。
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